人生谷あり谷あり  





☆人
生は谷あり谷ありです。山はありません。この名言に酔っている暇はありません。谷間に咲いた一輪のしがないかすみ草のように、我々はたくましく生きていかねばなりません。このコーナーは、前ページの「含羞の彼方に」がいっぱいになって溢れだしたので、単にその受け皿としてスタートしました。「もうこんなふざけた話はたくさんだ!」という世界各地からの声なき声を真摯に受け止めつつ書きます


はじめに】
私の特徴は極端なO脚であることです。(それが自慢か?!)。つま先をそろえて立ち、「立位体前屈」をすると、大きく開いた膝と膝の間からローマが見えます。(見えるかいな!)。しかし、このO脚はジャンプでV字飛行をするときに威力を発揮します。大倉山で踏み切った直後、まったくの自然体でスキーが開くのですから……。(スキーの経験はありませんがそんな気がしています)。そういえば高校時代の体育の時間、クラスみんなでせーのーで「立位体前屈」をさせられると私だけが地面にはるかに届かず、マイナス10センチ前後でウンウン苦しんでいました。周りは「あんた何してんの?!」ってなもんでしたが、体が硬いとそれだけですでにみじめです。ただし、私の名誉のために言っておきますが、垂直跳びなど跳ぶ種目は得意でした。小学校のとき、なわとびの3重跳びを7回連続でやれましたし、高校のときは走り幅跳びで5メートル60センチの自己記録をつくりました。(大したことないなあ)


ハムスター】
先日、新聞紙上で「年間賞」を受賞した短歌にこういうのがありました。
「ハムスター 死して遺せし 向日葵(ひまわり)の 種ひとつずつ 植えゆく児らは」(東京都・日置俊次氏の作品)
私はこの歌がいたく気に入りました。一読して一篇の映画を見終えたような感動がありました。といいますのは、我が家には昨年のクリスマスにサンタさんがハムスターを1匹連れてきているのです。
逆指名に成功した小4の娘が飼っているのですが、ハムスターはかわいいペットですよ。クシュクシュッとヒマワリの種など何でも食べます。こんもりとした背中にちょこんとしっぽがある後ろ姿がまたいじらしいものです。ただし、「ネギとレタスは絶対に与えてはいけない」そうです。本にそう書いてありました。「絶対に駄目」などといわれると与えてみたくなるのが人情です。しかし与えてみて首尾よくお亡くなりいただいた直後に 「ハムスター 死して遺せし 白葱の 皮ひとつずつ 植えゆく父は」などと詠んでもたぶん新聞には載らないので、とりあえずやめています


<カラオケにて>

◎カラオケに行くと、注目されるのは最初の数人だけだ。あとはだれも聞いていない。真剣かつ緊張しているのは歌っている本人だけ。ほかの人はおしゃべりに夢中だ。やがて、曲が終わったときに拍手をしてあげるのも面倒臭い雰囲気になる

◎歌い終えた本人は、「あれは誰の歌だっけ?」とか「結構うまいじゃない?!」とか、何でもいいから他人が反応してくれることを耳をそばだてて待っている。しかし、現実はと言うと、だれも注目してくれない中でひたすら歌い、ひそかに席に戻って水割りを舐めることの方がはるかに多い

◎スナックなどでは、よその団体も加わり面識もない人の歌声を無理やり聞かされる。隣の女性の話し声が聞き取れず気まずくなったりもする。また、フィリピンや台湾から出稼ぎで来たホステスと談笑しながらも、「この広い地球でなぜこの人と出会わなければならなかったのだろう?」と考え込んでしまうこともしばしば

◎カラオケでサビの部分にさしかかったところで高音が出ないことに気づき、急きょ1オクターブ下げて歌い続ける

◎カラオケボックスで悦に入って歌っていると、店員が飲み物を持って来たり、「時間です!」と知らせに来たりする。いまさら歌うのをやめないわけにもいかず

◎カラオケに行くと、「巻き舌」で歌いさえすれば上手だと勘違いしている男が必ずいる。「君を愛している…」という歌詞なら、巻き舌で「きぴふぉ、わいしゅていりゅ…」と歌ったりするが、そんな奴はちっとも巧くない。もしエコーがなかったら、ただの「安ものナルシスト」だ。歌はもっと虚心坦懐に切々と歌うものだ

◎セクハラの一種に「カラオケでデュエットを強要する」というのがある。私は太田裕美の「木綿のハンカチーフ」という名曲を聴くたびに、「一緒に歌おう」と誘ったのに私から3メートル離れたまま私と「デュエット」した女性のことを思い出す

◎文芸の世界、たとえば直木賞を狙うような人はほとんど「カラオケ状態」と言われている。「自分が書きたいだけ。人の作品を読まされたくはない」のだ

◎カラオケを歌い終わると誰かが話し掛けてくれるのをひたすら待つ。「誰の歌だっけ?」「いい声してるね」「拓郎っていいよね」「懐かしかったなあ」「最近の歌に詳しいねえ」「リズム勘がいいねえ」など、何でも良い。歌ったあとの孤立だけは避けたい

◎皆でカラオケに行き、「これも仕事のうち」と割り切って無理に下手な歌を人前で歌う。ところが翌日、会社に行くと「君の歌は……だねえ」とわざわざ評論する奴がいる。「いまさら蒸し返すな、カラオケの恥はかき捨てだ」と叫びたくなる

<テニスにて>

◎テニスに興じた翌日は、筋肉痛で四肢がマリオネットのようになる。同様に、山登りをして頂上をきわめ、下山する段になると膝がわなわなと笑ってしまい、顔は笑わなくなる

◎「初めてテニスをしたにしては上手だ」と褒めてくれた人が、後日、ほかの女性を「彼よりもうまい」とこちらの名前を引き合いにして褒めていたと人づてに聞く

◎テニスコートで面白いことを言ってみんなを笑わせていたら、昭和ひとけた生まれの人に「神聖なコートで歯を見せるな!」と本気で怒られる

◎「適当に楽しめればいい」と考えてテニスコートに立っていると、教育熱心な人が手取り足取り教えてくれることに。「肘を伸ばしてスイングしろ」とか、「バックスイングではラケットをこう持ち替えろ」とか。指導を「ハイハイ」と聞いているうちにだんだん疲れてきて、「どうでもいいんだがなあー」と嫌になる。「俺はテニスなんかでは勝負していない男なのに……」などと言い訳するが、「じゃあ一体何で勝負しているんだ?」と聞かれると自分でもよく分からない



<タクシー>

◎タクシーに乗ると、話し好きの運転手さんに限って自分のことを話すのに夢中なあまり、こちらの指示した側道を通り過ぎてしまったりする

◎タクシーの運転手さんには「ハイ」ひとつ言えない人物がいる。ワンメーターしか乗らなかった場合、逆に客のほうが「近くですみませんでした。お世話さまでした」などと気を使ったりする

◎客も客で、酔っ払って乗り込んでおいてグーグー寝てしまったり、車内で平気でゲロを吐いたりする。ちょっとでも道を間違うと、「おい、道を間違うなよ。それが仕事だろ?!」などと我が物顔で振る舞う輩がいる

 

<旅行>

◎ペンションに泊まったら「アットホーム」が行き届きすぎて、見知らぬ家族と食事から入浴まですべて一緒にされてしまう

◎日本旅館に泊まり家族でお風呂から帰ってきたら、部屋の中が片付けられ、布団が川の字に敷いてある。サービスが行き届いていて嬉しい半面、プライバシーが損なわれた気もして、「ホテルの方が良かったかな」と思う

◎旅先の土産物屋で、すごく気に入った置物を買う。しかし、自宅に帰って取り出してみると、その置物を置いて映える場所が家にはないことに気づく

◎旅先で乗ったタクシーの運転手さんがいたく親切なので感心していたら、やがて「あした一日、貸し切りで観光地を回りませんか、安くしておきますよ」と言い出す

◎田舎のJR駅にやっとたどり着くと、2時間に1本しかない上り列車が、いましがた出たばっかりだったりする。外は雪。見るに見かねて、人の良さそうな駅長さんが「可哀想だっぺ」とか言いながら駅長室に迎え入れ、甘酒をご馳走してくれたりする。その恩が忘れられず、自宅に帰ってから駅長さん宛てに礼状を出すことに

◎夏休みの海外旅行のパンフレットを見る。「お一人48000円から」という謳い文句。「これだ!」と思って開いて見たら、季節はずれの6月の最低料金がそれで、自分が考えているトップシーズンは倍の値段だったりしてガクッとくる

◎東南アジアの海外旅行のツアーを申し込むと市内観光が組み込まれていることが多い。現地添乗員の先導の下、まったく興味のない宝石店や革製品店を連れ回される羽目になる。店で待機していた現地人は片言の日本語でしつこく付きまとってきて、こちらはとても買う気になれない。そのうち、市内観光のマイクロバスの車内でも「きょうの運転手さんのためにこの万能薬やチョコレートを買いませんか?」と添乗員が言うようになり、ホトホト嫌になる

◎日本エアシステムで香港から関空についた時のこと。私が飛行機を降りようとすると客室乗務員の女性が私に向かって「サンキュー・ベリー・マッチ」と言った。私はれっきとした日本人なのに。鼻が横に広く、上唇が厚い私をどうやら東南アジアからの旅行者と勘違いしたようだ

 

<ボウリング>

◎ボウリングで、1投目でストライクが出ず、2投目でスペアを取りにいったのに取れなかったとき、振り返って自分の席に戻るのは気恥ずかしい。みんな、まるで見ていなかったかのような視線の外し方をしてくれるが、その知らんぷりが痛々しい。もしスペアを取った暁には拍手をしてあげようと身構えてくれていただけに救いがない

◎ボウリングにはマイボール、マイシューズがつきものだ。が、マイガールはつかない。スコアを書くときの鉛筆は黄色い消しゴム付き。どういうわけかコカ・コーラを瓶で飲んでみたくなる雰囲気がある。下手でも一応、ボールを拭いて、指を乾燥させて滑りを止めてみたりする。投げたあと、ボールがピンに当たるまで腕を高々と上げ、投げたままの姿勢で待ちつづける気取り屋がいる。つい、後ろから蹴り倒したくなる

◎ボウリングで、投げたボールがピンにヒットする瞬間に指を鳴らしたり、ガッツポーズをとったりする人物がいる。ちょっとしたクセだが、何度も見るうちにだんだん目障りになってくる

◎ボウリングでは自分が投げようとした瞬間に隣のレーンで同時に投げようとしている人がいることがある。視界の端っこにその姿が入ってくるのは気になる。別に左右対称になるよう並んで同時に投げてもよいのに、それを避けようと意識して笑い出し、手に力が入らずついには投げ損なう羽目に

 

<血液型>

◎血液型がB型の人は猪突猛進型。羞恥心というものがない。間違っていると思ったらその場で「違うよ!」と口走ってしまう。「そうかなあ?」と思いながらも口にしないのがA型だ。そんな生真面目で神経質なA型から見ると、B型の人は路上で裸になる以外に恥ずかしいことはないかのように見える。たとえば講演会の後の質疑応答で、「どなたか、ご質問がありましたら挙手を願います」と司会者が言うと、すぐ手を挙げるのは決まってB型の人である。A型の人はそんな恥ずかしいことは絶対に出来ない。従って、A型の男とB型の女は結婚してもうまくいかない。B型には良性のB型と悪性のB型があり、前者は常時、良い意味でプラス思考が出来る。悪性の場合は、いつでも自己中心主義で自信家、悩みもなくて全くおめでたい

 よく、特攻隊のメンバーはO型の人で占められていたと言われる。0型の人の凄いところは、すぐ開き直れることだ。A型は「あーでもない、こーでもない」と思い悩んだ末、「えーい、もういいや!」と開き直るが、0型の人は存在そのものが「開き直り」だ。「言いたいんだったら言わせとけ」の姿勢が生まれつき徹底している

 AB型の人はちゃらんぽらんだ。急に臆病になったり急に大胆になったりして、自分でも自分の行動が理解できないことがある

(以上、偏見があったら許してね!)

 

<子供>

◎遊園地などに幼い子供を連れて行く。トイレのあるところで「おしっこはまだか?」とあらかじめ聞く。子供は「まだ」と答える。ところがそのうちトイレがない場所に差しかかった辺りで急に「おしっこ!」と叫び始め、親子であたふたする羽目に
◎夕方のご飯どきが近づく。「おなかすいたあー」と子供が母親に訴える。母親は「もうちょっと待ってね」と言う。午後6時になりご飯を出すと、子供はテレビの「ちびまる子ちゃん」に夢中。ご飯にほとんど箸をつけない。午後8時。また「おなかすいたあー」と訴え始める。今度は母親に叱られる


<運転手>
◎トラックの運転手になると人間はなぜあんなに傲慢になるのか。大きい車の高い運転席に座ると、なんだか偉くなったような気になるのだろう。横断歩道を杖をつきながら歩いているおばあちゃんをクラクションを鳴らして追いやったり、軽自動車に乗っている主婦を威嚇するようにクラクションを鳴らしたり……。別に偉くはないのに


<洗面台にて>

◎掃除もせずしばらく洗面台を使っていると、歯磨きのときに口から飛び出したペーストが鏡に点々と付いて非常に醜いことになる

◎洗面台に立って自分の顔を覗きこんでいる人を鏡を通して見ると、映った顔がふだんのその人と違う。左右反対になっているからだ。本人はこれが私の顔だと思っている。「本当はその顔は違うよ」と言いたくなる

◎歯間歯ブラシを使うと、使い慣れないので出血する。血が止まらないうちにピンポンが鳴って突然の来訪者に会わなければならない羽目に。外へ出ても出血が気になって口を押さえたまま応対する

<学者>

◎桶川の女子大生ストーカー事件や和歌山のカレー毒物混入事件、神戸の小学生殺傷事件など、凶悪犯罪があるたびに「犯罪心理学」を専門とする小田晋先生や福島章先生がテレビに登場して犯人像の心理分析を試みる様子が放送される。しかしよく観察していると、伏目がちに世間との接点が少なそうな顔で話している学者自らの性格の方がよっぽど研究に値するのでは?とテレビに向かって言いたくなる

