陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校・資料館/火砲館      茨城/阿見町


  • 八九式中戦車乙
  • 三式中戦車(チヌ)
  • 小銃・軽機・重機・拳銃(たくさんあるが撮影不可)
  • 三八式野砲
  • 改造三八式野砲
  • 四一式山砲
  • 四年式15センチ榴弾砲
  • 九一式10センチ榴弾砲
  • 九四式37ミリ砲(速射砲)
  • 一式機動47ミリ砲(速射砲)
  • 一四式水上偵察機[E1Y]のプロペラ
    など

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大正11年、霞ヶ浦海軍航空隊が開隊(少しはなれた所)、昭和14年に横須賀航空隊から予科練習部が移された。昭和15年、土浦航空隊を霞ヶ浦空水上隊跡(この場所)に開隊、予科練習部を移し、以来、予科練教育の中心的存在になった。
敗戦後、昭和27年に陸上自衛隊が駐屯。現在、武器学校、武器教導隊がある。



資料館


▲内部は撮影禁止

資料館は最近新しいのが開館した。そのかわり、展示品がかなり少なくなってしまった。

ここには小火器類が展示してある。
十三年式村田銃・十八年式村田銃・村田式猟銃・村田連発騎銃・二十二年式村田連発銃・三八式歩兵銃・三八式騎銃・四四式騎銃・九九式小銃・九二式7.7ミリ機銃・九八式20ミリ高射機関銃・九九式20ミリ機銃・九九式20ミリ機関砲・九二式重機関銃・マキシム軽機関銃・ホチキス重機関銃・金山式九六型訓練用軽機関銃・八九式改単6.5ミリ機銃・一式固定機関銃・一式航空機銃・三年式重機関銃・九九式軽機関銃・九七式車載銃機関銃・九六式軽機関銃・十一年式軽機関銃・十四年式自動拳銃・南部式自動拳銃・九四式拳銃

などと外国の銃器がたくさんある。



火砲館

押したら倒れそうな建物の中に大砲といろんな砲弾が置かれている。


三八式野砲

日露戦争中にドイツのクルップ社に発注したが日露戦には間に合わなかった。明治40年から大正12年までに約2000門が整備された。弾薬は当初、分離式だったが大正期に一体金属薬筒式になった。口径75ミリ。


改造三八式野砲

仰角を増すため脚部を中心に改造を施され大正15年に制定された。ただし重量が増大し、駐退器の構造も複雑になり故障が多くなったという。三八式野砲は軍縮のおり後備兵器にされたが満州事変以降、敗戦まで一線で使用された。


四一式山砲

野砲は馬で輓曳して移動するが、分解して駄載できる軽量な砲が山砲である。いざとなれば人力でも移動展開できる。明治41年に制定された古くて短射程の砲だが、満州事変で歩兵に使わせたところ歩兵には高く評価された。その結果、昭和7年から歩兵聯隊に4門ずつ配備され「聯隊砲」と呼ばれた。昭和10年以降も生産され敗戦まで使用され続けた。口径75ミリ。


四年式15センチ榴弾砲

口径15センチ以上の榴弾砲や10センチ以上の加農砲は野戦重砲と呼ばれた。野戦重砲聯隊は師団をいくつかまとめた「軍」の直轄部隊だった。大正4年に制定された15榴は砲架と砲身を分離して運ぶことができる。
この写真は砲身車で、これを砲架車に合体させ車輪をはずして放列姿勢となる。口径149.1ミリ。


九一式10センチ榴弾砲

九四式山砲、四一式山砲の次に陸軍が多用した砲である。当初シュナイダー社から300門購入され、その後国産化された。師団砲兵に75ミリ野砲とともに混成装備(約1/3)された。口径105ミリ。


九四式37ミリ砲(速射砲)
独軍37ミリ対戦車砲の影響を受けて開発された陸軍最初の対戦車砲(速射砲と呼んだ)。四一式山砲とともに歩兵聯隊に2〜12門配備された。ノモンハンでの対戦車戦では近距離では威力を発揮したが、ソ連の45ミリ砲の前では圧倒的に不利であった。九五式軽戦車の主砲の原型にもなった。


一式機動47ミリ砲(速射砲)

ノモンハン事件での苦戦から急遽開発された。半自動式の水平閉鎖機により弾薬の装填が自動的に行われた。「機動」とは馬に曳かせずトラックや牽引車を使って移動すること。したがって歩兵聯隊装備にはならず、独立速射砲大隊が編成された。
これを原型に改修したのが一式47ミリ戦車砲で九七式中戦車改に搭載された。



八九式中戦車乙

国産初の制式主力戦車で昭和4年に試作車が完成した。当初は航空機用水冷ガソリンエンジンを搭載、八九式「軽戦車」と名付けられた。
初めての量産戦車ということもあり、試行錯誤により何度も改修が施された。昭和9年の改修で重量が増えたので八九式中戦車と改称された。
昭和10年から空冷ディーゼルエンジン搭載の車体が登場、これを「乙型」と呼び従来のガソリンエンジンの車体は甲型として区別するようになった。
九〇式57ミリ戦車砲、九一式6.5ミリ車載機関銃を二梃装備、乗員4名。
昭和13年、徐州作戦で戦死、軍神となった西住小次郎中尉は八九式乙に搭乗していた。


三式中戦車(チヌ)

九七式中戦車を強化改修し一式中戦車に発展した。それをさらに発達させたもので九七式系列の最終型。昭和18年に計画、19年から生産を開始したが本土決戦用に国内に配備されただけで実戦に投入する機会はなかった。
三式75ミリ戦車砲、九七式7.7ミリ車載重機関銃一梃を装備、乗員5名。

砲は九〇式野砲を車載用に改造したもので先端に砲口制退器がついている。
M4型戦車の51〜76ミリの前面装甲を貫徹可能だった。


H17.1.17


●写真と情報は小倉 寿夫氏から●

土浦駐屯地祭で89式中戦車が レストアされて自走していました。
エンジンも展示されていました。土浦のモノかは?です。

それから旧医務課建物の中に、14式水偵のプロペラがありました。




▲一四式水上偵察機のプロペラ


H20.3.29

 

 

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