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 仏敵


 書  名

求道物語 仏敵


 発  行  春秋社

 価  格  1575円 (送料340円)

平日の10:30〜18:00はお電話でもご注文いただけます→華光会事務局:075−691−5241


 案  内

 大正期、一仏教徒として、真剣に法を求めて苦悩し、ついに信心獲得に至るまでの若き日々の求道を綴った体験記録です。信一念の獲得体験を通して、真宗の真髄を教える真実の指南書として長年にわたり、多くの人々を導き続ける不朽の名著。現代かな遣いに改訂されて、待望の復刻!
ページ数:    220ページ
商品の寸法:  19.6 x 13.8 x 2.0 cm cm

 

 著者/編者 伊藤康善 著



(本文より)


「仏敵」


第三章「法喜に輝く人々」P55

 突然、皆の沈黙を破った坊さんが軽く手を挙げて、すみの方に寝ているおばさんを指して言った。
 「どうだ!あの平生業成の静けさは!」
 突拍子に響いたその言葉は、皆の者の注意を呼び覚ました。だれもかれも、おばさんの方を振り向いて、ひそひそと話し始めた。
 「早いもんだ。私たちがこの道場に集まってから、もう九ヵ年にもなる!」
 「こんなに一味の信者が集まって喜び合うのは、今晩限りでしょうね」
 「そうや。明日からは親鳥に育てられたひな鳥が、めいめい巣立ちするのや」
 「もうおばあさんも、やがてお隠れになりましょうね」
 「医者は今晩の命も危ないと言っています」
 「お隠れになれば、おばあさんの後へ、だれがこの道場に座るのでしょうか」
 「さあ −−−」
 淡い哀愁の色が人々の顔に浮かんだ。すみの方から称える滅入るような念仏の声も、いっそうこの夜の道場を薄暗いものにした。しかしその寂しさはしばらくの間で、座は急に元気づいてきた。円座の中央にいた「おたふく」が晴れやかに笑いながら、しゃべり出したのである。手まね、身ぶりでおもしろく語る。
 「この間もなあ、村の同行衆が勢ぞろいで、私に攻めかけて言うには、『おみとさん、おみとさん、お前さんは、そんなに法義を喜びけれども、真の浄土参りは国に一人、郡に一人じゃと仰せられるぜ!』と言うから、私は、にわかにありがたくなって、『ほんまに、ほんまに、その一人は私でございますワえー』と言って泣き崩れると、まあ、同行衆がびっくりした顔で、『この子には何を言うても、かなわん。阿弥陀様がついとるのじゃ』と・・・・・・・アハハハハ」
 「これはおもしろい。今晩は馬鹿におもしろそうだから、一つおなごりに大いに楽しもうではないか!」
 坊さんは口早にそう言うなり、前にいた児雷也のガマに話しかけた。
 「おい君!」
 「なんだ」
 「君の仏様はどこにいる!」
 「ここだ」ぽんと広い胸をたたいて答える。
 「自力で仏様を探している間は、だいぶんふくれよったぜ!」と、いかにもおかしそうに笑う。
 「アッハハハ、わしらずいぶん仏様を、お寺で探していたものじゃ」
 「お聖教の中で探している奴もある!」
 「袈裟衣の中で探す奴もある!」
 「胸の中で探す奴もある!」
 口々に話すのを聞いて、坊さんは腹を抱えて笑い転げた。
 「どいつもこいつも通った道とみえて、よく知っているのう」
 おたふくがそれを受けて、
 「そりゃ蛇(じゃ)の道は、蛇(へび)じゃもの」     
                         (第三章「法喜に輝く人々」より)
 