<駅にて>

◎阪急西宮北口駅に立っていると、たまにではあるが、明らかにそれと分かるタカラジャンヌに出くわすことがある。彼女たちがなぜタカラヅカなのかというと、まず背筋がピンと伸びている、次に短い栗色の髪に白いハットをかぶっている、ブラウスの襟が立ててある、スカートは履かずスラックスで長い足を駆使して大股に歩く。なかなかこういった恵まれた条件を満たしている日本人はいないのですぐに分かる

<ギョーカイ>

◎新聞には都会に行くと朝刊と夕刊があり、田舎では朝刊しかない。ところが、都会と田舎の中間地帯になると、夕刊があるところとないところが出来る。そうなると、書き手の支局員も困る。夕刊でのニュースを読んでない人に新しく、夕刊ですでに読んだ人にもニュースを踏まえて新しそうに書くには、「△日、□□で○○があった。この事件を巡って××では終日、対応に追われた」と新しそうで古そうな書き方をするしかない

<疑問>

◎世の中には不思議なことが多い。たとえば、電車の中でぶつぶつ文句ばっかり言いながら歩いているおじさんがいる。すでに定年退職した人のようで身なりもしっかりしているのに、四六時中文句を言っているので周りが引いてしまう。かつて勤めていた会社で言いたくても言えなかった文句を、それぞれの悔しかった場面を反芻しながら、今になって吐き出しているのだろうか

◎ジャイアントパンダは可愛い。しかも巨大。笹だけを食べてどうしてあんなに大きくなれるのだろうか。笹の中にそんなにいろんな栄養素が含まれているとは思えない。パンダはビタミン不足で倒れたりはしないのだろうか。ユーカリばかりを食べるコアラもしかり。ただし、コアラの場合は体力の消耗を考えてかあまり動かない

<錯誤>

◎「野口君!」と呼んでいるのに母音で「越智君」と呼んでいるように聞こえて「ハーイ」と越智君が返事する。すると、呼んだ人が「いや、君じゃないんだ。野口君だ」と言う。越智君は立場がないので「なんだ、僕を呼んだのかと思った……」などと言う

◎料理でよく煮込むと旨みが出るし、とろみも出る。いっそ山本うまみちゃんとか、佐藤とろみちゃんとかいう女の子がいれば可愛いと思うが実際はいない

<福引>

◎社員旅行で福引をする。「本日一番いい賞は特等でありまして、5万円の旅行券です!」と幹事さんがマイクを持って高らかに言う。欲に満ち満ちてみんなが特等に向けて大いに盛り上がる。ところが最後の最後に特等を引き当てるのは、その社員旅行を欠席した嫌われ者の代理人だったり、幹事自身だったりする。「疑義あり! お手盛りだ!」などと怒声が飛び交い、場が一気に白ける

<CD>

◎「このCD、いい曲が入っているからぜひ聴いて」と渡される。知りもしないアーティストのCD。「はあ、どうも」と受け取ってしまい自宅に持って帰ってハタと困り果てる。「まったく聴きませんでした」では返せない。しかたなく1曲目だけを再生してみる。やはりちっとも気乗りのしない音楽だ。数日後、CDを貸してくれた人に返しに行く。「いやあ、1曲目が一番気に入りました」などと言いながら

<適度>

◎若い女性が初対面の男性に会う。「どんな人かな」と興味を持つ。その人に2度目会う。「なかなか面白い人ですね」とこちらから言ってみる。3度目は向こうからプレゼント持参で会いに来る。「いったい、どういう意味なんだろう」と考える。4度目は電話がかかってくる。「しつこい男だ」と思う。5度目電話で接触を図ってきたときに「もう電話をかけないで!」と突き放す。すると1カ月くらい急に連絡が来なくなる。こちらも「ちょっと悪いこと、したかな?」と心配になる。2カ月後、久しぶりに電話がある。「恨まれていたわけじゃないんだ」と溜飲が下がる。ことほどさように、しつこく迫られると嫌がり、突然、疎遠になると「嫌われたのでは?」と心配する。とかく人間というものは自分ばかりが可愛いものだ

<洗濯物>

◎風の強い日、自宅でくつろいでいると、不意にピンポンが鳴る。玄関に出てみると近所の奥さんだ。「あのー、これが落ちていました」と言いにくそうに我が家の洗濯物を渡してくる。「あっ、ありがとうございます」と感謝して受け取る。それがTシャツやトレーナーなら良いが、自分の下着だったり、穴のあいた靴下だったりすると顔から火が出る

◎金持ちの家と貧乏な家では、天気の良い日に干す布団にまで差がある。金持ちはご近所に見えにくい所に羽毛ふとんを干すか、余裕があれば業者に乾燥を頼んだりする。貧乏人は道路からよく見えるところに染みのついたシーツを掛けたままのふとんを堂々と干す。我が家は後者だ

<縁起>

◎手紙を書き損じたり、ティッシュで鼻をかんだりすると、2メートルくらい離れているところにあるくずかごをめがけてそれらを投げてみたくなる。おまじないで、「もし一投目で入ればあの娘と俺の恋は成就するんだ」と念じて投げる。すると紙くずはわずかに距離が及ばず外れ、くずかごの手前に落ちてしまう。すごすごと椅子を立ってくずかごに入れ直しに行く

<イカリスーパー>

◎阪神間にはイカリスーパーという高級品志向のスーパーがある。たいがいダイエーの1.5倍の値段で売っている。しかし品は良い。私のように四国の谷あいの村から這い出してきた人間には、こういった金持ち志向の強い店に入ることが一つの贅沢だ。イカリスーパーに来る人々は、よそのスーパーに集う人々とは趣が違っている。明らかに良家のご出身と思われる気品に満ちたご婦人、明らかに金持ちに嫁いで裕福になったと思われる元美女、明らかにカチューシャが似合うお嬢様、明らかに専属の運転手付きで来たと思われるご夫婦など、多種多様の気取りがある。耳をそばだてると、関東弁で「いくらかかってもいいのよ、100グラム1500円の牛ヒレ肉6人分ちょうだい」などと口走っていたりする。「怒り心頭に発する」どころかイカリスーパーに発する気分にさせられる。これらの人々を眺めながら、私は関東圏から転勤で大阪に来たというある奥さんの言葉を思い出す。「阪神間の人って、ヨーロッパが好きよねえ……」。アメリカや東南アジアではなく、西欧でなければならないのがミソだ

<反面教師>

◎仕事で新入社員が来ると、中堅どころのベテランが先生役を仰せつかる。先生は素人の生徒さんに手取り足取り教えるのに四苦八苦する。顔が紅潮して腋の下に汗をかき、平常心を失い、気も散りがちになる。また生徒さんの素朴な疑問に答えることに腐心しているうち、肝心の本業の方でポカをやってしまい、面目は丸つぶれになる。「君はこういうミスをしてはいけないよ」と身を以て生徒さんに教えることになる

<お風呂>

◎お風呂に入るとおならをしてみたくなる。タオルを浸して水面に浮かせ、その真下でおならをすると、プカッとおならの大きい泡が浮き上がる。それをタオルで包み込んで容量を確かめた後、お風呂の底に沈め、手のひらで圧力をかけるとタオルの繊維の間から細かい泡が漏れ出る。そのおなら群はようやく水面上に到達した喜びでどぎついにおいを放つ。「うーん、やっぱり臭い」と我々はつぶやく

<発毛剤>

◎発毛剤を買う。生薬配合といううたい文句に惹かれて何千円も出す。「生えてくるかな?」。淡い期待が心を包む。こまめに洗髪しこまめに発毛剤を振りかけ、こまめにマッサージする。2カ月たっても3カ月たっても生えてきた様子はない。やがて遺伝子について考えるようになる。これは親父の遺伝だろうか、いやストレスだ、気力で生やしてみせるぞと思う

<懐かしの70年代>

◎「命の母A」三宅邦子が「30錠150円、100錠350円です」と宣伝していた。それにしても当時は物価が安かったものだ
「底抜け脱線ゲーム」(金原二郎だか次郎だか)
「髪の素A」
「アップダウンクイズ」
「クイズグランプリ」(「芸能・音楽」の20、「ノンセクション」の30)
「スター千一夜」
「ラブアタック」(日曜日の朝、神戸女学院大在学生らの姫を巡って男たちがバトルを繰り広げた)
「ガッチリ買いましょう」(「10万円7万円5万円運命の分かれ道」=いとしこいし)
「笑ってる場合ですよ」(「笑っていいとも」の前身)
「パンチDEデート」(「一目会ったその日から恋の花咲くこともある」と三枝ときよし。「ご対めーん」)
「プロポーズ大作戦」(フィーリングカップル5対5、1番が委員長タイプ、5番がズッコケタイプ。きよしさんが会場の要望に応えて「5番が誰を押したか見てみましょう」とスイッチを入れると意外にも5番同士がつながったりする)
学研の「科学」と「学習」。科学の付録は面白かったが、学習の付録は地味な本だった
お口の恋人ロッテ提供、「ロッテ歌のアルバム」(「1週間のご無沙汰でした。玉置宏です」)

<抽選>

◎雑誌やラジオで「抽選で10名様にサマージャンボ50枚をプレゼント」などと応募を呼びかけている。一瞬良い企画のように思われるが、私はいずれ外れて紙切れ同然になるものをもらってどうするんだ?と考える。一度抽選で当たった宝くじがまた当たるなんてことがあるだろうか。確率上ありえても人生経験上、素直に首肯できない気がする

<後悔>

◎他人から自分が最も気にしていたことをズケッと言われる。その一言で顔が引きつるのが手に取るように分かる。しかし取り乱すまいと考える。本当はものすごく傷ついたのに傷ついていないふりをする。笑顔を作ってあえて笑い飛ばしたりする。ところがその人と別れてから「もっと言い返せばよかった」と悔やむ。とはいえ、もしその場で言い返したら言い返したで違った後悔をする。「いまに見ておれ!」と次の機会のリベンジを誓うが次はまずない。仮に次が訪れても「まだそんなこと根に持っていたの?」と言われてこちらの人間の小ささが露見するだけとなる

<もう、よろしいがな>

◎ラジオに一般聴取者が自宅から電話出演する。おばさんであれば特にここぞとばかりぺらぺら喋り始めて止まることがない。そのうちスタジオでは「話を切れ!」という指示が出る。するとパーソナリティーが合いの手に短く「ハイ、ハイ」を連発するようになって話の阻止に向かう。ラジオを聴いている者までハラハラし始める

<本屋にて>

◎休日、近所の本屋に入ってあくびをしながら単行本を探していると、ふいに近所の奥さんが女性誌を買いに入ってくる。「ああ、こんにちは」と言ったあと会話が続かない。せっかくゆっくり本を見ようと思って入った店なのにそそくさと出ることになる。「ちょっと用事がありますので」と言って別れようとしたら向こうも何とか店を去ろうと準備をしている。「それじゃあ、また」などと口走ってそれぞれ正反対の方向へ向かう。しばらく歩いてから行くところもないのでまた引き返す

<嘘の効用>

◎バレンタインデー。義理チョコの箱を会社の同僚女性からもらう。妻子ある身としては処遇に困る。帰り道、駄菓子屋に寄ってウイスキーボンボン、さきいか、おしゃぶり昆布、ブルーベリー飴を買う。家について「全部、駄菓子屋で買った」と妻に見せる。聞かれもしないのに自分から説明する。ところが義理チョコだけは包装や品質が異質。妻の目に留まって「本当にこれも駄菓子屋で売っていたの?」と詰め寄られる。背中越しに小声で「そうだよ」と言う

<セブン−イレブンにて>

◎ホワイトデーを控え、何か用意しなければと考え、セブン−イレブンに行く。「めんどくさい、何でもいいや!」とチョコやキャンデーのラッピングしてあるのを300−400円で3個買う決心をし、レジに持っていく。すると「合計1050円です」と言ったレジのオバサンが「お返しも大変ですね!」と声をかけてくる。「いやあ、女房と娘と義理の1個だけです」と顔を赤らめて答える。ここでタイム! (こんな会話も見るからにもてる男ならサマになるが、もてない男の発言とあってはただ涙ぐましいだけだ)

<安い理髪店にて>

◎カット1800円という大阪・梅田地下街の理髪店に入る。時間も金もないので「カットだけで……」というと、何だか安いだけあって手荒い鋏の使い方をしているような気がする。きわ剃りは刃をたてられそうだし、シャンプーがなくタオルで顔を拭くだけで終わるのも味気ない。向こうも「ケチな客だ」と思って手を抜いていそうな気がして、理髪店定番の時事政談も出ないまま。その夜、「これで良かったんだろうか」と思いながら風呂で髪を洗い直す

<トイレにて>

◎会社で何時間も仕事に追われてトイレに行く暇もないことがある。やっと時間を見つけてトイレに走って行き「ああ、ちょっとホッと出来る」と独り言を言いながらため息をつこうとしたら、すぐ後ろから中途半端な知り合いがトイレについて来たりする。「どう? 忙しい?」などとつまらぬ会話を成立させねばならないため、「本当に気が休まる場所がないなあ……」とホトホトうんざりすることに

<ラーメン屋にて>

◎午後2時半すぎ、ラーメン屋に一人で入る。客は自分一人しかいない。店内ではレジ担当の若い女性を厨房の若い男たちがからかって盛り上がっている。競馬や飲める酒の量や昨晩の夜更かしなど他愛のない話題ばかり。こちらはラーメンをすすりながら聞きたくもない話が耳に入ってくるばかり。文庫本を開いてもスポーツ新聞を開いても頭に入らない。こういう時、名状しがたい居心地の悪い孤独を痛感する

<ラジオの人生相談>

◎ラジオの人生相談を聞いていると、悲惨な例が多くて身につまされる。夫の不倫、妻の浪費、姑のいじめ、息子の不登校と悩みに事欠かない。しかし、相談に応じる側の先生方の応対はどうしたものか。最初は好意的に根ほり葉ほり親身になって聞いているが、そのうちだんだん相談者がもっとしっかりしないからこんなことになったという結論に持ち込んでしまうことが多い。「私の診療所まで来てください。もう少しお話ししましょう」とか言ってほしい

