日本の政治や政党に大きな不信を抱いている国民は多いことでしょう。そこで政党を規律する政党法に頼ろうとする人もいるかもしれませんが、それは「結社の自由」の保障の点からも議会制民主主義の活性化の点からも問題が多すぎます(Q9)。
しかし、これは日本の政治や政党・議員などに国民が無関心であればいいとか、それらの自由にさせておけばいいのであって国民は政治や政党等を監視する必要がない、と言っているわけではありません。
そもそも近代以降の憲法は、国家権力などの公的権力の行使に枠をはめて、国家機関が勝手なことをしないように歯止めをかけています。単に国家の基本的なあり方を規定しているだけではありません。国民主権と基本的人権を保障すると同時に権力分立制などを採用することで、国家権力が暴走することに歯止めをかけています。
その一環として、日本国憲法は、天皇をはじめとする公務員に対して、憲法を尊重し擁護する義務があると明記しているのです(第99条)。公務員には官僚だけではなく、国会議員や地方議員なども含まれます(1のQ4)。
国の最高法規である憲法(第98条第1項)が最高法規たりうるのは、基本的人権という「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」、「侵すことのできない永久の権利」が規定されているからです(第97条)。公務員が憲法を尊重しなければ、そんな重要な基本的人権がいとも簡単に公的権力によって侵害されるからです。
もっとも、公務員に憲法を尊重し擁護しなさいと憲法が明記していても、政治家や官僚が実際に憲法を遵守しているとは限りません。
そこで、国民は政治や行政が憲法を遵守しているかどうかを常日頃から監視しなければならないのです。憲法も、基本的人権は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と明記して(第12条)、国民に注意を促しています。
政治や行政を国民が監視するということは、政治家で構成される政党、特に議会内政党、なかでも与党が憲法を守っているかどうかを常に監視することにつながります。「憲法は守らなければならないし、守っている」と言いながら、実際にはその憲法解釈が憲法の許容しない内容である場合が多々あります。自衛隊や日米安保条約を合憲とする「解釈改憲」がなされてきたのは、その典型です。
とりわけ与党が今の日本国憲法を敵視して改悪しようとしている政党であるならば、尚更です。
もちろん、憲法をより良く改正したいという場合はあるでしょうが、しばしば、「より良く改正する」といいながら、実質的には悪く変えてしまうものです。
国民は政治や政党に対して常に監視し、これを怠ってはいけません。そうしなければ、国民の基本的人権の保障、平和の確保は、後退することになるでしょう。
そのための行動は幾つか考えられます。例えば、国会や地方議会の本会議や委員会を傍聴したり、市民運動を通じて政治や行政に影響を与えることも大切です。もちろん、市民運動がこれまで政治について無関心であった人に情報を提供し、注意を喚起することにも寄与する場合もあります。
国民主権、議会制民主主義の下では、最終的には、選挙によって、悪政を正すことができるのです。ですから、選挙で信頼のおけない政治家を落選させたり、少しでも信頼のおける政党の勢力を増やすよう選挙運動したり、投票したりすることが考えられます。国民が選挙に行かなければ、今の憲法に敵対的な政党は喜んでいることでしょう。
傍観しているだけでは、政治は変わりません。しっかり監視して、主権者である国民のための真の政治・行政を実現しなければ国民主権は「紙に画いた餅」に終わってしまいます。
(上脇博之)