第五章「火中の清蓮華」P120

 「ご院主様!」と、しばらくして、かれは一人ひそひそと話し始めた。
 「私はたった六字の名号が物足りのうて、どれくらい苦しんだかしれませんでした。あの植島のお婆様や、阿古様が、ひざをたたいてお念仏を喜んでおられるのに、私にはそれが頼りないし、後生は暗いしするから、顔が青くふくれるまで考え抜きました。やっと六字名号で腹がたんのうするまでは、半年あまりもかかりました・・・・・」
 やがて黒田さんは小声でお念仏を称えながら、すやすやと安らかな眠りに入った。私はこの念仏をありがたく聞きながら、じっと皆の話に耳を澄ませた。別室では多くの尼講衆は四散し、残った熱心な同行たちが、植島やゑ様を中心に、話を盛んに交わしている。
 「私が信楽開発(しんぎょうかいほつ)したときは、夜の二時ごろのことで、夜道を狂人のように走ってきて、この道場へ飛び上がりましたが、私のつもりではこの次の部屋へ飛び込んだように思うのに、後日おばさんに尋ねると、なにを言うのかい!お前は仏様の前へすぐに走っていった、と申されました。まったく前後夢中でした」
 「おばあさん!」といった女の声は若々しかった。
 「私の開発した場所は、ちょうどあなたが座っておられる前後でした。その晩は、この道場ではいっぱいの人が詰めかけていたのに、ぢりぢりと、ちょっとちょっと前へ近寄り、いつの間にやら五間ばかりも前へ進んでいました。まあ!それまでには二度もあのばあさんに向かって、理屈を並べた上に悪口までたたいていたのに、よくも口が大蛇のように裂けなんだことや、南無阿弥陀仏」
 「私の開発する前には−−−」と言ったのは、声の高い女の人だった。
 「後生が苦になってきたので、『御文章』の中でご信心を探してみました。読めば読むほど分からなくなって、苦の種が増すばかりです。それで家の者にはないしょで、糸繰り仕事の間に、そっと『御文章』を取り出して読んでみたが、悔し涙が流れるばかり。家内の者には二十年も法義を大切にしてきた強信者よと言われて、この心のざまはどうしたものかと、胸に手をあてて思案に迷っていました。ところがおばさんに会って、『仏様は、お前の心の底から、骨の髄まで、見通しておられるぞ!』と示されたとき、ほんに無善造悪の者は、全世界中私一人でござりますと、気づかせていただきました。えらいえらい幸せで−−−」
 「あなたは二十年も聞き違えていたのは、まだ軽いほうです。私なんかは四十年も迷っていました」と、やゑ様の声。
 「おばあさんらは遠い道草をして、さぞおもしろかったでしょうなあ!私は若いときにあまり苦労もせず、やすくポンといただいたので、えらい楽な話や」と若い女の声。
 「何がおもしろいものか!お寺参りで暇をつぶして、僧侶の前でご示談を願って恥をかいて、なんの得分もないのにありがたそうな顔をする者の、心の苦しさといったら、アッハハハ」
                            (第五章「火中の清蓮華」より)

第六章「信疑の白兵戦」P127

 私は思い出した。数日前、おばさんがまだ達者に口をきけたときに訪問して、他力信仰のカナメを尋ねたが、そのとき、これは当流の一大事で、だれしも誤りやすい点だからよくよく念をいれて聞け、と言って示された言葉がある。すなわち、真宗には捨てものと拾いものとの二つのものがある。この自力と他力の廃立(はいりゅう)をはっきりすれば、信心の水際も立つ、といった言葉がある。ここだ!この簡単な言葉の中には、無限に深い謎が横たわっている。この道理さえのみ込めたら、自分の乱れた心の底にも、沈々として深い金剛の信心が恵まれるに違いない。よし!この教えられた鍵で、おれは久遠の霊の扉を開いてやろう、と思った。
           (第六章「信疑の白兵戦」より)