<予想屋>

◎週末になると会社の同僚が「日曜日のメーンレースはメイショウ○○からだ」などと断定的に穴馬を吹聴して回る。果たしてそのレース、メイショウ○○はあれよあれよというまに馬群に沈んで掲示板にさえ載らないことになる。騙された知り合いたちは小遣い銭を一瞬にして失う。さて月曜日、予想屋の同僚の姿がない。「俺は逃げも隠れもしない」と言うが月曜日には肩が狭まって行動範囲が狭まっていることが多い。やっと見つけても言葉少なだ

<祇園にて>

◎社員旅行が盛大に京都・祇園で挙行されました。舞妓・芸妓さんははっきり言って「化粧お化け」でした。しかし私は美人芸妓に話しかけることができたのでシアワセでした。それはともかく、「もっと、芸妓の方からお客さんに話題を提供したらどうじゃ! 客の側が気ぃ使うとるじゃないか!?」と思いました。それと横笛を披露したオバサンって本当に上手だったのかなあ。「裸の王様」のように、幼い子供が「あの人の笛、下手!」と叫べばみんな我に返って恥じ入ったのではなかったでしょうか

<知的とは>

◎「リンゴをかじると血が出ませんか?」というCMがひところ流行りました。そこで質問です! あなたは、「あなたの第一印象はちてきなことですね」と言われて「知的」を思い浮かべて喜んでいたら相手の真意は「やまいだれつきの知的=痴的」だったということはありませんか? あるわけない? お呼びじゃない? こりゃまた失礼しました。そこで、もしその人に知的に加えて「素敵ですね」とも言われたいと思ったら、赤ちゃん言葉で言ってもらうよう要請したらいいと思います。「ちゅてきですね」。これなら一挙両得、一石二鳥です

<書店>

◎あまり語られないことだが、「書店に行くと排便欲が湧いてきて困る」と言う人が世の中には意外にたくさんいる。書店に充満する本の匂いには人間の生理現象をかき立てる何かがあるに違いないと私は密かに考えている。だれか化学的に解明してくれないだろうか

<はさみ>

◎はさみで紙を切っていると、思わず自分が着ている服まで切ってしまったことはありませんか。ない? それでは散髪に行くお金がもったいなくて自分のはさみで前髪を切っているうちにだんだんずれてきて、左右アンバランスな前髪になったことはありませんか。これもない? それでははさみの先でなにかをほじくっているうち、勢いで自分の指をはさみで挟んでしまったことは? これもない? あなたとうまくやっていく自信がなくなりました

<とっさの言動>

◎手作業をしているとき、横からのぞき込んだ人が「きれいな手をしてますねえ」などと口走ると、言われた方は思わず「いいえ」と言いながら手を引っ込める。また長生きしているご老人に「食べ物の好き嫌いはありますか?」と聞くと必ず「いいえ、私は何でも食べます」と言う

<希望休>

◎3月末の日曜日に田舎に帰ろうと決めて1月下旬に希望休を申し込む。ところが春は出会いと別れの季節。たいがい4月1日付の異動があって送別会が設定される。よりにもよって自分の希望休の日にその送別会があったりする。「君は送別会に来ないのか」「はい、田舎に帰るもので……」。この会話を出席者のほぼ全員と直前までかわし、異動者には「あなたの送別会のことですが、希望休で田舎に帰ることを2カ月も前から決めていましたので出られません。すみません」と断りに行くことになる。送別会当日も田舎で過ごしながら欠席裁判に掛けられているような気がして開放感が少ない。ほとほと嫌になる

<同調>

◎3月上旬、「奈良の月ヶ瀬梅林に行って来たよ」と人が話す。「へえー、どうでした?」と聞くと、「それはそれは辺り一面、ピンクの梅の花ですばらしかった……」とほくそ笑む。「桃源郷のような感じでしょう?」とこちらが相づちを打つと、「いや、それほどでもないよ」と否定される。「なーんだ、言わなきゃよかった」と反省する

<勤勉>

◎月曜日から金曜日まで必死になって働く。毎日がもったいないほどの快晴。「こんな天気のいい日に仕事をするなんてつまらない」と思いながら黙々と働く。せめて「今度の休みにはあそこへ行こう」と案を練りながら働く。ところが金曜日の夜から天気は下り坂に。土曜日は大雨、雨は日曜日の夕方までしとしとと続く。休日はしかたなく家で過ごすことに。週明け、月曜日にはすばらしく晴れ上がった空の下をまた会社に向かって歩く



<間>

◎飲み屋でわいわい談笑しているうち、「ちょっと」と言ってトイレに立つ。用を済ませて帰ってくるとみんなが何を話しているのかしばらく聞き耳を立てる。このほんのしばらくの、話題に入り込んで行く間が微妙だ

<誇り高き男>

◎定年退職後、勤めていた会社のビルの清掃を担当する仕事に再就職する。「還暦なのにお掃除ごくろうさまです」と知り合いの社員に声をかけられ、はたきを手にして「ほこり叩き男です」と答えてみる

<キックボード>

◎これは義兄から聞いた実話。ある日、愛媛県内の四国八十八ケ所巡りに参加した白装束のお遍路さんがキックボードで勢いをつけながら次の寺に移動しているのを義兄が目撃したそうです。まあそんな時代というか、いかにも信心の摩耗というか。自分の足で歩いてなんぼ!のお遍路さんにして現代はこのざまです。聞いた私はただただ愕然としてしまいました

<サルトル>

◎私は小脳の病気を抱えていて、めまいの持病がある。季節の変わり目に大酒を飲むと吐き気がすることが多い。去年の9月1日だった。午前7時30分ごろ、吐き気がして目が覚めた。「こりゃ、また来たな」と思いながらトイレに立とうとすると、階下で小学校に行く準備をする子供たちの声がする。「今、トイレで吐いたら子供たちに知られる」。私は必死で吐き気を我慢、「行って来まーす」という子供たちが玄関を出る音を確認してから晴れてサルトルになったのであった。ばかばかしい

<社員食堂>

◎社員食堂へ行ってサンプルを見たあと食券を買う。セルフサービスなので正午すぎには長蛇の列が出来る。順番を待つうち、手が回らないでてんてこ舞いの食堂職員は「待たせ過ぎたな」と思う人には多めにご飯をよそおう


<眼鏡>

◎眼鏡をかけているとひょんなことから軸が曲がってしまうことがある。眼鏡屋さんへ行くのは面倒なので自力で曲がりを直そうと試みる。外へ大きく広がった軸を手で内側へ曲げて無理やり耳に近づけようとする。強引に曲げて耳にかかるようになりはするが、軸はグニャグニャに変形してしまう。結局は眼鏡屋へ行かないと修正出来ない悲惨なことになる

<病の効用>

◎社会には行く先々に嫌われ者がいる。強気の発言、無神経な振る舞い、横暴な態度……と手を替え品を替え、悪い奴は存在する。善人は一様に善人なのに、悪人は型にはまらない新種が次々登場する。嫌われ者に共通した特徴は「嫌われていること」に気づかないことだ。人間、反省があれば改めもする。自分に満足しているので周りの人が一人二人と立ち去っていくことに頓着したりはしない。ところが、嫌われ者が珍しくおとなしい時がある。あまりに一般人並みにしおらしいので気味が悪くなって「どうしたの?」と声をかけてみると、「健康診断で肝臓が悪いことが分かった……」と答えたりする。病の効用! 悪人はちょっと体の具合が悪いぐらいがちょうどだ

<打ち明け話>

◎「ねえねえ、あの人にこんなこと言われたのよ」と血相を変えて友人に相談する。詳細に不快感をあらわにしながら説明する。ところが話し終わって「どう思う?」と同意を求めると「それはあんたの方が悪い!」と吐き捨てるように言われる。火に油を注ぐ形だ。「あなたはおかしいと思わないの?」とだんだん激昂していく自分が分かる。喋り終わったあと「あーあ、相談しなきゃよかった」と後悔する

<ポイントカード>

◎コーヒー豆を買うたびにポイントカードに判を押してもらう。「判が20個たまるとコーヒー豆200グラムをプレゼントします」と店員に言われ、せっせと買い続ける。さて20個たまった。いつかプレゼントを貰いにいかないといけない。しかし、と考える。ただでコーヒー豆をもらうためだけに店を訪れるのも気が引ける。いくらか豆を買おうか……。恥ずかしいのでコーヒー豆200グラムを買い、プレゼントに200グラムをもらい、計400グラムを手にして帰る。コーヒー豆は新鮮な豆をたびたび買う方がいいのに

<口は悪いけど>

◎ごつい顔をした目つきの悪い男で口先がとがっている人がポンポンと思いつくままに失礼な言葉を口走る。周囲はその毒舌に辟易し、遠巻きにその人を眺め、「付かず離れず」の関係を保つ。みんな仕事だからと割り切ってつきあうだけだ。ところがその男の奥さんはどういう訳か「うちの人は口は悪いけど根はいい人なんですよ。何を言われても真に受けないでくださいね」と理解を示す。「口が悪いのにいい人」などはいない!

<言い間違い>

◎テレビやラジオを聞いていると、アナウンサーが言い間違ったり、呂律が回らなかったりする。真剣な場面なので聞いていた人も後から湧き出すような笑いに襲われる。たとえば「きょうは午後から雨の予報です。お出かけの方は傘を持って」と読もうとして、方と言いながらすでに傘に目がいっているものだから思わず「お出かけの傘は」と言ってしまう。傘がお出かけするとお化けだ。いま言っている言葉に、次に言わねばならない言葉がかぶさって起こる現象であると分析したい

<店の前>

◎行きつけの理髪店の前を通る。暇そうに店主が中から外の通りを見ている。自分の姿を見つけて「あっ! あの人、最近うちに散髪に来ないけど、どこかよそへ行っているのかなあ」と思っていそうな気がする。単に通りかかるだけなのになぜか目をそらす

<パーソナルスペース>

◎電車で座る時は座席の端っこに座る。パチンコ屋でも端っこの台を選ぶ。私のパーソナルスペースは人より広い。人間は両腕を広げて回転したときくらいの空間を他人との間に保たないと不愉快に感じると言う。しかし私はこれをもっと広く取りたい。ところが電車ではほかの席がガラガラに空いているのに、わざわざ自分のすぐ横に座る人がいたりする。狭苦しいし暑苦しい

<あぶく銭>

◎裕福に生まれて一生、何不自由なく遊んで暮らした人が事故で非業の死を遂げたり、貧乏に生まれて赤貧洗うがごとき生活を続けた人が、多くの孫に囲まれ安らかな永遠の眠りについたりする。人生、最終的にはどこかで採算が合うようになっている。ギャンブルで稼いだ金はギャンブルで失う。これが世の常だ。私の上司なんかは阪神競馬で万馬券をとって20万円も稼いだ翌週、それらをすべて穴馬につぎ込んで、きれいさっぱり失い、とうとう帰りの電車代さえなくなって2駅分トボトボ歩いて帰ったそうだ。「悪銭身につかず」という。私もバブルに踊ってパチンコ三昧だったころ、「俺だけは悪銭を身につけよう」と、景品に肌着をもらって毎日着ていたことがあった。かえすがえすも愚かだった。「どうせ降って湧いたお金」と思うから粗末にするのだ。品物に換えてもすぐ壊してしまったりすぐ故障させてしまったりして寿命が短いことが多い。それにしても、あのとき失ったお金はいつ戻ってくるのだろうか

<整然が一転して>

◎電車がホームに到着すると大勢の人が降りてくる。降りる人優先だから乗る側としては全員が降り終わるまで待つ。ところがラッシュ時にはその人たちが降り終わらないうちにピーと車掌の笛が鳴って、駅員の「発車します」のアナウンスがある。整然と並んで待っていた人々が烏合の衆と化し、押すな押すな状態で車両に押し込まれることに

<両開き>

◎シャープの冷蔵庫にドアが両開きできるのがある。電器店で、私が試しに右から開けたり左から開けたりしていると、突然ガクッとドア全体が外れ、私の方にもろとも倒れかかってきた……というのはまったくの夢だった。それにしても両開きは世界の七不思議の一つだ

<社内のビル・ゲイツ>

◎「求む! 社内のビル・ゲイツ!」という張り紙が社内の掲示板に一斉に張られた。新聞業界でいかに生き残っていくか、マイクロ・ソフト社のビル・ゲイツ並みに社員が斬新な提案をして、そのアイデアを二十一世紀の社業の軸に据えていこうという企画だ。張り紙によると、採用分には数十万円のボーナスが与えられる由。金に困った私が「なにか応募しましょうよ」と言うと、我が敬愛する上司がこうのたまわった。「そうだ! 新聞と一緒に牛乳を宅配しよう!」。私はこの奇抜な発想に大阪人のギャグの原点を見る思いがした

<求人欄>

◎「あーあ、転職したい」と新聞や折り込みチラシの求人欄を食い入るように見る。人間関係に疲れなくて、金銭問題に追われなくて、肉体の酷使が少なくて、勤務時間が長すぎなくて、休日がしっかり取れて、お給料がそれなりに良い……しかし、そんな甘い仕事などどこにもないことに気づくのに時間はかからない。仮にこれは! とめぼしい職種を見つけても「1972年4月2日以降に生まれた者」と但し書きが付いていたりする。年齢制限に引っかかって応募の資格すらないことに愕然として宙を見つめる

<傘>

◎外出する前、空を見上げる。どんよりと曇っている。「まあ、きょう一日はもつなあ」と独り言を言って傘を持たないで出る。ところが家からわずか300メートルくらい歩き出したあたりでポツポツと雨が降り始める。やがてそれが本降りに……。「畜生、傘を持ってくればよかった」と思う。もしコンビニで傘を買えば1000円、買わなければ眼鏡が濡れて髪がペチャンコになる。ひたすら悔しい。また逆のケースもある。「今日は必ず雨が降るぞ」と確信して大きめの傘を持って外出しても、一日中一滴も雨が降らず、片手をふさぐお荷物になってしまうケースだ。電車で始終置き忘れに気をつけるからよけいに腹が立つ



<カレー>

◎私淑する上沼恵美子さんがABCラジオの「こころ晴天」でこうおっしゃっていた。貴方なら「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」のどちらを選ぶか、と。私なら空腹に耐えかねたときに限って「うんこ味のカレー」を選ぶとこの場を借りて断言したい。腐ってもカレー、いかにまずくても排出物を食うよりはいい! まあ、こんなに力説するほど高度な判断を要する問題でもないが


