Coppermineを斬る!

 

(1)プロローグ
 CPUクロックの進化はめざましく、1994年に100MHzだったのが2000年には1GMHzの壁を破るまでに至り、約5年半で10倍の高速化を成し遂げた。また最近になって特に加速された進展は凄まじく、たった13ヶ月で500MHzの高速化が図られている。これほどの進化を遂げた背景には、技術要素もさることながら、Intelの牙城を揺さぶるがごとくの強力なAMD Athlonとの切磋琢磨の競合も見逃すことができない。
 新コアテクノロジーでCPUクロックを上げるのが比較的有利なAthlonに対し、すでに10年近いPentiumアーキテクチャーを継承する不利な立場のKatmaiは、実効速度を得るのと共にCPUクロックの足枷でもある外付けL2キャッシュのオン・ダイ化作戦に転じた結果Coppermineが誕生した。そのCoppermineは1999年11月初旬に流通するが、外付けL2キャッシュの呪縛から解き放たれた高速化には目を見張るものがあり、オーバークロッカーが集うBBS等では、600MHz定格のCPUが800MHz超えて動作するとの報告が相次ぎ、一躍衆人の垂涎の的となる。また800MHzを超えてCPUを動かすためには、FSB周波数が133MHzを超えることから、高クロック動作DIMMの真価が問われはじめたのもこのあたりからだ。その意味では、CoppermineはCPUのみならずRAMの高速化にも寄与したPC史上に燦然と輝くCPUと言っても過言ではなかろう。
 この記事は、このような背景より生まれたPentium究極(考えようでは終焉)のCoppermineについて、詳しく調べたいとの思いでスタートすることにした。推定や憶測が多々あることもあり、フィクションとして読んでいただいて、読者の謎解きゲームの一助となれば幸いだ(^^;)。

 内容は主に「動作(限界)クロック」「製造週」「S-spec」をキーワードに展開することになろうが、CPUのカバーに刻印されている12桁のロット番号の見方を今一度整理しておきたい。
 「90080449-0126」、これは私のPentiumIII-750(SL3V6)のロット番号だが、上の桁より次のルールで振られているで、マレーシアにて2000年第8週に生産されたことに間違いないようだ。
  「9」   製造国(0:コスタリカ、1:フィリピン、9:マレーシア、Y:アイルランド)
  「0」   西暦の下一桁
  「08」   製造された週
  「0449」 週より細かい分類
  「0126」 製造工程のカウンタ
 なお、「S-spec」の詳細についてはこちら

 さて、まずはこのグラフだが、OverClocker's DreamのCPUロット情報に登録されているデータ(2000/4/7ダウンロード)を元に、1999年のMALAY産でかつSL3NAとSL3H6でかつ空冷(ペルチェ/水冷を除く)での動作(限界)クロックを製造週ごとにプロットしてみた。
 筆者はCeleron Worldにて45週(11月上旬)にSL3H6の800MHz超え(828MHz)を聞いたのがCoppermineの初情報であったが、極めて品薄で上位の型番は入手できるものの、600Eだけはふつうの入手は難しい状況が続いた。その後争奪戦による投機品的存在の高騰も加わり、$455のものがプレミアム付きで5.5万円で販売されていたが、それでも飛ぶように売れていた状況は記憶に新しい。グラフを見る限り品不足は事実で、第1ロット(40〜41週=9/26〜10/1)の生産以降、年末から2000年初頭に市場に流通した第2ロット(49〜51週=11/28〜12/18)までは、主工場のMALAYでの生産がなかったことを物語っている。
 また600Eは50週前後がクロック耐性が高いとの伝聞も事実であることを裏付けている。

600Eの製造週と動作クロック

 このグラフには他にも多くの謎が隠されているようにも思えるがまず現在の疑問は、
  1)600Eが生産されてなかったMALAYの42週〜48週の生産はどうなっていたのか?
  2)600Eの第2ロットのクロック耐性が高い理由は何故なのだろうか?
 疑問は限りなく続くが、とりあえず上の2つの疑問は以降で謎解きをしてみたい。
                                                 (2000/04/09)

