今後の日本代表
2002年ワールドカップで得られた教訓を生かして
今後の日本代表は強化されていくべきだと思います。
しかし、実際はどうでしょうか?
ここでは今後の日本代表を、W杯の教訓から考えています。

 
 ■組織的守備とは
   組織的守備と「約束事」

守備は、攻撃に比べ、「組織的」に行うことがより重要である、あるいは可能である、と一般にも考えられているように思われる。

それはまったくその通りであって、多くの監督がまず守備の構築から手をつけるのは故なきことではない。特にその必要性は強調されてよいだろう。城を限られた兵力で守る場合に、「俺はこっちの城門を守るから、後はよろしくねー」などと各々がてんでんバラバラに守りはじめたらどうなるだろう。複数の部隊が一つの城門に集中してしまったり、逆に空っぽの城門を作ってしまったりしたのでは、守り通せるはずもないではないか。

「守備は組織的に行うことが重要」というと、一般にイメージされるのは「約束事」をどのように整備するか、と言うことであろう。古くは「つるべの動き」と言われる左右で「一人が上がったら一人は下がる」という約束をはじめ、古典的3バックにおける「誰が誰をマークするか」という約束や、サイドのケアは誰がする、というような約束まで、いくつものそれを決めて守備を構成していく、それが守備の組織化だ、と考えられているだろう。

もちろんそのような部分はある。というよりも、これまでの(トルシェ以前の)日本では「守備の組織」と言えばそういう「約束事の集成」のことであると考えられていたと言っていい。しかし、トルシェ時代の3年8ヶ月で、我々はそれだけではない事を学んだのである。

   「約束事がない?」

トルシェの導入したいわゆる「フラット3」は、守備の局面に限定して考えても、3バックのラインディフェンス、中盤のプレッシングを中心に高度に組織化されたものであるということに、異論のある方は少ないであろう。しかし、トルシェの在任期間の前半を通して、トルシェに対する批判はむしろ「約束事がない」だったのである。

例えば、トルシェの3バックでは、真ん中を固める3人の両側にスペースができる。そこを突かれると危険だということは、就任当初より指摘されていた。そして、評論家からも、選手自身の口からも語られていたのが「そのスペースを誰がケアするか決められていない。約束事をはっきりしないと」ということであったのだ。当初はトルシェの能力不足を非難する目的でいわれたこの指摘は、「戦術でがんじがらめにしたトルシェ」という現在流れている風評とまったく乖離しているではないか。これはどういうことなのだろう。

私が当時、各種掲示板でトルシェ擁護のために書き込んでいたのは、「そんな事(3バックの両側の問題)はトルシェだってわかっている。しかし、『このスペースは誰がケアしろ』と決めてしまうと、それに従い過ぎる傾向があるのではないか。むしろ、誰、と決めずに、ケアできる選手、ケアするべきポジションにいるべき選手が、それぞれ臨機応変にケアするような、そういう選手の個人戦術眼の向上のために、あえて約束事を決めないのではないか」というものだった。

この考えは今も変わっていない。というよりも、ますますその正しさに自信を持ってきた、と言ってもいいだろう。「約束事」で選手をしばるのが「組織的」ということではないのだ。このW杯で海外の代表チームの試合を多く見て、私はその考えに、更なる裏づけを得た、と思っている。

   トルシェと『フラット3』

トルシェの『フラット3』の、ディフェンスラインの法則は、実にシンプルである。
「敵からボールが出そうな時には下がる、でない時には上がる」
「フリーの敵がボールを持ってDFラインの前に侵入してきたら3メートルの距離を持ってさがる」
という、二つだけだ。
そしてこれを行なわせるために、いわゆる「ボールをもってのライン上下動練習」がある。つまり、この「法則」に関しても、「約束事」というよりも「練習で体に染み込ませる」、いわゆるオートマティズムの範疇に入ることだと言うことができるだろう。

しかし、このようにシンプルなものでありながら、練習に参加した選手たちは一様に「脳みそが疲れる」と口にしていた。これはどういうことか?

約束事が少ないから、考えなくてはならないのである。

自分で状況を見て取って、自分で誰につくべきか、どのスペースをケアするべきか、どのように判断するべきか、90分間(プラスロスタイム)休まずに考え続けなくてはならないのである。約束事があれば話は簡単だ。○○のスペースは誰がケアする。○○のマークは誰、○○が抜け出しそうになったら誰がカバー、そう言うことが決められていれば、DFやディフェンシブハーフはピッチ全体を見る必要はない。そういう言わば限定された範囲の判断力、それだけが問われたのがこれまでの日本のディフェンスだったのである。しかし、トルシェが要求したことはそうではなかった。

オートマティズムで必要な動きを体に叩き込んだ後は、一人一人が自分で情報を収集し、判断する。そういう個人戦術を、各人が身につけることが、「組織的守備」を本当に機能させるためには必要なのだ、ということだ。

トルシェのDF練習で要求されたことは、その他にもある。ラインを上下動する時に半身になっていること、上下動はサイドステップで行うこと。その際に、必要なだけ首を振って、自分の後方の状況も頭にいれておくこと(トルシェはこれを「バックミラー」と呼んだ)。半身になる目的は、前後左右どちらにボールを入れられても素早く動けるようにすることである。特にフラットになり、高い位置にラインを押し上げるために、ラインの裏へ入れられるボールに敵FWよりも早く追いつかなくてはならない。そのために半身が必要になる。そして、その体勢でマークする敵選手、走り込みをしそうな敵選手を確認しておくためには、頻繁な「バックミラー」が必要不可欠なのだ。