<ローテーション>

◎土日に関係なくローテーションで働き、ローテーションで休む職種では、自分が休んでいるときに人が働いて、自分が働いているときに人が休む。そうなると、人の休みの数が多く見えたり、人の休みの時間が長く見えたりする。好対照に自分の休みはいかにも少なく短く思える

<古いバッグ>

◎古いセカンドバッグに見切りをつけて、「もう捨てよう」と決心する。中に入っている物を全部取り出してみると、診察券や時刻表など日常使う大事な物に加えて、いつ貰ったのか分からないティッシュやクリップ、輪ゴム、シール、ボールペンのバネ、丸くなったホコリなどがわんさか出てくる。これでは毎日わざわざゴミを持ち歩いていたことになる。挙げ句の果てにはバッグの底から砂がポロポロ出てきて、我ながらホトホト呆れてしまう


<電子メールの返事>

◎電子メールの返事をもらうとうれしいものだが、自分が相手に宛てて書いた文章を相手が長々と引用したあと、最後にほんのちょっとコメントを添えただけの返事であったりする。別に相手に悪意はないのだろうが、差出人としてはけっこう顔が赤らむ


<体よく>

◎男は美人の女性を誘って喫茶に行こうと企む。「どうですか、ちょっとお茶でも一緒に行きませんか」と勇気を振り絞って言う。ところが相手は「いえ、ちょっと……」と体よく断ろうとする。用がありますだの、先約がありますだの、ありとあらゆる思いつくままの言い訳を並べられる。男としてはその切羽詰まった理由付けをとりあえず信用するしかない。たとえそれが見え見えの嘘であると分かっていても。実際は女性が単に下痢気味だから断っただけだったりするのに


<ネーミング>

◎キャベジンだのケロリンだの「ン付き」の薬は世に多い。それと日本語をそのまま薬らしく呼んだような名前も多い。しかし、「イノチトーリ」だの「ネムクナール」といった、あまりに安易なネーミングの薬は気が引けるのかいまだ登場しない。そういえば大阪・梅田のパチンコ屋に「デルカモーネ」という、さして出さない店があるがこれも同罪と思われる

<閉店セール>

◎年中「店じまい閉店セール」をやっている店が国道沿いにある。近所の人は「閉店」は嘘だと知っているので一切寄りつかない。店側も一見さん狙いなので、極端に言えば今日一日、盛大に売れればそれでいいのだ。お客さんと息の長いつき合いをしようという気はさらさらないのだ

<量販店帰り>

◎家から少し離れた酒の量販店に行って350ミリリットルの缶ビール24本を箱ごと買い、肩に担いで家に帰る。途中で家の近所の定価で売る酒屋さんのご主人にバッタリ会ってしまう。「どこで買ってきたんだろう?」「うちで買えばいいのに」と思われていそうでこちらは思わず目を伏せてすれ違う

<言い間違い>

◎ニュースで女性アナウンサーがとんだ言い間違いをしたそうだ。「生体肝移植」と言おうとして、せいかんたい移植と言ってしまったそうだ。他の可能性は否定できないが、素直に漢字を当てるとすれば「性感帯移植」だろう。また別の朝の番組で小倉なにがしが、体外受精と言おうとして体外射精と言ってしまったのを私は覚えている。まだ目が覚めていない午前7時台の番組。私は急に目が覚めた

<たかがコピー機の騒動>

◎これは実話である。私は所属の部に戻るのが面倒だったので、手近な科学部のコピー機でコピーを取ろうとした。A3判だった。あいにくコピー機は中で詰まって、ガサガサという音をたててよれよれのコピーが排出された。そこへ科学部の女性Nさんが通りかかった。「なんか、変な音がしましたよ」と給紙トレーを開けて点検してくれた。「ああ、すみません」と私は言った。ところが続けてコピーし直したところ、またまた詰まってしまった。今度はにっちもさっちもいかなかった。画面に「あそこを開けてここを外して」の指示が出た。私はそのとおりにしてみたが、詰まった紙はついに見つからなかった。しかたなくその場を去ることにした。後ろ髪を引かれる思いだった。そして今度は経済部のコピー機に向かいながらふと先ほどのコピー機を振り返った。すると科学部のデスクが私のすぐあとでコピーをしようとして、作動しない機械にいらだってこちらを睨みつけているのが見えた。私は咄嗟に「このままではまずい!」と思い、アルバイトの学生さんの所に行った。そして「科学部のコピー機が詰まりました。修理をお願いします」と頼んだ。学生さんは「はい」と言ってゆっくり科学部に向かって歩き出した。ところがそこで私の肩を背後からツンツンとつつく人物がいた。振り返るとさっき私を睨みつけていた科学部のデスクだった。「ほったらかしちゃ、ダメですよ」。彼は眼光鋭く私に言った。私はその日、寝不足だったのでついムッとして、「だから今、学生さんに頼みにきたんじゃないですか!?」と気色ばんでしまった。科学部デスクはどうしたものかそれ以上、何も言わず踵を返した。しかし私の腹の虫は収まらなかった。追いかけて行って「いちいち追いかけて来るな! こっちだって機械がいうことをきかなくて困っているんだ!」と言いたかったが、ついにそれは言えなかった。終わってみればささいな行き違いだった。ただの機械の故障だった。が、家路についた私の心を埋め尽くすに十分な行き違いだった

<耳鼻咽喉科にて>

◎喉がいがらっぽいので近所の耳鼻咽喉科に行った。医者は私の喉をのぞきこんだあと、ホコリかたばこのアレルギーが原因だろうと言う。その日はトローチをもらって帰宅。1週間後、再び行った。医者に「どうですか?」と聞かれたので、「さらに悪くなりました」とは言えず、「ちょっと良くなりました」と言ってみた。すると私の喉を診た医者は首をかしげながら「気持ちで良くなっても実態はまだまだですね」と言った。図星だったので私はグウの音も出なかった

<残席>


◎8月末、オーストラリアへ家族旅行に行こうということになった。7月末の水曜日、旅行会社に電話して「残席はいくつありますか?」と聞くと、「あと37席です」との答え。「そうですか。家族と相談してからまた電話します」と言って切った。家族会議でやっぱりそこに決めようということになったのが土曜日の午後。旅行会社は土日休業。翌週の月曜日、「もう残席はなくなってしまっているのでは?」と心配しながら旅行会社に朝一番に電話する。「このあいだのツアーですけど、残席はあといくつありますか?」と聞く。すると「37です」と答える。「なーんだ、あれから他に一人も申し込んでいないんじゃないか?!」。あまりに安いツアーだからか、強行日程だからか、季節が悪いからか……と正式に申し込んだあと、だんだん心配になってくる

<職場を披露>

◎「めったにこういう機会はないだろう」と先日、妻と子供を職場の見学者コースに招いた。私は前日、深夜勤だったが「お父さんが働いている姿」を子供に見せねばならないと思って、午後1時40分には会社に着いて、「忙しく立ち働く父」を演じた。見学者がゾロゾロと来た頃、普段ならめったに話しかけない同僚ににこやかに話しかけ談笑した自分の姿は、あとで思い出すとすっかり上気していて、まるで場末の劇場の三文役者のようだった

<足元を見ないで>

◎先日、近所の郵便局に行った。定型外郵便を2通出して、480円払ったところで「さあ帰ろう」としたら、窓口の男の人が、「いま、有珠山の災害救援でこの切手シートをお薦めしています。80円切手10枚で1シート1000円です。残り200円は有珠山噴火の被災者に寄付されます」と言う。私には右目の端に、こちらを注視する知らないオバサンの姿が見えていた。オバサンは我々のやりとりを耳をすませて聞いていた。あるいは彼女も同じ申し出を受けた後だったのかもしれない……。私は「ここでたった200円の寄付を断ると私の度量の狭さがばれる」と思い、1000円のシートをつい買ってしまった。不利な取引は一切しないことを旨として40年生きてきたが、このときばかりは状況が悪かった

<懐かしの甲子園>

昭和40−50年代の甲子園が懐かしい。決勝ともなると、羽佐間アナウンサーが低音の魅力で「外野スタンドには赤とんぼが飛び始めています。大会が始まったときはまさに真夏でしたが、いま、季節は確実に秋に向かっています」とか言って、視聴者をホロリとさせていた。しかし最近は地球温暖化で? 赤とんぼの話をとんと聞かない。アナウンサーには土門アナウンサー、島村アナウンサー、西田アナウンサーがいた。島村アナウンサーのときはどういうわけか、激しい雷雨になることが多かった気がする。また、解説者には声が優しくて顔が厳しい愛媛・西条高校OBで元捕手の池西増夫さんがいた。今なら「智弁和歌山の堤野君の打棒が見ものですねえ」とか言ってくれそう。あと、松永怜一、山本英一郎両氏といった辛口の解説者もいたなあ

<外国の蛸を食う>

◎ダイエーや関西スーパーへ行くと、「オマール産の蛸」「モーリタニア産の蛸」「モロッコ産の蛸」とかが売られている。魚介類をあまり食べない土地で安い労働力を使って蛸を捕っているのだろうか。私的には、ろくに知らない外国産なので「遺伝子組み換え食品」を食べるような気持ちになる

<奇妙な検査>

◎昔、体力測定があった。垂直跳びや反復横跳びならそう違和感はないが、立位体前屈、伏臥上体そらし、踏み台昇降などは奇妙な呼び名だ。今なら骨董品に聞こえる

<豚まんは嫌い!>

◎阪急梅田駅構内には「551の蓬莱」が幾つも店を出している。茶屋町口の改札前にある蓬莱には若い女性が勤めている。愛想のいい子なのでときどき利用する。先日、「シューマイを10個ください」と言うと「豚まんもいかがですか」というので咄嗟に「僕は豚まんは嫌いです」と断った。ところが昨日、「餃子を10個ください」と言うと「豚まんもいかがですか」とまた同じことを言った。「僕は豚まんは嫌いです」と再び断った。学習機能のない人だと呆れて笑ってしまった。蓬莱のマニュアルに「豚まんが嫌いな人には重ねて勧めない」とないのだろうか

<牛乳1リットルで百円>

◎わが家には中2になる息子がいて、体はちょうど伸び盛り。父親(筆者)が母方の遺伝でチビになってしまった悔しさから、息子にだけは背が低くて人に笑われたりしない人間になって欲しいと願い、牛乳を一日1リットル(1パック)ずつ飲ませることにした。浜田雅功の著書のようにただただ「飲め!」では息子はちっとも飲まないから「1リットル飲めば百円あげる」と約束してみた。すると息子はわずか百円欲しさに毎日1パックどころか2パックも飲むようになった。おかげでわが家は198円の牛乳を計298円もかけて買い続けることとなり、息子は息子で頻繁に下痢ピーになり、トイレでウンウン唸ることに……。息子は週末、JRで往復600円余りかかる三田市の友達の家に行くために6リットルもの牛乳を飲む努力をすることさえある。身長の伸びについてはそこそこ効果が出ているが、親側の蓄えも頭打ちでピーピー状態だ

<手術費用>

◎わが家にはハムスターの「マルチー」がいる。ブルーサファイアという種類で、近くのペットショップで1000円で買ってきた。そのマルチーの右目に数カ月前から腫瘍が出来て、とうとう先日、家内が娘とマルチーを動物病院に連れて行った。獣医師が言うには、「良性か悪性か分かりませんが、切除するとなりますと全身麻酔します。体が小さいので、もしかしたら死ぬかもしれません。費用は3000円から5000円くらいです」。いったん連れて帰られたマルチーを見ながら、どうしたものかと私は悩んでいる

<トイレが外>

◎雑居ビルに居酒屋やレストランが入っている場合、店の中で「トイレはどこですか?」と聞くと、店員に「お店を出られて右の突き当たりです」などと言われることが多い。内風呂がなくて銭湯に行くような気分で共用のトイレに行く。そこまでは良い。ところが用を足して店に戻るのが難点だ。他の店員が新しい客と間違って「いらっしゃいませ!」とか言うのではないだろうかと心配するあまり、こちらはちょっと卑屈にうつむいて、小走りに店に入ったりする

<学生服のボタン>

◎卒業式の季節、中学の息子が学生服のボタンを無くして帰ってくる。「さては、『記念にください、ボタンを一つ。青い空に捨てます……』と女の子に言われてあげちゃったのかな?」と思って問いつめてみると、単に男同士の喧嘩で引きちぎられただけだったりする

<不細工な話>

◎めったにお客さんが見えることのないわが家に、気の張るお客さんが来訪することになる。前日から準備を重ね、掃除を隅々までする。花を買ってきて生けたり、庭先を掃いたり……。さて当日。静かな住環境を見せたいのに、朝の早くから家の前でガーガーと道路工事が始まったり、年に何度もない大雨に降られたり、昨日まで正常だったリビングの蛍光灯が切れてチカチカし始めたりする

間が悪い>

◎以下、今日あった実話である。12時半にいきつけのT耳鼻咽喉科に行った。門前薬局を出て駅の方向へ歩いていくと、時分どきということで、私を診察して午前の部が終わったばかりのT耳鼻科の先生が食事をしようと街を歩いておられた。お互いすれ違うも「知らぬ仲」とは言わせない。さっき院内で話したばかり。かといって「どうも……」ではおかしい。医師と患者の関係は厳然とある。結局二人は素知らぬ顔ですれ違ったのだった……。そして駅に着いた私はホッとするのもつかの間、今度は同じ会社に勤める他部所属のY君(同期入社)に「ようっ!」と呼び止められた。会社まで約1時間の道すがら、二人でどう過ごしたものかと困惑していると、梅田で彼の方から「ちょっと寄るところがありますから……」と離れていった。私は当初ゆっくり会社に向かう予定だったが、梅田近辺でこのままウロウロしているとY君にまた会ってしまうのでは……と心配になって、まっすぐ会社へ向かうこととなってしまった