 

(2)600E年末ロットの謎
 前の一つ目の疑問だが、まずは下のグラフをご覧願いたい。報告があった40週〜52週のマレーシア生産全てのCoppermineのデータをプロットしてみたが(N=427個)、確かに42週〜48週生産の600Eは確認できないものの、500E/550Eならびに上位の650Eまで確認することができた。
 また確認はできてないものの、更に上位の667/700/733が11月上旬(45週)から秋葉原で流通している事実からも、囲まれた「?」のゾーンに本来これらが入るものと思われる。では、本来あるべきデータが何故にないのであろうか?推理の域は出ないが、供給不足騒動もあったことからも、Intelは大手パソコンメーカへ優先して供給した結果、DIYユーザーが手にするには余りにも高嶺の花であったことを物語っているのだと思われる。

 このグラフには、1999年40週〜52週(Intelの第4四半期に相当)の間にたった427個のデータしかないが、Intelのこの期間のCoppermineの出荷は数百万台規模と伝えるところからすると、大半の生産を支えるマレーシアでは少なくとも百万個規模となることから、0.05%以下のほんの僅かなサンプリングデータとなる。故に、グラフが必ずしも事実を反映したものと考えるのは早計で、あくまでも推理の一ツールとしての活用が望ましい。

Coppermine全ての製造週と動作クロック

 さてやはり気になるのが、前の二つ目の疑問でもあった49週以降の600Eで、クロック耐性が上がったように窺えることだ。40週頃の生産開始から約2ヶ月間も大きな変化が見れなかったのが、何故に49週を境にして突如耐性が上がったのであろうか?

 思い起こすのは、Coppermine初期のシステムブートに失敗する「起動時の不具合」だ。Intelはいまだに真相のほどを明らかにしていないが、症状から察するところチップの一部にある脆弱な個所がコールドスタートを不安定にさせるもののようで、人間に例えれば部分的に細い血管があって全身に十分な血液が循環しないようなものだ。
 12月1日(米時間)にDELLはこの問題により新製品の製造を中断したが、翌2日にはIntelのテスト方法が開発されたことによりにより、出荷は再開されたと報じられている。何ともスピーディな解決であるが、不具合が公開された1日にIntelのサリバン氏が「不具合は1〜2%程度のもので、発見されたのは研究所でのみ」と語っていることからしても、すでにIntelでは既知の事実であり対応策も講じていたと見るのが自然で、公開のタイミングを見計らっていたに過ぎないと筆者は想像する。
 とりあえずの対応策は出荷テスト基準の強化で、抜本的な対策はステッピング変更時に行うと報じられているが、前者は選別であり、後者はマスク書き換えを指しているものと思われる。

 この発表の12月2日は重要な意味があり、何故ならば週番号で49週に相当し、クロック耐性が上がったタイミングと合致するからだ。よって強化された出荷テスト基準がクロック耐性を押し上げたものと推定できる。また単なるテスト基準だけの強化だけでなく、あらかじめ準備された不良率をできるだけ小さくする生産工程におけるチューニング品が49週から流れ始めたとも考えられる。

 「起動時の不具合」を取り除く選別の実施とクロック耐性との関わりだが、CPUに最も過酷なエネルギーを要求するのはBIOS起動から始まる一連のOS起動ということもあり、ここが強化されればクロック耐性が上がるのは火を見るよりは明らかであろう。

 さて「起動時の不具合」を引き起こした問題の脆弱な個所だが、結果的に設計マージン不足になるような単純な問題を、はたしてIntelともあろう会社が見逃していたのであろうか?すでに知り尽くしてたようなスピーディーな対応も含め、筆者はここに大きな謎を感じてならない(^^;)
 次はこのあたりについて、邪推も含めていろいろと考えてみたい。
                                                 (2000/04/15)

