東雲寺                      埼玉/深谷


 

  • 四四式2号魚雷


鎌倉時代に開かれた曹洞宗の古刹。
「男寺」と呼ばれ、かつては男の墓しかなかったとか。
隣りに「女寺」がある。

日本の魚雷は明治17(1884)年に輸入したドイツ製の冷走魚雷(圧搾空気でスクリューを回す)が最初。
実戦で最初に魚雷による戦果をあげたのは明治28年の威海衛の夜襲のとき。
明治38(1905)年には乾式加熱装置搭載の魚雷が輸入され、国内でも製造された(三八式2号B魚雷)。
次に画期的に推進能力が向上した湿式加熱装置搭載が開発され、日本では明治44(1911)年に四四式魚雷として国産に成功した。
以後、日本海軍の魚雷は国産のみとなり進化し、九三式(酸素魚雷)を生んだ。


四四式2号魚雷(この型は第一次世界大戦で使用された)

この魚雷は、昭和8年に地元の青年団に勤労奉仕のお礼として贈られたもの。新会国民学校校庭の忠魂碑の前に置かれていた。
敗戦とともにいったん地中に埋められたが、昭和25年にここに移設された。

径450ミリ 長5510ミリ

▲左:「下瀬」の刻印    右:「呉」と数字の刻印



英霊塔

魚雷と並んで英霊塔がある。
陸軍から譲られた砲身を使い、新会尋常小学校の校庭に「忠霊塔」として設置されたもの、という。
大東亜戦の敗戦で魚雷ともども、いったん地中に埋められたが、昭和25年に掘りだされここに移設された。戦後は「英霊塔」という名前になった。

▲「大正十年一月」の文字がある。
日露戦で鹵獲したロシア軍の砲らしいが詳細は不明。


H17.8.16 


十六珊克虜伯砲砲身
防衛庁防衛研究所に「砲身砲弾払下願の件」(大日記乙輯大正9年)という文書がある。

陸軍兵器本廠長ヘ達 左記参考兵器ヲ忠魂碑用トシテ帝国在郷軍人会新会村分会ヘ現品所在地ニ於テ下付方取計フヘシ


H18.4.6


●写真と情報は峯 一央氏から●

提供者のHP→殉国の碑

ご逝去された全国回天会・小灘利春会長(海兵72期)の資料に、貴サイトに掲載されている埼玉県熊谷市・東雲寺(魚雷等)の昔の写真がありました。
20年程前のプリント写真をコピーしたもので、紙に折り目がついており、非常に見難いですが宜しければ・・。


H20.3.10

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