図説 鶴見事故

昭和38年11月9日21時51分発生
 事故現場は京浜東北線が東海道本線をオーバークロスする地点付近で発生しました。事故地点付近の概略はこのようになっています。


 事故があった地点はこのような線路配置となっていました。京浜東北線はこの事故に関与していないのでこの図では省略しています。




 貨物列車がR450の曲線を曲りきる手前で43輌目のワラ501(積荷ビール麦)の車輪が競りあがり、約16m進んだところで脱線しました。(ポムとは陶器専用の貨車、ワフは有蓋貨車と車掌車の合造貨車)


 脱線したワラ501は架線柱に衝突して列車から分離し、このとき貨物列車に非常ブレーキがかかりました。貨物列車は滝坂踏切の西(上の画像では右のほう)まで進み停車しました。ワラ501が衝突したため架線柱が傾き、この架線柱の異常に気付いた2113Sの運転手は非常ブレーキをかけました。そのころ2000Sも92km/hで現場に接近していました。架線異常や脱線貨車に気付いていたかは不明です。


 2113Sは非常ブレーキにより速度が落ちていますが、2000Sは依然92km/hで走行し現場に近づいていました。


 2113Sが停車するぐらいの速度になったころ、2000Sの1輌目クハ76039がワラ501と接触し進行方向右に脱線し、2113Sの4輌目モハ70079の中ほどにクハ76039が突っ込みました。


 2000Sのクハ76039は2113Sの4輌目に突っ込んだあと、横向けの状態となり5輌目のクモハ50006の車体をさらうように突っ込みました。2000Sの2・3輌目はクハ76039が2113Sに突っ込み串刺し状態になったため進行方向左に脱線しました。クモハ50006は原形をとどめないほど破壊され、モハ70079も前側の1/6ほどを残し大破しました。

 この事故により東海道本線と京浜東北線が不通となりましたが、2650人もの救援隊(鉄道のほか警察、消防、自衛隊、米軍、民間人)と操重車4台、レッカー車9台による救出・復旧により京浜東北線は翌10日5時30分に、東海道本線も10日16時07分に復旧しました。