 

(3)プロテクトの必然性
 図らずも「起動時の不具合」によって露見された脆弱な個所であるが、非常に重要な事実が隠されているとの仮説にもとづいて今後話を続けてゆくが、まずは予備知識としてのオーバークロックに対するプロテクトの必然性について整理してみよう。

 オーバークロッカー(Over Clocker)なる和製英語もここ数年ですっかり定着したようだが、より高い性能を限られた資源内で実現しようとする経済的理由もさることながら、未知なる世界を追い求めるロマンのようなものも相まって、自作ユーザーと言えばオーバークロッカーを思い起こすほどの、クロックアップが常套手段になりつつあるのも事実だ。筆者だけか(^^ゞ
 そもそも、クロックアップをしても十分実用に耐えるマージンを持つことこそが元凶でもあるが、CPUに代表される設備費に対して素材費が極めて低い半導体生産においては、同じものを同じ方法で生産することが結果的に最も低い製造原価となることから、たとえ商品ランクが異なるものでも同様な生産方式が取られ、必然的に下位のものほど大きなマージンを持つことになり、オーバークロッカーの意欲を駆り立てる結果ともなっている。
 もちろん生産されたものを無作為に商品ランクごとに振り向けるのでなく、動作限界が高いものを上位の商品、低いものを下位の商品に振り向けるための分別、いわゆる選別が実施されているが、生産分布と製品分布の不整合が問題をますます複雑にしている。

 ピンクの「山」は生産される分布(生産分布)を表しているが、動作クロック限界の平均値付近の数が最も多く、平均値から離れれば離れるほど取れる数は少ない、いわゆる統計学上の正規分布と呼ばれる分布である。いっぽうブルーの「三角」は商品として必要とする分布(商品分布)であり、下位の普及品が数量的に最も必要で、高価な上位になるほど必要度が少ないことを表している。
 さて、生産分布のものの全てを無理やり商品分布に振り分ければどうなるであろうか?当然下位のものの中に動作クロック限界の高い、すなわちマージンの大きなものが混在せざるをえなくなることは自明の理であろう。実際には全ての選別を行うのではなく、一定期間に必要数量が確保できた時点で、手間になる以降の選別は実施しないものと思われるので、これらがますますマージンを高く押し上げる結果ともなっている。

生産分布と商品分布の差異
 以上のことから、いかなる状況下においてもマージンは存在するものであり、かつ生産が安定すればするほど、また下位になればなるほどマージンが高くなる傾向がある。ここにメーカーは、商品戦略上からオーバークロックを阻止するためのプロテクトの必然性が生じる。
 次はプロテクトの歴史背景を探ってみたい。
                                                 (2000/04/21)

(4)プロテクトの歴史
 核心に迫る前にプロテクトの歴史を少し遡って整理してみたい。

 1)プロテクトの必要がなかった時代
 1971年に世界初のマイクロプロセッサとして登場した10μmプロセスによる108KHz動作のIntel 4004は、約22年の間に8008→8086→80286→i386→i486とめざましい進歩を遂げ、1993年には0.8μmプロセスのPentium-66MHzが誕生する。(マイクロプロセッサの歴史はこちら)
 その当時のFront Side Bus周波数(以降FSBと略す)は33MHzからスタートし66MHzまでに至るが、メモリーやマザーボードはもとよりCPU自らもマージンも少なく、せいぜい1ランク上のCPUまでクロックアップができれば上出来で、プロテクトの必要性もなかった時代と言える。事実、昨今のように同時もしくは極短期間でラインアップできる状況でなく、時間をかけた工程改善の結果から上位のCPUが生まれていたものと、グラフからも推測することが出来るであろう。
 この大らかな時代は、1997年6月に登場するPentiumIIの233MHz/266MHzの出現まで続くことになるが、0.35μmプロセスへのシュリンクによって発熱も軽減されマージンも持ち備えていることから、一般にオーバークロックの試みがはじまる。ただし、当時はまだPC/66時代ということもあってFSBの制限も多かったため、倍率変更を組み合わせたオーバークロックが常道とされていた時代でもあった。

