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 悟痰録(ごたんろく)


 書  名

悟痰録 残りわずかです


 発  行  華光会

 価  格  800円 (送料210円)

平日の10:30〜18:00はお電話でもご注文いただけます→華光会事務局:075−691−5241


 案  内

 本書は、『春風吹かば』(貴伝名博)と『悟痰録』(尾上実)という2編の求道体験記を収めている。いずれも、編者の伊藤先生を善智識として、青年時代の求道体験を赤裸々に述べたもの。まさに求道に頓機あり、また漸機あり、青色青光、白色白光、その人とりどりに尊い歩みが綴られる。
ページ数:    138ページ
商品の寸法:  18.4 x 13.2 x 0.8 cm cm

 

 著者/編者 伊藤康善 編



(本文より ※実際の文章は旧かな遣いです)


「悟痰録」


春風吹かば  貴伝名 博  P1

<一>無常の嵐

 浅春とは言え風凪ぎ、日和ぎ、何処ともなく春意動く洛北の某療養所へ、かねて示談の約束があった伊藤康善師を訪ね たが、「折悪しく宗教座談会があった、もう行こうとしているところで・・・」とわざわざ求道にやって来た自分の気持 ちも解ってくれないのか、気楽そうに紫煙(たばこ)をふかしている師に、なんとかして法話の糸口はないかと、あちこ ち探しているのだが、犬の川端歩きのように、ただ腰を固い腰掛の上でモヂモヂさせるばかりだ。
 在院中いろいろ示談して貰ったが、生齧りの求道がたたって、「聞思の信仰」とか「如来の喚声」さては「親さま」と か「お助け」とかの予定概念が先走り、紫電一閃、利剣に生首が飛ぶまで落ちたことがない。
「仏法を説くにも、仏法を聞くにも漫談的な態度であっては大事は決定しないぞ、絶えず一息一息が刻々臨終の覚悟でな くてはならぬ。」と師は常に話される。
「自分はお前にかく白刃を抜いて対しているが、お前の機が未だ熟さぬから、すごすごと刃をもとの鞘に納めている。こ の不愉快さは何に喩えようか・・・」何の獲物もなく、弥陀の名号利剣を握ったまま淋しそうに出て行かれる師の後姿を 見ては、「まあ在院中はどうしても療病が先だ。全快したら求道しよう。今は見逃して下さい・・・」と好い加減な口実 で、言外の痛恨心を誤魔化していたが、さて退院して十ヶ月近くもなるのに、一向に聞法求道に熱中されない。勿論非生 産者として一ヶ年の静養生活が保証されて、時間的に自由であったので、聖教類は一通り目を通すことが出来た。毛色の 変わった求道書も古本屋で数々漁っては見たが、結局は坊主と議論すれば、本職の坊主にやり込められる程度の概念だっ たし、それかと云って所謂坊主が腰かけている異安心を叩出すだけの体験も得られなかった。
 今度のこの会談にしても「手紙ではどうしても駄目だ、膝と膝を合して説法しなくては駄目だからやって来い」と誘わ れてやって来たのだが、始末の悪い先生は「一体何をしにやって来たのだ」というような顔つきで、盛んに私が手提て来 た饅頭にパクついているだけだ。
 時刻も午後三時過だ、五時のバスの御出席といえば残り少ない。『ええ、どうでもなれ、なんとか話して、汽車賃だけ でも聞いて帰らねば、何しにやって来たのか意味をなさない』と腹を決めて尋ねてみることにした。
「先生、一体どうしたら安心は得られましょうか、南無阿弥陀仏を憶念する一念に、信心は流れて来るとは概念的に解る のですが・・・」
「無常観が解るかのう?」
煙草に火をつけながらこう逆問された私は、果して何を尋ねられたのかと考えながら、
「・・・そうでした。昨年九月全快したのですが、入院中の三月に義姉が、四月には母まで亡くなっていたのです。特に 母の死は全快して家に帰るまで知らなかったほどの親不孝者です・・・。家人は遺言通り隠していましたので、退院の日 に父と兄とが迎えに来て、兄が車中で明かした理でした。其時、そのときまるで列車が転覆して大地にのめり出されたよ うな気持でした。全快の日を、私が全快するのを念じていてくれた母が亡くなったと解ったとき、全快もヘチマもありま せんでした」
「恐ろしい逆縁だね、で、何か凶報はなかったのか・・・?」
「いいえ、勿論ありました。悪夢、殆んど毎晩母の夢を見ました。ある時などは葬式の夢までも・・・、恐ろしくなって 尋ね合したが、『母は達者だから、安心して一日も早く全快してくれ』これが極り文句でした。」
「ううん―――」
先生は絶えず紫煙を吐きながら耳を傾けてくれた。
