今や浅草の夏の風物詩となった住吉踊り。
 戯場国では、出演される芸人さんたちの指導にあたっておられる北見寿代師匠にインタビュー。
 住吉踊りの魅力に迫ります。



 寿代師匠が浅草演芸ホールでもぎりの仕事をはじめたのは、昭和52年10月。その翌年、八代目・雷門助六師匠の指導で住吉踊りの稽古が始まるという話を耳にし、「教えてほしい」と志願。それが住吉踊りとの出会いだった。もともと踊りをやっていたうえ、根が稽古好きな寿代師匠、上達も早く、先代にかわいがられて、いつのまにか他の芸人さんに教える立場になっていたという。
 この夏、住吉踊りは25周年を迎える。住吉をやっていて言葉では言い表せないほどよかった、とおっしゃる寿代師匠に、お話を伺った。


 まずは、寄席の住吉踊りが始まったきっかけから……
 私が聞いた話では、池袋演芸場がまだ古いころ、ずっと噺家さんの高座が続いちゃったことがあったそうです。寄席って普通、二本噺が続くと一本色物さんが入るでしょ。それが何かでずうっと噺家さんが続いたときに、じゃあ、一席終わったら、あいだに誰か踊りでも踊れば、と。でも、みんな踊れない。そのことを志ん朝師匠が助六師匠に申し上げて、寄席の踊りを教えてくださいと言ったら、「ひとり教えるのもふたり教えるのも手間は同じだから、じゃ、志ん朝さん、あんた人集めて下さいよ」って、それが始まりだと聞いてます。
 その当時、東宝名人会って、今の宝塚劇場の上に寄席があったんですけど、ほとんど夜席で、土日が昼だったのかな、そこをお稽古場に借りたの。大人数だからといって。そのときの支配人だった道江さんというかたが、お稽古を見ていて、興行になるじゃないかと。集まってるのが私ともうひとりを除いて、みんな芸人さんですからね。みなさん、せっかくお稽古してるんですから、うちでやりませんか、ということで始まりました。
 東宝名人会がなくなってからは、芸術座で年一回、一日興行でやってたんですけど、あるときから浅草演芸ホールでやることになったんです。浅草さんからも希望があったんでしょうし、志ん朝師匠や助六師匠も、できれば10日間おやりになりたいということだったんだろうと思います。寄席の形態というのはふつう、落語協会と芸術協会が10日間交替で、31日は余一会っていう特別なものが入るんですけど、私の知るかぎりでは、落語協会の10日間の中に芸術協会の人たちが入って興行を打つっていうのは、この住吉踊りが初めて。いまだにその形態が続いてます。
寄席の踊りである「住吉踊り」と、他のいわゆる「かっぽれ」とはどうちがうのだろうか。
 もともとは同じだと思うんですよ。初代の豊年斎梅坊主さん。うちは先代の助六師匠が、初代の梅坊主さんの一番弟子だった国松さんというかたから教わったと伺ってます。東宝で始まったときに、お客さまへのご挨拶でよくそうおっしゃってましたので。今、うちの他に桜川のぴん助さん、梅后さん、それから先々月でしたっけ、役者衆もおやりになってましたね。先日たまたま、左團次さんとそのお話をしてて、「楽しいですね。ご本人たちも楽しいですか」と伺ったら、うなずいてらっしゃいました。観ててもすごく楽しかったですもんね。
 どの流派もよく似てて、それでいて微妙にちがうんです。枝葉が分かれていったところで変わってきてると思います。だから、私自身が思うのは、私が教わったのはやはり先代の助六師匠の型で、どちらかというと助六流のような気がします。たとえば、足をちょっとこう使う(踵をつけて爪先を上に向けた状態)、たぶんこれは助六師匠のクセだと思う。あやつりのね。それから師匠は回るときでも、自分の体がくるっくる回るかたでしたから、うちは回るときはくるっと勢いよく回るんです。先代のクセがいくつかありますね。
 自分のうちの振りとここがちがう、振りは同じだけど間がちがうとか、あ、ちょっと向きが変わってるとか、そういうのはあります。 踊りってどこの世界もそうですけど、唄の意味を介して振りをつけるでしょ。「深川」の「猪牙」なんか、船頭だから舟を漕ぐ。おうちによって振りがちがうの。私個人でもってる「深川」では、棹をさすんです。でも、たいがい「かっぽれ」系のところは櫓を使う。まあ、これはみんな、いなせに踊ってくださいって、船頭なんて粋な職業のものだから、っていうふうな教えかたはしますけど。膝打ちなんかでも、微妙にちがいます。
「ずぼら」とか「なすかぼ」みたいなちょっとコミカルなものは、まず基本をきちんと教えて、それができてから、こういう滑稽なものはこういう使いかたをしなさい、という教えかたをします。基礎をやってない人たちに最初からくだけた振りで教えると、ずうっとそれが抜けないんですよ。基礎を教えて、それが上がってきたときに、指の差しかたひとつにしても、それまできちんと指してたのが、滑稽なものはちょっとこうやっておどけて指していいんだよという教えかたですね。