 2)倍率固定プロテクトの採用
 1998年のお屠蘇気分もまだ覚めやらぬ1月10日、0.25μmプロセスへとさらにシュリンクされたDeschutesコア最初のPentiumII-333MHzは、オーバークロッカーの期待も背にして秋葉原に颯爽と登場するが、これこそが忌まわしい倍率固定を採用した最初のCPUである。以降、順次下位のものもKlamathコアからDeschutesコアに置き換わる段階で倍率固定に変更される。
 Intelの説明では、倍率固定の目的はマーキング改竄で下位のものを上位のCPUに見せかけた偽物防止策とされているが、マーキング方式の改善等もある中で、わざわざ倍率固定の採用に至ったのは、販売戦略を固持するためのプロテクト以外のなにものでもないと思われる。
 当時はいまだPC/66時代でもあったことから、FSB設定しか許さない倍率固定はプロテクトの役割を十分に果たせたかのようにみえた。

 3)440BXの出現で倍率固定が崩壊
 ところが、倍率固定のPentiumII-333MHzが登場した3ヶ月後の1998年4月15日、100MHzのFSBを持つ440BXチップセットを搭載したマザーボードが秋葉原で一斉に発売されると共に。まだ流通したばかりの\99,800もする高嶺の花なPC/100(CL3)128MB DIMMが、わずか2週間で約1/3の\33,800まで値を落とす大暴落も見方にし、一気にPC/100時代を迎えることとなる。
 PC/100対応のマザーボードとメモリーを手にしたオーバークロッカーは、十分マージンのある66MHz対応CPUを100MHzで動かして約1.5倍のオーバークロックを謳歌することになる。
 Intelは皮肉なことに、自らの440BXチップで自らの倍率固定プロテクトを破る結果となる。

 4)Celeron300Aで最後の砦も崩れる
 ただしそれ以上は、外付け1/2速L2キャッシュが追随しないことにより、オーバークロックの事実上の最後の砦となっていたのだが、1998年10月1日に秋葉原に流通した内蔵L2キャッシュ(ダイオン)のCeleron300Aにより崩れ去ることになる。Celeron300Aは66MHz対応CPUなので4.5倍で動くが、FSB 133MHzで600MHz動作の報告があちこちで相次いだ。
 メモリの高速動作が言われ始めたのはこの辺りからだろうか。ショップ動作保証のPC/112やPC/128が出現し、翌年1999年3月27日には正式仕様のPC/133(CL3) 128MBも登場する。

 FSB周辺デバイスであるマザーボードとメモリーの進化を背景に、CPUのオーバークロックプロテクトについてまとめてみたが、イタチゴッコなIntelの苦悩は推し量れないものがあろう(笑)
 次は「Intelの生命線」なる核心に迫ってみたい(^^;)
                                                 (2000/05/04)

(5)動作クロックの生産分布モデル
 暫くの間が空いたが、詳細はいずれお話をすることになるが「Intelの生命線」なる仮説の立証に、気温が上がって欲しいこともあって少し筆を休めていた(^^ゞ。そろそろ気温も上がって格好のタイミングに近づいてきたのでシリーズを再開するが、核心に入る前に動作クロックの生産分布モデルの実際について検証しておきたいこともあり、いま暫くのお付き合いを願いたい。

 動作クロックの生産分布は、「山」型のいわゆる統計学上の正規分布だと「プロテクトの必然性」の章でも述べたが、実際にそのようになっているのであろうか。これを検証しておくことは、あとあとに大きな意味を持つと思われるので、あえて本章を割いて確認を行った。
 源泉となるデータは、「600E年末ロットの謎」のグラフ「Coppermine ALL MALAY産」から、50週に製造されたものだけを抜き出して、動作クロック分布がCPUごとにも判別できるようにまとめてみた。またCPUごとの平均動作クロックと、その定格との比率もテーブルにしてみた。

