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陸上自衛隊土浦駐屯地・雄翔館(予科練記念館)
茨城/阿見町
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海軍飛行予科練習生の生活や、遺書、遺品等を永く保存してその遺徳を後世に伝えるため、昭和43年に設立された。建物の形はは航空母艦をイメージしている。 |
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昭和5年に予科練習生制度が確立され、第一期予科練習生が横須賀海軍航空隊に入隊した。高等小学校卒業の資格があれば志願でき、3年の予科教育で海軍人としての基礎を教育された。 進級制度や階級呼称が何度か変わったが予科練教程を卒業すると、飛行練習生教程に進み、搭乗員としての技能を叩き込まれた。 予科練出身者の初陣は昭和12年、第二次上海事変での渡洋爆撃だった。以後、敗戦まで空に海に海軍の最先端となって駆け巡り、そして太平洋全域に散っていった。出身者20万人のうち2万人近い人達が戦死した。特に予科練出身のパイロットはその8割以上が散華したという。 戦艦「陸奥」の舷窓

昭和12年、従来の練習生を乙種飛行予科練生とし、甲種飛行予科練習生の一期生が横空に入隊した。
昭和14年予科練習生教育を霞ヶ浦航空隊に移し、15年には新たに土浦航空隊を開設、予科練習生教育の任務を移した。
また、別系統だった一般下士官兵からの採用者も丙種飛行予科練習生と称し予科練教育は一本化された。
昭和18年には乙種(特)飛行予科練習生を採用、岩国航空隊に入隊した。

大東亜戦の末期になると、航空機と搭乗員の消耗は激しくなり、練習機すら不足してきた。予科練出身者の中には、「桜花」「震洋」「回天」「海龍」「蛟龍」「伏龍」「土龍」などの特攻部隊に配属された人も多い。
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▲局地戦闘機「雷電」のプロペラ
昭和20年6月、B29迎撃のため厚木基地から飛び立ち、P51群との空戦で被弾し墜落した。

▲零戦のプロペラ
パラオにあったもの。

「陸奥」は昭和18年6月8日、柱島泊地で原因不明の爆発で沈没した。
艦務実習のため乗り組んでいた甲飛第11期13分隊133名中、124名が艦とともに没した。実習初日のことだった。
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大正11年、霞ヶ浦海軍航空隊が開隊(この図の上方)、昭和14年に横須賀航空隊から予科練習部がそこに移された。 |
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山本元帥の銅像 平成14年6月、60年間所在不明だった山本元帥の銅像の下部が発見された。 銅像は霞ヶ浦海軍航空隊内に建てられていたが、敗戦を機に米軍の進駐で像の行く末を案じた予科練生たちが像を湖底に隠すことを計画。昭和20年8月26日、上部は海軍の別れの習慣である「帽ふれ」に見送られ、湖底に安置された。 下部は昭和21年4月まで建立場所にあったことが確認されているが、その後所在が分からなくなり、湖底に沈められたとされていた。 |
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H17.1.17 |
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