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日清戦役第一軍戦死者記念碑 愛知/名古屋
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名古屋の昔の写真を集めた本をみていたら、名古屋中心部に『日清戦役第一軍戦死者記念碑』と言うのがあったらしい事を知りました。明治33年に竣工したらしいのですが、今は千種区の日泰寺近くに移築されています。 日清戦争で名古屋の第3師団が第一軍に属しており、生還した人達が戦死者726人の為に建立したようです。記念碑には726人の名前が刻まれてます。裏面の、陸軍の星のマークにはまだ、金が残っています。しかし、記念碑自体はまだしっかりしていますが、周辺は人もあまり訪れないようで、囲いの塀も崩れかかっていました。 |
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巨大な記念碑は、周辺からも望見できます。記念碑の台座は8角形をしており、一辺に3門の砲身がポールの様に取り付けられています。長砲身が8門、短砲身が16門の合計24門あります。昔の写真を見ると砲身と砲身が鎖で繋がれていますが今は一部分しか残っていません。砲身の型名は、分かりませんが、口径は長短共に約80ミリ。全長は、1000センチと1780センチでした。 砲身には、名板があり全て『大阪砲兵工廠製』であり、明治10年代後半の鋳造のようです。 |
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七センチ野砲 七センチ山砲 明治13年頃から、日本の火砲の独立が論議されだした。 明治15年、大阪砲兵工廠で鋳造を開始、16年に第一号が完成、試験の後、採用となった。明治19年には、全国の野戦砲兵隊に支給を完了した。 七センチ野山砲は比較的長期間使われ、明治27年の日清戦争では唯一の野戦砲であり、かなりの戦果をあげた。 北清事変(明33)でも遜色なく戦い、日露戦争(明37)でも使用されたがさすがに旧式となっていた。 「七センチ」と呼ばれるが口径は75ミリで、砲身は青銅製だが閉鎖機は鋼製だった。 |
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▲七センチ山砲 |
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▲七センチ野砲 |
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▲下部のレリーフ |
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▲この碑を鋳造したのは東京砲兵工廠。 |
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靖国神社の大村益次郎像 |
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H13.7.30 |
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