動作クロックの製造分布モデル(MALAY 50週製造)

CPUごとの動作クロックの平均値

 これらから、以下のことが言える。
 1)全体の分布は少しいびつなものの正規分布に近い。
  (Ave,=839MHz,σ=68MHz,Ave,±3σ=636〜1043MHz)
 2)上位のCPUほど動作クロックの平均値は高い。
 3)全CPUの動作クロックの平均値は定格の約1.4倍。
 更に仔細に観察すると、PGA(500E&550E)とSlot1(600E&650)のグループ間で動作クロックが異なるが如くに見えるとか、Slot1グループに800MHz未満と950MHz超えがあまりにも少ないことから選別の痕跡ではなかろうかとか、想像力を働かせば邪推をするには事欠かない非常に興味深いデータではなかろうか。
                                                 (2000/06/07)

(6)Intelの生命線
 もともとは、600E(SL3NA/SL3H6)の年末ロットのクロック耐性が、何故に突如として高くなったのか?との単純な疑問から始まったCoppermineの謎だが、ここにIntelの生命線とも呼ぶべきほどの重大な秘密が隠匿されてるような気がしてならない。

 まず、最近のクロック上昇速度の異常なほどの急進ぶりについて、背景等も交え少し触れる。
 Intelの燦然と輝く成功の歴史を振り返るとき、それはやはり偏執的とも思えるほどのクロック至上主義を忘れることはできない。そしてそこには、矢継ぎ早にクロックを上げた新製品を間髪を入れずに世に送り出すことで、互換CPU陣営を振り切ると共に販売平均価格を維持するという、真にしたたかな戦略を垣間見ることができる。
 下のグラフを見ていただきたい。これはすでに「GHzへの道程」でお馴染みのグラフに少し手を加え、CPUごとのクロック上昇速度を求めてみたものだ。近似式のx項は上昇速度だが、X軸が「日」なので単位は[MHz/日]だ。
 下は年換算した結果だが、新しいCPUほどに進化の凄さを実感することができる。
  Pentium   40[MHz/年]
  PentiumII  150[MHz/年]
  PentiumIII 380[MHz/年]
  Athlon   600[MHz/年]

CPUごとのクロック上昇速度[MHz/日]


 こうしてみるとPentium時代は長閑なもので、3年掛かってやっと120MHzのまるで牛歩のごとくの歩みであったが、PentiumIIになってからは大きく加速し、1999年に首尾よくPentiumIIIにバトンタッチを行い、その後のPentiumIIIもPentiumIIを上回る勢いで進化し、結果的にPentiumの約10倍もの上昇速度となっている。
 ただしグラフをよく見て欲しいが、PentiumIIIのクロック上昇速度は、1999年前半迄はPentiumIIの延長線上であったのが、Athlon登場の後半以降に一気に加速されている。もちろんこの理由は、AMDとの競合の結果に他ならない。

 さて疑問だが、CPUのクロックはそう簡単に引き上げられるものだろうか?答えはノーである(^^;)。しかし、最初から意図的に仕組まれていたとすれば、それはいとも簡単に実現できるだろう。それの実現方法は、まず最高のクロックが得られるCPUを開発し、一部にコントロール可能な脆弱な部分を設けておき、必要に応じて生産品をコントロールすることだ。イメージとしては、調整弁的なものを想像しているが、例えば電源ライン内の一部のパターンを意図的に細くしておき、起動時の電流制限にてプロテクトするイメージだ。
 この推理を裏付ける一つの事例として、前の「(2)600E年末ロットの謎」でも触れた、システムブートで失敗する「起動時の不具合」が挙げられるが、これは脆弱な部分を絞りすぎたための2次的不良だと推定している。

 戦略を支えるコントロール可能な脆弱な部分、これこそがIntelの生命線であったのではないだろうか。
                                                 (2000/07/05)