第八章「光号の因縁」P180

 墓から帰る道すがら、私は一人の老人といろいろな話を交わしていた。その人は、ぼつぼつと、どもり口調で言った。
 「他力他力と口先では人まねもする人が多いようですが、実際のところ、こんなおもしろい他力本願を心得た者は、ごくわずかなようですね。私の家の孫は七つぐらいだのに、やすく信をいただきましたが、親戚の人が来て『弥陀たのむ一念』のところを知らせてみろ!」と言われたときに、即座に五体を地に投げて、にっこりとほほえんでいました」
 「ほう、かわいらしい子どもですね」
と、私は平気で返答したが、さてこれは重大な謎を含んでいると感じた。私はこれで信をいただいたと思っているが、なんだかあまり安っぽくいただいたようだ。もっと深刻な苦しみが足らなかったようだ。だから無我になって喜ぶというところまで進んでいない。もし人からかかる質問を投げつけられても、すぐ理屈を並べるが、五体を地に投げるなどという思い切った解答はできないようだ。
 私といっしょに歩いていた植島やゑ様も言った。
 「坊んち、私が法で苦しんだのは、それはそれは長い間のことでございました。十七、八ごろから後生に大事がかかって、四十数年間というものは、うろうろと迷っていました。もし蓮如上人が『御文章』に、たのむ一念のとき、往生決定するなどと言わずに、疑う者でも、ただのただで救う本願じゃと示しておかれたら、どんなに喜ぶであろうと思ったりしたことが、幾度あったか知れませんでした。信楽開発したときは、ちょうど夜の二時ごろでしたが、あそこの野道をひた走りに走って、おばさんの道場へ馳せつけましたが、そのとき、大声を張り上げて泣きながら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えていました。ほんとうに今に地獄へ落ちるか、今に地獄に落ちるかという、苦しいせっぱつまった心持ちでしたぜ・・・・・」
 このおばさんに比較すると、私の求道心の中にはいろいろ不純な分子が混じっていたし、また話にならぬほど浅薄極まるものだと思った。


第八章「光号の因縁」P184

 「どうでしょうか、皆さん、私は身を投げて仰せに従うという点が分かりませんが−−−」
 黒田さんのお母さんが、顔色を変えて言った。
 「ああ、坊んちはえらい間違ったことを言った」
 「だましているのや、アッハハハハ」
 坊さんは、声を立てて笑った。が、やがてまじめそうに小首を傾ける私を見て言った。
 「疑う点があるならば、判然と述べたまえ!」
 「私は有頂天なんです。この腹のところから、光明が一面に満ちているように思ってうれしいのですが、胸のところへ黒い塊が現れてきて、そいつがもやもやとして、仕方がないのです!」
 「では、あなたはやはり具合が悪い!」
 おやゑ様は、厳かに私に言い放った。私は急にすべての疑問をさらけ出そうと決心した。
 「前にも私は、今日のように清い美しい心持ちになりました。今のはその型を拡大したようなものです。が、疑うのです。獲信した人は多く、五体投地して泣き崩れるというが、私にはこのような形式はどうでもよいが、このような真剣なところがなかったように思う。夜具の中で寝ている間に如来様を拝んだくらいのものですから−−−」
 おやゑ様は言った。
 「美しいありがたい心持ちになって往生したいとのお考えでしょう。それは二十願の機情で、だれでもよく誤って引っかかるところでございますぜ」
 「そうでしょうね?でも獲信の行者は、よく喜ぶではありませんか?」
 「それは思い違いをしている!」
と、坊さんが言った。
 「君はこの道場でも、特に強信で晴れやかに喜ぶ同行衆を眺めて、うらやんでいるようだが、それは各人各人の個性によって違うのだ。俗にいわゆる泣き上戸もあれば、笑い上戸もあれば、怒り上戸もあり、悪い奴になると、そ知らぬ顔をする盗人酒もある。信心を酒とすれば、その現われ具合はさまざまで、個性によって、百人百様の姿を現すのだ。僕なども現に二、三十日も生活に没頭している間は、なんのありがたみもないが、ときどきこんな讃談の場所へ出てくると、ほっとうれしくなる。ただそれだけの話だ!」
 そんな間の抜けた平凡極まる生活が、はたして我らが希念する信仰の生活であろうか?
が、しょせん地上の生活においては、人間という呪縛を脱しえないとすれば、その人間性に与えられた宗教も、極めて平凡な現実的な生命を帯びたものが、ほんとうであるのかもしれない。終日春をたずねて春に会わず、わらじのひもを解く我が家の庭園に、梅花一輪、春をほほえむという風光が、あるいは本来の面目かもしれない。私はしばらく偉くなりたいという青春の野望を捨てて、静かに尻を落ち着けて、同行たちの世界へ深入りしようと念じた。


