稲毛記念館     千葉市


  • 鵜来型海防艦「志賀](操艦関係の部品)

 


往時の艦橋内

船団護衛艦で、駆逐艦より安価に短時間で建造されたのが海防艦である。この「志賀」を含む鵜来(うくる)型の海防艦は4カ月で急造したという。燃料の乏しくなった頃でも敗戦までよく活躍したが、ほとんど米潜水艦に沈められたそうだ。
海防艦は、駆逐艦のように敵艦に高速で肉薄して魚雷攻撃をかけるといった華々しい軍艦ではないが、補給路を敵潜水艦から守り商船を保護する重要な任務にあたった。速力が遅いのは、高速を出して商船を置きざりにするわけにはいかないからである。

「志賀」は昭和20年3月佐世保海軍工廠で進水、呉防備戦隊に編入され、先ず佐伯の対潜訓練隊に入った。
訓練期間中の4月6日、「大和」沖縄出撃時、豊後水道南部で敵潜水艦を捕捉、爆雷投射でこれを撃沈した。
5月始め舞鶴で改装され、対馬海峡の対潜哨戒・機雷処理に当たっていたが、7月31日壱岐半城浦で来襲した敵戦闘機P51を2機撃墜した。その後、哨戒を続けながら敗戦を迎えた。
戦後は、特別輸送艦として海外在留邦人の引き揚げ業務にあたり、また掃海艦として機雷の掃海に従事した。
その後米軍の連絡船、中央気象台の定点観測船として就航。29年から海上保安庁に引き継がれ、巡視船「こじま」と改名。39年まで海上保安大学校練習船として遠洋航海などに使用された。39年に除籍、40年千葉市に払い下げられ、41年宿泊も可能な「海洋公民館」として開館した(海防艦戦記)。

太平洋戦争に参加して現存する日本の戦闘艦艇はこれだけであった。しかし、平成9年、千葉市は「こじま」の解体を決定、翌10年解体撤去した。
そして部品の一部をここに展示している。

左から、エンジンテレグラフ、操舵スタンド、羅針儀、伝声管(受声側、発声側)

舵角指示器、風向計、エンジン回転計など


他に、錨(3つ)、レーダーマスト、円窓、扉を保管していて、跡地に記念碑のようなものが出来ればそれに使うそうだ。ただし、今のところ計画はない。


..H12.4.15


解体に至るまで


▲千葉に来た当初の写真、まわりはまだ海だった。

▲平成9年撮影。公民館として使われていたが平成元年前後、建築基準法に適合しないと通知され(船舶だから当たり前)、消防署からもクレームがつき平成5年に閉鎖された。
その後は手入れもされず放置状態だった。
千葉市が住民に何の説明もなく突然、取り壊しを決めたため非難の声が上がった。
地元では署名を集めるなど、保存運動を展開した。
しかし平成10年2月、とうとう解体されてしまった。


海防艦、特務掃海艦、米軍の連絡船、気象庁定点観測艦、海上保安大学校練習船、公民館、と働きに働いて、そのあげくにスクラップとなってしまった。
ここに来るにあたっては、千葉市と呉市が招致を争い、歓迎されての安住の地のはずだったのだが……。
解体が決まった後、呉市の海事博物館準備室の人が三度、千葉市を訪れた。
まるごと呉市に移すのは費用的に無理だが、部品の一部を譲ってもらえないか、ということだった。
しかし、千葉市がその期待に沿うことはなかった。



▲平成10年、解体直前。

千葉市教育委員会の言う解体の理由
@船体が古くなって危険である
A改修には一億二千万必要
B保存したとしてもコストかかる
C建築基準法ならびに消防法に適合しない
D跡地には体育館を建設する
E議会で決まったことだから


文化遺産「こじま」を保存する会の陳情書の要旨
 「こじま」は唯一残存する旧帝国海軍の艦艇であるが、戦後は引き揚げ船、観測船、海保大の練習船となり平和のために貢献して参りました。特に千葉市に於いての海洋公民館になって25年余りは子供たちの育成や市民の憩いの場となり、心の支えとなって市民に溶け込んできました。美浜区の埋め立て化の記念碑でもあり、太平洋戦争の記念碑でもある「こじま」を保存することを多数の市民が願っています。
 千葉市で跡地に計画されている体育館の中に残し、文化財として展示してください。そうする事によって問題になっている池が臭いとか錆びで老朽化が進んでいるとか維持費がかかるということは解決すると思います。


▲平成10年2月、解体が始まった。
3月にはもう、那須の戦争博物館に艦首部分が鎮座していた。

▲平成10年9月、近所の空き地に放置、いや保管されていた。

署名呼びかけの趣意書より
 戦争体験を知る人や物が少なくなりつつあります。私達、今この時代に生きる者がこれ等をしっかりと未来へ伝え続けていく義務があります。「こじま」をこれから100年後200年後未来へと保存していくことは千葉市民の責任と宿命であると思います。
 建築基準法に適合しないということは海洋公民館としては確かに不適当と思いますが、帝国海軍の現存する唯一隻のこの船を文化財として残せないかと、地元自治会をはじめ、日本中から世界各地からも保存の声が高まっております。
 「こじま」の歴史をみて気が付く様にこの船は軍艦としての期間はわずか5ヵ月位であって以後の50年余りは平和の為に貢献して来ました。特に中央気象台定点観測船としての功績、海保大練習船としての活躍、また、千葉市に於いても海洋公民館として。
 保存方法として船の上に屋根を掛け、周囲を含めて体育館とか文化ホールにしてその中に展示します。船体の片側に大きな窓を作り船内を外から見える様にし、甲板は歩ける様にします。展示するに当たり補強とかペンキ代とかも解体費に比べそんなにかからないと思いますし、屋内になる事により塗装も何年かに一度でよいと考えます。


 

 

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