(7)開かされた安全弁(cB0)
 昨年来からのAthlonの猛追ぶりは、直前に挙げた"Distance to GHz of Pentium & Athlon"のグラフでも如実に物語っているが、Intelは対抗上急遽クロックを上げる必然性に迫られ、早急に次期コアステッピングのcB0にて安全弁を開かざるを得ない状況が発生した。実のところcB0の当初の意図なるものは、コア内でDual Processors対応することであり、前バージョンcA2のSECC2基板上での対応を廃止し、FC-PGAにもDualへの道を開くことにあったが、むしろ命題はクロックに摩り替わってしまった。

 さて、急遽立ち上がった命運を握る期待のcB0生産開始時期だが、OverClocker's DreamのCPUロット情報集計結果によると、MALAY工場では9週のSL3XP、Philippins工場では11週のSL3Y3/SL3XR/SL43F、Costarica工場では14週のSL3XVが発見できるので、2月下旬頃からMALAY工場をスタートに順次量産が展開されたものと思われる(S-Specの詳細はPentiumIII Spec DBを参照)。まさに準備されてたのごとくに、非常にスピーディーな立ち上がりだ。

 成果のほどを検証するために、OverClocker's DreamのCoppermine 700〜1GHz Slot1集計表(2000/10/6ダウンロード)を使わせていただき、Coppermine 700MHzの製造週を時系列とする、cA2とcB0の動作クロックの限界値を比較するグラフを作成した。データは、まずcA2のSL3SYとcB0のSL454を抽出し、更にその中から純空冷以外を削除したので、同じSlot1対応のリテール版のコアが相違するだけの実力値と見なせる。(なお2000年-10週は1999年42週に相当する)

Coppermine700MHzでのcA2とcB0の動作クロック

 グラフから観察できることは、動作クロックについてcB0はcA2に対し約150MHzも高く、最も高いものでは1120MHzにも達することで、この分布はCoppermineの潜在能力を裸にした、すなわち安全弁が全開の姿と言うことができるであろう。なお24週以降で実力が一見落ちたように見えるのは、選別が実施されて上下が切り取られたと見るのが妥当だ。

 このように、すでに伝家の宝刀を抜き去って後がないCoppermineが、今後どのような延命策を用い如何なる終焉を迎えることになるのか、興味はまだまだ尽きない。
                                                (2000/10/31)

 

(8)柳の下にいつもどじょうはいない(cC0)
 いつかは予定の行動であったのだろうが、ステップを踏む余裕すらなく、cB0で一気に全開となってクロック耐性が上がったCoppermineは、L2キャッシュ内蔵で初登場した時の600Eを超えるほどの人気に湧き上がり、「夢をもう一度!」とギガにひたむきに挑戦するオーバークロッカーの夢を次々と満たしていった。
 Intelは、これで当面は安泰と思ったであろうが、しかし余りにもAMDの高速化の動きは早かった。やっとCoppermineのcB0を立ち上げ、L2キャッシュ外付のAthlonなど目でないと思ったの束の間、L2キャッシュを内蔵した宿敵Thunderbirdが見えてきたからである(6月に700MHzで登場のThunderbirdは、10月には1200MHzにまで至り、終始Coppermineを苦しめることになる)。

 Intelは急遽次なるステップアップの必然性に迫られるが、手の内を出し切って絞るだけ絞りつくしたCoppermineには、次の手は0.18μmから0.13μmへのプロセスの移行しか残ってなかった。しかし実行にはまだ時期尚早である。
 そこで困り果てたIntelは、一か八かのギャンブルを仕掛け、その結果生まれたのがcC0と呼ばれるコアバージョンである。通常プロセスが同一でクロックを上げる場合には、それを妨げているクリティカルパスと呼ばれる部分を取り除くのが常道であるが、今回も例にもれずそれらを実行したようだ。
 ダイサイズはcB0の9.2mm*11.4mmに対し、cC0は短辺で0.6mm、長辺で0.9mm小さい8.6mm*10.5mmとなっている。ダイ面積の詳細は下記の通りで、CoreとCacheのAreaがそれぞれ小さくなっていて、ダイ全体ではcB0より14%ほど小型化されている。
      Die Area Core Area Cache Area
  cC0  90(86%)  64(88%)   26(81%)
  cB0  105     73      32
    *ダイサイズの単位はmm2、(  )内はcC0/cB0

