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 北川伍長像

 長崎/三柱神社

 写真・情報/峯 一央氏

長崎県北松浦郡佐々町にある三柱神社に参拝しました。

ここには東京・芝の青松寺にあった肉弾三勇士像の一人、
北川伍長像が移築されています。

北川伍長の生れ故郷の佐々町老人クラブが昭和43年、
ここに移築したそうです。

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▲北川伍長像

肉弾三勇士
昭和7年1月28日深夜、上海において日本海軍・上海陸戦隊と第十九路軍が戦争状態に入った。第一次上海事変の勃発である。
ただちに陸軍部隊に動員令が下り、久留米の第24旅団と、金沢の第9師団が上海に派遣された。そして総攻撃が開始されたが、第十九路軍の志気は旺盛、日本軍は苦戦を強いられた。

そのような中で、廟行鎮の敵陣地を突破するため、破壊筒もろとも突入し突撃路を拓いた工兵があった。北川亟、江下武二、作江伊之助の三兵士である。

三人は「肉弾三勇士」「爆弾三勇士」と賞賛され、昭和9年、青松寺に銅像が建てられた。ところが大東亜戦の敗戦後には、三勇士の像は撤去されてしまった。

関連→青松寺・肉弾三勇士の墓

その後、解体された像が永らく青松寺の地下室に眠っていることを知り、佐々町の老人クラブ「明生会」がこれを請い受け、境内に「平和の礎」として建立した。佐々町は北川伍長の出身地なのである。
プレートには、「明治100年事業の一つとして建立した」とあり、明生会とは明治生まれの人たちの会であるらしい。以下抜粋。
「我等明生会員は明治大正昭和の三代を生き抜き数次の事変戦役を経て遂に敗戦に遭い廃虚から歯を食いしばって立ち上がって来た。茲に伍長の殉国精神を伝えて我等の子孫の上に永遠の平和が将来するよう祈念してへ平和の礎とする。 昭和43年11月1日」


 

提供者のHP→殉国の碑


H21.8.27            

 

 

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