今の政治は信頼できないと考える国民は多いことでしょう。その原因の最大理由の一つには、政党への不信感があることでしょう。つまり、政治不信は政党不信でもあるのです。これは確かに一般論としては妥当している認識でしょう。
しかし、この認識をさらに一歩進めて、政党に対して法的な規制を加えて、各政党に党内民主主義等を法的に要求する必要があるとして、政党法(あるいは政党基本法)を制定すべきであると主張する人たちがいます。このような主張に賛成すべきなのでしょうか。
全国の憲法研究者のほとんどは、これは結社の自由の保障(憲法第21条)の点でも、議会制民主主義の活性化の点でも、逆に作用する可能性が高いと考えています。
政党法を制定するといった場合、しばしばその代表的内容として党内民主主義が要求されることになりますが、憲法が国会に要求する民主的手続きとは異なり、党内民主主義の内容は、一義的ではありません。
例えば、党首選挙を行うことが民主的であるかといえば、必ずしもそうであると言い切れません。一見するとそのように言えるかもしれませんが、実際に党首選挙を行なっている政党の選挙実態を見ると、架空の党員をでっち上げ、金権選挙を繰り広げ、派閥抗争を行なっており、政策選挙が行われているわけではありません。ここに問題があるからといって、法律を介入させ、例えば、党首選挙における選挙違反を処罰するとなると、結社の自由は政党には保障されなくなってしまいます。
また、政党が国会で自分たちに関する法律を作るとなると、どうしても、多数派の肯定あるいは許容する内容になってしまいます。先の党内民主主義であって、党首選挙を行なう自民党の考える民主主義観からすると、共産党が考える民主集中制は問題があると結論づけられかねません。その上、旧西ドイツで行われてきたように、現体制に反対する政党が国家権力によって禁止され、解散させられ、その財産が没収されたりする危険性もあります。
ですから、政党法の制定は、政党にとっては結社の自由が保障されないことになるでしょう。
議会制民主主義の点で見ても政党法の制定には問題があります。議会内多数派が少数派を弾圧するために政党法が利用されることになれば、自由な議論・政策論争を通じて、政権交代が行なわれることを阻害することになるでしょう。そうなると、議会制民主主義は活性化するどころか、死滅してしまうことでしょう。
ですから、政党法の制定は現実の政治を考えれば理想的な政党法それ自体が非現実的であり、「百害あって一利なし」なのです。
政党に対する不満は、究極的には、国民の監視を通じて、つまり、選挙における投票行動をはじめとして政党の命運を決する場面で国民が自ら勇気ある行動を選択しなければ、決して解消されません(Q10)。安易に法律に頼ってしまえば、国民は自分の首を絞めることになりまねません。
また、政党不信の最大理由の一つには、1994年の「政治改革」が挙げられます。政治腐敗の防止という点では「政治改革」は明らかに失敗でした。小選挙区本位の選挙制度への「改革」(Q3)と政党助成の導入(Q4)によって、政党はますます国民から遊離した存在になってしまいました。
日本国憲法の立場に基づいて、小選挙区制本位の選挙制度を改め、政党助成法を廃止するなど、政治改革を抜本的にやり直さなければ、政党不信、政治不信は国民の間から無くならないでしょう(政治改革オンブズパーソンの結成趣意書をご参照ください)。
(上脇博之)