Q2−1 平和・安全保障に関して、国連憲章と日本国憲法の関係をどう考えたらよいでしょうか。具体的には、国連憲章第43条と日本国憲法第9条の関係をどう見るべきでしょうか。

Q2−2 日本国憲法第9条のもとで、日本の市民と政府は世界平和のためにどのような貢献ができるでしょうか。


1 国連の集団安全保障について

国連憲章は、第2次世界大戦末期の1945年6月26日に、サンフランシスコに集まった「連合国」(the United Nations)50カ国の代表によって署名され、同年10月24日に5大国を含む29カ国の批准を得て発効しました。これによって国際連合が成立しました。国際連合の成立は、第1次世界大戦後に設立された世界最初の国際平和機構、国際連盟の失敗と第2次世界大戦の遂行過程と深く関わっているといえます。

 国際平和維持のための国連のアプローチは、・国際紛争の平和的解決、・軍備の規制、・集団安全保障の3つが主たるものといえますが、これらはすべて国際連盟においても構想・実施されたものでした。これらのうち最も問題になるのは、集団安全保障でしょう。

 集団安全保障とは、一定の地域のすべての国家がひとつの体制に参加し、その体制内の平和破壊者に対して体制全体が対応する(=制裁する)ことで構成国の安全、体制内の平和を維持しようとするものです。これは、敵対関係にある諸国間で軍事力バランスを維持することによって「平和」(=力の均衡状態、静止状態)を得ようとする軍事同盟体制とは異なります。集団安全保障という言葉が不正確に使われることが多いので注意を要します。

 国際連盟の集団安全保障は、平和破壊者に対して、まず第一に経済制裁を重視し、副次的に軍事制裁を考えるというものでした。違反国に対する経済制裁は国際連盟加盟国の義務でしたが、兵力による軍事制裁への参加は連盟加盟国の義務ではなく任意的なものとみなされました。1931年にドイツの国際法学者ハンス・ヴェーベルクは、軍縮が徹底して軍備を持たない国家がある場合、その国家は軍事制裁に参加する必要はないと述べています。

 第1次世界大戦後の1920年代においては、集団安全保障の構想とともに、戦争の違法化・非合法化の動きも顕著でした。1920年代アメリカで広汎な市民の運動となった「戦争非合法化運動」などもひとつの原動力となって、1928年に戦争放棄に関する条約(不戦条約)が締結されました。この流れは日本国憲法第9条第1項につながっています。また、戦争違法化は国連憲章第2条第4項で再確認されています。

 国際連盟に代わって創設された国際連合は、国際連盟の集団安全保障を受け継ぎ、それを強化しました。国際連盟の集団安全保障が「ソフト」なものだったのに対して、国際連合のそれは「ハード」なものになっています(安全保障理事会の五大国の支配、武力行使の組織化など)。

 国連憲章第7章は、国連軍──これが平和破壊者に対して軍事的措置をとります──を組織する手続を規定しています。安全保障理事会は各加盟国との間に特別協定を締結し、国連の要請に応じて加盟国が提供すべき軍事力の内容について、あらかじめ約束することになっています(国連憲章第43条、45条)。しかしながら、特別協定を結ぶ前に決定しておかねばならない国連軍の規模・組織について、大国間の合意が得られなかったため、憲章43条の特別協定の締結は不可能となりました(1948年)。これまでどの国との間にも特別協定は締結されていません。国連の集団安全保障は未完成のまま現在に至っているといえます。

 日本国憲法の安全保障構想──日本国憲法は日本の市民の安全をどのように保障しようとしているのか──に関する有力な捉え方は、日本国憲法は国連の集団安全保障によって日本の安全を保障しようとしている、というものです。けれども、国連の集団安全保障は未完成のままですから、集団安全保障の例外として想定されていた国連憲章第51条の自衛権が、例外ではなくてむしろ前面に現われてしまうという問題がありました。国連憲章51条の系としての日米安保体制が、日本国憲法─国連集団安全保障を圧倒していきます。

 1952年、独立回復後、日本がはじめて国連への加盟申請をしたとき、「日本国は、国連憲章に掲げられた義務をここに受諾し、国連の加盟国となった日から、わが国の有するあらゆる手段をもってこの義務を遵守することを約束する。」と宣言して、国連加盟国として軍事的協力、軍事的参加を必要とするような国連憲章の義務は負担しないことを明らかにしています。国連憲章第7章が予定した集団安全保障、国連軍は成立しないままに今日まできましたから、これから国連憲章第43条の特別協定締結というかたちによる日本の国連への軍事協力の可能性はあまりありません。

 冷戦期には、五大国間の合意ができなかったため、朝鮮戦争のときの変則的な「国連軍」を別にして国連軍が組織されることはありませんでしたし、ベトナム戦争など世界の主要な武力紛争に対して国連安全保障理事会が行動を起こすこともありませんでした。しかし冷戦後、事情は変化します。五大国の間で合意ができるようになり、安全保障理事会は活発に活動するようになりました。1990年から91年にかけて、イラクのクウェート侵攻に対して、安全保障理事会は一連の決議を採択し、国連加盟国に対し武力行使を許可しました。安保理決議に基づいて、米軍を中心とする多国籍軍が組織され、イラクに対して武力行使が行なわれました(湾岸戦争)。日本はこの多国籍軍に参加しませんでしたが、このタイプの国連の軍事行動に対して日本がどのような態度をとるかは、これからも問われるでしょう。その際、日本国憲法第9条に基づき、日本は国連に対して軍事的協力、軍事的参加はしないという、1950年代に日本が明言した立場は、堅持されるべきです。


