7月7日、晴れ。
男が独り空を見上げていた。
物憂げに見上げる星空。
漆黒の闇を照らす満天の星空。
見上げるそこには天の川があった。
男がいたのは埠頭だった。
埠頭。そうは言ってもそこに船は一つもなく、光もなかった。
真っ暗な場所である。
そこは廃港なのだろうか。
否。
そこはあまりにも綺麗だった。廃港のそれのように錆びれても汚くもなかった。
白銀の埠頭だった。
もう小一時間も男は空を見上げていた。
何をするのでもない。ただ空を見上げていた。
男の特徴は女のようであった。
細腰、柳肩。さらさらの髪。切れ長の瞳が妙に色っぽかった。
男は小柄である。
赤茶のタキシード。真っ白な手袋が並々ならぬ身分であることを暗示していた。
物憂げに見つめる瞳。それは何を想うのだろうか。
「カルマ、どうかしたのか?」
急に声をかけられて正直、カルマは驚いていた。
「ええ‥‥。
‥‥なんでもありません‥‥」
右目にかかるさらさらの髪を軽く揺らしながら答えた。微笑しているようだった。
「カルマ‥‥?」
どこかいつものカルマと違う気がした。
「はい‥‥?」
ふと口にした疑問に反応されてシグナルは少し慌てた。
「い、いや、カルマも早く短冊を書かないとなくなるんけど‥‥」
「はい‥‥」
カルマはまた微笑んだ。いつもの微笑みだった。
リビングはにぎやかだった。
部屋を独占するように大きな竹が横たえられ、折り紙のリング、鶴、星。短冊や切れ端が竹を引き
立てるように散乱していた。
人も沢山いた。
信彦を中心にエララ、クリス、オラトリオが熱心に飾りつけを制作している。パルスが少し離れた
所で様子を眺め、ハーモニーは気儘に飛び回っている。フラッグとエプシロンはクリスのお手伝い。
への3号もいてへっちゃんは折り紙で遊んでいた。
「あーっ、信彦。エララさんに手を出さないって約束したじゃないか」
戦前に決めた平和条約はあっさりと破られ、信彦はエララとべったりくっついていた。
「いいじゃないか別に。シグナルはいっつもエララさんと一緒にいるんだから」
「それはちびのことだろう?ぼくはそんないい思いしたことないぞ」
「ちびもシグナルも同じシグナルだろ?」
信彦も日頃の不満をぶつけることで反撃してあわや一触即発の状態にまでなったがクリスが水を差
した。
「あー、もうそんなことどうでもいいじゃない。そんなことよりシグナルもさっさと短冊書いちゃい
なさいよ」
「シグナルさん、どうかしたのですか?」
エララにまで言われてはシグナルとしてはどうしようもなかった。渋々床に座り込んで短冊を書き
はじめた。信彦も、クリスも。フラッグやエプシロン、へっちゃん、ハーモニーも後を追うように書
きはじめた。もちろんオラトリオもそれに続いた。
「パルスさん、貴方は書かれないのですか?」
一緒に部屋の隅にいるカルマがパルスに話しかけた。
「七夕はただの作り話なのだろう?カルマも願い事が叶うとでも思っているのか?」
貴方らしかった。くすっと微笑んだ。
「あーっ、オラトリオ、なんでお前がそんなにたくさん書くんだよ」
「なぜってこのわたくしを待つお嬢様方のために‥‥」
「クリス姉ちゃん‥‥、男がほしいっていうのはやめたほうがいいと思うんだけど‥‥」
「エプシロン何よこの昔の体に戻りたいって‥‥」
「あ、あの‥‥エララさんは何て書いたんですか?」
にぎやかな音井家。いつもながら微笑ましい。
「くすっ‥‥。
たしかに七夕はただの作り話なのかもしれません。
それでも星に願いを託す人の思いは素敵だと思いませんか?」
視線をまだ騒いでいるみんなの方に向けた。
みんなとても幸せそうに見える。叶うとも、叶わないともそこには関係がない。ただ自分の願いを
思い浮かべるだけでもそれは幸せなのだ。ほら。みんないい顔しているでしょう?