自家製はまずい>

◎ラーメンを自宅で作るとなるとなぜまずいのだろう。日本そばも自宅で作ると大抵美味くない。ところがソーメンやうどんは自宅で作ってもそれなりに食べられる代物だ。そのせいか数年修業に出て店を持って大儲けする食べ物となると、ラーメンやそばが俄然浮上してくる。うどんは?というと讃岐や稲庭ならまだしも、一般のうどんならさして修業はいらないだろう。つなぎがなくても自然に繋がるからだろう。蘊蓄も中途半端だろうし……。そして、ソーメンのために何年も修業をしたという人を私は未だに聞いたことがない

リストラ>

◎大会社の会社幹部が組合員を前にして高らかにこう言う。「今回の改革は我が社にとって、決してドメスティックな人減らしになるものではありません!」。聞いた組合員は一瞬ホッとしてしまいがちだが、ドラスティックの言い間違いだと気づかなければならない。家庭内手工業ではないのだから……。

職場でミカン>

◎世話を焼くのが好きなおじさんが職場の女性にミカンの差し入れをしてくれる。デスクの書類の上に「どうぞ、有田のミカン。おいしいよ」と唐突に置く。自宅でこたつに入り、紅白歌合戦を見ている状況とは明らかに違う。女性が衆人環視の中でミカンをどう食べるか。おもむろに皮をむき、一房を口に入れたところではたと考える。さて、残骸は口から出すべきか飲み込むべきか

田舎やなあ>

◎インクジェット対応の年賀状が大阪のどこの郵便局でも手に入らないので愛媛で買って送ってもらうことにした。再発売の11月28日早朝、愛媛の母に郵便局へ買いに行ってもらった。母が「今日再発売のインクジェット年賀状を270枚ください」とメモを見ながら言うと、局員は「ここには昨日も一昨日もずっーとありましたよ。それより今日発売の年末ジャンボは要りませんか?」と言ったそうだ。愛媛は田舎やなあ。パソコンさえも普及していないのだろうか

閉店直後>

◎午後8時に「そうだ! 熊本の銘菓・陣太鼓を買って帰ろう」と思いついて、梅田の阪急百貨店に走って行った。着いたとき、すでに閉店時間を5分過ぎていた。ぞろぞろと客が出ていき、店内の照明は落とされ、出口付近で警備員が錠を掛けようとしていた。そこを走り抜け「全国の有名土産物コーナー」へ。陣太鼓を一箱掴み取って「これ、ください」。女性店員はすでにレジの精算に入っていたが嫌な顔ひとつせず、丁寧に包んでくれた。私はここで一万円札を出したりしたら怒られるだろうなあ、とおもって、代金630円のところを1050円差し出した。さして意味のない行動だった。それにしても、毎日毎日この「全国の有名土産物コーナー」に寄っていると、私にまったく興味のない店員でも顔を覚えるんじゃないか、と心配になる。だから最近は阪急に行った翌日は阪神に行ったりもしている。小心者だなあ

インクの詰め替え>

◎きょう、ミドリ電化に自転車で出かけて、インクジェットプリンター用のインクを買ってきた。まともにカートリッジを買うと高いので、初めて「詰め替え用インク」を買った。しかし、家に帰ってからの「詰め替え作業」の難しいことといったらなかった。プリンターから取り出したカートリッジの底に5つシールを貼ってから表の所定の位置にボールペンで穴を開け、付属のポリ手袋を両手に装着、穴に1色の注射器を上向きに挿入、思いっきり上に引っ張って手を離し自然にインクが吸い込まれたら右回転に注射器を抜き、傷口にシールを貼るというもの。カラーはマゼンタ、シアンなど5色についてこの作業をやった。黒のときは底のシールの貼りかたが悪くて空気が漏れ、机一面にインクが流れ出してしまい、もう手袋どころではなくなり、やがて手は真っ黒黒助に……。
詰め替えで単価が安くなったとはいえ、発色がしばらく悪く、かすれたりポタポタ落ちたりして、正常に戻すのにほぼ半日仕事となってしまった

<サティにて

◎2001年1月3日、私たち家族4人が西宮サティに行った時のこと。お年玉でMDプレーヤーを買った中2の息子は所期の目的を達した風情で、早く家に帰ってMDを再生してみたい様子。しかし私と妻と娘はまだ買いたい物が残っていた。そこで家長の私は息子に高らかに言った。「お前は先に家に帰っていなさい。我々は…………宇宙人だ」−−。言い終えて、私は「このギャグは始まったばかりの新世紀をリードする最高傑作だ」とほくそ笑んだ。だが、この慢心がいけなかったのか!? 家族の誰一人としてクスッとさえ笑わなかった。そして息子は言われるまま先に家に帰っていった


<子供嫌い

◎きょう、特集を読む勤務に出た。雪の日曜日ということで、着いてみると静かな編集局。ところがそこになぜか幼児2人の声。「静かにしなさい!」と叱るお母さんの声も……。どうやら学芸部のA子記者が4歳前後の2人の息子さんを連れてきている様子。そのうち、大刷り出力機の前に親子3人が立ち、A子記者が「さあ、今から郵便屋さん、するよ。まず、あそこのオジサンにこのおっきい紙(終了刷り)を持っていってねえ」と私を指さすではないか?! 私は思わず特集の席を立って、顔を真っ赤にしながら、「ハイ、オジサンだよー。わあ、2枚もくれるのかなあ。ありがとうね」などと口走った。するとA子記者が「あっ、1枚でいいのよー。あとの1枚は後ろの(学芸部の)K子おねえさんに渡すからねえー」。
 私が内心、「K子デスクは俺の2、3年先輩のはず。どうして俺がオジサンで向こうはおねえさんなんだ?!」と憤っていると、一部始終を聞きつけた科学部のN子記者が震災特集の未点検地図を持ってきて、「オジサンですかあ。点検お願いします!」と追い打ちをかけた。私は「!?!?!?」。  やがて確認刷りが出た。今度はA子記者と子供2人が「さあ、またあのおにいさんに渡すんだよ」と言い直して持ってきたが、私は「今さら何だ?!」と思った。しかし、ここが悲しい性。またまた顔をひきつらせながら幼児2人に「ありがとう。おにいさんがもらいますからね」などと「満点パパ」を演じてしまった。(あーあ、俺は小さいときからガキが大嫌いなんだ! と心の中では叫んでいたが……)
 そういう私も今年が数えの「前厄」。今月、門戸厄神に行く計画を立てている

<NIEと笑ってね

◎先日、記事データベースの誤り(すでに紙面化されてしまったもの)の一覧を見ていると、「NIE(教育に新聞を)」が誤って「NIE(新聞に教育を)」となってしまっていた例が5例、と書いてあった。誤りの方が適切な表現? あっぱれ

<隣の女

◎先日、レンタルビデオのTSUTAYAに行った。トリュフォー監督の「終電車」がいいなと思ってDVDで借りた。ところが家に帰ってプレーヤーに掛けようとすると、同じ監督の「隣の女」のソフトだった。私はしかたなく「隣の女」を見た。そして感動した。考えてみるに、店員が、返却された「隣の女」を箱に戻す際、「終電車」の箱に戻してしまい、後刻それを私が借りてしまったのが原因に違いない。隣の女というよりも隣の箱だったのだ! 謀ったな!? まあ、よしとするか

<復唱

◎20年前、19歳のころの自分の写真を焼き増しして会社の女性に見せた。うずうずしながら印象を聞くと、女性は「20年前の方がハンサムでしたねえ」などと言う。私はムッとした。ダイエーフォトでたった1枚の写真をたった29円で焼き増しした自分の健気な姿が思い出されて可哀想だった。そこで、「当たり前じゃないか。この20年で頭は禿げたし、体重は10キロ増えたし。そんな言葉より『もし10年早く私が生まれてこの当時に2人が出逢っていれば……』とか言えないのかなあ」と私が言うと、女性は面白がってその通り復唱してみせた。「もし10年早く私が生まれてこの当時に2人が出逢っていれば……」。私はすかさず、「まあ、何もなかったでしょう!」と言ってやった


<スズキさん

◎先日、敬虔なクリスチャンでありながらインターネットで卑猥な画像を見るのが趣味というT氏と職場で対談する機会があった。T氏は現在44歳。対談の冒頭、「最近、俺、体調が悪いんだ」と私に訴えた。理由を問いただしてみると、「先日、下痢をした」と言う。私は「下痢ぐらいで、くよくよするなよ」と応じた。すると、驚いたことにT氏は「俺は20年以上、下痢をしたことがなかったんだ。胃腸はずっと強かったんだ」とのたまう。私は、20年も下痢をしないという強靱な胃腸などというものは十分、生活習慣病に値すると思って、ただただ呆れかえってしまった。ちなみに私なんかは3日前、昼食に大盛りのラーメンを食ったあと、夕食にスズキの切り身の入った鍋を食っただけで、直後に便器のお友達としての寡黙でささやかな夜を過ごさざるをえなかった……。せめて、スズキさんより、サトウさんにしておけばよかったか



<辞めたい

◎会社に行くと、会うたび口癖のように「辞めたい」と言う人物がいる。こちらとしてはいつ辞めるのかなと同情しながら見守るが、1年たっても2年たってもその人は辞めない。辞める勇気があるならとっくに辞めているものだと後で気づく。「もうすぐ死ぬ」と繰り返す老人も同様。死ぬ死ぬという人に限ってなかなかどうして、しぶといものだ

<こん畜生!

◎職場で失礼なことを言われる。カチンときて相当ムッとしたあと、「まあ、こんなことでいきり立ったら人間の小さい奴と思われる。ここは一つ大人になって我慢しよう」と、大人げなく言い返すことを理性で抑える。ところが家に帰ってそのことを思い出すとどうにも腹の虫が収まらないでムカムカする。ついには憂さ晴らしに大酒を飲んだりする。数日後、やっぱり許せないので「あのときのあの言いぐさは何だ!」と改めて喧嘩をふっかけようとするが、「待てよ、まだあんな些細なことを根に持っているとはまったく狭量な奴だと相手に言われるのではないか」と思ってつい自分を抑える。そうこうするうちに時間は過ぎてゆく。結局「今に見ていろ!」の意気込みはまったく実現することなく、ただのお人好しの泣き寝入りに終わってしまう

<尾籠>

◎先日、会社で和式のトイレを利用する機会があった。そこまではさして目新しくない日常の所作だった。ところが、トイレから帰るときに自動販売機でポカリスエットを買おうとして驚いた。財布に入れていた三和銀行のキャッシュカードが真ん中のへんでグニャリと曲がってしまっているのだ。ケツ圧の高まる和式トイレがいけなかったのだ。それでもまだ冷静だった。近くの三和銀行のATMで実際に使えるか確かめてみたりした。ところが……である。きょうになって別の三和銀行に行って現金を下ろそうとすると、「ただいま、取引ができません」と表示されるばかり。とうとう窓口にカードを持っていくことになった。窓口の女性は「カードができるまで1週間かかります」という。「ハイ、ハイ」と返事して帰途についたあと、私は「そうだ! 1週間の生活費はどうやって下ろすんだ?!」という当たり前の疑問に逢着した。従来型の印鑑と通帳か? しかし明日から土、日。あーあ。たかが和式トイレ、されど和式トイレ


<突っ張ってみて、後悔>

◎昨日、イエローカメラに行った。午後3時ごろ。60分仕上げを謳い文句にしている薄利多売の写真現像店だ。画質はいま一つだが、とにかく安い。24枚撮り同時プリントで750円どまりのチェーン店だ。「きょうは混んでいますので、4時40分のお仕上げとなります」と女性店員。「あれっ?」と思ったが、買い物をして待つことにした。さて、午後4時40分。時間きっかりに受け取りにいくと、店員が困った顔をしている。「まだできていないんです。きょうは機械の調子が悪いので……。あと30分くらいかかりそうです」。しかたなく生鮮食料品を買いに行って時間をつぶし、5時30分に再び行った。ところが「すみません。まだなんです」という。私は切れそうになるのを抑えながら「家が遠いので、郵送してくれませんか?」と聞くと「ダメなんです」。「先にお金払っておきますから」「いやそれはできないんです」。そのうち、見かねた別の男性店員が「営業時間外にお届けに参ります。ここにご自宅の地図を書いてください」と言った。結局、午後9時すぎ、タクシーに乗って男性店員が届けにきてくれた。タクシー代が駅から780円くらいかかったはずなのに、私が払った写真代は700円。(端数は男性店員が自分で払うと言っていた)。ついに意地を張り通した私だったが、後味は悪かった。反省

<人間は>

◎不細工な男性を前にして「人間は顔じゃない」と慰めようとしたら、誤って「人間の顔じゃない」と言ってしまう

<漬物屋とパン屋>

◎デパートの地下一階に行って、漬物でも買おうとすると店員の背の低い小太りのオバサンが近づいてきて「いかがですか」という。なぜか漬物屋には背の低い小太りの丸顔オバサンが多い。パン屋にはこの手の店員はまずいない。どちらかというと痩せてスラリと背の高い、顎のとがった若い女性であることが多い

<台無し>

◎たまの休み。天気もよくて家族そろっての休日。「せっかくの休みだから外食にでも……」と正午ごろにこやかに出かける。向かうは日常の喧噪の中で目星をつけておいた国道沿いの有名ラーメン店。ところが、である。着いてみるとあにはからんや長蛇の客の列。「20分お待ちいただきますがよろしいですか?」などと快活な女性店員に言われてしぶしぶ並んで待つことに。ところが4人席が空くのはさらに難しい。「相席は嫌だ」とだだをこねているうちに、列の後ろに立っていた2人組が先に誘導されて店内に入り、我々は後回しになる。そのうち空腹からセロトニンが不足し始めた4つの脳同士で、口汚い口喧嘩が始まる。原因はささいなことに決まっている。ようやく4人席が空いたときはすでに午後1時30分。他の席もぞくぞくと空いていく。もう昼食どきではないのだ。席に着いた途端、さきほどまでの休みの解放感とはほど遠い心理状態にある自分に気づいてゾッし、ただただ肩を落とす


<道を聞かれて>


東京・新橋の陸橋で中年の女性に「新橋演舞場はどこですか?」と聞かれたことがある。新橋演舞場は新橋の名を冠しているものの、場所的には東銀座に位置するのでJR新橋で下車して道に迷う人がけっこう多い。私は陸橋から築地の会社に向かって歩いていた。方向的には女性と同じだ。「こちらの方向です。一緒に行きましょう」と言ったあと、連れだって歩き始めたが会話の後が続かない。初対面で共通の話題もない。数十メートル、気まずい沈黙が流れた。そのうち女性が言った。「オタクも新橋演舞場へ行かれるのですか?」。私は苦笑しながら指さし、「いえ、私はあの会社に向かっています」。
 道を聞かれて自分と目指すべき方向が同じだった場合はどうしたらいいのだろう。いったん別の方角へ別れてからその人の後を追い、相手が道を間違いそうになったら「あっ、そこを曲がってください」などと背後からアドバイスすればいいのだろうか?

