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肉弾三勇士
昭和7年1月28日深夜、上海において日本海軍・上海陸戦隊と第十九路軍が戦争状態に入った。第一次上海事変の勃発である。
ただちに陸軍部隊に動員令が下り、久留米の第24旅団と、金沢の第9師団が上海に派遣された。そして総攻撃が開始されたが、第十九路軍の志気は旺盛、日本軍は苦戦を強いられた。
そのような中で、廟行鎮の敵陣地を突破するため、破壊筒もろとも突入し突撃路を拓いた工兵があった。北川亟、江下武二、作江伊之助の三兵士である。
三人は「肉弾三勇士」「爆弾三勇士」と賞賛され、昭和9年、青松寺に銅像が建てられた。ところが大東亜戦の敗戦後には、三勇士の像は撤去されてしまった。
関連→青松寺・肉弾三勇士の墓
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