政治家、政党などの政治資金には、自ら捻出する資金と、他人から調達する資金とがあります。前者の例としては、政党の党費や出版物からの収入などがあります。
後者の他人からの調達資金の例としては、国民からの寄付、企業・団体からの献金、国民の税金を財源にした政党助成が挙げられます。これらをすべて「問題なし」として認めていて良いのでしょうか。
これの資金のうち、特に政治的にも法的にも問題になるのが、企業・団体献金と政党助成です。
まず、企業・団体献金については、現在、政治家に対するものも、政治家の資金管理団体に対するものも、法律では禁止されています。
前者は1994年の「政治改革」のときに実現し、後者は法律の付則の規定に基づいて、しかし自民党などの抵抗の中、ようやく2000年から禁止されることになりました(1月から禁止されましたが、罰則は4月から適用となりました)。
しかし、政党への企業・団体献金は、「政治改革」によって政党助成が導入されたにもかかわらず、いまだに禁止されていません。政党へのそれが禁止されていないということは、政党の支部へのそれも禁止されていることを意味しています。そのため、政治家には、政党の支部を通じて、つまり、政治家が支部長になることを通じて、企業・団体献金は行なわれているのです。ですから、政治家への企業・団体献金の禁止を貫徹するためには、企業・団体献金それ自体を禁止するしかないのです。
また、企業・団体が行なう献金は、本来、憲法上も法律上も許されないはずであり、政治腐敗の温床になってきた歴史を考えても即刻法律で禁止されるべきです(Q1)。
もう一つの問題は政党助成です。政党助成が「民主主義のコスト」を賄うという建前で政党助成法が制定されたのですが、そのの内容は建前どおりの論理になっていませんし、政党の使途も建前に合致した実態になっていません(Q4)。さらに憲法上の問題もあります。
政党も結社の一つですから、当然、結社の自由(憲法第21条)が保障されるべきです。この自由には、政党の財政的自律権(ここでは収入の自由)も含まれます。この自律権は、当然、「国家からの自由」を内容としていますから、国家が政党の財政援助することはこの点で禁止されると解釈すべきです。
これに対しては、受け取りを強制されない限り、結社の自由の保障に反することはないとの反論が予想されますが、そのように考えるべきではありません。
政党助成というのは、特定の「政党」に交付されるので、当該「政党」を国家が公認することになるし、当該「政党」の財政調達の負担を軽減することになるので、これらの点で政党助成は「政党」に対する特権を付与することになります。政党交付金の受け取りを拒否していた第二院クラブが自己の財政困窮を理由に政党交付金の受け取りを1999年から開始していることに注目する必要があります。
また、政党助成による政党の財政調達の負担軽減は、政党がそれを通じて社会から遊離して存在することを可能にしますから、この点で、政党助成は一種の麻薬としての機能を果たしている、と言えます。本来、政党は国家と国民の間にあって民意を国会に反映する側面を有しているのですが、政党助成はこのような政党の機能を衰弱させるのです。
ですから、政党助成は「結社の自由」の保障に反するものであると言えます。
その上、現行法によると、国政選挙における投票が本人の意識すると否とに関わらず、自動的に政党助成における「投票」として流用されています。これでは、どちらか一方だけを投票するという投票者の意思は尊重されないことになります。投票先とは別の政党への財政「投票」も認められていません。
これでは選挙権(憲法第15条)あるいはまた政治的自己決定権(憲法第13条)が侵害されることになるのです(上脇博之『政党助成法の憲法問題』日本評論社・1999年、98−208頁)。
ですから、政党助成法は即刻廃止すべきです。その場合には、すでに議員に対しては歳費が、院内会派に対しては立法事務費が、選挙においては選挙公営が、それぞれ「民主主義のコスト」として用意されていることを忘れてはなりません。
また、立候補において大きな財政負担となっている高額な供託金(一人600万円)を廃止すれば、小政党にとっては事実上の「政党助成」として機能することでしょう(政治改革オンブズパーソンの声明「今優先すべきは政治改革のやり直しだ!! ― 参議院議員比例代表選挙の非拘束名簿化を批判して ―」をご参照ください)。
このように考えると、政治家や政党等は、本来、自ら捻出する資金と個人からの寄付を財源に政治活動を行なうべきなのです。放漫経営を改めて財政再建を行なう必要があるのは政治家や政党であると言わざるを得ません。
(上脇博之)