<母子ともに>


◎12年前、下の娘が生まれたとき、職場の部長と同人会の幹事さんに「女の子が生まれました」と報告した。同人会の方は幹事の仕事として、会費から祝い金を私に出す以外に、職場の掲示板に誕生の知らせを張り出すという任務がある。私は気恥ずかしいながらもその張り出しを待っていた。ところが……。翌日、掲示板を見てみるとこんな張り出しがあった。「○○さんに第2子の女の子が誕生しました。母子ともに健在です。 同人会幹事」。「健康」でなくて「健在」。殺すな!っちゅうに。

<暑がり主導>

◎どこの職場もそうだろうが、夏になると冷房がきつく入って「冷房病」になって体を壊す人が出る。私もその一人。考えてみると、着ているものが派手で、口の悪い暑がりの人に限って、職場に着くと「暑い、暑い!」と大声で連発する。こんなうるさ型の意見に逆らえず冷房の温度はどんどん下げられる。結果的に物言わぬおとなしめの人たちは、きつい冷房のために夏風邪をひかされることになる


<実質2両>

◎出張で部長と部下が新幹線で東京へ向かう。前日、部長が部下に聞く。「君はどの新幹線に乗るんだい?」。部下は一緒に行くと気苦労が多いので、「まあ、会議の始まる3時に間に合うように……」などと適当にいなす。「それじゃあ、現場でまた……」と部長もそのへんの気遣いを見せる。ところが、だ。両者、3時に間に合うような新幹線を時刻表で選ぶと大体、同じ新幹線になることが多い。しかも禁煙車指定などとなると、16両編成の東京行きといいながら、実質は2両編成みたいなもの。駅か車両内か着いた先のバスか、どこかで2人はバッタリ会ってしまって、部下は部長と離れて座るわけにもいかず、意に沿わぬ相席が始まる

<悲観論>

◎経済アナリストの基本はおしなべて「悲観論」だ。たとえば「市場はハイテク企業の今期の業績の下方修正をまだ織り込んでおらず、もう一段の下値を試す弱含みの相場となろう」などと。悲観論というものは外れても非難されない。ところが楽観論は外れると一斉に非難される。未来のことは誰にもわからない。悪く予想しておけば後が楽なのだ。医者の初診も同じ。精密検査でなんともなかった後で患者やその家族の精神的打撃の補償をするつもりなどない。悲観論が当たる医者こそ名医なのだ。楽観論を展開する医者は藪医者呼ばわりされるばかりだ。
 さて、頻繁な売買で委託手数料が欲しい証券会社の分析に悲観論は少ない。「日本市場の株価は年央から年後半にかけて米のダウ、ナスダックに左右されることなく自律回復の方向を探ることになろう」などと面はゆい投資分析をする



<メチニス>

◎私は熱帯魚飼育が趣味。あるときホームセンターで可愛い四角形の魚を見つけた。あまりに気に入ったので1匹300円で4匹買った。喜々として帰宅。早速、水槽に入れ、インターネットで調べた。名を「メチニス」という魚であることが分かった。ところが、だ。翌日からどうも水槽内の水草の様子がおかしくなった。何者かにかじられて葉がぼろぼろになっていくのだ。犯人は他には考えられない。メチニスは草食魚だったのだ。それでも私は我慢しながら飼い続けた。そのうち水槽内の水草という水草はすべてノコギリの刃のようにされて、光合成ができず枯死するものまで出始めた。耐えかねてある日、私は決心した。この魚を「処分」しようと。ダイエーの買い物袋に水を入れて4匹を網で捕まえて手に提げた。向かうは近所の夙川。前後左右を見計らいながら人けのない橋のたもとで袋を逆さにして魚を川に放した。立ち止まって見ると泥まみれの川岸に熱帯魚は横たわったままだった。水温が違いすぎたのだ。私は去った。後ろ髪を引かれる思いだった。人間が魚に言うところの「処分」とは単なる殺戮である。「メチニスは偶然死んだ。私は偶然死ななかった」と志賀直哉のようなことをつぶやいて、「走れメチニス」と思いながら太宰治のようなデカダンスで会社へ向かった


<百人一首>

◎百人一首には苦い思い出がある。高校3年の冬だったか、現代国語の先生が授業中に「この中にお正月に家族で百人一首をする者はいるか? もしいたら手を挙げて……」とみんなに尋ねられた。私は「何人いるだろう」と思いながら手を挙げた。ところが挙手したのは私だけだった。クラス中に失笑が起きたのを私は聞き逃さなかった。私は普段、うつむいてばかりでろくに声も出さない内気な17歳だった。耳まで真っ赤になるのが分かった。私と百人一首の取り合わせがみんなには可笑しかったのだろう。
 昨日、ミドリ電化で百人一首を読み上げてコンピューターと対戦させてくれるパソコンソフトを950円で買ってみた。家に帰ってスピーカーのスイッチを入れて小6の娘とやってみた。岸田今日子のような中年女性の声で朗々と読み上げられるさまは、一種神秘的で、本格的なかるた取りを思わせるものだった。そこへ妻が自転車で職場から帰ってきた。窓から漏れる声を聞いて家に入ってきて、「外で聞いたら何かの宗教かと思ったよ」と言った


<匿名>

◎匿名であればいいのかという問題がある。「きょう、朝刊を開いたらY紙にこんなことが書いてあった」などと書く人がいるが、Y紙と書いて毎日新聞を想像する人はまずいない。書いた本人は巧みに伏せたとほくそ笑んでいるのかもしれないが、ちっとも伏せたことになっていない。ある程度ばらす意図もあるのだろうが、それにしても芸がなさすぎる。かつて、社内で不祥事を起こした人についての部長同士の対策会議の会議録に「当該D部員に事情を聴くと……」などと書いてあった。当該部員のイニシャルはD。狭い社内では誰のことかバレバレだった。日本語に置き換えられないP部員とかQ部員とかにしておけばいいものを……。しかしこれでは滑稽かな? 「P部員の建議を受けたQ部員の提言について長時間議論を重ねた」などと厳かに言っても軽すぎる気もする


<押すな押すな>

待ちに待った映画の公開。家族4人分の前売り券を買い、当日は午前6時に起きて10時20分開始の第一回に駆けつける。期待が大きすぎて、駅へ向かう人たちがみんな同じ映画館に向かっているような気になり、非常に焦る。が、着いてみると、10時前ということで、映画館のシャッターはまだ開いておらず、お客さんは我々を筆頭にわずか20人ほど。「バスに乗り遅れるな」「押すな押すな」と入れ込んでいたのは自分だけだったことに気づいてあらっ? となる

<おじさん>

私が「おじさん」と初めてよその子供に呼ばれたのは27歳のときだった。江戸川の河川敷で1歳の息子をビデオカメラを回して撮影していたときだった。近づいてきた男子小学生が「おじさん、うちの犬が通りませんでしたか?」と聞いてきた。私はハッとした。こんなに若いのに「おじさん」なんて……。そのたじろいだ様子はビデオに残っているがまた見たいとは思わない

<食中毒>

関西の有名百貨店は、自分の店で販売した生鮮食料品がもとで食中毒が起こった場合は、発症者宅を責任者が訪れて丁重に謝ったのち、多額の見舞金を手渡し、冷蔵庫の中身を全部新しく交換して帰っていくと聞いたことがある。さすがだ。しかし、これがもし田舎の魚屋だったらどうだろうか? こちらが「オタクで買った魚を食べてあたったんです」と訴えると、店の主人は「古いのを買って食べたあなたが悪い!」と言い、押し問答の末、最後は根負けしてこちらが「この度はすみませんでした」と謝ることになる 

<本当の笑い>

◎心からの笑いと、その場の作り笑いとの違いを見分けるには、笑い終わったあとのその人の顔を見るといい。心からの笑いなら笑顔がすんなりと素顔に戻っていくが、その場の作り笑いだと笑顔のあと顔がひきつり、目がマジになる

<試食お断り>

◎スーパーやデパートの食品売り場に行くと、ウインナーや焼き肉、グレープフルーツなどの試食コーナーがある。50歳から60歳の小太りのオバサンが「どうでしょうか、一口どうぞ」などと試食を勧めている。私は子供のころからこの試食が大嫌いだった。「食べるときには座って、人前では食べ物を口にしない」が日本人のマナーだと信じていたからだ。しかも貧乏そうな人に限って試食品をいくつも口にしているような気もする。さらに自分の子供らを呼び集めて夕食の足しに食べさせている母親はみっともない。要するに私は自分が食べるに困っているようにだけは見られたくないのだ。だから強引に試食を勧めてくるオバサンがいると思わずムッとしてにらみ返してしまう

<もめごと>

◎世にもめごとは尽きない。仕事上のトラブルなら毎度のことなのでお互い慣れているが、日常の仕事に加えて新しい任務を誰かに負わせることとなると職場内は俄然もめるようになる。金銭的には無報酬、ただの世話係、もし不手際があろうものなら集中砲火を浴びるという役回り……これを進んで引き受ける人はいない(まれに異常なまでに張り切って引き受ける人がいるが、だいたい職場では浮いている人物であることが多い)。この任務の担い手をめぐって一見、民主的な話し合いを重ねるがそうそうまとまりはしない。それぞれに普段の仕事では決して見せることのない人柄が現れて、下手をすると売り言葉に買い言葉で殴り合いに発展することもある。なにせ単なる面倒の「押し付け合い」である。みんな最後は自分が可愛いのだ

<タイミングの悪さ>

◎会社の夕方。さあ、帰ろうと鞄を手に提げ、エレベーターに向かう。下に向かうボタンを押すが、あいにくエレベーターは地階をさまよっている。下手をすると2分近く待たされることになる。そのうち背後で声がする。「いやあ、○○さんじゃないですか? どうですか、軽く一杯?」。本当はまっすぐ帰宅するはずだったのに、たまたまエレベーターが来なかったために意に沿わぬ飲み会に拉致されることに。夕飯を作って待っている妻や子供の顔が脳裏に浮かぶ。居酒屋のトイレで携帯を取り出し、「遅くなる」と連絡を入れる

<小売店>

◎ビールを安く売っている店はだいたい郊外か国道沿いにある。私は自転車で国道2号沿いにある量販店へ缶ビール1ケースを買いに行った。350_リットル24本で4000円そこそこ。1本に換算したらいくらだろうなどと考えながら自転車を押して自宅へと坂道を帰る。ところがまずいことに帰り道に平生、懇意にしている酒屋さんがある。そこを避けては家に帰れない。仕方なく通り過ぎようとすると、酒屋さんのご主人が軽トラックに配達用の酒を積み込んでいる。普段なら快活に挨拶をする仲だが、きょうは伏し目がちにならざるをえない。一瞬、ジロッとこちらをみたような気がする。「おたくで買ってもいいんですが、定価じゃねえ。量販店と1000円は違いまっせ!」と心の中で叫びながら汗びっしょりになって自転車を押す

<連休>

◎たまに連休があると、たいがい張り切ってしまって、初日は寝不足でも早朝に目が覚める。幸い外は快晴だ。しかし元気なのは午前中だけ。テンションは高いが体がついていかない状態。昼食をとるとヘロヘロになってしまう。おまけに寝不足で物音に敏感かつ怒りっぽくなっていて、ささいなことで家族とのいさかいも起きる。喧嘩して早めに夕食を食って寝てしまう。翌日は睡眠十分で起きる。ところが天気がすぐれず一日中小雨が降っていたりする。前日の行状から家族の風当たりも強い。「あーあ、明日からまた仕事かあ……」と悔やむばかり。連休はかくも苦きものなり

<小>

◎小さきものは可愛いものだと枕草子にある。しかし、現代では「大きいもの」がすべてだ。昨今、若い女性は何をみても「かわいい!」を連発するが、「かわいい」と口に出す自分が一番かわいいのだ。おしなべて、こぎれい、小男、小ざかしい、小づくり、小汚い、小憎らしい、小太り、小ばか……と小さいものはたった一文字かぶせるだけで軽蔑の対象になる。小さいから可愛いなどとというのはウソだ。ノミやダニはかわいくないではないか。小男が言うのだから説得力がある

<靴を買う>

◎靴を買うというのは、日常、けっこうありふれた風景だが、冷や汗ものであることが多い。私の妻などは名古屋時代、地下街で靴屋に入り、自分のサンダルを脱いで新品のサンダルを履いて試しているときに、背後から近づいてきた他の女性客に、自分が脱いだばかりのサンダルを履かれてしまったことがあった。「あっ! それは私のサンダルです」と妻が言うと、当の女性(といってもオバサンだったが)は、「あらっ、すみません。あまりにいいサンダルだったので買おうかと思ってつい……」と巧みに自分のミスをかわしてみせたものだ。
 私なんぞは、きょう、トミヤマという量販店の前を通りかかって、買う気もないのに革靴を物色していた。するとまずいことに男性店員が近づいてきて、「よろしかったら、履いてみてください」と言う。しかたなく「25はありますか」と言い、「なければいいが……」と思っていると、「これが25です」と店員が棚から探し出してしまった。「どうぞ履いてみて」と重ねて言うので、しぶしぶ汚い自分の靴を脱いで(本来、買い替えるのだから汚れていてもいいはずだが、まさに足元を見られる瞬間。実に恥ずかしいものだ)、使ったこともない靴べらを渡され、やじろべえが平均台を渡るように履いてみることとなった。このとき心拍数は123当たりだったと推定される。ところが、追い打ちをかけるように、靴下のかかとにはポッカリと穴があいていることに私は気づいた。この事態は店員にもしっかり見られたと確信する。革はカンガルーだったか、ヤギだったか、ヒツジだったか、たしか値札の横に書いてあったが、もうそれどころではなかった。「これにします!」と、ろくにサイズの合う合わないを考えることもなく、レジに走ったのであった。しめて4000円強の出費。まあ旅の恥はかき捨てと言うではないか!? そうか、家の近所だった。また行くだろうなあ

