息子の命日
舞浜のホームに降り立った中年の夫婦は、まだ肌寒い三月の東京湾の潮風にコートの襟を立て、ホームから見下ろせる東京ディズニーランドを前に、静かに何やら語り合っている。二人はどこにでもいるような、ごくありふれたカップルで、女房サービスにやってきた、ただの中年夫婦に見えただろう。
姓は加瀬、夫は浩司、妻は杏子という。二人は山梨県甲府市の生まれの同郷で、縁あって十年前に結婚してからは、夫婦で小さい葡萄農園を営んで、質素ながらも生計を立てている。
二人は共に大の子供好きだったが、なかなか恵まれず約二年前にやっと授かったものの、一年前に不幸にも亡くして、ちょうど今日が息子の浩の命日にあたる。
浩を亡くしてからは、いつもうつろで寂しげな杏子を案じていた浩司は、昨晩は一大決心で杏子に「明日は東京に行こう。そしてディズニーランドに行こう。」と伝え、無理やり早朝から引っ張り出してきたのだった。
ほぼ開門と同時に東京ディズニーランドに入った二人は、楽しむともなくとりあえず会場を一回りしたあと、昼食には少し早いが予定してたように、秀悦な接客マニュアルをもとにしたサービスで、リピーター客を獲得することで有名なレストランに入った。
二人は昼食にまだ早い閑散としたレストランの海の見える窓際の席に案内された。
「何になさいますか?」とのウェイターに対し、「お子様ランチをください」との加瀬の注文に、ウェイターは接客マニュアル通りに、「どなたがお召し上がりですか?お子様ランチは量が少なく、お子様に好まれる味付けになっておりますので、大人の方が召し上がっても満足できません。他のものにしては如何ですか?」と応えた。
しばらくの沈黙のあと、加瀬は、「我々が頂くのですが。実は我々夫婦には子供がおりましたが、一歳で亡くなって今日が一周忌になります。子供が歩けるようになったら、家族揃って東京ディズニーランドに来て、子供にお子様ランチを食べさせてやるのが我々の夢でした。それも適わないこととなり、我々二人でお子様ランチを食べにきたのです。」とウェイターに告げた。
ウェイターは、「そのようなご事情とは知らずに失礼致しました。」と言って、お子様ランチの注文を受けて下がった。
しばらくすると、ウェイターは子供用の小さな椅子をひとつ持ってきて、家族用のテーブルのセッティングを行い、そこにお子様ランチが運ばれてきた。あたかも子供連れのセッティングがなされたテーブルで、浩司と杏子は感無量の喜びとともに食事をすることができた。
食事も終わって満足げに帰る二人へ「またのお越しをお待ちしております」とのウェイターの挨拶は、浩司と杏子の新たな希望へのエネルギーになっていた。
帰りの甲府への車中、いつもとなく明るく快活に語らう夫婦に戻った浩司と杏子は、新しく子供を授かりたいと願い、その子供と一緒に再びレストランを訪れ、お子様ランチを食べさせてやることを誓った。
(2005/05/06)