独り言日記3:研修医の責任?
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最近の事件で心臓外科手術で体外循環を回していた研修医のミスで病院が訴えられ研修医に大半の責任をおっかぶせている現状から。
前回も書いたとおり、日本の研修医のシステムというのは不明朗な上責任の所在が全く明らかではない。無論かなりしっかりやっているところもあるだろうが、このシステムは個々の病院に任せきりで、内情がわかりにくい。一般に日本の研修は大学かまたは所属医局の関連病院で行われる。公募を行っている病院もあるが、とても数は少ない。関連病院になっていた方がまだ確実に研修医をゲットできるからである。この研修医の立場というのがとても弱い。殆ど下働きでまともな指導は受けない。技術は盗めというのが日本の医療業界の常識だからである。私もまだそれにかなり染まっている。しかし、本当は指導というのはそれでいいものだろうか。医師免許はあるとはいえ立場は研修医であり、いっぱしに訴訟の被告席に座る資格など無いのである。つまり、責任をとるべきはその研修医を指導した責任者ということになるのだが。大学病院なら誰が責任をとるのだろうか。教授?取るわけがない。口は出すが、責任をとらないという教授は☆の数ほどいる。つまり研修医を雇うならそれぞれその指導責任者というのを本来の意味で設定する必要がある。これをされると設定された方にとっては大変なことになる。日頃の「技術は盗め」では済まなくなり、一人前に出来るまでつきあわなければならなくなるからである。こんな面倒なことはやるわけがない。
というわけで結局体外循環を回していた研修医のミスは彼一人のものとなるのである。無論本当に教えたにもかかわらず、覚えないという人間もいる。この場合は問題を起こす前にそもそもその段階まで進ませてはいけないのである。
先にも書いたとおり競争させるためには研修医にもいくつかのステップを設ける必要がある。ここまで出来ればジュニアの研修医その先はシニアその先はレジデント。ここでミスを繰り返す、出来が悪いといった研修医を振り落とせばいいわけであるが、逆にそんなきつい病院には研修医の応募が集まらないという事も出てくる。楽して儲けたいというのは万人に共通しているからである。
教えるという行為は一般に人間にとって快楽である。刷り込んだ通り動いてくれるのは確かに見ていて気持ちがいい。しかし教えた快楽を味わう以上それに見合う責任という苦痛はついてくるのである。口でああだこうだと指導した気分になるのは勝手だが、その指導が誤りであっても責任はとらないなら単なる野次馬である。野次馬がいっぱいいても研修医の教育にはならないのである。外科でいえば例えば胆石の手術の指導をしていて研修医が胆管を切ってしまった、当然家族や本人への説明に指導した医者はつきあわねばならない。「おまえこうやって説明するんだよ」とその場から動かず口だけ出していては責任をとったことにはならない。さらにそのリカバーを一緒に考えてやる必要があり、また術後にトラブルが起きるようならそれにも策を立て指導しなければならないのである。「僕こんなの見たことない。」と逃げるのなら最初から指導する資格はない。しかしここまで出来る医者など殆どお目にかからない。野次馬指導医に楽したい研修医の組み合わせが花盛りである。
現在ある、数少ない研修医を公募する病院はなかなかその上の受け皿がない。大学病院はその関連病院出身の研修医達をどんなレベルだろうが受け入れ、臨床研修は無しで研究をやらせて、一般病院へ赴任させる。かくして研修医でも知っている知識が欠落している指導者が多発することになる。「臨床は3ヶ月で覚えられる。」などの戯言をいっている医者もいるようだが、その調子で行けば免許取得後3ヶ月でF1ドライバーになれるはずである。
臨床医のレベルを上げる努力がなければこの国の医療は百年経ってもどんなに厚生官僚が体制をいじくっても変わらないだろう。