<551の蓬莱>

◎7月末、デスク席で夜勤の勤務についていたら、Pさんが「これ、食べて!」と何かを差し出した。ひょっと見ると551の蓬莱のアイスキャンデーではないか!? 「いりません」「まあ、遠慮せずに」「いえ、風邪ひいてますから」と、どうにか断った。デスクがペロペロとキャンデーをなめながら仕事をしている姿を私は勤続17年、一度も見たことがない。そういう場でないことは、3日も勤めれば分かることだ。Pさんがらみではみかんの差し入れに辟易したこともある。職場の衆人環視のなかでみかんを食べるのには勇気がいる。皮は口から出せない。健康のため?に飲み込むしかない。自宅のこたつで紅白歌合戦を見ているんじゃないんだから

<お金の渡し方>

◎いまさら言うことでもないが、マクドナルド、セブン−イレブンは「紋切り型」「マニュアル主義」の宝庫だ。店に入ると、「いらっしゃいませ、こんにちは」と言う。「こんにちは」がよけいだ。年輩者としては頭を下げなければならないのかと戸惑う。若い美人の店員が本当によい人かどうかはお金の渡し方で分かる。私の差し出した手を両手で包むように小銭を渡してくれる人がいる一方で、地球の引力を利用して私の手のひらにポトリと落とす人もいる。きっと手と手が触れ合うのがイヤなのだろう。気持ちは分かるが平凡なオジサンとしてはいたく傷つく

<ドモホルンリンクル>

◎ドモホルンリンクルはテレビコマーシャルで「一滴抽出するのにこんなにも苦労する」と言いながら試供品を無料で希望者に頒布している。何でかなあ? また、着物をきた女性が「どうせタダやから大したことないゆうてたんですう」と語尾を上げて話すのも気になるなあ。北摂から京都に向かうところでは語尾を下から突き上げるように喋る。突き上げられた当方としては相づちを要求されているような気がする。ドモホルンリンクル---そうそう、早口言葉にも向いている。例によって、あたまに赤・青・黄をつけて早口で言ってみると、案外つっかえる人が多そうですぞ。それでは皆さんよろしいですか? ご唱和ください、せーのー

<私家版プロジェクトX>

−−田口トモロヲのナレーション
「これは、新聞校閲の生き残りを賭けた男たちの壮絶なドラマである」
−−中島みゆきの「地上の星」が流れる
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく……
 
大阪校閲のOはため息まじりに言った。
「もう校閲に未来はない。いっそ、ここらへんで身を引こう」と。
しかし名古屋学芸のIは言った。
「笑うだけならいつでも笑える。今はしばらく笑わずに働こうじゃないか」と。
名古屋校閲のAは責任を感じてうつむいていた。
そこへ一本の電話がかかってきた。安中が電話をとった。
東京校閲のMからだった。Mは受話器の向こうで言った。
「もう一度、校閲の原点に立ち返ってやり直してみよう。ダメならダメでやり直せばいい」と。
Aは大きくうなずいた。
 
膳場貴子が聞く。
「Aさん、そのときの心境はどうでしたか?」
A「はあ、あの電話がなければO君同様、すぐ諦めるところでした」
 
−−中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」が流れる
 
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない……
 
日本中に感動の渦。深夜の再放送も検討される
 
以上、私家版「プロジェクトX」。あの番組は高度経済成長期ならではの美談ばかり。今後はまずない。「社長は解雇しようと思った」「ただちに解雇した」で終わって、番組にならない

<飲む順番>

◎500CC入りのスポーツドリンクを買って、公園で小6の娘にあげた。父が先に飲むと「汚い」と言って飲まないから、娘を優先させる親心だった。ところが娘が言うには「後でお父さんが飲むと思うと、汚い」。それはいくらなんでもないんじゃないの?! 私は自分が不憫だった!

<予防注射>

◎子供2人が受験という今年度、家族4人でインフルエンザの予防注射を受けた。受けておくと、7割以上で発病せず、もし感染しても症状が軽く済み、重篤なことにならないのだという。私も会社の診療所に出向いて「予防接種の用意はありますか?」と聞いた。すると保健婦さんが「あります」というので頼むことにした。値段は実費で2300円だった。まずアルバイトで詰めている若い医師の簡単な問診を受けた。鶏アレルギーがあるかどうかとか、熱はないかとか。そのうち処置室に注射に呼ばれた。驚いたことに先ほどの保健婦がアンプルの説明書を持っている。医師が注射器を手にして、「えーと、筋肉注射で良かったかな?」と保健婦に聞く。すると保健婦が説明書を見て、「皮下注射です。筋肉注射だと痛いですから」と答える。「そうだったかな?」と医師が従う。私はずっと左腕のワイシャツをたくし上げて待っていた。上手だったか下手だったか、ちょっとチクリとして注射は終わった。「どうでしたか?」と医師が聞くので「2300円くらいの痛さでした」とウケ狙いで言ってみたが、まったくウケなかった。注射のあと、少し体がだるく感じたのは、注射のせいというより、人疲れのせいだった。インターネットで調べてみると、毎年、インフルエンザ・ウイルスは変異を続けており、Aソ連型とA香港型とB型というように、今年流行しそうな3種のウイルスに製薬会社が絞りこんでワクチンを全国に売っているのだという。もし流行るウイルスが外れるとアウト。また10万人に1人の割合でショック症状が出て後遺症が残ることがあるとのことだった。ホント、笑ってる場合じゃないよ!

<歯牙にもかけないで>

◎先日、思い立って近所の歯医者に行った。そもそも医者というものを好きな人はいないのであって、吾輩も人後に落ちることなく子供のときから入念に医者を避けてきた。しかし、@我慢できない痛みA命にかかわる気がする症状B保険に入るための便宜C医者に行かないときの心の安寧と行ったときの心の安寧を秤にかけて、行ったときの安寧の方が大きいと判断されるときD看護婦さんが綺麗そうな医者……のどれかの要件を満たすときはしぶしぶ行くことにしている。今回は@のケースで歯が痛かった。普段、めったにしない丹念な歯磨きをして(散髪に行く前に髪を洗うのと同じ心理)行ってみると地獄に仏、歯科衛生士の若い女性があにはからんや美人だった! しかし美人に口の中を見られるのは苦痛であることを8年ぶりに思い出したのだった。およそ人間に具わっている穴という穴に綺麗なものなどない。それを見ず知らずの若い女性(わずか2分前の初対面)に覗き込まれるのは、私の人生の数え切れない恥のなかでも「百指に入る」恥だ。やがて美人の歯科衛生士は歯茎の後退具合をカルテに書くために数字を読み上げ始めた。単位はミリらしい。「3、2、2、2……」。さすが耳元で響く声まで美人だなあと感心し、私の禿げ頭の髪の毛が女性の胸に触れているような錯覚に似たときめきを感じていたら、彼女は「8」と言った。「8?!」 8ミリも歯と歯茎の間に隙間があるのか!? それではもう鼻腔に達する深さではないのか?! 私はいつものように愕然とした。やがて至福の時が終わり、処置室から受付に戻ると、先ほどの歯科衛生士がレジも担当していた(家内工業なのだ)。マスクをかけているので鼻や口は分からないが、やはり綺麗な目をしている。(マスクの下に団子鼻と下品な大口が隠れているのかもしれないが……)。やっと冷静になれたので私は彼女の名札をまじまじと見た。すると名札に「口原」とあった。出来すぎの話だと思った。越智君がさしずめ落下傘部隊に勤めるようなものだ

<おっさん>

◎阪急百貨店の園芸コーナーで「思いのまま」と題した梅の小鉢を買った。2月ともなれば、赤や白、ピンクの花が一本の木に色とりどりに咲くのだという。樹高わずか10センチに妍を競うさまをぜひ見たいと思って1200円で買った。しかし清々しい気持ちはそこまでだった。阪急梅田駅に向かう「動く歩道」を歩いていると、後ろから20代前半と思われる目つきの悪い男が声を掛けてきた。「おっさん、おっさん。真ん中歩くな」と彼は声を出した。押しのけるように私の横を通り過ぎると今度は私の前の初老の男性にも同じように声を掛けて横をすり抜けて行った。その前の女性には「おばさん」と声を掛けていた。不意打ちを受けてムッとしたあと、私は考えた。「彼は精神を病んでいるのかもしれない。理解してやらねばならない。しかしこの調子で前の人を押しのけて歩いていると、いつかボコボコに殴られる日が来るだろうな」と

<自動販売機考>

◎冷静になってみよう。自動販売機というのは実におかしな存在だ。人手を省くというのが開発のコンセプトだったことは間違いない。しかし人類は大きな代償を払った。それは売り手の心をうしなったということだ。たとえば自分が自動販売機前に立ったとしよう。売り手の真心はどこかに見えるだろうか。人工の声で「ありがとうございます」と言うことはある。しかしおつりは出ても心は決して出ない。考えてみたまえ。いったいどこの店に、客に商品を投げて拾わせる経営者がいるだろうか?! 重力を利用して商品を高い位置からガタンと落として、あろうことかお客さま=神様に背をかがめて拾わせるのだ! 元来、商売というのはお客さんの手に商品をしずしずと差し出して、代わりに貴重なお金をいただくのが基本のはずだ。しかも自動販売機はおつりを出し忘れたり、コインを認識しなかったり、はては取り出すときにお客さんの手を痛めさせたりする。自販機が野外に設置された場合、風雨が叩きつけることを想定しての重装備だろうが、商品を取り出すときに手がひっかかるように出来ているのはいかがなものか。ああ、私はだんだん興奮してきた。自販機は無礼そのものだ。諸悪の根源だ。私は全世界の自販機に商売のなんたるかを教えたい! (まあまあ、ここはひとつ穏便に……。書き出しには冷静になってみようとあるではないか?!)

<ボーナス>

◎ボーナスをもらう頃になると、普段考えられないような不本意なことが起こるものだ。ちょっと余裕ができるので電気製品の新製品を買おうと思って楽しみにしてきたのに、既存の冷蔵庫、洗濯機、食器洗い機、テレビ、ガスコンロが壊れたりする。購入どころかただの修理、現状維持だ。しかも耐用年数を過ぎた大型製品の故障はなぜか連続して発生する。まるで時限爆弾が仕掛けられていたかのように、保証期間を過ぎた途端に故障が発生する。決まりは決まり。出張費込みの実費での修理だ。お歳暮も一軒につき、5000円くらいは要る。クリスマス商戦でサンタクロースの存在を信じているようなふりをしている子供に、親としてもサンタを装ったプレゼントをしなければならない。寒くなって押し入れから出してきた石油ファンヒーターのマイコンが壊れていたりもする。法外な固定資産税の請求も来る。また正月ともなれば、姪や甥にお年玉を出さなければならない。交通費を捻出して家族4人で帰省したら嫁に隠して親に小遣いもやりたい。人並みにおせち料理も買いたい。年末年始は毎度毎度の、出費、散財、悲運。嗚呼、かくして人生は人災、人災、人災……

<フラッグ>

◎同時多発テロのあと、アーミテージ米国防副長官が柳井俊二駐米大使に「ショー・ザ・フラッグ」(旗を見せろ)と言ったということで、2001年の流行語の一つが「ショー・ザ・フラッグ」になった。この発言が本当にあったのかどうかを巡って国会で審議があった。ところが「ショー・ザ・フロッグ」(カエルを見せろ)と引用した国会議員がいて、一座の失笑を買ったそうだ。私はこのアホな発言に心底、感服した。これぞグランプリ! と思った

<年賀状>

◎年賀状は日本を象徴する罪つくりな虚礼だ。親しい人同士が、距離が離れていて、年一回、あいさつを交わすことには大きな意味がある。もし、年賀状が突然来ないとなると、「あいつ、体でも壊したんじゃないか」と心配して、電話をかけてみたりする。ところが、距離が離れていない、たとえば同じ職場の人同士だったら、事態はこじれてくる。こちらが年賀状を出したのに一向に返事が来ないとなると、「なんだ、あいつ。返事もよこさない。たった50円が惜しいのか。来年は絶対出すもんか」と1年も先の欠礼作戦を執念深く練ったりする。ところが、遅ればせながら1月7日ごろ返事がくると、この怒りはとたんに氷解する。「あいつもいい奴じゃないか」と一気に満足したりする。もらった方はずっと心ぐるしくて、あとでとやかく言われるのも嫌だから重い腰を上げただけだったりする。また、さして親しくない者同士が何年もやりとりを続けてしまうこともある。「もう今年はやめよう」と出さなかったら、相手は前年の年賀状をもとに元旦早々出してきたりする。それでは……と翌年、こちらから出すと、相手は「去年、元旦に来なかったから今年は遠慮させてもらおう」と出していなかったりする。そうこうするうちにずるずると年賀の交換が続くのである。この腐れ縁を断つには、どちらかの身内が亡くなるしかない

<説教>

◎「俺はなあ。部下を叱るときはこう聞くんだ。君の仕事は筋が通っているか?と。筋が通っていない場合は容赦はしないよ。俺はしっかり叱るよ。だってそうじゃない。我々はこの仕事でお金もらっているんだもん。お客様が第一。言い訳は後回しだよ。サラリーマンってのはなあ。そんなに甘くないんだよ。でもなあ、叱ったあとは俺は必ず飲みに誘うよ。腹を割ってさ、お互い話し合うんだよ。そうすれば一切しこりなどなくなるからさあ」……こういった発言をする人物に今でも時々出会うことがある。ぜひ床の間に飾っておきたい

<黎明>

◎洋画の展覧会を見に行くと、たいがい意味不明の絵に出くわす。油絵って、なんてむちゃくちゃなんだろう。絵の具を誤って画布にこぼしたようなとりとめのない背景に、原色ばかりの目も鼻もない宇宙人のような生き物が描いてある。小学校の低学年でも描かないような稚拙な描写。仮にもし素描をさせてみてもまともに描けそうにない実力が見え隠れし、元気ばかりがほとばしる。そして不似合いに見事な額装と浮き立つような巧みなライティング。表題はと見ると「けだるい黎明」だったり「曙光のつぶやき」だったり。思わせぶり、意味ありげな「芸術」に、我々素人はただ「感動」してうなずく

