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八紘一宇の塔 |
宮崎/宮崎市平和台公園 |
写真/日向守氏 |
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戦後は「平和の塔」と改称されたが、「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が正式名称で、通称「八紘一宇の塔」と呼ばれた。 紀元2600年の記念事業として昭和14年5月に着工、昭和15年11月に竣工した。 総工費は67万円と報告されているが、全て寄付金でまかなわれた。 |
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「八紘一宇」という言葉は、神武天皇が橿原で即位された時の勅語の一節「八紘を掩いて宇と成さんこと亦よからずや」という建国の理想からきている。 ところが極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判では「八紘一宇は侵略思想ではない」ことを連合国側に日本側が認めさせた事実がある。 |
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礎石に使用された1789個の石材は、「宮崎県や郡市町村を区域とする公的団体。道府県及び道府県を区域とする公的団体。樺太庁、朝鮮総督府及び各道、台湾総督府及び各州庁、南洋庁、関東州の公的団体、満州国各省、及び同区域に在住の日本人会、支那各地、独伊其の他帝国大公使館、領事館所在地日本人会、大陸又は太洋上に挺身奉公中の郷土部隊」に提供を依頼したもので、それぞれに提供者の名前が彫り込まれている。 |
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昭和21年1月、GHQの命令によって「八紘一宇」の文字は削り取られ、四角の塑像のうち「武」を象徴する「荒御魂像」が取り除かれた。 その後、復元と保存の機運が起こり37年になって「荒御魂」像が、40年には「八紘一宇」の文字が復元された。 |
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正面厳室の入口は、西都原古墳の石室をかたどったもので、扉には神武天皇が東征のため美々津から船出する模様が描かれている。 日向にはこのエピソードの記念碑「日本海軍発祥之地」の碑があり、これも日名子氏の造形である。 |
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H15.11.7 |
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