立磐神社                     宮崎/日向


  • 繋留用ブイ繋止錨

 


●写真と情報は峯 一央氏から●

提供者のHP→殉国の碑

 

日向市美々津の立磐神社に「海軍発祥の地碑」があり、錨が置かれていました。


▲錨は軍艦のものかは判りませんが「昭和17−8」の銘が刻印されてありました。


由来
建立:昭和17年(皇紀2602年)9月10日
復元:昭和44年(皇紀2629年)9月12日

日本海軍は天皇が統治された海軍で有りました。このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米井光政閣下の揮毫により、碑面に刻記されたものであります。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元されたのであります。


昭和15年に完成した宮崎の「八紘之基柱 」と同じく日名子実三氏の造形である。
この「日本海軍発祥之地」の題字は、時の総理大臣米内光政大将によるもの。
波頭を模したコンクリート造りに日向石を貼りつけ、前面に船形ハニワが置かれている。

日向を統治されていた神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)は美々津より東征に旅立たれ、紀伊の国に上陸し、大和地方を平定後、奈良に新宮を営み第一代天皇の地位につかれた。この日が現在の2月11日つまり建国記念日である。
八紘一宇の塔にも、船出の様子が書かれた銅版の扉がある。

八紘一宇の塔

「海軍発祥之地」碑は築地にもある。

築地中央卸市場内にある水神社前にある石碑には「旗山」と刻まれている。
これは海軍発祥之地の碑で、昭和12年、「旗山」のいわれを記した記念碑として建立された。 揮毫は海軍大臣永野修身。

明治5(1872)年、このあたり旧尾張藩別邸に海軍本省が置かれ、海軍兵学寮、海軍造兵厰(後の海軍技術研究所)、海軍水路部などを設置した。
「旗山」の名称は、藩邸内の浴恩園の築山の上に「海軍卿旗」が掲揚され、この旗を見て人々はこの山を旗山と呼んだことに由来するとか。

旗山は水路局経緯度原点跡でもある。


 H12.8.28

 


▲加藤 正行氏より
軍用艦係留用だったもの・重さ2t・高さ3m・幅3m錨です。横須賀基地に保管・展示してあったものを日向市に無償貸与。
平成14年11月14日。設置除幕式に河村雅美海自掃海隊元群司令参加。


 H16.8.12 追加

 


●峯 一央氏から●

海軍発祥の地碑を再訪しました。
海軍両爪錨の説明文が新設されており、設置の経緯が記されておりました。


 H21.10.27 追加

 

 


皇軍発祥之地碑
.

●写真と情報は浅田 均氏から●

.

皇宮神社には、「皇軍発祥之地」碑がある。
皇宮神社は 近くの宮崎神宮の摂社で,境内の“皇宮屋(こぐや)”は、ワカミケヌ(後の神武天皇)が東征するまで過ごした宮居の跡。
神武軍は、この地を出て、美々津の港から船で東に向かい、6年後に橿原に宮を築いた。

皇軍発祥之地 揮毫は陸軍大将 杉山元
       紀元二千六百年宮崎縣奉祝會
       昭和15年建立

 H25.5.15

.

[帝国陸海軍現存兵器一覧]リストへ

[依代之譜]よりしろのふ トップへ