「それで、私も『母は健在、快復の日を待つ』と納得をして、ええ、こう考えなければ療養なんかする元気が出ませんも の・・・そして頑張りました。あの優しい母が自分の全快を指折り数えて待って下さるだろうと考えますと、自然と運動 もよく出来ました。お陰で九ヶ月で全快しましたが・・・全快したが、ああ、母はいませんでした・・・。先生! 母の 死を知ったあの時の切なさ、遣瀬(やるせ)なさはどんなものだったでしょうか・・・」
「さあ、そうだろうなあー」
「家も他人の家のような気持で、義姉も更っているし、母の姿なし、どんなに悲しかったことか。何度も夜布団の中で泣 きました。私は七人兄妹ですが、末っ子で、妹と二人どちらも母は可愛がってくれました。傍(はた)からは溺愛とさえ 思われるほど可愛がってくれました。私が結核になるまで色々病気をやりましたが、その度毎に心配をかけつづけ、今度 という今度は業病に罹(かか)ったのですから、どんなに母が心を砕いてくれたことでしょうか。入院中は立派な身体を 改造(つく)って両親に安心して貰うぞと頑張って来たのに、それだのに母は待っていてくれませんでした・・・。あれ ほど気をつかって呉れた母だから、死の真際はどんなであったであろうと思いますと、寝られない夜が続くのでした。『 今更言っても仕方がないが、お母さんの死の責任の半分はお前にあるぞ。義姉(あのこ)が肺炎で急死して母を驚かさし たのも半分の責任だが、持病の腎臓病は多少あったが、お前がこんな恐ろしい病になって心配をかけなかったら、こうま で早く死なせずに居られたものだ。お前が京都に入院してからは、お母さんは天神様に日参なされた。腎臓が高じて、肝 臓炎を併発して、「もう駄目だ」と見えた時、お前を呼び戻そうとしたが、「博が戻って好くなるではなし、こんなこと を知らすと、あの子のことだから人一倍気を使うだろう。私はもう年が寄っているし、博はこれからだから、一つ博の身 代りにでも・・・」と諦めて、いやお前可愛さに会わなかったのだ。今度の事変で親の死水が取れなかった兵隊さんは沢 山おられるが、お前のように病気になって母親の死水が取れなかった例は一つもないぞ・・・』かく老の眼に涙さえたた えて、じっと凝視める父の言葉には、胸を掻きむしられる思いでした。
 え? 年ですか、母は五十六歳だったのです。入院する時など私の手を引いて自動車に乗せてくれたほど元気でした。 今日では諦めているものの、母の死に方を聞くといじらしくて・・・。母は心臓麻痺に倒れたのです。勿論腎臓と肝臓と で相当悪化していましたが、まだ二ヶ月や三ヶ月は保証されていたのです。母は小さい時から念仏を称えていましたが、 え? 勿論門徒です。でも病に伏してからは強信な法華経信者に引っ張られたらしいのです。
 勿論金儲けのために強引に来たのでしょうが、亡くなる寸前も祈祷師が二人加持をしてくれたそうで、祈祷師が別間に 退いてから、母は『有難かった』とたった一言いって、合掌していた両手を布団の上にのせた瞬間、二三度頭を痙攣さし たのが最後でした。側には父と姉と妹が丁度居合わせていましたが、父が『さては?』と水筆に水を含ませて母の唇につ けたとき、母はうまそうにゴクッと飲んだのが末期の水だったのです・・・」
「ふうーん、可愛相だったなあ、・・・」
思えば優しい母だった。幼い頃はよく父に叱られて土蔵に放り込まれたものだが、何時も鍵をはずして、泣きはらした目 をふき、こっそりご飯を食べさしてくれたのは母だった。中学四五年頃はよく十二時、一時と勉強したが、母はお裁縫し てじっと一緒に起きていてくれた。上級学校に進むと、父に秘して二十円三十円と小遣銭を握らしてくれたものだ。  長ずるに従って不摂生のために、幾度となく病に倒れたが、其の度毎に心から看病してくれたのも母だった。特に結核 にかかった食物が咽喉を通らなくなった時などは『なあ、博や、たとえ御飯一粒でも、お刺身一切でもいいから食べてね 、お母さんのためだと、お母さんを助けると思って食べなさいよ』と涙と共に三度々々の食事を運んで、一箸々々食べさ してくれたのもあの母だった。
 先生にせつない想いを語っていると、何時しか優しき母、よき母のさまざまの想い出が、潤んだ瞼(まぶた)の底に漁 火(いさりび)のように明滅してくるのだった。私は思わず胸迫って泣きたくなり、(もう止めぬか、いくら話をしても 所詮愚痴だ。愚痴をこぼしているにすぎないではないか)と心の一方で話を止めさせようとはしたが、黙然と聞き入って くれる師の顔を見ると、熱い涙と共につがざるを得なかった。
