情報公開とプライバシーの保護の谷間で。

 このところかしましい情報公開、カルテ公開が日本人に果たして適しているのかどうかを今夜は検証してみます。(NHK調)

 告知、自分の状態についての検査結果などの情報の開示、いろいろな形で病院には情報公開が迫られています。これまでの病院は医療情報は業界の人間のものと考えていた節は確かにあります。情報公開、大変結構なことです。ところーが、受ける患者さん側に重大な問題があることがあります。というのは勘違いしているのか自分も情報公開してしまう人が結構沢山いるのです。癌と告知をするとよその部屋の患者さんの所まで出かけてわざわざ「オレは癌と言われたけどあんたは本当に潰瘍かあ?」と余計な一言を言って医者のそれまでの苦労をぶちこわしにする人。「これは抗がん剤だからね。」と本人だけに話をしたところ病室に帰るなり薬を見せびらかせ、「これが抗がん剤だぞお」と近所の患者さんに大声で説明する人。中には告知せずに家族のたっての希望でこっそりその薬を使っている人もいるのです。さすがに本人を呼んで注意しましたが、言ってしまったことは元には戻りません。
 要するに情報公開は結構なのですが、それは患者さんそれぞれを対象にしているわけで、みんなに知られるようにすることが情報公開ではないのです。
 「そんな事態は全員に告知が行っていないからおこる。」といわれる方もあるかと思います。手術をしてみたら余命3ヶ月の末期状態であった患者さんや、高齢で病気自体について理解できない患者さんもいるんです。全員に告知するのは楽なことですが、後々の精神的なフォローがまた大変です。(ラクがしたい方はこんなケアはもちろんしませんから、大変無責任な状態になります。)
 人を見て法を説けとはよく言われますが、現在手術を受ける患者さんのうちかなりの方がこのどちらかに当てはまってしまいます。治る希望がほとんどない状態を誰が聞きたがるでしょうか。また告知をしたのはいいが、周囲に言いふらす人に告知をすべきなんでしょうか?
 プライバシーという観念がきわめて薄いこの国で告知は果たして向いているのでしょうか?アメリカは訴訟社会であるが故に、何が何でも告知をして、治療法についての契約を結ぶというパターンでした。日本で同様のことが出来るでしょうか。たぶんアメリカでもかなりの患者さんが情報公開の名の下にある意味無理矢理告知を受け訳が分からない状態で治療法の契約を結んでいるんじゃあないでしょうか。日本はこういうきつい社会には出来ないんじゃないかと思います。
 無論知りたい人には、病状を聞いてくる人には成るべく正確にしかもわかりやすく(難しいのですが。分かりやすい説明というのは要するに患者さんが聞きたがる情報です。簡単に健康が維持できるとか簡単に癌が治せるという話はウソであっても信じたがり、結論として分かりやすい説明となってしまいます。)説明するのにやぶさかではないのですが、悪い話は一切聞きたくない、という人も世の中には沢山います。癌の話を聞くとよその人もきっとそれに違いないと余計なお節介をする人も後を絶ちません。またそういうお節介な人の意見を平気で信じてしまい、医者の言うことなど聞いてない人も多々あります。
 対策はちょっと難しいです。病院を分けるしかないでしょう。自分のプライバシーが守れ、余計なお節介は焼かないが、自分の病名が知りたい人はそれなりのセンターへ。何も聞きたくない人は何も言わない病院へ行ってもらう。ちょっと過激ですが。でも現在でも”がんセンター”という名前は十分に前者の資格があると思います。ここに来る時点で本人は覚悟を固めているわけですから。
 まだ1時間もかけて自分は説明をしていますが、もうやめようかと思っています。癌の話しも聞きたくない人にはそこそこで押さえ、再発の話などやめておこうかと考える今日この頃です。

結論:今後癌を扱う病院は数を絞るべきです。で扱っている病院では告知を原則とし、化学療法、放射線療法、緩和ケアも受けられるようにします。扱う資格のない病院では癌患者が来た場合本人に専門病院へ行くかどうか選択させる。その病院で治療を受ける場合、告知は無し。そのかわり化学療法等も行わない。これでどうでしょうか。知りたくない人は知らずに済む病院へ。知りたい人は告知を前提にした治療が受けられる病院へ。告知を巡るトラブルを避けるには一つの方法だと思いますが。