陸上自衛隊 朝霞駐屯地                   埼玉/朝霞


  • 九四式六糎対空双眼鏡
  • 九二式500キロ爆弾
  • 二式1500キロ爆弾
  • 二式800キロ爆弾
  • 100式鉄道牽引車


昭和16年、陸軍予科士官学校が市ケ谷から移転、57期生から61期生までがここで学んだ。57期生は市ケ谷から沼津の遠泳演習に出かけ、富士の野営演習を終えるとそのまま朝霞へ直行してきた。「振武台」の名は昭和天皇が命名されたもの。入校後、1年ほどの訓練が終わると生徒は兵科別に分けられ、それぞれの専門教育に入る。航空兵科は豊岡の陸軍航空士官学校(修武台)に移った。
卒業するとおのおの任地の部隊に隊付し半年ぐらいの訓練期間の後、座間の士官学校(本科)(相武台)に入学した。

敗戦後は米軍キャンプ・ドレイクを経て昭和35年から自衛隊の駐屯地となった。現在は東部方面総監部や輸送学校がある。

振武台碑


振武台記念館

陸軍予科士官学校57期生から61期生まで19147名がここで学んだ。当時の教育訓練の状況や服装、勲章等が展示されている。この記念館は、昭和53年に、座間にあった皇族舎を移築したもの。解体・運搬・復原等の作業は隊員の手で行われた。

菊のご紋章・表札
陸軍予科士官学校本館の正面玄関に掲げられていたもの。敗戦当時、振武台碑付近に埋めておいたものを昭和40年発掘した。同時に埋められた雄健神社の御神体(宝鏡)は現在靖国神社に奉納されている。


▲菊のご紋章・表札
陸軍予科士官学校本館の正面玄関に掲げられていたもの。敗戦当時、振武台碑付近に埋めておいたものを昭和40年発掘した。同時に埋められた雄健神社の御神体(宝鏡)は現在靖国神社に奉納されている。


九四式六糎対空双眼鏡


(共用隊舎の前にある)

九二式500キロ爆弾(陸軍)
総重量/約495kg
填実物/ピクリン酸、約221k



   (スペックは表示板から)

(共用隊舎の前にある)

二式1500キロ爆弾(海軍)
総重量/約1485kg
填実物/九一式爆薬、約89kg

二式800キロ爆弾
総重量/約792kg
填実物/九一式爆薬、約48kg


100式鉄道牽引車   (輸送学校にある)
大東亜戦中、陸軍の鉄道聯隊で使用された。中国、マレー、タイ、ビルマ等の戦場で鉄道の保守・警備に活躍した。鉄輪とタイヤを備え、道路を走ることもできる鉄道牽引車。各種軌道に対応できるよう軌間幅が3段階に伸縮する。本土決戦準備に当たっては、国鉄が軍から貸与を受け活用を期待されていた。戦後は国鉄に委譲され保線機械として重宝した。
昭和35年から41年の間、自衛隊にも第101建設隊という鉄道聯隊のような部隊があった。当時の国鉄には日本最大の単産組合があり、違法ストを頻発していた。また、台風等の自然災害も鉄道の運行にしばしば打撃をあたえていた。鉄道に依存度の高かった当時の陸自にとって、有事を考えれば、この鉄道部隊の誕生は当然であった。この牽引車も保有車両のひとつであった。


 H11.4.21

 

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