 しかし、残念ながらクロック耐性はほとんど変わってない

 データは、OverClocker's DreamCoppermine 700〜1GHz S370集計表(2000/12/5ダウンロード)を使わせていただき、比較的サンプル数の多いCoppermine 800MHzで、かつFCPGAタイプのcB0のSL463とcC0のSL4NAを抽出し、更にその中から純空冷以外のデータを削除した。それらのデータでの、製造週を時系列にして動作クロックを表したのが下記のグラフである。

Coppermine800MHzでのcB0とcC0の動作クロック

 ほんとに勝算があったものかは疑問だが、結果的にIntelの動作周波数を高めようとするギャンブルは失敗に終わり、Coppermineの余命も明らかとなった。逆に言うと、改良の余地などほとんどない、最初から優れた石であったとも言えるのではなかろうか。

 実は、この結果で筆者の脳裏をよぎるのは、Intelは結果を知った上での策謀でなかったのではないかという邪推だ。かつてコアステップが上がるごとに、常に動作クロックを上げてきた実績を利用し、可能性のないcC0に期待を繋ぎとめながら、スムーズにWillamette(現Pentium4)に移行するともに小型化によってコアのコストダウンを図る戦略に、ユーザーは踊らされていたのではなかろうかという点だ。柳の下にいつもどじょうがいるわけがなかろう(^^;)。
                                                 (2000/12/09)

 

(9)エピローグ
 過去8回の掲載で、20世紀最後の傑作Coppermineの誕生から熟成期へ至る足跡を辿り、特に一般報道がされてない「謎」の部分について、筆者の憶測や推理でメスを入れてみた。

 一昨年の1999年11月、Katmai時代の外付けL2キャッシュの呪縛から解放され、颯爽とデビューしたCoppermine(cA2)は、目を見張る高クロック動作がゆえに入手争奪戦ほどの人気を博し、また翌年2月にはコアステップがcB0へと移行し、パワー全開で天井をも見えぬ高クロック動作は、オーバークロッカーの欲望を次々に満たし、騒然たる河童天国をも築いた。
 しかし佳人薄命というべきか、持つべき力を使い果たした身の悲しみ、引き続いて生産のコアステップcC0は、期待とは裏腹に高クロック動作化は失敗に終わった。いまだにIntelのSspec Informationには、1.13GHz動作のSL4HHが存在するが、8月に安定動作の不完全さからのリコール騒ぎで姿を消したきりで、現時点では再投入されてない。

 当初はWillamette(Pentium4)とCoppermineの空隙を埋めるため、高動作クロック化が可能な0.13μm版CoppermineのTualatin(テュアラティン)への継承が考えられていたが、Pentium4を急速普及させるための戦略から、Coppermineの終焉が早まることになった(Tualatinは低電圧モバイル用途が中心となり、デスクトップ用途からは大きく後退)。
 なお詳細は明らかでないが、現在CoppermineのコアステップcD0への取り組みが行われていて、来年早々には登場するようだ。伝聞では、5月頃にcD0にて1.13GHzのリターンマッチが予定されているようだが、成功もしくは不成功に関わらずCoppermineの余命はここまでであろう。

 さらばCoppermineよ!そろそろ緞帳を下ろす時が来たようだ。

 Intelは自らの手でCoppermineの余命を縮め、Willamette(Pentium4)への移行戦略を強引に推し進めているが、これが傲慢であったか、もしくは強いリーダーシップだったかは、いずれ歴史が裁くことになろう。そして裁く主役は貴方だ。
                                                (2000/12/28)