   『フラット4』と『フラット3』の共通性

W杯で見るイングランド、スウェーデンのフラット4は、上記の、半身でサイドステップ、ボールの状態に応じてラインを押し上げること、ペナルティエリアの中に入るほどラインをきちんと維持すること、など、トルシェの「フラット3」との類似点を多く持っていた。違いは人数が3人か4人かという事と、トルシェほどには積極的に押し上げないか、というぐらいであった。これはなにを意味するのか。

「トルシェの最終ラインの考え」として、独自のものだと思われたいくつもの特徴が、実はラインディフェンスを行なう際には、当然行なわれるべき普遍的な動き、考え、個人戦術、個人技術であったのだ、ということだ。おそらくトルシェ独自のものであるのは、前述の3人で最終ラインを構成することと、押し上げを厳密にアグレッシブに行うことぐらいではないか(それさえもキエーボの試合を見た後では、まったく独自のものとは思えなくなる)。

そういう考えを持って、イングランド、スウェーデンのフラット4を見ていると分かって来るのが、半身の体制やサイドステップ、ラインの維持や「バックミラー」を、むしろトルシェ日本よりも厳密に行っているということだ。また、その他にトルシェ日本との違いがもう一つ見えてくる。それは、全員の「ピッチ全体を見回し、自分で危険を判断する個人DF戦術」が、トルシェ日本の選手たちのそれよりもずいぶんと高いところにある、ということである。

例えばラインが高く維持されている時に、ラインの裏へボールが出され、2列目からの実にうまいスルスルーッとした抜け出しがあったとする。日本では「フラット3の弱点」(ラインを高くする以上は常にある危険なのだが)と喧伝されるような状況だが、これらのチームでは、素晴らしいタイミングで一人の選手が半身の体勢からそのパスの到達点へ先回りしてしまうのだ。このような「ピッチ全体を見回し、自分で危険を判断する個人DF戦術」において、日本はまだまだ劣っていると言わなくてはならない(余談だが、日本人DFが海外で通用するか、という時にもっとも大きく問題になるのは「あたりの強さ」ではなく、この個人戦術のレベルであろうと私は思う。この点において優れたDFである宮本にオファーが来たのは、私にはきわめて合点がいくことである)

トルシェは、そういう国へ着任し、しかしその国のディフェンダーの個人戦術のレベルにあった約束事の多用をついぞしなかった。代わりにしたことは、欧州のラインディフェンスのエッセンスを導入し、それを体に染み込ませ、そういうレベルの高い個人戦術に適応できるDFを探し出し、起用することであった。そして、彼らに常に考え続けることを要求し、そういう癖をつけるための練習(攻撃側7対守備側3の練習など)を頻繁な合宿のなかで行っていったのだ。トルシェの起用した、若く、柔軟性のあるDFたちは、そういうトルシェの要求に懸命に答えようとした。

  「ラインディフェンスを行う上で当然のこと」「プレッシングを行う上で当然のこと」

もう一度言うが、トルシェの持ち込もうとした「組織的守備」は、約束事の集成というよりも、欧州で一般的なラインディフェンスの概念を持ち込みつつ、そこでの動き方、各人の個人戦術でのカバーリングなどを、練習を通じて高め、体に染み込ませていったものである。それはけして「がちがちに縛る」ものではなかったということを、確認しておきたい。

また、それは中盤でのディフェンスのやり方も同様である。いわゆるプレッシングだが、これもトルシェは約束事をがちがちにしたわけではない。サンドニ後なども、「どの辺からプレスをかけ始めるか、自分たちで決めた」という選手の談話が紹介されているくらいである。言葉で「どのようにしろ」という代わりに、中盤でのプレスもまた、「コーチがボールを手に持ってのプレッシング練習」などで、動き方を体にしみつけていくようにしていたのだ。中盤の選手においても、スペースのケア、アプローチの仕方、タイミング、パスコースの消し方、そのタイミングなど、ディフェンダーと同じような「レベルの高い個人DF戦術」を欧州の選手はもっているのだが、それを日本の選手にも植え付けていくようにしたのである。

この点においても、トルシェの中盤での「レベルの高い個人戦術」の要求は、欧州ではごく一般的なものということが出来ると思う。取り立てて特別なものではないのである。中盤でのディフェンスのやり方、動きながらのコミュニケーションをとったパス回しの仕方において、トルシェ日本のいわば優等生だった小野と稲本が欧州へ旅だち、そこで通用しているのは偶然ではない(誤解のないように申し上げておくが、彼らの能力をトルシェが「育てた」と私は主張しているのではない。彼らはトルシェの要求によく応えたと言っているに過ぎない)。

守備は組織化されなくてはならないことは自明である。そしてトルシェ日本の守備はよく組織化されたものだった(またはそれを目指していた)。しかし、それは「トルシェ日本でしか通用しない約束事」でがちがちに縛ったものではないのだ。むしろ欧州で普遍的な(もちろん各チームで細かくやり方が違うことは当然だが)ラインディフェンス、プレッシングを行う際に、誰にでも必要なことを伝授、練習を通じて高めていったものであると考えるべきだろう。

それでもまだまだ、日本人選手の「個人DF戦術」は欧州一般で要求されるレベルにまで達していないと私は思う。だからと言って単純に約束事をがちがちに(笑)整備してしまっては、(目先の試合での結果は出ても)一人一人の「レベルの高い個人戦術」が身についていかない。練習を通じてそれを選手の体に染み着かせていける指導者、コーチに、日本代表は率いられる必要が、これからもあるだろうと思うのである。

ワールドカップ総括トップへ