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パンダ省ロケット発射基地の町から −中国四川省凉山彝族自治州西昌市− |
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北海道のフツー、中国では最高(濾沽湖その2)
5月12日日曜日雨、朝6時、早朝出発の客たちが木製の床をドタドタ歩く音と、大きな話し声で目が覚めました。9時起床予定の李さんはぐっすり熟睡。少しカーテンを開け、薄明るくなった日の光で改めて室内を眺めました。古びてシミの浮いた壁、中央がたるんで下がった天井、ペンキのはげたドア、昨晩よりひどく見えるだけ。使い捨てのスリッパやマホービンの湯(水道水をそのまま飲めないので、熱湯は必需品)もない。ハンガーないのに着替えを持ってきたの?と李さんが言ったけ。1ベット30元、李さんと2人で1部屋貸し切り1晩90元、趙さん分もう1部屋。合計1晩180元払ってこんな部屋?1ベット幾らの部屋に泊まったの、初めて。 雨は小降りで、止みそうなのが救いかな。湖畔の水たまりだらけの未舗装の道に、昨晩ずらっと10軒ほど並んでいた赤、青、白3色ストライブのビニールシート製の簡易食堂が、1軒も見えません(景観のじゃまになるので、毎夜組み立てて営業)。湖で洗顔する人や水を汲んでいる人が見えます。散歩に行きたいけど、部屋の鍵は1つしかないし、ドアは蹴飛ばさないとあかなし、そしたら李さんを起こすし・・・なんで客が気を使うの?
8時近く、李さん起床。起きてからの行動は素早い。Tシャツはパジャマ兼用なので、ズボンをはくだけ。洗顔後、ガイドの仕事は不規則で肌が荒れると言いながら化粧。朝食時も、ザーサイに唐辛子をかけるなと注文したり、茶碗を持ってきたり、彼女は手配をすばやくやります。手配が遅くて客を待たせるガイドも結構います。朝食後、猪槽船と呼ばれる木製の小舟で湖心島へ行く予定。湖畔の桟橋では、観光客が白いプリーツのロングスカートの民族衣装を着た摩梭人の女性と記念撮影。寒いので広げたプリーツスカートの下からジーンズが見えます。船のこぎ手は男性と民族衣装の女性、ここでは女性が働き手の中心だと李さんが説明。傘をさして船から見る景色は、北海道の湖ならフツーのきれいさ。島にはチベット仏教の築20〜30年の小さな寺がありました。快晴の日には、湖と外周の山々が美しいそうですが、みんな寒いのでそうそうに船に戻り、湖畔の桟橋へ。
体を温めるために、午後予定の「摩梭人の大家族の家を訪問」というスケジュールを実施。宿泊している民居の母屋のいろりにあたることでした。摩梭人は、祖母を家長に大家族で住んでいるので、祖母房と呼ばれる母屋、経堂(チベット仏教の仏間)、花房(生殖可能な女性の部屋)等が敷地内にあります。男性は夜にやってきて、父親は自分の子供の成長に責任を持たない『走婚』と呼ばれる結婚形式をとり、男性は同居する自分の姉妹の子育て参加するそうです。一般の結婚形式も認められているので、当事者が選択できるそうです。家は現代風に言うと、ログハウス、釘を使わず木組みで建てられています。母屋は、昔の日本の農家に似ています。いろりがあり煤で屋根裏まで黒くなっています。違いは、土足で土間から木の床へ上がり、30cm位の高さの丸イスに腰掛けて火にあたること。直径50cmもある五徳の上では、鍋で米が炊かれていました。燃料は、直径10cmほどの枝。宿泊客の食堂の燃料も木で、炊事場の外壁に穴が3個あり、そこから枝をつっこんで燃やしていました。薪小屋には、切り出した木材が積んでありました。中国では伐採が全面禁止の地域が多いので、珍しい光景です。 1日休養で運転なしの趙さんもやってきて、ヒマワリの種を食べながら、尋ねもしないのに、自分たちの給与を教えてくれました。李さん、基本給1ヶ月300元、出張1日30元、西昌市内のガイド1日20元、携帯の電話代自己負担。