<見栄のツケ>

◎スーツを買いに紳士服のはるやまに行った。「2着で28000円」に惹かれて、欲しくもないのに2着買うことにした。この柄ならいいなどと無理やり2着選んだ。ところが、初老の店員が「ほかに2パンツの品もあります」などと言う。ズボン2本付きのスーツだ。もし1本のズボンが汚れてクリーニングに出すことになっても上着はそのままでもう1本をはくことができるという。これに勝る者はない! 私は柄の良しあしを捨て、実を取った。これでスーツ2着+ズボンなんと4本をお求めやすい28000円でご購入いただくことになった。しかし、採寸で失敗した。見栄を張って足を長く見せようとベルト位置を高く保って裾を測ってもらった。そしてそのズボンが2本ずつできあがった。後日、私は歩きながらどうもズボンの裾が地面をこすってしようがないことに気づいた。採寸のとき、見栄で引っ張り上げたものの、太っているために腹が押し下げてベルトがずり落ちたのだった。こうなると四十七士の「松の廊下」状態だ。突然、大奥で歩きあそばして岸田今日子のナレーションが聞こえてくるようなことになってしまった。下手をすると自分で自分の裾を踏んづけてアワワワーッと転びそうになったりもする。4本あるとはいえ、裾がすり切れて、ズボン自体も長持ちしそうにない


<手土産と茶菓子>

◎9月の秋分の日、招かれてある家を訪問することになった。手ぶらでは格好にならないので近所の和菓子屋に寄り、手土産を買った。店員に「何がいいでしょう」と聞くと、「お彼岸ですからおはぎなんかどうでしょう」と薦められ、おはぎを買って訪問先へ。ところが相手先に着いてしばらくするとおはぎが出てくるではないか?! よく見ると私が持参したものではなくて、訪問先が調達したおはぎだった。まさにバッティングである。こちらも決まり悪いが相手もギョッとしたに違いない。先ほど「つまらないものですが、おはぎをどうぞ」と差し出したとき、動揺していた理由が分かった。こちらも食べながら「おいしいですね」などとお世辞を言うが顔は見る見る引きつっていく。相手も同様だ。こういった不幸なことは名産品が限定されている地方では案外日常茶飯事のことだ

<万>

◎万とは万円のことだが、人間、大金や出費の話になると突然、円を付けないで喋るようになる。「5000万の借金」「30万の手付金」「片手は要るぞ。50万」「両手、100万のダイヤよ」などと。逆に、人様からいただいた貴重なお金を円抜きで呼ぶことは少ない。「お祝いに5万円もいただいたのよ」「おばあちゃんの買ってくれた10万円の晴れ着なのよ」などと。それと、がま口を開けるときに人間はなぜ、自分の口まで開けるのだろう。これも常々、不思議な習性だなあと思っている

<1万円札>

◎先日、宝塚市の清荒神(きよしこうじん=かまどの神様)へ行く機会があった。ピアノの発表会でベガホールに娘が出演した日だった。発表会の途中、ちょっと時間ができたので清荒神にお参りしようと思い、だらだらと坂の続く参道をあがっていった。中ほどの園芸店では祖父を思いだしながらアセビの鉢を買った。小春日和の平穏な午後だった。野鳥の鳴き声が谷間に響いていた。ところが、ある店を通りかかった時だった。店から飛び出してきたオバサンが隣の店のオジサンにこんなことを口走ったのだった。「あれーっ、あんたあ。こんな1万円札、見たことある?!」。私は何食わぬ顔をして通り過ぎたが、一瞬にして盛り上がった偽札疑惑。その後どんな結末を見たのか、知らない

<よりにもよって>

◎このあいだ耳鼻咽喉科に行って、耳の聴力検査をした。ヘッドホンを付けて右なら右の耳に音が聞こえてきたら押しボタンを押すという検査。椅子一脚だけの密閉された部屋。異常に静かだ。小窓からは検査をしてくれる美人女性の横顔が見える。私はそのまま目を開けていると集中できないので目を閉じて耳をすました。「この程度の検査で引っかかって難聴などと言われたくない」とムキになっているフシもあった。そのときだ。「イエスタデー・ワンスモア」のメロディーが左腰から……。携帯電話が鳴りだしたのだ。私は小窓を叩いて非常事態を女性に知らせた。「すみません。こんな時に鳴って……」と平謝りしながら検査を中断してもらい、あわてて携帯の電源を切った。あとで電話の主の妻に聞くと、「お昼のスパゲティにミートソースを買ってきてもらおうと思った」とのこと。この、どアホ!!

<屋上屋>

◎人間は不思議なもので、分かっていながら見てくれを整える行動に出るものだ。たとえば、今から歯医者さんに行くとなると、突然、これまでしたことがないほど入念に歯磨きをし始めたりする。いまさら熱心に歯磨きをしても歯茎の状態が急に良くなるとも思えないことを本人は十分分かっているのだが、こうせずにはいられないのだ。同じく、明日、理髪店に行くとなると急に熱心に洗髪をしたりする。どうせ理髪店でも髪を洗ってもらえると分かっているのに、汚い髪だなどと思われたくないので、突如潔癖主義に陥る。それならそれで、普段からもっと心して手入れをしていればいいものを……

<あたらめる>

◎先日、困ったことがあった。芦屋駅前のCOOPでの出来事だ。午後3時頃、私は便意を催して3階のトイレに入った。洋式と和式があったが、体重が増えた身には洋式が助かる。迷いもなく私は洋式を選んだ。ところが、である。入りかけた洋式トイレのドアの内側に誰かの忘れ物と思われる青い手提げカバンと白いポリ袋がひっかけてあった。私は一瞬、戸惑った。このまま入るべきか、和式に換えるべきか。けれど「まだ、取りに来ないだろう」。そう踏んで便座に腰掛けた。しかし、である。私がちょうど排泄し終えた折も折、ドアを容赦なく叩く輩がいた。ドン、ドン、ドン……。私は逡巡した。しかし思い当たるフシはあったので勇気を出して声をあげた。「忘れ物ですかあ? ここにありますよ。今、渡します」。私はフリチンのままドアを開けずにドアの上からカバンと袋を相手に渡した。一枚のドアを隔てて、老人と思われる男性が「ありがとう」と言った。私は胸をなで下ろした。すこし誇らしい気持ちにさえなった。そして身辺を清潔にし、おててをきれいに洗い、トイレを出た。ところが、である。トイレの外では先ほどの老人が、私から受け取ったカバンと袋の中身を必死であらためる姿が目に飛び込んできた。「何か、盗まれたものはありはしないか」……。私は自分の善意に満ちた親切心が無残に裏切られた気がして、大きな吐息を漏らさざるをえなかった。そして何食わぬ顔をして老人の横を通り過ぎたのであった。そそくさと

<中途半端なブーム>

◎ヨーヨー、ビリヤード、ボウリングは中途半端なブームを繰り返す。すっかり忘れた頃、「今、これがブーム」と言われ、そろそろ熱心にやろうかなと思う頃には衰退している。それでいて廃れてなくなることもなく、「静かなブーム」という、ありそうでなさそうな状態をキープしている。存在自体が場末である

<近すぎ>

◎大阪市北区堂島には日本最大の売り場面積を誇る本屋、ジュンク堂がある。ジュンク堂が入っているビルはどういうわけか通りに大々的な看板を出していないので、ジュンク堂を目指して歩いてきた人が道に迷い、通行人に場所を尋ねるといったことが多い。先日、ご多分に漏れず、出勤途中の私も尋ねられた。しかもまずいことにジュンク堂のまん前であった。質問者は20代の青年と思われた。「あのう、恐れ入りますが、この辺にジュンク堂があると聞いてきたんですが……」。「ジュンク堂? ここです」。無情にも私は言下に答え、目の前のビルを指さしてしまった。青年はきょとんとして実に気まずそうだった。「あの通りを右に曲がって二つ目の信号を左に折れて三軒目」とか答えてもらうと、聞いたほうも恥ずかしくなかったんだろうが答えが簡潔すぎた。見るに見かねて私は「よく、聞かれるんですよねえ。けっこう分かりにくいところにありますよねえ」と心にもない助け舟を出してしまった

<オンチ>

◎どこの世界にもオンチというのはいるものだ。うちの息子が小さいとき(3歳)、ナゴヤ球場へ中日−阪神戦を家族で見に行ったことがあった。息子はまだ野球が分からなかった。外野から中日の守りを観戦しながら私に尋ねた。「お父さん、あの人たち、野球が好きなんだね」。私は頷くしかなかった。それはまだいい。先日、日刊スポーツのホームページを私が見ていると、「イチロー、4の2」という見出しがあった。中1の娘が「4の2ってどういうこと?」と私に聞くので答えようとすると、妻が先に答えた。「4年2組ってことじゃないの?」

<パース>

◎自慢じゃないが(自慢に違いないが)、先日、ふとしたきっかけで西オーストラリアのパースに家族旅行に行く機会があった。コフヌ・コアラ・パークというところへゴスネルズという駅からタクシーで行くことになった。ガイドブックなどで豪州の運転手は陽気と知っていたので、子供2人に父親の英語が堪能なところをみせようと、「私は日本で一番有名な俳優だ」と運転手に英語で言ってみた。ところが運転手はラジオをかけっぱなしにしたままでクスリとも笑わなかった。私は自尊心の何たるかを遙か南半球で知ったのだった

<シアトル>

◎9月8日から12日までの5日間、夏休みをとり、米シアトルへイチローを見に行ってきた。前日になって決めた一人旅ということで、泊まるホテルや観戦チケットは現地で調達するというぶっつけ本番。「お前は何の用事でシアトルへ行くんだ?」といきなりサンフランシスコ国際空港の入国審査官ににらまれた。ひどい寝不足もありベースボールという言葉が思いつかなくて「ゲーム」と答えると、「何のゲームだ?!」と食い下がられ、あたふた。イチローだのマリナーズだの言うのに審査官はニコリともしなかった。本当に野球好きの国民か?!と思った。賭博や麻薬、テロも米国人にとっては「ゲーム」なのかもしれない。手荷物検査でもバックルやキーに機器が反応して身ぐるみ剥がされた。ズボンのポケットから小林製薬「メガネふきふき」の使いさし(ねじってもう一度使おうとしたもの)が出てきたときには係員も笑っていた。(笑うな!)
 
セーフコ・フィールドは治安の悪い地区にあった。球場行きの21番バスに乗ったはずが実は同じ番号の急行バスで、郊外までつれていかれて汗びっしょり。途中、閑静な住宅街の一軒に警察やテレビ局のカメラが集まって騒然としていた。バスの女性運転手が「誰かが撃たれたんだ」と他の乗客に言っていた。僕は仕方がないので終点まで乗り続け、折り返しセーフコに戻ってやっと観戦にこぎ着けた。
 
観戦したのは2試合だった。対戦相手はレンジャーズ。初戦はイチローが二塁打2本、2戦目は二塁打1本だった。初戦では長谷川が負け投手になった。球場内では「イチロール」という巻きずしも9ドルで食べた。初戦はダグアウトから10メートルほどしか離れていない席だった。こんなに近くにイチローがいることは日本でもなかったので不思議な気がした。写真も200枚くらい撮った。シアトルのイチロー人気はすごいものがある。ビルの壁面いっぱいにイチローの写真があったり、朝刊の自動販売機にイチローが描かれていたりした。
 
シアトル市内では「めぐり逢えたら」という映画でトム・ハンクスが食事をするシーンに使われたという公設市場の中のシーフード店やスターバックスコーヒーの第1号店にも入ってみた。(日本に帰って初めてその映画をみると、僕が座った席の4つくらい右の席にトム・ハンクスが座って撮影をしていた)。映画に使われたもう一軒のシーフード店もちょうどホテルの近くにあったので行ってみた。ブルーベリー・アイスクリームやエビシューマイのようなものを食べた。計27ドルだというので20ドル紙幣2枚を出してお釣りを待っていると、残りは全部チップだと思ったらしく店員は陽気に去っていき、それっきりに。僕は狐につままれたような顔で「呼び止めるなら今だよ」とゆっくりゆっくり店を出た。気がつけば善良な日本人を演じ、国際交流にずいぶん役立っていた。

<ダンヒル>

◎人間が安物のため、せめて身に着けるものだけは高い物を……と考えるようになってかれこれ2年になる。先日、清水の舞台から命綱付きで飛び降りる気持ちでダンヒルのビジネスバッグを買った。場所は梅田のニミウス。前日も下見に行ったため、女子店員に「あの人がまた来た」と思われそうな気がして、珍しくメガネを外して別人を装ってみた。お金を払ってメガネをかけると、ニミウスがミニウスとなっている壁の広告を発見。職業柄、「直した方がいいのでは?」と声を上げそうになった。さて問題はダンヒルのバッグ。半額セールで買ったはいいが、もともと長身痩躯の英国人仕様。少し大きすぎるし、異常に重い。会社の行き帰りを鉄アレイを持って歩き、日々、腕ぢからを鍛えているような感じとなった。傘をさすとさらに苦しみが増すことは昨日の雨で分かった。会社ではあえて好意を持っている女性の前にバッグを置いて話し込むようにしてみたが、まるで気づいてくれる様子もなく、くたびれるばかりだった。これでバッグ・財布・時計がダンヒルとなった。中身は私のままで変わらず。当然、進歩はない。





↑仙台名物「萩の月」。航空便で取り寄せた。菓匠三全の傑作



↑有馬温泉・吉高屋で買った戦後の少女像(紙粘土製)




↑NHK連続ドラマ「ちゅらさん」にちなみ、我が家で種から蒔いて育てたゴーヤー



↑京都・龍安寺の石庭=2001年10月1日撮影



↑小品盆栽の数々。イボタ、クチナシ、ハゼ、南京ハゼ、楡欅、赤芽ソロ、オロシマ笹、ブナ、カリン、マサキ、唐楓、白丁花、ヒメシャラ、百日紅など=2001年11月




前のページへ


次のページへ


トップページへ