実行委員会で行った学習会の講演録です。
広島・長崎のことはもう語りつくされた、問題もすべて過去のことだと感じたりすることがありませんか?
広島・長崎は昔話ではありません。被爆者だけではなく、今を生きる私たちの問題でもあるのです。


2008年 私の被爆体験と「原爆被害者の基本要求」〜岩佐幹三さん
日本被団協事務局次長の岩佐幹三さんからご自身の被爆体験と、広島・長崎の原爆被害に根ざしてつくられた「原爆被害者の基本要求」についてお話をお聞きしました。 岩佐さんの体験・思いは【資料】「母と妹への手紙」をぜひお読み下さい。
2007年 「ノーモア・ヒバクシャ」と憲法9条〜吉田一人さん
「戦後レジュームからの脱却」「任期中に憲法を変える」と言っていた安倍内閣は倒れました。しかし、憲法9条を変えようという動きはこれで終ったわけではありません。 今回は憲法9条とヒロシマ・ナガサキがどういう関係にあるのか、原爆被害者の基本要求と憲法がどういう関係にあるのかについてジャーナリストの吉田一人さんにお話していただきました。
2005年 聴きとりに学ぶ〜斉藤とも子さん
舞台「父と暮せば」(井上ひさし作、こまつ座)で被爆した娘、美津江を演じた女優の斉藤とも子さんは、この舞台をきっかけに被爆者、そして「きのこ会」とめぐり合うことになりました。 今回は斉藤とも子さんから「聴きとりに学ぶ」というテーマでお話をお聞きしました。
(著書「きのこ雲の下から、明日へ」、ゆいぽおと、1600円)
2004年 被爆者の思いに耳を傾ける〜直野章子さん
30年前にNHK広島放送局の呼びかけによって描かれた「原爆の絵」。 その絵の作者に会い、聞き取りを重ねてこられた直野章子さん(『「原爆の絵」と出会う』岩波ブックレットの著者)から、 被爆証言を聴くとは?広島・長崎を語り継ぐとは?お話をお聞きしました。
2003年 原爆症認定行政と集団訴訟の意義〜安原幸彦弁護士
被爆から58年目、被爆者は原爆症認定を求める集団訴訟を起こしました。 この裁判の本当の争点についてお聞きしました。
2002年 ビキニ事件〜忘れられた被爆者〜大石又七さん
1954年3月1日、焼津のマグロ漁船、第五福竜丸がビキニ環礁で行われていたアメリカの水爆実験に遭遇、死の灰を浴びるという事件が起こりました。 乗組員23名が被爆、無線長だった久保山愛吉さんは半年の闘病生活の後に亡くなりました。 ビキニ事件はこれで終わったわけではありません。 第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんからビキニ事件についてお聞きしました。
【もっと詳しく知りたい方へ】
マーシャル諸島の被害の現状について:
『ビキニ被災は終わっていない〜第五福竜丸元乗組員・大石又七さん 被災48周年マーシャル諸島訪問〜』(日本原水協 700円)
『ビキニ事件の真実』(大石又七著 みすず書房 2600円+税)
2001年 証言とは何か〜被爆の体験を語り継ぐために〜関千枝子さん
関さんは女学校二年生のときに広島で被爆。 同級生38名が8月6日、雑魚場町(爆心から1.1km)の疎開地後片付け中に被爆して死亡。 関さんは当日は体調不良で作業を休んでいたために宇品の自宅(3.4km)で被爆しました。 被爆40年にクラスメート一人一人の思い出と最後の様子を『広島第二県女二年西組』にまとめて出版。 「証言とは何か〜被爆の体験を語り継ぐために〜」というテーマでお話をお聞きしました。
2000年 医師が見た被爆者の生と死〜原爆被害、隠蔽と放置の12年間〜肥田舜太郎先生
自らも広島で被爆され、被爆から今日まで被爆者の診療と治療にあたってこられた肥田先生から、 原爆投下から原爆医療法が制定されるまでの12年間について、先生ご自身の体験を中心に語っていただきました。 被爆から半世紀以上が経ち、戦後、被爆者が置かれてきた状況がどのようなものであったのかは、 「あの日」の出来事以上に忘れ去られようとしています。
1999年 私と原爆被害〜法律相談と松谷訴訟を通じて〜内藤雅義弁護士
長崎原爆松谷訴訟の弁護団の一員である内藤弁護士に松谷訴訟についてお聞きしました。
1998年 体験や経験を伝えることの意味〜横川嘉範先生
1928年生まれ。元小学校教諭(広島市仁保小学校:1945-51年、都内の小学校:1952年-1987年。 日本平和教育研究協議会常任委員。東京都原爆被害者団体協議会(東友会)事務局長。日本生活指導研究所員。 著書に『子ども入門』『子どもの生活と教育』『親はなぜ偉いか』『原爆を子どもたちにどう語るか』など。 子どもたちをめぐる状況、子どもたちに体験や経験を伝えていくとはどういうことなのか、などについてお聞きしました。
1997年 国際司法裁判所の勧告的意見と今後の核兵器廃絶運動〜安原幸彦弁護士
核兵器を裁いた世界法廷運動。その意義と舞台裏、 被爆者が自らの体験の中からつくりだしてきた核兵器は絶対に使われてはならないという思想、 この思想を国民的な思想に高め、世界に広げて行くことの大切さが語られています。
1996年 被爆者問題と私〜何をどのように受け継ぐのか〜栗原淑江さん
1968年、一橋大学在学中にゼミの実習で長崎の被爆者の生活史調査に参加。 1970年から同大学助手として調査を継続。 1980年から91年にかけて日本原水爆被害者団体協議会事務局員として被爆者の運動や調査を支える。 92年から被爆者の自分史を呼びかけ『自分史つうしん ヒバクシャ』を発行。 著書に岩波ブックレット『被爆者たちの戦後50年』。