アジア太平洋戦争の末期の1944年11月から1945年8月の敗戦の間、本土決戦にそなえ大本営(天皇・軍・政府)を東京から長野市松代の地に移転させる計画が極秘裏に実行された。松代の3ヶ所に総延長10qに及ぶ地下壕が昼夜兼業で掘られ、移転に必要な関連施設も建設され、敗戦時には平均75%の完成度まで達していました。この工事には日本人労働者のほか、強制連行された朝鮮人労働者が多数動員され、多くの犠牲者がでたといわれています。
敗戦とともに打ち捨てられた「大本営」はその後、その目的をまったく変えてよみがえりました。戦争の痕跡を生々しく残した地下壕は、戦争の悲惨さと平和の尊さを心にきざむ第一級の遺跡として生まれ変わろうとしています。
その運動の荷い手になったのは地元の高校生と教師でした。1985月に彼らの手により始まった地下壕保存運動は次第に大きな市民運動になり、その結果1990年には地下壕の一部が保存され一般公開が始まりました。
同時に高校生と教師から提唱されたのが、「平和祈念館」の構想でした。たとえば、広島には原爆ドームという「遺跡」があれば平和資料館があると同様に、大本営地下豪という「遺跡」があれば、遺物や資料の保存・展示をして学習ができる資料館が必要になるのは当然のことです。1994年、「松代大本営平和祈念館建設実行委員会」が発足して、"みんなで創ろう"を合言葉に建設運動が始まりました。この運動は世界にも類をみない100%募金による建設運動であること、祈念館は建築家の三沢浩さんにより、多くの人々の意見を取り入れた(ワークショップ方式)基本設計によって建設さけるなど、斬新なアイデアがつまっています。この独創的な運動が成功すれば、永遠に忘れられない平和事業として歴史の1ページに刻まれるでしょう。
NPO法人松代大本営平和祈念館
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