不思議の国のシグナル
 時計盤に刻まれた無数の時。人の人生、その全てを刻み込んだ時計は、この世にいる全
ての人に違った時を告知する。60億の人生。60億の時間。今、あなたにはどんな時が
訪れているのだろうか。
 悲しみ、喜び、怒り、楽しさ‥‥。絶望、希望、無情‥‥。
 無限に等しい時が刻まれていく中で、人はふと、あることを想う。
 もし、あの時、あの場所に戻ることが、やり直すことができれば‥‥。
 そんな人の想いをよそに、時はたっだ無情に時を時計盤に刻み続ける。時を止めようと
しても、時を逆戻りさせようとしても、決して時はその歩みを止めることはしない。まし
て逆戻りなど絶対にできはしない。
 それが、たとえどんなチカラを持つ人でも‥‥。

 チク、タク、チクタク、チクタク、チクタク‥‥
 時計の針が刻む音がする。
『アリス‥‥‥‥』
 誰かがぼくを呼ぶ声がした‥‥。
『アリス‥‥
 アリス』
 アリス?ぼくはシグナルだ。
『アリス、アリスってばぁ』
 ええいうるさい!
 さっきっからしつこく呼びかけるヒトに文句を言うためにぼくは飛び起きた。
 と、視界にとても新鮮な景色が入ってくる。
 あれ?ここはどこだろう。
 手入れの行き届いた新緑の芝とそれを飾るように散在する草花。すぐそばには澄みきっ
た小川が流れていてささやかなせせらぎが聞こえてくる。庭とおぼしき場所のすぐ外は深
い森だった。深窓、深い森と自然に護られた小さな家。何か幻想的な世界。かわいい妖精
が出現するとしたらこんな所だろう。もちろんぼくはこの場所を知らない。
 あれれ?
 なんでこんな所にいるのだろうと頭を掻くと次はなんだか、自分の異変に気がついた。
 あれ、あれあれ!?
 ひらひらとした青いスカートが膝にかかっている。いや違う、ぼくがスカートをはいて
いるのだ。それに‥‥、
 誰か嘘だと言ってほしい。なんで?どうして?
 自分の胸に目を遣るとふっくらとした膨らみがある。嘘でも見間違いでもない。正真正
銘女の子の胸がぼくについているのだ。
 パットじゃないよなぁ。っと慌てて服の下を覗く。
 間違いなくソレはぼくの胸から生えている。
 なんで?どうして?ぼくは女の子になってしまっていたのだ。
 愕然として大地に崩れ落ちる。
 信じられなかった。信じたくなかった。ぼくが女の子になったらエララさんと結ばれな
くなってしまうじゃないか。夢なら醒めてほしい。切実に思った。
『アリス、アリスってばぁ』
 うるさい!こっちはそれどころじゃないんだ。と、声の主に怒鳴りつけようと思ったと
き、ぼくの脳裏で全ての疑問が融けはじめた。
 アリス?ぼくはアリスなのか?
 アリスといえば不思議の国のアリスだよなぁ。その話は聞いたことがあった。片田舎の
素敵な屋敷に猫と住んでいる女の子。たしか、とっても不思議で、面白い体験をする女の
子のお話だ。
 そうだ、この服だってアリスの着ているのとそっくりじゃないか。
 でもどうしてぼくがアリスになっちゃったんだろう‥‥?
 そうか夢か。夢の世界でぼくはアリスになっていたんだ。
 アリスのお話は結局、夢だったんだ。ならぼくも夢の中でアリスになっていてもおかし
くないじゃないか。
 結構いい加減な推理ではあったが、そう信じるしか自我を保てそうにない。
 ならやることは一つだね。
“ガツン!”
 ぼくの頭のなかに星が跳んだ。

 どうしたら夢が醒めるのだろう。木に頭をぶつけても夢から醒めないことを知って冷静
に考えることにした。
 チク、タク、チクタク、チクタク、チクタク‥‥
 耳のなかに時計の鼓動が飛び込んでくる。
 あ、そうだ。ウサギだ。アリスはウサギを追っていくんだった。
 ええっと、ウサギはどこにいるんだろう。
 庭を見回す。と、
「あー忙しい、忙しい。大変だ、もうこんな時間、遅刻してしまう」
 発見!庭を横切りつつあるのは確かにウサギだった。
 でも、なんでパルスなんだろう?