 芸人さんですから、基礎ばっかりやっていられない。生意気な言いかたですけど、お金のとれるような踊りを教えなきゃいけないので、そういう意味では、その人のもってる柄(がら)というか、コミカルな味が生かせればというところは、普通のお師匠さんより多々ありますね。本当はちがうんだけど、この人はこのほうがおもしろいと思えば、「ほんとはちがうのよ。でも、あなたはこのほうがおもしろいから、それでいい」というふうに。
 普通のお師匠さんのところでは、基本的なもので軽さを出すというのはむずかしいと思うんです。だけど、噺家さんが寄席で踊るのに「松の緑」だ「汐汲」だって踊るわけじゃないですからね。だから、「奴さん」なら胸を張って、元気そうでいいよと。「姉さん」になったら、くだけて柔らかく踊ってちょうだい、みたいな言いかたはしますね。
 おうちによって歌詞も微妙にちがうんです。たとえば「桃太郎」。桃太郎ってイヌとサルとキジを連れてるでしょ。でも、サルって忌み言葉だから、お囃子さんが最初は、「イヌとキジ連れて」って唄ったの。市販のレコードでもサルはなかったですね。そしたら先代が、三匹つきものだからサルも入れてくれっていうんで、うちは「イヌとキジ、サル」って入ります。「なすかぼ」もテープとかレコードだと、「奥州街道でカボチャの蔓めが 雪隠壊して」なんですが、雪隠じゃ汚いから、うちは「垣根を壊して」に変えてます。「深川」なんかでも流派によってずいぶんちがうんですよね。
「長崎さわぎ」って私が手品のときにBGMで使ってた唄を、楽屋で助六師匠が聞いて、振りをつけたこともありました。うちでは「住吉さわぎ」っていってましたね(笑)。
 もともとあったものだけを守るというのではなく、必要に応じて手を加え、新しいものをつくりだしていく。そうやって住吉踊りの種類はどんどん増えていった。
 住吉踊りを始めてから、おかげさまで毎年来てくださるお客さまもついて、先代の助六師匠が、そいじゃあ、年々踊りを少しずつ増やしていこうと。他のおうちでおやりになってる「深川」「かっぽれ」「奴さん」「大津絵」「なすかぼ」「桃太郎」の他に、ご自身でいろんなものを。もともとおやりになってたわけではなくて、きっとご自分でつくったものを、どんどん入れていったんだと思います。たとえば、普通「奴さん」っていうと、「奴さん」と「姉さん」でひと組なんです。うちの場合は、先代の助六師匠がそれに「芸者さん」「太鼓持ち」のペア、それから「お客さん」「お寺さん」のペアを入れて。それからもうひとつは「赤穂浪士」。これは、志ん朝師匠がお亡くなりになった年に、松の廊下から三百年というので、赤穂浪士をつくりましょうということになって。みんなで歌詞をつくって、私が振りをつくりました。「奴さん」シリーズだけで7つですね。
「深川」は、「猪牙」と「駕籠」と「坊さん」と、三番あるんです。それから、「勢獅子」ってほんとはひとつの曲なんですけど、そこから「かっかれ」と「さまに逢うとて」、それから、今やらなくなりましたけど、お獅子のところと「にんば」っていうふうに、部分的に抜粋してるんですよね。そういうものも含めると30種類ちょっとありますが、そのうち、先代がいなくなってから、まったくやらなくなってしまったものもいくつかあります。

 先代の型や振りのビデオは撮ってないんです。先代にビデオ撮らせてくださいと、私が死ぬときに自分のお棺の中に入れて誰にも見せません、とは言ったんですけど。万が一、そのビデオがよそへ行って、「あぁ、助六ってこんなに下手なやつか」って言われるのがイヤで、ひとつも撮らせてくださらなかった。師匠が何かおっしゃったときに、ちょこちょこっと書いた程度で、あとは基本的に口伝なので、記録はほとんど残ってません。
お稽古に伺って、しばらく教わったところで、「書いちゃいな」って言われて、簡単な振り書きをする程度。それを私が踊って人に教えていったときに、振りによっては踊れない人もいるわけです。その度に師匠が直していったりするから、それを全部書いていくのはちょっと……。今、少しずつ振り書きはしているんですけど、やりはじめてどんどん変わったところもあるし、こんなに長くやるとは思わなかったもんですから。あんまりきちんとした形では残ってないですね。
 近年は極力ビデオを撮って、ビデオで残そうとしてはいるんですけど。もうひとつは、当然ながら、同じ踊りを踊っても、踊り手が変わるとちがってくるんです。助六師匠が踊るのと私が踊るのとでは、まったくちがってきますし。私が教えてる人たちも、それぞれ個性豊かに踊るわけですから。寄席関係の人たちはそれでいいと思う。よほどまちがったことをしてないかぎりは。ご本人たちもそう思ってるでしょうけど、舞踊家じゃなくて噺家と色物の芸人さんたちの大喜利でやるわけだし。ただ、先代の助六師匠と志ん朝師匠は、きちんと基礎をやらなきゃいけないというお考えでしたから、できるだけ基礎を入れてやってますけどね。