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砲兵学校跡 千葉/四街道
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▲砲兵学校跡の碑 |
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この辺一帯は下志津原と呼ばれ、佐倉藩の砲術練習所があった。 明治6年(1873)、教師として招聘されたフランスのルボン砲兵大尉が射的場を増築、砲術を伝習した。 明治19年4月、その北端に陸軍砲兵射的学校が創立され、明治30年に陸軍射撃学校と改称され四街道駅の北側に移転してきた。 学校の移転に伴いそれまでは閑散としていた四街道駅(移転の3年前に建設)周辺は次々と整備された。 |
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昭和20年、解隊。 |
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左から、15センチ榴弾砲砲弾、同、10センチ加農砲砲弾、野山砲砲弾(7.5センチ) |
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大土手山(別名・ルボン山) 神社を頂いたこの丘は大土手山と呼ばれている。 |
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▲「砲兵学校跡の碑」のすぐそばにある。右は麓にある「砲兵射ダの跡」の碑。 |
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「野戦重砲兵第四聯隊跡」の碑 野戦重砲兵第四聯隊は近衛師団に所属、大正11年に広島より移駐、昭和14年に牡丹江へ移駐するまで17年間ここにあった。 |
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▲現存する隊門 |
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下志津陸軍飛行学校(現在、行政区は千葉市だが下志津原の一部に位置する) 大正10年、陸軍航空学校下志津分校として開校。 |
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H15.9.19 |
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