 ウサギは間違いなくパルスだ。姿格好はウサギそのものなのに顔だけパルスになって眼
鏡をかけている。なぜこんな所でこんな格好をしているんだ?
 パルスウサギは時計を片手に忙しい、忙しいを連呼しながら走っている。
 呆然と見送っているとパルスは庭で一番大きな木のうろに入っていってしまった。
 数秒して我にかえる。
 やばい!パルスを追いかけなきゃ。ぼくは慌ててパルスを追いかけた。
 庭に生えている一本の木。その木の根元にぽっかりと空洞があいている。ここにパルス
は入っていったのか。
 大きさは屈んで入ることができるほど。不思議なくらいに先は暗く、深いようだ。
 恐る恐る中に入ってみる。木の中は真っ暗なのかと思っていたけど、不思議にほのかに
明るい。ぼーっとした光が木の中を照らしている。
 もうだいぶ中に入っているんじゃないだろうか。これだけ進めば木の反対側にでちゃわ
ないのかな。訝しく思っていると急に下が暗くなっているところまで来た。
 ここが、穴か。
 どうしようか。
 確か落ちるんだよな。大丈夫かな。何かの間違いで死んじゃったら‥‥。
 絶対パルスに笑われるぞ。
 でも躊躇してはいられなかった。このままではいられない。ええい。と勇気を振り絞っ
て勢いよく飛び込んだ。
 わっ!
 驚きはすぐにやんだ。何て言えばいいんだろう。ふわふわとゆっくり落下している。
 穴の中は不思議な世界だった。
 人がすっぽりと入るくらいの太さから一気に数メートルほどの空間に出て、そしてその
空間にいろいろな物が漂っている。
 タンスに、テーブル。クロゼットに絨毯。花瓶に花がいけてある。
 鏡もある。ぼくが映った。やっぱり女の子だ。体つきはもちろん、顔もどことなく女っ
ぽい。髪だけが元のプリズムパープルであることだけが唯一の救いだった。
 安楽椅子があった。それに腰を掛け、横に置いておる本をふと手に取ってみる。このま
ま落ちていくならいいかな。とも思った。
 きゃっ。
 急に椅子から振り落とされてしまった。調子の乗りすぎて揺らしすぎたのが原因。それ
でも、きゃっはないと思う。
 地図があった。どこまで落ちるんだろう。このまま地球の裏側にまで行くのかな。そう
いえば、地球の裏側に住んでいる人って逆立ちをしていることになるのかも。自分も逆さ
まになりながら頭に浮かんだ。
 暖炉が見えた。火は灯っていない。ランプは仄かに辺りを照らしている。
 あ、パルスだ。急ぎ足でドアの向こうに行ってしまった。
「うさぎさん、待って」
 あれれ?なんか段々アリスっぽくなっている気が‥‥。
 ふわっと大地に足をつけ、走って追いかけながら思う。
 ドアを開けた。そしたらまたドアがあった。一つ、二つ、三つ。開けるたびに一回り小
さいドアが目の前に現れる。やっと最後のドアに行き着き、中を潜った。
 そこは広い部屋だった。格子状のデザインが施されている壁。前がピンクで右が黄色。
左が青で後ろは緑。天井は赤で床が水色の壁だった。部屋は広いだけで何もない。パステ
ルカラーのその部屋はなんだか珍しいきのこみたいだ。
 そこに小さなドアがついている。だいたい30センチくらいかな。きっとパルスはここ
を通っていったんだ。
 わっ。
 ドアノブを回そうとしたら。いきなりソレが動きだした。
「びっくりさせるなよ」
 ドアノブに顔が浮かんで喋りはじめる。ってあれ?オラトリオじゃないか?
「ごめんなさい。でもあたしここを通りたいの」
 おいおい、ぼくは一体何を言っているんだ?
