外科医が呼吸器を止めた話

 前回のしっぽにあった呼吸器を止めた医師の話をします。NHKだかでそれについての解説をやっておりましたが、的がとんでもないところにあります。確かに呼吸器を止めたこと自体は殺人になってしまいます。しかし外科での手術だってすべて傷害罪に当たるのです。内科医だって出している薬は劇薬でありこれも傷害に当たるでしょう。どこで線を引くべきか、そもそも呼吸器を止めるに至った経緯は何かということを今回はテーマにします。

まず止められてしまった人はなんの疾患だったのでしょうか。報道の範囲内では癌の末期と言うことです。では癌の末期の患者さんにそもそも蘇生をして良いのでしょうか。まずNHKはこの問題を掘り下げるべきだったのです。
一般に非常によい傾向なのですが、癌の末期に蘇生をする病院はかなり少なくなっています。蘇生しないことについては本人がしっかりしているときは本人、(つらい物がありますが)本人が意識がほとんど無いときは家族に同意を得ています。しかしこれ自体はカルテには書かれるものの書類自体はあまり見たことがありません。私自身は今の司法の情けない状況から見てひょっとして文書で出せなどといわれるかもしれないので複写の紙に書いて手渡しもしています。(出来ないときもあります)これが良い傾向だという理由はそれぞれの立場で考えても自明です。まず患者さん本人、蘇生して長生きできるならまだ納得も出来るでしょうが、末期の苦しみが若干のびるだけとなればこれはノーサンキューです。家族はどうでしょうか。確かに抜いてしまうと殺人に問われる可能性もあるので、そのままおいておきます。数日間は寿命は延びるでしょう。しかし毎日夜もついている家族にとっては付き添いの人間をそれだけ工面せねばならずとても大変になります。言い忘れていましたが、蘇生しないという同意を取るとき同時に間に合わない人がたくさん出てくる可能性があることも承知してもらってます。ついでに夜間だと主治医も間に合いません、通常。以前他の医者の担当の患者さんが主治医が立ち会ってないとはどういう事だとくってかかっているのを見たことがあります。常に間に合わせようとしたら数日間泊まり込みになります。またその医師の担当の患者さんは他にもいるわけで他の患者さんにとってはよれよれの医者の診察を受けることになり恐ろしく迷惑を被ることになります。泊まり込みが長くならないという意味で家族の負担も軽くなります。また蘇生するということは当然心臓マッサージなど行います。胸骨や肋骨が折れることもあります。あちこち血管を刺されて血だらけと言うこともあります。日本人は遺体とか遺骨をとても大事にします。これは先祖崇拝の宗教の一部です。そういう意味で未だに脳死からの移植は進みません。多分日本人が無意識に信じている先祖崇拝という宗教を捨て去るまでこれは続くと思います。その意味でも体のあちこちを傷つけられるのは家族にとってもあまり良い気分はしません。

結論;ネタがかなり古くなり(アップし忘れた)申し訳ありません。とにかく呼吸器を止めた騒ぎをする前につけてはならない場合を考えておくべきでしょう。悪性疾患末期状態:奇跡の逆転は無理です。悪くなるだけです。私の扱う範疇で抗ガン剤で何とか5年生存が出せるのは乳癌食道癌甲状腺癌くらいの物です。本人の尊厳死カードがある場合:法的な整備は遅れていますが、逆転の可能性があっても本人にその意志がないときは従うべきでしょう。
何でも人工呼吸器でとにかく家族が間に合うまででは本人も苦しみが長引きますし、誰それがそろうまでと延々始まって際限が無くなる可能性もあります。もちろん保険財政も圧迫します。また無理な蘇生は遺体を傷つけてしまうことにもなりかねません。蘇生をしない(Do not ressucitate,DNR)の生前の説明は必須と考えています。