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音楽、符号、イメージ・・・

(Jan 24, 2005)


 

*** 検証というより、思いつきのメモ ***

 分かるということはイメージすることであり、イメージするとはクリエイト(創造)することである。と、前置きしておこう。

 ◎言葉、音楽、映像などを符号としてキャッチ:

 この時点では単に感覚として捉えているに過ぎないのだろう。しかしその瞬間からイメージ造りは始まっており、印象の強弱の度合いや、受容する頻度に応じたイメージが形成されて行く(既にイメージとして形成されたことと同じような形式を受容した場合、それと既成のイメージとを照合し、更なるイメージ作りが行われると考えられる)のである。

 ◎符号は符号であるがゆえ、客観的な存在であるが、その符号を読むことによって形成されるイメージは、それと別に一人歩きするものである:

 例えば自民党という符号に対し、自由や安定した生活をイメージする人もいれば増税、検閲、軍拡といった、およそ自由民主という字面とはまったく逆のイメージを持つ人も居る。また、改革という言葉に対し、良くなるとことだ思う人も居るし、それは改悪と同義だと考える人も居る、ということだ。

 ◎イメージが強烈に出来上がってしまうと、感覚を与える実態が存在しなくても、イメージするだけで体が相応の反応をすることがある。例えば心にウメボシと思っただけで酸っぱい感じがするのがそれである。

 だが、そう云われてなるほどなどと納得してはいけない。

 ウメボシと思っただけで酸っぱいでしょ?それを条件反射といいます、などとという刷り込みがあるからそうなるだけかもしれないのだ。小倉あん蜜を前にウメボシを想像するくらいのことは試したほうがいい。暗示にかからぬよう警戒しよう。

 暗示によってクリュイタンスをフルトヴェングラーと思い込むことはありえるが、それ以前にフルトヴェングラーはフルトヴェングラーであり、クリュイタンスはクリュイタンスなのだ。思うことと事実は別だ。

 ◎ともかく、以上によって(強引、かつ飛躍的に結論にもって行くが)

 認識=イメージ、とは言えないが、理解=イメージ、と言えるだろう。

 そしてイメージであるがゆえ、個人的なものである。

 


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