「でもな、その大きさじゃぁ通れないぜ」
 う〜ん、たしかにこんな小さいドアじゃぼくはくぐれないよな。パルスみたいにウサギ
くらいの大きさにならないと‥‥。でもどうしたらいいんだろう。
 口許に手を当てながら一思案しているとオラトリオは続けた。
「机の上に瓶があるだろう?それを飲んでみな」
 机?この部屋には何もなかったはずだけど‥‥。
 半信半疑で振り向くとそこにはガラス製の机があった。
 嘘でしょ?ぜったいにこの部屋には何もなかったはずだけど‥‥。
 まあいいや。
 これ、かな。
 瓶を叩いてみたり、匂いを嗅いだりして様子を見る。
 色はピンク色。見かけはジュースみたいで匂いもとっても甘い。
 変なことになりませんように。
 怖いけど目をつぶって一気に飲み干した。
 おいしい。今まで飲んだとのない新鮮な味がした。
 わっ、わっ、わっ。
 と、突然視界が低くなる。どうしたんだろう?あれ?なんだか小さくなっているみたい
だ。みるみると縮んで手のひらサイズになってしまった。
「これでいいでしょう?ねぇ、通してよ」
「通したいのはやまやまだけど鍵がかかっているんだ」
 こっちの立場を見透かしてオラトリオはさも意地悪に言う。
「鍵ぃ?それはどこにあるんだよ」
 本当かよという感じで詰問するとオラトリオはにやにやと笑いながら続ける。
「さっき気がつかなかったかい?瓶のすぐ隣に金の鍵があっただろ?」
 そんなのあったか?いや、さっき見たけど今度こそ何もなかったはずだ。自信満々に机
の方を見ると、でも確かにガラスの机の上に金の鍵が乗っかっている。
「う〜〜〜」
 唸ってみても富士山のように高くなってしまった机の上には届かない。ジャンプしたっ
て無駄なのはもちろん、脚の所は断崖絶壁でこれまた登れそうにない。
「やい、オラトリオ。絶対に登れないじゃないか。どうすればいいんだよ!」
「どうってねぇ、また大きくなったら如何ですか?」
 おちょくっているんじゃないのかな。ふざけるんじゃない!と怒鳴ろうとしたらすぐめ
の前に小さな箱が現れた。
「ビス、ケット?」
 箱にはbiscuit と書かれていた。本当かなと蓋を開けるとやっぱりビスケット。楕円形
のビスケットが一枚、大切そうに入っている。そしてその上に紙が一枚。
「私を食べて╋」
 はい、いただきま〜す♪と、口に運ぼうとした瞬間、ふとしたことに思いつく。
「オラトリオ、これを食べるとまさか怪獣並に大きくなるんじゃないだろうなぁ」
「ギクリ」
 あ、やっぱり図星なんだ。額に汗が浮かんでいるし。
「オラトリオさ〜ん、ぼくが笑っている間にドアを開けようね╋」
 ╋マークなんてつけてみたり。
「ちなみに、シグナル君、笑うのをやめたらどうなるのかな?」
 もう青筋くらいは浮かべているぞ。も、ち、ろ、ん‥‥。
「たたっ壊してあげますわよ」
 そろそろ我慢も限界かも。
「わ、わかった。で、でもだな。鍵がないことにはどうしようもないんだ。本当だ。だか
らそのビスケットを食べて大きくなってくれよ。ほら、もう一本小さくなるジュースもあ
げるからさ」
 慌てて話しはじめるオラトリオ。でもぼくはもうそんなこと信じない。
「い、い、か、ら、その口を大きく開けて通せ!」
 ぐぃ〜っと強引に口を開け、顔が引きつっているオラトリオを無視して無理やり身体を
通す。ちょっときつかったけどなんとか通り抜けることができた。
「ドアさん、通してくれてありがとう♪」
 きっと「ちぇっ」とかって舌打ちしているんだろうな。これでもう出番なんてないんだ
ろうし、やっぱりドアって寂しいよね。
 でもさぁ、なんでオラトリオがドアなんだろう。学芸会の木とかみたいで笑えたなぁ。
写真に取っておきたかったくらいだよ。
 さぁ、パルスを追いかけなきゃ。見渡す所にはもうパルスの姿はなかったけれど道は一
本続いている。全力で追いかければまだ大丈夫さ。

