憲法学のかつての通説の立場では、国民主権の議論と基本的人権の議論からして、当然、外国人には日本での参政権を認めることなど憲法上許されないし、認める法律は憲法違反である、と考えられてきました。ですから、実務上も、外国人は帰化して日本国籍を取得しない限り、外国籍のままで参政権を取得することはできなかったのです。
しかし、今、国会では、外国人に日本での参政権取得を認める法案が提出され、議論されています。この場合の外国人とは、観光など短期的にしか日本に滞在しない外国人ではなく、いわゆる永住者(特別永住者と一般永住者)です。また、この場合の参政権とは、国政選挙の場合のそれではなく、地方選挙の場合のそれを指しており、かつ、被選挙権まで含めた共産党案を別にすれば、選挙権に限定されています。
このような法案が国会で議論されるきっかけになったのは、憲法研究者の通説への批判と、最高裁判所の判決が挙げられます。
特に学説においては、定住外国人が日本人と同じように納税の義務(憲法第30条)を果たし、生活様式に違いはあっても生活実態が日本人と同じ日本であることに注目します。つまり、参政権を認めるか否かの判断基準は、国籍ではなく、日本における生活実態、定住性であると説かれたのです。
そして、憲法における「国民」の概念と「住民」の概念とは別物であると主張されるようになりました。これまでの通説は、「国民」の一部が「住民」であり、「住民」であるということは当然「国民」であると理解してきたのですが、「国民」でなくても「住民」である人々が存在しうるのであって、それが定住外国人あるいは永住者であると主張されはじめたのです。
ここから、日本国憲法が国民主権の立場にある以上、国政レベルでは参政権が認められなくても、地方レベルでは参政権(一般に選挙権)が定住外国人・永住者に認められるべきであるとか、認めても憲法違反ではないと主張され出したのです。
このような議論状況を受けて、1995年の判決において最高裁判所は、国政レベルは国民主権を根拠に永住者に参政権を認めることはできないが、地方レベルにおいては選挙権を永住者に付与する立法が制定されても憲法に違反するわけではない、という判断を下したのです。
この判決を契機に、国会でも永住者に地方参政権を付与することが議論されはじめたのです。
ところで、この動きに反対する人々は、憲法論として、日本国憲法が参政権を「国民固有の権利」(第15条)であると規定していることを根拠に反論を展開しています。しかし、これは基本的には文言説と称されてきた立場で、今日では否定されている議論であると理解して良いでしょう。
文言説というのは、憲法の規定が「国民は…」の場合には日本国籍を有する日本人だけがその人権を保障され、「何人も…」の場合には外国人も含めてその人権が保障されるという立場です。ところが、日本国籍を有する人々しか保障の適用がない「国籍離脱の自由」の規定(憲法第22条)は、「何人も…」という規定なのです。また、そのいずれも明記していない規定(例えば憲法第19条)もあるのです。ですから、この立場は妥当ではないとして、完全に否定されています。
もっとも、基本的人権が外国人にも適用されるか否かについて、多数説は、人権の性質に応じて判断すべきであり、政治的自由や参政権はここから判断して当然外国人には適用されないと理解してきましたが、前述のように、住民概念を国民概念と本質的に区別する議論を通じて、多数説は批判されているのです。
したがって、今日では、地方の参政権について、外国人を全面的に排除する憲法上の根拠はないと言わざるを得ません。ですから、近年では、少なくとも、定住外国人ないし永住者の地方参政権(選挙権)について、これを全面的に否定する立場は少数になりつつあるのです。
(上脇博之)
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永住者に地方政治の選挙権が付与されることは、憲法上問題はないし、むしろ積極的に肯定されるべきです。
ただ、私見では、永住者に限定せず、定住外国人が対象にされるべきだし、地方政治の選挙だけではなく国政選挙においても、また、選挙権だけではなく被選挙権も含めて保障されるべきです。そしてその場合、定住外国人に強制的に付与するのではなく、国籍国での参政権行使を続けるのか、定住先である日本での参政権行使を取得するのかを、選択する機会を憲法が保障していると解釈しています(上脇博之『政党助成法の憲法問題』日本評論社・1999年、183−197頁)。それは次のような理由からです。
国民主権を根拠に定住外国人の国政レベルの参政権を否定する立場が今日でも多数説のようです。しかし、この立場に対しては原理的に批判が加えられています。すなわち、そもそも国民主権とは、君主主権を否定して誕生したものであるから、「かつて君主の統治下にあった、君主等の特権階級以外の人々」が国民主権の下では逆に主権者になったと反論するのです。
ここから、憲法は国籍ではなく、生活実態、定住性を根拠に定住外国人の国政を含めた参政権付与を許容しているだけではなく、要請していると主張する立場が説かれています。
私も基本的にはこの立場が妥当であると解釈しています。ただ、参政権の基準が国籍ではなく定住性であると主張する点については、疑問があります。というのは、このような理屈ですと、外国に住んでいる日本人(在外邦人)の参政権行使が十分説明できなくなるからです。
私見では、参政権を認める判断基準となるのは、国籍と定住性の二つであると考えています。この二つが一致せず違う場合には、そのいずれかで参政権を行使するのか、選択させなければならないと解釈しています。
つまり、日本国籍を有し日本に住んでいる多くの人々は、国籍も定住性も日本ですから選択の余地はないのですが、定住外国人は国籍が外国で、定住先が日本であり、また、在外邦人は国籍が日本で、定住先が外国なので、いずれで参政権を行使するかを選択できる権利があるのです。この選択権は、人権であり、憲法が保障する政治的自己決定権(憲法第13条)であると解釈できますから、この人権を保障しなければ憲法違反であると考えるべきです。
一国内の一人一票原則は全世界において妥当すべきですから、国籍国でも定住国でも参政権の取得、行使を認めることは、その原則に抵触するので、憲法上問題があるであろう。ですから、日本国も二重国籍あるいは多重国籍にして問題を解消しようとする立場がありますが、問題は残ると考えるべきです。
一人一票の原則を全世界的に適用すれば、定住外国人への参政権の付与が国家主権(国家の独立性)を侵害するとの批判にも反論できることになります。
選択が認められるべきなのは、選挙権だけではなく被選挙権も含めて解釈すべきです。というのは、両者はコインの裏表であり、セットで考えるべきであるからです。選挙権だけを認めて、被選挙権を認めないというのは理論的に許されないと考えるべきです。
もし国会において、永住者の地方選挙権の取得の機会が保障されることになっても、それはまだ過渡的な段階にあり、十分ではないと考えるべきです。参政権保障の対象を、地方レベルだけではなく国政レベルにまで、選挙権だけではなく被選挙権にまで、そして永住者だけではなく定住外国人にまで、それぞれ拡大すべきであると考えます。
なお、外国人の定住性の期間をどれくらいにするか(滞在期間を3年にするのか、5年にするのかなど)については、その答えが憲法から直接導き出されるわけではありませんので、国会の判断に委ねられることになります。しかし、日本国の植民地政策の歴史から考えても、永住者を除外するという判断は許されないでしょう。
また、国の法律ではなく、地方自治体の条例によって、当該自治体の選挙につき、定住外国人に参政権の取得の機会を保障することは、大きな議論を呼ぶでしょうが、憲法上許されると解釈すべきではないでしょうか。
(上脇博之)