「男女平等」のかわりに「男女共同参画」の語が用いられるようになったのは比較的近年で、法令としては総理府本府組織令(94年)がはじめてです。平等という普通の言葉を避けたのは、おもに保守層の警戒心を解くためだったといわれます。憲法14条・24条が保障する理念さえ堂々と使えない状況自体、今日なお「男女平等」を正面から主張することの大切さを証明しています。
しかし男女共同参画社会基本法(99年公布・施行。以下、基本法とする)が整備されるに伴い、男女共同参画という語も少しずつ定着してきました。また基本法や自治体の条例制定過程で、男女共同参画という理念がさまざまな積極的意味をもつ概念であることが了解されました。ですから男女共同参画は平等理念と矛盾せず、むしろ男女平等を高い水準に発展させる理念であると受け止めることも可能でしょう。
基本法の意義を、二つ書き出してみます。
@まず社会的慣行が差別を生むこと、その克服を課題として掲げたことです。たとえば「女の子は赤いランドセル」という決めつけは、持ち物の色を自由に選ぶ自己決定権を、また「お茶は女性社員の仕事」という決めつけ=固定的性別役割分担(遡れば「女性は優しいから接客に向いている」という特性論)は、女性労働者の尊厳と勤労の権利を侵害します。そのほか家庭内におけるアンペイド・ワーク、学校の出席簿、農村の慣習なども、国会で慣行の問題として議論されました。
A差別是正のために積極的差別是正措置(ポジティヴ・アクションやアファーマティヴ・アクションともよばれる)をとることを認めた点が、基本法第二の意義です。これは社会的弱者の地位を引き上げるためにとられる優遇措置のことで、たとえばアメリカ合州国で人種差別是正のため、大学入学者にマイノリティ枠を設ける例がこれに該当します。
このような措置を日本で導入することは逆差別にあたるのではないか、疑問視する声も憲法学者の間にあります。基本法はその問題に対して、一つの回答をしたわけです。
しかし基本法にはまだ問題点もあると思います。憲法との関係で3点あげてみます。
@まず制定目的に人権保障・法の下の平等と並び「少子高齢化」「社会経済上の要請」を列記した点です(前文、1条)。両者は常に両立するものではありません。かりに矛盾対立したとき、基本法は平等・人権の味方になってくれるのでしょうか。
たとえば新自由主義的意味での「社会経済上の要請」からすれば、雇用を不安定化して、労働者になるべく低賃金で働いてもらうことが望ましいかもしれません。しかしそれでは労働者の生活水準は低下し(生存権の侵害)、今でさえ1対2といわれる男女間の賃金格差がさらに拡大する(平等原則の侵害)おそれがあります。ですから場合によっては「社会経済上の要請」に反してでも、人権や平等を優先するべきです。
あるいは少子化対策として「産めよ増やせよ」と国家が国民に求めることも、自己決定権の保障という観点から支持できません。角田由紀子さんという法律家は次のように語っています。
「それと、有事法制化の話と結びついていると思ったの。いくら法律つくっても兵士がいないと始まらないじゃない。有事立法の問題と、小泉首相が少子化対策にハッパをかけるのと連動している。かつての産めよ増やせよの時代と、発想としては同じだと思うのよ」(「法律に対して女性運動ができること(インタビュー記事)」インパクション131号)。
A次に気になるのは、労働現場の性差別撤廃にやや消極的である点です。基本法第10条は「国民は、職域、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において…男女共同参画社会の形成に寄与するように努めなければならない」としました。企業の責任が国民一般の責任と同列におかれ、問題が曖昧になったことは否めないでしょう(この点では企業に対する義務づけを工夫した各地の条例が参考になります)。
「間接差別」を定義し明示的に禁ずることなしに、労働現場の性差別が是正されないことは、判例をみても明らかです。諸外国の男女平等法の中にはこの困難な作業に取り組んだ例も多いのですが、日本の基本法はこれを将来の宿題としました。
GHQ職員として憲法制定に携わったベアテ・シロタのことが想起されます。彼女は憲法に女性保護条項を数多く盛り込むべく腐心しましたが、「憲法は基本原則だけを定める。詳細は後の法律に委ねる」という(憲法論としてはまっとうな)上司の意見に従わざるをえませんでした。しかし60年経ち、今も「男女平等」の公言がはばかられるのが日本社会なのです。シロタと上司、いずれの認識が正しかったのでしょう。基本法の寡黙さは憲法の寡黙さと通じるのではないか、というのは杞憂でしょうか。
B基本法―正確には条例ですが―に対する疑問をもう一つ指摘します。男女共同参画の理念は、表現規制を正当化するかということです。
埼玉県基本条例(98年施行)は、何人も「性別による固定的な役割分担及び女性に対する暴力等を助長し、及び連想させる表現並びに過度の性的な表現を行わないように努めなければならない」と定めました。社会的性差(ジェンダー)に敏感な立場の条項だと思いますが、表現の自由との関係で行きすぎはなかったでしょうか。
この規定はたしかに「努めなければならない」という努力義務の形をとっており、違反者に罰則が科されるわけではありません。しかし「男女共同参画社会とは、個人の精神にまで国家が干渉する社会だ」というバックラッシュの批判があることも軽視できません。
ベアテ・シロタ『1945年のクリスマス』
辻村みよ子『女性と人権―歴史と理論から学ぶ』
伊藤公雄『「男女共同参画」が問いかけるもの』
「『下関市男女共同参画基本計画』(仮称)策定に関する基本的な考え方」(http://mirai.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/Contents/7D3132FAB6/tousin.pdf)
永山茂樹