医療裁判:患者側の義務責任

 最近とみに増えている医療裁判、無論大半は医療側のミスで、それでもなかなか裁判では勝てない。特に国立の大学病院や国立病院相手の場合。まあ日本は司法は全然独立していませんから、(人事を官僚などの外部に握られているため、国に不利な判決を出すと島流しにあう。)無理もありませんが。で少数ではありますが、どう見ても医療側に対する因縁付けとしか思えない裁判もあるのです。こういったケースはマスコミは全く報道しませんので。

 現在行われているまたは行われつつある医療裁判は殆どが病院のミスで、こういったケースは少数かもしれません。しかし、医者に責任があるように、患者さん側にも義務責任はついて回ります。これがインフォームドコンセントの正体と私は考えています。
このようなケースではたいがい本人への病名の告知がなされていません。病名の告知がなされていないのはケシカランとおっしゃる方もあるでしょうが、家族のたっての頼みとなればしょうがありません。ところがこの時点で家族は自分に発生した責任をたいがいは自覚していません。本人に告知がしてあれば主治医は本人と相談しながら治療戦略を立てることが出来ます。癌であれば再発したときに抗がん剤で行くのか放射線で行くのか再手術をするのか、全てのメリット、デメリットを本人によく説明し、選んでもらうことが出来ます。要するに最終的な決定権は患者さん本人にあります。ところが告知していないとすると、この治療戦略を立てる上での主治医の相談相手は誰になるのでしょうか。正解は告知しないでくれとおっしゃった家族の方になるのです。ところがこういう頼みをする人に限って往々にしてその責任を果たしません。配偶者はたいがいよく病院に現れるため、病態もよく知っており、この人が責任者になってくれるなら問題はないのですが。
例えば合併症などが起こったとき、配偶者に説明して「はいわかりました。」という返事をもらったとします。それに対する対策もその時点の相談で決まりかけたとき、こういうセリフを言う方があります。「あのう、息子に相談して決めたいのですが。」息子さんや娘さんが手術の説明の時熱心にやってくるならばたいがい問題にはならないのですが、往々にして「忙しいから行けない。」という返事が返ってきます。そういう人が配偶者の相談相手になったときに問題は起こります。
だいたい普段説明を聞きに来ずに、マズイ事態になったから来るというのでは、もうその人の態度は見え見えです。要するに不満をぶちまけたり、医者に当たり散らすために病院へやってきます。怒り心頭でやってきた息子さんや娘さんに最初の最初から説明するだけでもぐったりしてしまいます。こちらも配偶者にしたのと全く同じ話が出来るほど記憶は良くありませんから、小さなところで説明が食い違ったりします。すると相手は鬼の首でもとったように「説明と違うじゃないか」と怒り出すわけです。終いには「訴えてやる。」ということになります。
普段来ない人がトラブルの種になった具体例を一つあげます。若くして甲状腺癌にかかり、肺転移もあるため手術どころではなかった女性が亡くなりました。病態にわからないところがあったので「病理解剖を。」と普段ついていたお母さんにお願いしたところあっさりOKが出ました。病理解剖の準備をしている最中若い男が病棟に現れ、「妹の体を切るのはゆるさん」と喧嘩腰でした。普段見たことがないのでお母さんに聞くと兄だということでした。結局このお兄さんの剣幕で解剖は中止になりました。これはなくなったかたなので責任をとるとらないには関わりにはなりませんでしたが、私にとっては「普段来ない、忙しいからと話も聞きに来ない人間は要注意。」という教訓になりました。
遠方に住んでいて聞きに来れないという息子さんもいました。だいたい癌の性質を説明するにはいつもやっている1時間の説明でも足りないと思っています。しかしこの1時間にさえつきあえず、「これは治らない」と配偶者に告げたのを聞いてからようやくやってきました。しかもご当人の「忙しい」というセリフで、何曜日の何時しか行けませんということで、外来の日に来てもらいました。ご当人は週刊誌での知識をいっぱい詰め込んで、「こんなにいい治療法があるのに勉強不足じゃないのか。」と詰め寄られ、それはまだ動物実験とかの治験段階でという説明を延々2時間もするハメになり、外来はめちゃくちゃになりました。相手の都合はどうでもいいんでしょうかねえ。ちなみに配偶者つまり彼の母親は地区の教育委員だそうで、インテリであってもコレではダメだと思い、以後必ず説明の時は「息子さんか息女さんを呼んでね。」と強調しています。
まあ幸運に訴訟にはなりませんでしたが、一歩間違えればたぶんワケのわからん訴訟になっていたハズです。たぶん法廷では患者側の義務だのは一顧だにされませんから、何だかんだともめることは必定です。「君が説明があると言うときに忙しいと行って断ったのが問題じゃないのかね。」などという裁判官がいたらお目にかかりたいものです。
現在私は患者さんと家族と面談して、どう見ても家族が頼りない場合(責任を負えそうにない場合)本人に告知しています。たとえ家族が反対しようと。特に癌の場合、家族にこれから起きうることを十分説明するようにしています。いわく「癌というのは反則なしだから怖いんですよ。これこれこう言うところに再発する可能性があり、それがいつ起こるかわかりません。」
確かにこういうケースは少数でしょう。東大病院の細胞診の結果「組織を取って下さい」と病理のコメントがついているにもかかわらず、あっさり乳房を取ってしまった話しもあります。うちでも組織の結果も出さないうちから「甲状腺癌で手術」と言っていたのを土壇場で私が「組織診した?」と聞いて手術を中止させたケースもあります。乳房の嚢胞(水たまりですな)を刺して細胞診で癌疑いと出たからといって、乳房切断をしようとした外科医を患者さんが「せめて組織が出てから」とたしなめて手術を縮小したケースもあります。
患者さんの取り違え、医者の腫瘍外科医内科医としての知識の欠落による余分な手術、といったものはもちろん断固として糾弾すべきと思います。しかしもう一つ言いたいのは、癌を扱っている外科医の何人が腫瘍外科医の資格があるのでしょうか?通常大学で外科のコースを選ぶと外科以外の所は見たこともないということになりがちです。腫瘍を相手にしているならせめて病理と画像診断についてある程度の知識を持つべきなんですが、そんな教育を施しているのは国内ではほんの数施設で、しかも大学ではなく、研修は医師の希望のみという状態です。またこの腫瘍外科とか内科とかは標榜を許されていません。教育、その後のシステムともにこんな穴だらけの状態では後百年は医療業界は変わらないでしょう。また患者さんを取り違えるというのは明らかに患者さんとのコミュニケーション不足からおきていると思います。大病院での「下っ端が行って来ればいいんだよ。」方式の執刀医または麻酔担当医が殆ど患者さんと顔をあわせないシステム、プライマリーナーシングとか格好を付けて看護婦に担当の患者さんをつけてしまったあげく同じ外科チームに入っている他の患者さんには殆ど関心を持たず見たこともないというシステム。忙しい、人手が足りないというのはわかりますが、せめて担当の医者は手術説明、麻酔説明を含め何回か受け持ち患者さんの顔を見る、プライマリーナーシングなどと気取ってないでチーム全体の患者さんが見れるような看護婦を養成する、こう言ったことで地道に取り違えをなくすことが出来るのではと思います。ただいろんな意味で日本の病院は保険点数に縛られて全くの人手不足の状態であることは強調しておきます。