横目にパルスを見た。頬の辺りの緊張が解けて顔が綻んでいる。ある程度の理解はしてくれたみた
いだ。
「おいカルマ、書かないのか?」
喧騒から抜け出してシグナルが1枚の短冊を持ってきてくれた。みんなの中から聞こえてくる談笑
が心に暖かかった。
「ありがとうございます‥‥」
差し出された筆と短冊を受け取る。
ふと天井を見上げてから筆を疾らせる。誰にも見られないようにこっそりと書いた。
「カルマ、何て書いたんだ?」
シグナルが尋ねてきた。が・・、
「秘密です‥‥」
少しはにかんでそう答えた。笹に付けるためにゆっくりと部屋の中央に歩いていった。
「あ、カルマもお願いするの?」
信彦が気づいて声をかけた。
「はい‥‥。私もさせていただこうかと思いまして‥‥」
「そう。願い事が叶うといいいね」
無邪気に、別に他意もなく信彦は言ってくれた。
「信彦さんは何を書かれたのですか?」
「俺はねぇ、算数のテストでいい点を取れますようにって‥‥」
「くすくすっ」
信彦さんらしかった。
竹にはもう9割方飾りつけが施されてあった。その中から適当に空いている場所を探し出して短冊
を結わえ付けた。
そして今一度竹の全貌を眺めた。
竹に願を込めた。
「さあ、そろそろ外に持ってくわよ」
クリスの声が聞こえた。
「パルス、ぼーっと突っ立てないで手伝いなさいよ」
今まで静観を続けていたパルス。クリスに言われて嫌々竹を担ぎはじめた。
HFRといえどこの大きな竹は一人では担げない。重さではない。あまりにもバランスが悪すぎる
からだがシグナルと一緒なら問題はなかった。二人で易々と外に担ぎだしていった。みんなはそれに
続く。
外に出た。
外は予想以上に満天の星空だった。
降り注ぐかのような星空。
眩しいくらいの星空。
そして少し手を伸ばせば手に取れるかのような星空。
都会ではこうはいかない。
「うっわー、すごいね」
信彦の感想。天の川の話である。
たしかにすごい。幾千、幾万と星が川のように連なっている。それがすぐそこにあるように見える
のだから迫力は計り知れない。パルスでさえも星に見とれていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
誰も言葉はなかった。飾りつけられた竹のバックに天の川が流れる。みんなじっとみとれていた。
織姫と彦星か‥‥。
カルマはふと思っていた。
年に1度二人が逢える時。
なぜだろう?私はこの話に親しみを覚えていた。
愛し合う二人が引き裂かれ、川が星で満たされるその1日だけ会うことが許される。
昔からこの話がすきだった。
ふっと息を吸い込んだ。
そう、私はリュケイオンで独り空ばかり見ていた。
誰も市民はいない名前だけの市長。
悲しみと、そして重圧から逃げるために?
遠き星々の遙か彼方にきっといる私の半身リュケイオンを見つめていた。
リュケイオンが、私が日の目を見る日を信じて。
リュケイオンは私に応えてくれたのだろうか?
リュケイオンに人格はなかった。けれど‥‥‥‥。
私は独りだった。
そこにいるのに、忠実に仕事をこなしてくれるのに私は逆に孤独感を感じていた。
だから本当の恋人を思い焦がれて空を見つめていたのだ。
結局、リュケイオンは応えてくれなかったのだろうか?
今だからこそ思う。
ふるふる
首を振った。
私が呼びかけなかっただけだ。
だからリュケイオンは応えられなかった。
私が不安と不信に苛まれていたから。
リュケイオンの市長に重圧を感じていたから。
だから本当にリュケイオンに呼びかけることができなかったのだ。
きっとすぐそこで私の呼びかけをじっと待っていたのだろうに。
そっと瞳を閉じた。
いろいろあって私は永久に半身を失ってしまった。
永遠の恋人になるはずのヒトを失ってしまった。
いつかまた、彼に逢えるだろうか?
涼しい夜風の中、踵を返して家に向かった・・。
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