2 日本の市民・政府による世界平和貢献策

 それでは、世界のどこかの地域で武力紛争、虐殺、甚だしい人権侵害などが生じて、多くの人命が失われているときに、日本の市民と政府はどのような行動をとることができるのでしょうか、どのような行動をとるべきなのでしょうか。

 日本国憲法の平和主義を変更して、自衛隊を国連の共同軍事行動に参加させるべきである、そのようなかたちで「国際貢献」すべきであるという主張が、湾岸戦争の頃からよく聞かれるようになりました。

 世界の人道的危機に対して、日本国憲法の平和主義は、日本の市民と政府がどのような態度・行動をとることを想定・期待しているのでしょうか。第9条のもとで、武力行使のような軍事的な対応はあり得ません。他方で、人道的危機を座視し傍観することが日本国憲法の趣旨だとも考えられません。憲法前文は、平和的生存権は全世界のピープルが持っていると言っていますし、自国のことのみに専念して他国を無視してはいけないとも言っています。日本の市民と政府には人道的危機に対する非暴力的な対応が期待されていると思われます。

 ここで日本の市民と政府にとって示唆に富むのが、「NGOによる予防外交」「NGOによる非暴力的介入」という手法です。1980年代から世界各地で、非武装のNGOによる紛争予防・解決が一定の成果を挙げてきました。代表的なものとして「ピース・ブリゲイド・インターナショナル」(Peace Brigades International, PBIと略称)というNGOがあります。国際平和旅団と訳されていますが、1981年にできたNGOです。

 PBIの活動はこういうものです。まず紛争地域で危険にさらされている民主主義運動、人権運動から要請を受けると、数人から数十人単位でPBIのメンバーが紛争地域へ入って行きます(彼らは派遣される前に充分な訓練を受けます。また当該国政府からヴィザを獲得する必要があります)。紛争地域では、危険にさらされている活動家に常に付き添います。PBIのメンバーのような国際的な第三者がその地域にいることによって、その地域の紛争は国際社会の関心事となり、国際社会に見られているゆえに、殺害、虐殺などは少なくなります。

 もちろん、これですべてが解決するわけではありません。この手法が有効なのは一定の範囲でしょうし、これではどうしようもない事例もあるでしょう。しかし、わたしたちは、人権、民主主義、平和の運動をしている人々が危険にさらされているのを傍観していてよい、ということにはなりません。要請があればわたしたちはそこへ行く必要があります。自衛隊が行くのではなくて、非武装の市民、NGOが行くべきなのです。

 NGOによる非暴力的介入は、1980年代以降世界の各地で実践されてきました。これらのNGOはキリスト教系のNGOが多いですが、これらの経験に基づいて、1999年の「ハーグ平和アピール」、それに2000年の「ミレニアム・フォーラム」で、「国際非暴力平和隊」の構想が打ち出されました。

 「国際非暴力平和隊」の構想は非常に注目されます。紛争が暴力化する前の段階でNGOが入って行くことによって紛争の暴力化を防ぐことに成功していますから、これをもう少し大規模にやることができるのではないかと考えられます。PBIなどのNGOが紛争地域へ派遣するのはせいぜい数十人規模ですが、これを数百人から数千人の規模でやろうとするのが「国際非暴力平和隊」の構想です。

 わたしたちはコソボの悲劇を想起します。コソボの紛争は、突然NATOのユーゴ空爆になったわけではなくて、ある意味ではミロシェビッチが登場した段階から紛争の激化・暴力化を予想しなければならなかったともいえます。コソボのアルバニア系住民は、ミロシェビッチが登場した当初から非暴力抵抗の運動を続けていました。そして国際社会にSOSを発していました。しかし国際社会は無視しました。国際社会の支援を得られなかったアルバニア系住民の非暴力抵抗の運動は焦燥感を深めて、ある時期から暴力化していきます。コソボ解放軍が出現し、暴力の連鎖の果てに、NATOのユーゴ空爆に至ったわけです。

 PBI等の非暴力的介入を実践してきたNGOは、コソボの悲劇を痛恨の念を持って見ています。どうして紛争の暴力化を防げなかったのか。NATOの武力行使を、人道的介入として正当化できるかどうかという議論は非常に空しいものです。わたしたちは何よりもまず、紛争の暴力化を防ぐよう全力を尽くすべきです。NGO関係者は、1995年までにコソボに千人規模の非暴力的介入を行なっていたら、1998年に起きた紛争の暴力化は回避できた可能性が高いと主張しています。コソボや東ティモールの悲劇を繰り返さないために主張されているのが「国際非暴力平和隊」の構想なのです。日本でも2000年12月に「国際非暴力平和隊」日本サポートグループが結成され、活動を始めています。このような活動こそ、日本国憲法が日本の市民と政府に要求するものではないでしょうか。

 「国際非暴力平和隊」に関心のある方は、次のウェブサイトをご覧ください。

http://www.nonviolentpeaceforce.org/

(君島 東彦)