「え、父にこう言われても、母親の死目に会われなかったほどの不孝者ですもの仕方がありませんが、死にゆく母はどん なに私の身を案じて亡くなったかと考えますと・・・。私と同年輩の友は皆戦線に出ています。男子と生れて御国に殉ず る。これは日本男子の面目ですが、御国の楯として銃とる我が子を念じつつ死んで行く母には、又親としての大安心があ ります。それだのに働くどころか、不治の病に寝ているこのツマラヌ子の行く末を思いつつ、息を引き取らねばならなか った母、母の臨終も知らずに太平楽に療養している子、母と呼ばれ子と呼ぶ間に、こんな恐ろしい悲劇を造らねばならな かった逆縁、こんなことが又とありましょうか、どうしてこんな親泣かせが助かっ たのか、なぜ罰があたって地獄に落ちて行かなかったのか、こうさえ思います。死も深刻に考えました。『もう生きてゆ ける俺ではない』とも考えたり、『どうして母の身代わりになってあげなかったのだ』とも考えますと、自殺という魔物 がいつも眼の前にぶら下がって来ました。然し『このままおめおめ死ぬのが母に対する孝養なのか?』この閃光の前に今 日まで死にこぶれて、どうにか生きてきたような理です・・・」
 成程、今迄も死という字はよく考えたり、読んだりしたものだ。在院中多くの患者が死んでいったが、「彼は当然死ぬ ほどの重病者じゃなかったか、俺は軽症じゃないか、死ぬなんてことはあってたまるものか」とあっさり片付け、又娑婆 の風にふかれているときは、時たま会う霊柩車に「なあに、老人から先に死ぬに決まっている。人生五十年としてもまだ まだある」と横車を押してその場を何とか取り繕い、聖教中の「死」の文字は余り数が多いためか神経が麻痺してあの白 骨章の御文章にしても、子供の子守唄のようにしか聞こえなかった。要するに死といっても肉親には直接襲って来ずに、 「お可哀相に」この言葉で済まされ、「チト位は死者も出なくては、お寺がアガッタリではないか」と思うほどだった。 他人目(ひとめ)に特に勝気に言っていた言葉が、今度という今度は、自分に浴びせかけられることになったから大変だ 。悶えた。泣いた。恨んだ。然し幸か不幸か母の死目に会わなかった私は、月日の流れと共に、死という実感が稀薄にな って、かえって生という感覚が盛り上がってくるのを覚えざると得なかった。
「でも或いは弁解のように聞こえるかも解りませんが、母の死目に立ち会わなかった私は幸せ者だとさえ思うのです。母 の死に顔を見なかった私はどうしても亡くなったとは考えられません。母は何処かこの世にいて、いいえ何処か遠い所へ 旅に出ていて、きっと帰って来て、『博』と抱いてくれる日があると信じています。どうしても亡くなったとは思われま せん。生きていずとも何処かにすんでいてくれて、私をヂーッと見守っていてくれると信じます。私は親の臨終などは、 なまじ会うべきではないとさえ思います。私のような男でしたら気が狂ってしまうかも解りませんもの・・・。こう考え ますと今日では幸せ者だとさえ思わして貰っています・・・」
「・・・」
 師は黙然として頷くのだった。私は目尻から耳の根にかけて伝った一筋の涙をそっと押さえて言葉を続けた。
「又親友も亡くなりました。彼はとっても元気な男でした。寒中でも琵琶湖に飛び込んだ程の男でした。え?、水泳の選 手でしたが、余り体力を過信したのがつまづく原因だったのです。卒業試験の時に喀血して、一年ほど自宅でぶらぶらし ていましたが自然療法にも精もつきたのか、私と同月にこの療養所に入院したが、腸結核の症状で××療養所に移り、わ ずか二十四歳を一期としてしまいました。」
「そうか、大体、才人は多病だなァ・・・」
「ええ、次には私の伯母までも、今年の一月三日でした・・・。伯母が倒れた時は、そんなに悪いとは思いませんでした が、医師の誤診で死んでしまいました。伯母が面白くないと父から聞いて、解らぬながら聞き覚えた念仏を臨終説法とし て聞いて貰いたい。自分のごとき男は普通の聞法をしていては機が開けない。どうしても断末魔の苦悩を見せつけられぬ ば、無常観法も徹底しない。伯母こそ善知識であるのだ。と思っていたのですが、丁度その日いつもの時間に朝食を終え て駆けつけていたら間に合ったのでしょうが、何しろお正月で腰を落ち着けて太平楽を並べていたのが馬鹿だったのです。 電話に驚いて走った時には、もう駄目だった。見開いた瞳には何も映らず、耳も聴こえませんでした。こんなことで千載 一遇の機会も消えてしまったのです・・・」
「つぎつぎに険しいお催促がやって来たのだなアー」
先生はこう呟くと、静かに目を開いて、グーッと番茶を飲んだ後、
「・・・大体、無常観は解りかけて来ているらしいが、お母さんや親友の死は別として、君自身はどうだ?」・・・・・


