寝取りゲーとか

 いつもながら中途半端な知識を恥もせずひけらかし全開で書いていますので、以下をお読みになって明らかに間違いがある箇所を発見された方は指摘してくださると有難いです

 『泣きゲー考察』の取材目的として対照的な実用エロゲをプレイしてみました。モノは究極のペドゲーと社会問題にもなった(爆)『はじめてのおるすばん』と寝取られマニアから大好評の『罪悪感』です。
 個人的な触感としては『はじるす』は劣情的に全くダメでした。さすがにあそこまでつるぺただとなぁ……。でも会話の流れとかは面白かったです。なにがなんでもHに持っていく展開は、コメディとして秀逸です。
 次に『罪悪感』。こっちは実用性としてはスコープが広く、なかなか市場をリサーチした力作と言えましょう。シチュも花嫁人妻幼なじみの巫女メイド・美人OL・女性捜査官と豊富な上に、過程もレイプ・調教・和姦・(本来相手と結ばれるための)助力と様々で、しかも深いところまで描いています。今まで“広く浅く”か“狭く深く”しか無かったエロゲ作品ですが、この『罪悪感』は“広く深く”を実現できた希有な例はないでしょうか(ちなみに『はじるす』は“狭く深く”)。
 さてもはやエロゲ愛好者の一ジャンルとして認知されている(らしい)寝取られ属性とは、つまり自分の恋人が他人に寝取られてしまうを興奮することです。『罪悪感』も“寝取りゲー”として発売されてはいるのですが、その方面の好事家よりも“寝取られ”の方々に好評という妙な結果となっているようです。というのもこの作品、<視点切替>なるシステムで同じシーンでも「大切なひとをパートナーの眼前で犯す男(主人公)」・「自分の愛するひとが目の前で犯されているのに何も出来ない男(サブキャラ)」・「大事な人が見ているのに犯されて感じてしまう女(ヒロイン)」の3つから選択できるようになっていて、寝取られマニアが望んだ立場(サブキャラ)でプレイ可能なのです。これだけ書くと異常性欲者みたいに思えますが、精神分析学の理論で当てはめればそう異質なわけでもないようです。

 恋愛感情とはいかなる手順によりなされるのでしょうか? 精神分析学では親への性愛が移り変わった、としています。“性愛”なんて書くと腰が引ける人も多いと思いますが、深層心理学用語での性愛とは性行為に直接関係するものだけを意味するのではなく、性差から派生する様々な情動を指し示すことが多いのです。つまり異性への関心そのものが性愛と定義されているのです。
 恋愛感情は思春期に突然起こるものではなく、自我意識のはっきり知覚されていないほど幼児期に既に萌芽があると精神分析学ではしています。最初は母親への独占欲からはじまり、次に父親への同一視願望へ移行します。ここで女性であれば、自分と同じ器官を持つ母親と同一の存在となって父親を奪う妄想が無意識のうちに行われます。この父親への性愛は抑圧されそのうち他の男性へと転移され恋愛感情となりますが、抑圧は男性のそれと比較して構造的に緩いためそれほど厳しく自制されません。女性が男性と比べて不倫に走りやすいことや年上の男性に好意を持ちやすいことはその表れなのかもしれません。さて対して男性は、母親に独占欲求を感じますがそれをすると自分の性器を切り取られるとの強烈な不安を感じます。それは“母親を独占する”=“母親を同一視する”であり、“母親を同一視”=“男性器の消失”を意味するからです。つまり母親を手に入れると自分は全てを失ってしまう……all or nothingとも言える最大のハイリスクです。しかも母親は元々父親の所有物であるため、リターンはまず望めません。この去勢は父親によって為されると認識され、母親に欲情することは無意識的に禁止されます。男性が(母親を直接連想しない)年下の女性を好む傾向が強いことやナンパしている若者が女性に男性の連れが居ると知った時点で興味が無くなるのはこの規制が生きているからかもしれません。
 さて以上のように人間には無意識では決まった相手の居る異性を奪いたいという欲求がありますが、それは第一級の強烈な禁止が働いていて普通は発露されません。せいぜい自我が認識しないところで異性の親(女性ならば父親)に似ている相手に惹かれる、くらいなものでしょう。

 PCゲーム『罪悪感』の主人公は、過去に自分の恋した女性が他の男性と結婚したことにより、他人の妻(恋人)を寝取ることでしか興奮を得られない性癖になっているとの設定です(とはいえ自分を一途に想ってくれる女性と結ばれるハッピーEDもあるので完全な性嗜好異常ではありませんが)。精神分析学の発達理論を流用すればこれとて人外の性癖ではないことになります。ただ正常な超自我が働いていれば当然規制されるべき禁忌が、トラウマによって破られていると解釈しても良いのかもしれません。この性癖は俗な言い方で“寝取り属性”と呼ばれています。
 対して“寝取られ属性”の解釈は、自分の恋人=母親を父親に献上することによって超自我への奉仕と性愛リビドの発散がなされているのかもしれません。ただしこれはマゾヒストというよりは同性愛に近いと私は感じられます。というのも寝取られハァハァで主なテーマは変形した父親への同一視願望だからです(もっと詳しく言えば、恋人=母親の代用であり主人公=父親の代用なので、恋人が主人公と性交するのは母親と父親の性交の原光景とも解釈され得る。これにマゾヒズムや同一視などの要素が複雑に絡んでいるのではあろうが)。もちろんこれ以外にも、超自我への服従が直接快楽に結びついているとの解釈や単純なマゾヒストの変形であるとの解釈も可能ですし、女性が貶められる姿(サディズム)と父親への服従(マゾヒズム)の交点であった故に興奮している場合もあり得るでしょう。

 で、本題ですが、フロイトの『トーテムとタブー』やユングの元型論に展開されているように男子は基本的に父親像を殺して母親像を手に入れるヒロイックファンタジー的な幻想(ある意味寝取り)を持つとされています。その代わりに永遠の呵責(精神分析的には超自我)を負わされるわけです。この図式は人間が現在の精神構造を維持している限り変更はないでしょうが、社会環境によって多少のスライドはあり得ます。とある部族で実際に行われていた“長による初夜独占権(結婚前夜に花嫁は必ず部族長と寝室を共にする)”が一例で、このイニシエーションには様々な意味がありますが父親が性的な独占権を持っていることを示す象徴的な仕来りでしょう。現代日本ではこのような慣習はありませんが、本来タブーのはずの“寝取り”“寝取られ”がエロゲ界でも台頭してきたのは社会環境の変遷を表す一端なのかもしれません。父権の喪失が危惧されて久しい日本の家庭で、父の心象を巡ってそれを気にしなくなったり(規制の軟化=良心の鈍磨)逆に渇望したり(無意識内での受け身的な父権の復興=寝取られ属性)と従来の基準から離れた行動化が目立つのも考慮すべきです。

 とにかく『罪悪感』は自分発見テスト(笑)としても優秀な作品です。様々なシチュエーションが体験できますので、自分の意識してもいなかった状況で興奮冷めやらぬところがあったらそれが隠された性癖なのかもしれません。
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