趙さん、基本給600元、出張1日10元。李さんの場合、月手取り900元くらい。日本製パジェロは50万元近くするから、一生買えないかもしれない・・・とか話すわりには、持ち物とか家とか日本人とあまり変わらないように見えるのよね、貧しい山村地域以外では。中国人と一緒に食事をすると、食べ残しが日本以上に多く、少なく注文すればいいのに、もったいないなと思います。31歳の趙さんは、食べ残すようになったのは、この10年くらいで、小さい時は食料が足りなくて空腹だったが、23才の李さんには、空腹の記憶はないだろうと言っていました。西昌では法外な私たちのアパートの家賃の話になって、日本政府の無償援助だからそれくらい仕方ないと言われてしまいました。 午後、摩梭民俗博物館へ。博物館は摩梭人の家を再現してあり、新しいけれど宿泊している民居と同じ構造。またいろりの周りでヒマワリの種を食べながらおしゃべり。博物館ガイドの民族衣装の女性が加わっただけ。雨は小降り、話し続ける李さんたちを残して、村の中を歩いてみることに。湖畔には、民居と呼ばれる3階建て丸太づくりの家が20軒ほど並び、宿泊施設になっています。古い建物も新築もあり、窓、扉等がチベットの建築とそっくり。MisterPizzaというアメリカ人が経営に参加している店やコーヒーショップも。観光で食べている村という感じ。湖畔より少し山沿いには、一般の飯店や酒店も幾つもある(中国ではどちらもホテル)・・・こっちに泊まったら、部屋にシャワーやトイレがあったろうに!高い土塀で囲まれた畑、小学校や食料品店があり、普通の農村と変わりません。 散歩から戻っても、李さんたちが博物館から帰っていず、部屋の鍵がありません。母屋へ鍵を借りに行きました。いろりの周りに、民族衣装の家長である年輩の女性と娘さんと息子さん、チベット仏教の坊さんがいて、火に当たるよう勧めてくれました。いろりからジャガイモを取り出して皮をむいてくれました。摩梭人の言葉は、抑揚が少なく静かで、中国語の大きな話し声に慣れた耳には新鮮でした。五徳の上では、鍋に湯をわかし、トウモロコシ粉を入れて練っていました。ケニアのウガリと同じ調理法!ここでも同じ物を食べるんだ。なんだか嬉しくなりました。李さん達が帰ってきて、今度はみんな中国語で話し始めました。家長の女性は、話しながらも小さなマヤ車を左手で回し、右手で数珠玉を1つずつ動かし続けていました。 夜8時、再び博物館へ。観光客用に、摩梭人の若い男女の恋のダンスと歌の実演。北京、上海、成都、香港等からの観光客が100人ほど集まり、ビデオやカメラで民族衣装の若者達を撮って、一緒にダンスや歌に参加しています。彼らは、雲南省の観光地、麗江や大理とここをツアーとして一緒に回ります。李さんが、他の観光客のように民族衣装を着て記念写真を撮れというけど、私は少数民族観光に飽きてしまってる。中国のゴールデンウィークが終わったばかりの日曜の夜でも、これだけ客がいます。年間20万人以上客が来ると言っていた船頭の女性の話が納得できます。アメリカ人にも人気があるところだそうです。 5月13日快晴。天気がいいので道もよかろうと、午前7時出発。山道を登りながら見える濾沽湖は、きれいだけど、やはり、北海道なら普通の湖。人口圧で、多くの湖で汚染が進み、周りの森林も伐採され、こうしてきれいな環境で残されている湖が少ないから、「神秘」のキャッチフレーズが付くのだろうな。 濾沽湖自然保護区出口の手前で、趙さん、「イエジー(野鶏)」と指さしました。イエジー=雉と、頭が理解する前に逃げていきました。続いて、「シァオシォンマオ(小熊猫=レッサーパンダ)」と叫びました。車の前を横切って道路下の斜面を駈け下りて行きました。「色や大きさはそれらしいけど、しっぽが細すぎる」と私。「子供の小熊猫だからだ」と趙さん。「初めて見た」と大喜びの李さん。彝族の村に入ると、村人が、牛を使って田圃を耕したり、水を張っていました。