  「序文」

 戦争に電撃戦あり、長期戦ある如く、求道に頓機あり又漸機あり、青色青光、白色白光その人とりどりにおもしろい歩み方をする。ここに収録した求道物語はこの二方面の信仰を代表したものである。両氏とも我ら「華光」同人中の秀才で若くして信を喜ぶ人々である。
 貴伝名君と対談したのは「春風」が示すが如くわずかに二、三時間であった。この対談で機の真実に徹したと思うが、信楽開発したのは、その後数日のことであった。もちろん兵庫の片田舎から京都の薬師山道場へわざわざやって来たくらいであるから、数ヶ月の準備期間もあったものと思う。彼は慷慨(こうがい)の一気、勇躍川中島を乗り越えて流星光底に長蛇を斬るつもりでやって来た。もとより僕は信の白兵戦を好む者である。利剣名号の白刃一閃、見事に極(き)まって彼は、坊主堪忍してくれ!と悲鳴をあげてへたばったのである。その電撃一瞬の突破戦が、この才筆で面白く描かれている。
 「春風」に比べると尾上君の「悟痰録」は、二ヵ年の長期間もねばれるだけねばって戦って来た記録である。悟痰録の本文日記はこれに数倍するものだそうであるが、頁(ページ)数の都合上、かなり簡約されたという。何しろ囲碁の達人だけに堂々の布陣を張って理詰めに押して来られるので、打ち込む隙も無かった。僕を相手に求道する人の多くは、武帝ダルマの接心の如く一回の応待で双方ともに匙(さじ)を投げて別れるものだが、尾上君ばかりは宿怨が深かったのか、幾十回の攻城野戦で血みどろの格闘を繰り返した。もちろん平素は親しい間柄で一つ鍋の配給米を争ったり、おでん屋で一杯飲んだりする間柄だから大抵の俗事は笑って済ますが、一度往生の一大事になると斬るか斬られるかの接戦になるのだからよくよくの悪因縁だろう。最後は本文に記すが如く独りで信楽が開発した。こうした求道物語は信仰体験記録としても貴重な文献である。自己をこのごとく科学的冷厳さで解剖し得る者は少ないと言わねばならぬ。
 しかし二人とも僕のような放心自堕落な愚僧に愛想もつかさず、よく聞法してくれたものぞと思う。多生昿劫の強縁であろう。思えば教界の一隅に禿筆を呵して、『仏敵』に叫び『安心調べ』に戦い、『療養と求道』に訴えた声が、ここに二人の菩薩によって証誠されたことは無性にありがたい。ほとんど布教ということをせず、衆生縁なくして浪々の生活をする僕も、これで多少は仏祖に対して顔が立つというものだ。
 華光同人にはまだ新鋭の学徒が二陣三陣ひかえている。華光随筆集もまた新しい内容をもって読者の前に現れることであろう。
      興正寺本山にて  伊藤康善記す
                       (「序文」より)

     



目 次


序文・・・伊藤康善
『春風吹かば』(貴伝名博)・・・・・・p1
『悟痰録』(尾上実)・・・・・・・・p48

 


 レビュー(感想)  

結核に冒された二人の青年の闘病日記、それはいつか求道日記とな る。病は偉大なる善巧方便であり痰は我が知識であったと云わしめた仏智のすごさ。

弥陀の真実など思いもしなかった私の心がこの本を得てガラッと変わった。

(女性、広島県)



伊藤先生,貴伝名さん,尾上さん,奥村さんを通して,決して妥協や誤魔化しを許さない自他力廃立の厳しさと南無阿弥陀仏のお心が,私に「これでもかこれでもか」と激しく迫ってきます。

とりわけ伊藤先生の尾上さんへの手紙は胸を打ちます。

(30代 男性、京都府)




仏とも法とも分からなかった青年が信心を得るまでの求道日記。こんなものは数多く有るものではない。求める者も、求めない者も一度試しに読んでみるのも悪くない。何かが有るはず。有るか無いか試してみる価値はきっとある。

何をちっぽけな生活に明け暮れているのか!!と問われている。

(女性、広島県)



宗教とは道徳の従兄弟だ位にしか考えていなかったという青年が師に会い、折々の法話を聞くようになり別の世界が有る事を知る。

果たしてこんな世界が本当に有るのだろうか?と仏教を求める気持ちが私にも兆し始めた。

(女性、広島県)



関連情報

「伊藤康善師の法話音声」


伊藤康善師の法話音声をYoutubeでお聞きになれます。

法話名「自力の迷情(1)」 クリックして再生してください。


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