病院に殺される?:こんな題名は医療の疑心暗鬼をあおるだけ
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今回は文芸春秋紙上での「病院に殺されないために」の批判も含めて前回の自己責任についての続きです。
前回の喉に割り箸を突っ込んだ子供の事件について。研修がしっかりしていればとか、上の管理がちゃんとしていないからという評価がしてありました。またこの間抗ガン剤投与量の間違いで亡くなった高校生の受け持ち医についても、「とんでもない医者だ。こんなモンをほっといていいのか。上のモンの管理が・・」と言う論調でした。あのですね。その上のもんも同様の医者であることが珍しくないからこういうことが起こるのです。管理の問題ではありません。
大学病院では一般的にその大学の医局にとにかく長くいればいるほど、つまり決して現教授の批判をせず、「ごもっともごもっとも。いやあ流石は教授ですね。」などと教授の覚えがめでたいと、次の教授への道が開けます。また各大学ともよそからの人を受け入れるのは「植民地になる。」と考えており、何とか中で教授候補を見つけたがります。結果みんな何が何でも大学に残りたがり、医局の中の人事は全然変わらないと言う状態になります。また市中病院から教授を迎え入れるということもまれで、その理由として、「中の事務的な手続きが外からの人ではわかりにくい。」という馬鹿な理由です。さらに文部省の教授選の候補の□として「教育的な機関の出身者が望ましい。」とちゃんとかいてあります。この望ましいというのはくせ者で実際はそうでなくてはならないとほぼ同じ意味です。こういったたこつぼ型の人事になっている大学というのは日本中にごまんとあります。学会になるとたこつぼ同士の面子のかばい合いになります。本当は討論をする事になっているのですが、面子を大事にするあまり、相手の痛いところには切り込まないと言う何とも間の抜けた討論になります。これを無視したりすると面子をつぶされたと言うことになり、討論と言うより、感情のぶつかり合い、つまり喧嘩になります。もちろん臨床経験も豊富で、自分のライフワークを持ち、若い医師の指導も上手なまともな教授もいますが、本当にまれです。こういう状態で上が下の管理をすると言うことはどう見ても危険です。
また市中病院でも役職は年功序列で、どう見ても臨床経験も乏しく、考えも浅いのが上に立ったりすると、悲惨な状態になります。自分が見たこともない症例や手術したことのないケースでも、知ったかぶりをしてとんでもない指導を始めます。こちらは経験済みだしよく調べてかかっているので、どう見てもおかしいのですが、言い出しても喧嘩になるだけです。
ではまともじゃない医者を追い出すにはどうしたらよいのでしょうか?
現時点ではほとんど手がありません。実力をチェックできるシステムがなく、さらに上のものにそのシステムを作る気もない日本では、あと百年近くはこのままの状態が続くと思います。
患者側がしっかりチェックすればと考える方もあるかもしれませんが、エレベーターの中で見ず知らずの医者にぺこぺこ頭を下げている、また出口近くにいるからさっさと降りればいいのに医者が降りるまでじっと待っている人がいっぱいいる状態で、チェック機能が働くとは思えません。ぺこぺこしないと思うと全く知らない医者に妙になれなれしく「でかい先生やなあ」とか話しかけてきます。先のペコペコのたんなる裏返しでその根っこは同じです。
もう一つ心配なことがあります。こういったマスコミの無責任な書き込みをしっかり信じ込んでいる人が沢山いるのです。「またミスをした。けしからん。ミスなんかあっちゃいけない。金権大学出身だからいけない。」などなど様々なことを信じています。
ミスは人間がやることである以上絶対に起きます。問題はそれをカバーリングするシステムがあるかどうかですが、これも面子の問題で、他の医療従事者、看護婦さんとか、技師さんは指摘したがりません。下手に面子をつぶすと後で報復を受けるからです。婦長や技師長に「君のところの足軽君ねえ。いちいち医者に失礼な態度(!)を取るんだよ。よく叱っておいてくれ」。チーム医療と言う言葉だけは20年前からありますが、現場を見ているとどんどん時代が逆行し、江戸時代に近づいている気がします。
金権大学だといい加減と思いこんでいる人へ。国公立出身でも同じ事です。(確かに割合は少ないかもしれませんが。)
ようするにマスコミはきっちりと突っ込んで考えて取材していないので、上っ面だけで大騒ぎをし、さらに医療不信を疑心暗鬼に近い状態まで高めているんではないかと心配しているわけです。太平洋戦争時代の提灯記事からほとんど進歩がないマスコミにはある意味うんざりします。
結論:自分で話し、説明を聞いて、安心できる人ならあなたにとっての名医です。無名有名関係ありません。また自分の病気に関心を持ち、他の人の病気にはあまりとらわれないようにしましょう。病気はその人だけのものであり、個人のプライバシーでもあります。(でもこんな考え方はとても日本人のものではなく、まだ100年以上このままがつづくでしょうね。