棚田や狭い水田が広がり、日本ならアマチュアカメラマンが喜びそうな風景。彝族の衣装で働いている人もたくさん見かけました。雲南省の彝族衣装は、凉山州とは少し違う、場所によって変わるんだろうな。李さんの希望で瀘沽湖名物、梅の実専門店で買い物。梅は砂糖で加工され、甘酸っぱい乾燥果物という感じです。李さんは砂糖漬けや梅ジュース等30元近く買い、帰りのおやつが出来たと満足。趙さんも20元ほど買い、私は10元買っただけ、10元だって750gもあるのです。 シャクナゲの写真を撮っているわずかな時間、李さんは、シャクナゲを摘んでいました。夫の事務所の運転手(林業局所属)さんも高山植物をとっているので、禁止されていないのかも。私が注意しても、彼女には注意される理由が納得出来ないと思いました。シャクナゲの生育地の標高3000m前後には、木もあるのですが、それより標高が下がると、山の斜面も開墾され段々畑。中国政府の退耕還林(耕作をやめて林に戻す)の政策で、斜面の畑土に植林用の穴が規則的に開けられている場所もありました。昔は森林を開墾し畑を作ることを奨励した所だろうに・・・中国の環境に対する新しい流れです。 11日に1時間以上もかかったぬかるみ道も、無事通過。昼食後、攀枝花の市街へ。鉄鋼産業の盛んな街で、西昌より緯度が低く、すでに真夏のように気温が上がっていました。行きにほとんどのガイドを終えている李さんは、今日は、趙さんと四川弁でおしゃべりに夢中。2人で合唱し、私に中国の歌を教えたり、日本の「さくら」を歌ってくれたりガイドのサービスも忘れません。「そんなにしゃべって疲れない?」「長旅なんだから、疲れたら寝て、また起きたらしゃべればいいのよ」と昼寝。 長江の支流、安寧川にそって農村地帯にはいると、水田の他にマンゴー、パパイヤ、バナナ、サトウキビと南の作物が目立ちます。3時過ぎ、トイレ休憩。李さんは、臭い公衆トイレ脇の桑の木から実を両手に抱えてきて、食べろと勧めます。小泉首相の靖国参拝の話になって、なぜ中国が嫌がっているのに行くのかと、つっこまれました。そんな難しいこと筆談もなしで、説明しろというの?4時過ぎ、対向車線にペプシコーラ配達のトラックが停車していました。運転手は趙さんの友人、道路状況の情報交換をし、商売用のコーラを3本くれました。 午後6時過ぎ、夕食休憩。食堂のテレビが面白くて、李さんなかなか食事が終わりません・・早く帰ろうよ。7時、道端で売っている果物を買うために駐車。これも李さんが言いだしっぺ。ビワを2kg以上、メロンも幾つか30元ほど買い物、出張旅費よりお金使って大丈夫?8時近くなっても水田では、1枚の田に大勢の人が入って、田植えをしていました。私は、働き者だと思ったのですが、日中は暑いので、夕方、野良仕事をしているのだそうです。やっと西昌市にはいり、やれやれと思ったら、横道へ入り、李さんの妹が勤める工場へ。李さんは、妹がプレゼントしたマウンテンバイクを、車に積んで帰るつもりで、携帯で連絡していました。パジェロに積み込もうと努力すること15分、ついに諦めました。その間、趙さんが、もうすぐ終わるからと慰めてくれました。午後8時半過ぎ、アパート到着。3日ぶりの風呂、少し臭い贅沢旅行だった。 翌日、文さんに旅行の話をしました。旅行代金の明細を聞いて、明細毎に値切ってからOK出すべきで、宿が汚かったら、ガイドに宿を換えるように要求するのは当然。以前西昌に住んでいたアメリカ人は、嫌な物ははっきりNOと拒否した。私も嫌だと言うことを学ぶべきだ。彼女に相談したら、一緒行って中国語を全部英語に訳して、もっと楽しく旅が出来たのにと、言われました。でも、土日は、文さん英語を教えるバイトで、忙しかったでしょ。その後、旅行社から聞いてきた石さんと喩さんにも、高すぎると言われました。西昌から攀枝花まで列車で行き、そこから車を使えば安いし、彼女たちが手配したのにと。中国では、あらゆるコネを活用して安く行くのだそうです。 |