日本国憲法の改正については、憲法が定める改正手続きに基づけば、どのような改正も許され、改正には何ら制約・限界はないという立場と、憲法改正には本質的に限界があり、改正できない条項・事項があり、法理上、憲法の同一性・継続性を損なうような憲法秩序の本質的な部分の変更は許されず、改正には制約・限界があるという立場とが存在します。後者の立場が通説であり、この立場が妥当です。
では、憲法改正の限界とはどのようなものなのでしょうか。まず、憲法の実体的内容の点で言えば、日本国憲法の基本原理と言われるものについては、改正手続きを経ても改正することは許されないと解されています。この基本原理については、一般に、国民主権主義、恒久(非軍事)平和主義、基本的人権尊重主義であると考えられていますが、その他に、議会制民主主義や地方自治などを挙げる立場もあります。
ここでは、とりあえず、前三者に限定して説明してみましょう。
まず、基本的人権については、それを規定している条文を一切改正できないと解されているわけではありません。しかし、「基本的人権尊重主義」の根幹を覆す、骨抜きにするような改正は許されません。
ただ、これまで規定されていた条文を削除する場合には、慎重でなければなりません。なぜなら、憲法の人権保障は一つの条文だけで成り立っているわけではなく、その他の条文との関係で成り立っているからです。また、その中でも特に重要となる人権規定もあることを忘れてはなりません。例えば、思想・良心(信条)の自由(憲法第19条)の保障は内在的制約にも服さないと解釈されていますから、この条項を削除することは基本的人権尊重主義を骨抜きにすることにつながりかねないでしょう。
次は、国民主権主義ですが、国民が自己否定を行うような改正、つまり天皇主権への改正は許されません。これについては、そんなバカな判断を国民がするはずがないといわれそうですので、これ以上説明しません。他方、天皇制については、改正して廃止することも許されます。
特に問題となるのは、恒久(非軍事)平和主義の改正です。これについては、現在の非軍事平和主義を軍備を保持する平和主義に改正することができるのかということが問題になります。多数説は、侵略戦争を放棄するした憲法第9条第1項を残した上で軍隊をもつような改正も理論的には可能であると考えているようです(私見は後述)。もっともそのように主張する憲法研究者がそのような憲法改正案に賛成しているわけではありません。むしろ、そのような改正案には反対しているのが多数でしょう。
以上は実体的内容の点での限界の問題でしたが、次は、手続き的内容の点での改正限界の問題です。これにつき多数説は、改正手続きを著しく容易にすることは許されないと解釈しています。
なぜなら、改正が行なわれ易いように憲法改正手続きを改正してしまえば、容易になった改正手続きを通じて、本来改正されてはならない実体的内容までも容易に改正されてしまうことになると考えるからです。ですから、実体的内容について限界があるとする多数説は、改正手続きの内容についても限界があると解する傾向にあります。(上脇博之)
私は、実体的内容の点での憲法改正限界の問題につき、多数説の立場とは異なる立場に賛成しています。すなわち、理論的にも軍隊を持つような憲法改正は許されないと解する立場が妥当であると考えます。
日本国憲法第9条第1項で、侵略戦争だけでなく自衛戦争まで放棄していると解する立場からは、軍隊をもつような改正もできないと主張されています。私は、この立場に立てば勿論のこと、たとえ憲法第9条第2項で自衛戦争を放棄しているという立場に立ったとしても、軍備を保持する改正は許されないと解釈するべきであると考えます。というのは、そもそも日本国憲法の独自性のひとつは、一切の戦力・軍備を保持できないところにあります。軍備を保持できるように改めることは、日本国憲法のアイデンティティー、同一性が損なわれることになります。
また、憲法第9条第2項だけを改めて軍備の保持を憲法上認めることになると、実は、基本的人権にも影響が出てきます。日本国憲法の下では、徴兵制は憲法違反であり、その法的根拠の一つに憲法第9条があります。これが改正されてしまうと徴兵制が憲法違反という論拠の一つがなくなってしまうからです。
その上、日本国憲法の平和的生存権については、国家が戦争をする手段を保持していないことで、言い換えれば憲法第9条があることで、初めて平和的生存権が保障されると解する立場があり、私もこの立場が妥当であると解しています。この立場に従えば、国家に戦争する手段を与えることは、平和的生存権が否定されることを意味しています。あるいは、平和的生存権の意味が全く別のものに変わってしまいます。このように考えると、政府に軍備の保持を認めてしまえば、日本国憲法が予定する国家とは異なる国家ができてしまうので、人権の規定にも影響を及ぼし、日本国憲法の同一性を損なうことになるでしょう。ですから、私は憲法改手続きを経て軍備の保持を認めるような改正は、憲法改正の限界に抵触し許されないと解釈しています。
また、憲法改正手続きの改正の限界において具体的に問題となるのは、国民投票による憲法改正の途を否定する改正、あるいは、国民投票によらなくても憲法改正ができるようにする改正です。
例えば読売新聞の憲法改正試案によると、次のような内容になっています。
「1 この憲法の改正は、改正案につき、各議院の在籍議員の3分の2以上の出席により、出席議員の過半数の賛成で議決し、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならな
い。2 前項の規定にかかわらず、この憲法の改正は、改正案につき、各議院の在籍議員の3分の2以上の出席で、出席議員の3分の2以上の賛成で可決することにより成立する。
3 第1項の承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、有効投票の過半数の賛成を必要とする。
4 第1項又は第2項の憲法改正案は、国会議員又は内閣が提出することができる。…」
この試案によると、憲法改正には(@)「各議院の在籍議員の3分の2以上の出席により、出席議員の過半数」の賛成で発議し、国民投票による国民の承認を経る方法と、(A)「各議院の在籍議員の3分の2以上の出席で、出席議員の3分の2以上の賛成で可決することにより成立」する方法(国民投票を必要としない方法)とがあることになります。
前者(@)の場合には、議員に欠員がないときでも総議員の3分の1の議員だけで「発議」が可能になります。後者(A)の場合には、議員に欠員がないときでも9分の4の議員だけで(すなわち、総議員の過半数の賛成がなくても)「改正」それ自体が可能になります。
このように憲法改正規定をあまりにも軟化させることは、憲法上許されません。そして特に、主権者である国民の意思を経ずして憲法改正を可能にすることは、国民主権主義の立場から許されないと解すべきです。
もし全面的な改正、憲法の本質的な部分の改正が行われれば、その改正は理論的には無効と解すべきです。そして、これについて裁判所は立憲主義のために司法判断することができると考えるべきです(憲法第81条)。
(上脇博之)