第八章「光号の因縁」P186

 「じゃ、一つ君を試験してやろう!」
 坊さんは私に話しかけた。
 「君は行信行(ぎょうしんぎょう)の次第を、いかに味わうか?」
 「分かりません!」
 「では善導大師がなぜ機の深信をして、『自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、昿劫(こうごう)よりこのかた常に没し、常に流転して出離の縁あることなし』と仰せられたのだ」
 前にもこの坊さんは私に、「君は機法二種一具の深信が分かるか」と言って冷やかしていたが、今も同じような質問らしい。どうも宗学などという学問を馬鹿にする癖が私たち若い学生の間にあるので、私もそんな問題はいいかげんに捨て転がしていたのだが−−−こう問い詰められてみると、自分の無知ということが恥ずかしくなる。
 「善導大師は大心海から化現した菩薩だ。僕たちのように荒っぽい煩悩心はない。それだのに、なぜ言うにもほどを欠いて、昿劫よりも流転したと申されたのだ」
 「そこが大切なところです」と、そばから説明する者がある。
 私は考えてみても、どうも分からないので黙っていると、坊さんはまた言った。
 「じゃ、君に一つの譬(たと)えを出そう。君は今、生死の苦海に漂っているとする。そこへ大木が漂流してきたら、君はそれにすがるかい?」
 「私はすがります!」
 「それでは君は、いよいよ獲信しておらぬ・・・・・」
 「それではアカン・・・・・」
と、皆が異口同音に言った。私は冷や汗を流した。
                    (第八章「光号の因縁」より)

     



目 次


第一章 生々流転の巻
第二章 田園の念仏者
第三章 法喜に輝く人々
第四章 学園を乱す者
第五章 火中の清蓮華
第六章 信疑の白兵戦
第七章 不可思議光の諦聴
第八章 光号の因縁
第九章 深信の徹底

 


 レビュー(感想)  

瀕死の老婆の血を吐くように激しい説法に驚く。一癖も二癖もありそうな田舎の無骨な人々が、夜を徹して集い、心のドン底から他力の信心をよろこび、仏徳讃嘆し合っている。こんな世界が本当にあったとは!

(40代 男性、富山県)




「ほんとうに私が救われるのか?」

「阿弥陀様の四十八願のお誓いは、お前を除くとおっしゃったのかい?」

疑心一杯の私の心に、野口村の同行信者の尊いお説法が響く。
弥陀の光明に照らされて、赤子のように、私はただ聞くのみ、信じるのみ。
「仏敵」は読む毎に、ますます極悪人の私を知らされ、私にかけられた仏様の本願に身をおまかせするのみです。ありがとうございますとお礼申し上げる他に、なにがありましょうか。
南無阿弥陀仏

(女性 京都府)



30年の歳月を「仏敵」を再読するご縁を戴いた。大正・昭和・平成の時空を越えて、この瞬間(刹那)に、今、生きる私に叫び続けて下さる絶対力(他力)を知る。

詩的で、絵画的色彩にも溢れる文学的な表現、知的で奥深い哲学的・宗教的な語彙など、無学浅才で凡人の私には、憧れこそすれ、難解な書物である。しかし、それらは選び抜かれた一句・一節のことばであることは分かる。

難解な書物が、お同行さんの生きたことばを通じて、私の姿(本性)を浮き彫りにしてくれる。「阿弥陀さまのご本願に相応しないのが、大罪人や。その大罪のために、久遠劫より迷ってきた」…わたしを。それを疑ってこねあげる「真実な罪業の塊」を退治していただける。ありがたいことです。もったいないことです。

南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏

(40代、男性、兵庫県) 



私が問われ、私と向かい合う、そんな気にさせられました。

美しい文章が散らばっていて楽しめました。

因みに野口道場に登場されるような方々は華光会には、わんさとおられます。

(50代、女性、米国)



私の家では、朝顔を洗って一番に御仏様に南無阿弥陀仏と合掌する習慣でした。

本屋でこの本を見つけ、仏の敵とはどんな事だろうと手に取りました。一人で生れて来て、一人で死んで行く事が何とも考えれば考える程わけが解らなく、聞きたくなりました。

生死無常の世界、仏法を聞かせて頂くために生れて来たと知らされました。

(90代 女性 新潟県)



一人の純粋な青年と、素朴な念仏衆との邂逅が思わぬ展開を生む。
真宗書としてはもちろん、単なる文学作品としても非常にハイレベルな一冊。

(男性、愛知県)




関連情報

「伊藤康善師の法話音声」


伊藤康善師の法話音声をYoutubeでお聞きになれます。
クリックして再生してください。

法話名「自力の迷情(1)」


法話名「自力の迷情(2)」


 





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