 さらさらとした土の道をしばらく行くと、すっかり森の中に入ってしまった。
 森の中もまたしばらく進む。心の中の不安を煽るように森はだんだんと深まり、辺りは
薄暗くなっていく。空を見上げても太陽の姿はどこにも見えない。それくらい深い森だっ
た。
 まさか迷わないよな。
 口に出して言わないだけ、まだそんなに深刻に思っているのでもないのだろう。何せ道
は一本道、来た道をそのまま帰ればオラトリオのいた所に戻れるのだから。
 どんどん進んでパルスに追いつかなきゃ。
 と、急に一本道が終了し、道は4方に別れてしまっていた。
 あちゃ〜。
 頭を抱える。パルスがどっち行ったのかこれじゃわからない。足跡なんて残っていない
かなと注意深く地面を眺めても残念ながらそんなものはまったくない。少し思案してみる
ことにする。
 右、真ん中、左、それにもう一つ左。道はどれも奇妙に曲がりくねっていて先は見通せ
ない。それどころかどの道もなんだかいやな予感がして勘では到底選べそうにない。
 どこに行けばいいのだろう。困り果てていると4又のちょうど中央に生えている木に大
きな猫が寝そべっていた。
「ちび!」
「ちっちっち、ぼくはちびじゃありません。魔法が使える猫です」
 猫って確かに見えなくはないけど、どう見てもちびなんですけど‥‥。
「いいですか?おおきいシグナル君。君はアリスなのです。もとに戻りたかったらちゃん
とやりなさい!」
 ちゃんとって?
「じゃぁ猫さん、教えて。どの道に行けばいいの?」
 また勝手に口をつく。
「それでいいのです。下手なことは考えないようにしてください」
 そう言われてもなぁ。
「いいですか!?」
「はいっ!」
 剣幕に押されえつい声が引きつる。
「では台本通りに話を進めます。さぁ、シグナル君、どうぞ」
 台本?意味がわからないけど文句を言ったらまたちびに何か言われそうだ。
「ねぇ、猫さん、私、ウサギさんを追いかけているの。どの道に行ったのか知らない?」
 う〜、女言葉って何か嫌だなぁ。
「ウサギ、ですか?さぁ。ぼくは寝ていましたからわかりませ〜ん」
 ちょ、ちょっとそれはないだろう。
 ぼくが抗議しようとするとちびが続けた。
「でも、ぼくは魔法を使える猫ですから、魔法でどっちにいったのかならわかります」
 おお、さすがはちび。
「それで、どっちに行ったの?」
 期待に胸を膨らませて問い尋ねるとちびは肉球でぷにぷにの指で「チッチッチ」とお決
まりのポーズを取る。
「もちろん、ただではダメです。お礼にチョコをください」
「って、それっていつものちびと変わらないじゃないか!」
 ぼくがとほほで突っ込むとちびは額に汗を浮かべて言う。
「ち、違います。ぼくは魔法が使える猫なのです」
「じゃあチョコって何だよ」
 じと目で言う。
「だ、だって、ぼく、シグナル君で、チョコが、信彦だから、食べられなくて、
 ぼくもチョコを食べたいんです〜」
 あ〜あ、泣いちゃったよ。しかたないなぁ。
「確かチョコはポケットに入っていたと思うけど‥‥、でもこの姿だからないかな」
 ごそごそっとポケットを探すとそれでもチョコが出てきた。この前買った板チョコだ。
「ほら、これあげるからさ。泣くのをやめなよ。
 わぁ、っとと‥‥」
 ちびにチョコを差し出すとわっと飛びついてきた。どすんとぼくは尻餅をつく。
「ありがとです。この恩は一生忘れませ〜ん」
 包みごとチョコを頬張ると口の周りをチョコでベトベトにして言ってくる。
「ちび、パルスはどっち行ったか知らない?」
「うう、あっちです〜」
 ちびの指さしたのは一番左の道だ。
「ちゃんと歯を磨くんだぞ〜」
 さて、道もわかったことだし、早くパルスを追いかけなきゃ。

「♪なん、でも、ない、日♪ばんざ〜い♪」
「♪なん、でも、ない、日♪誰の?」
「君のさ♪」
「♪なん、でも、ない、日♪ばんざい♪」
「♪なん、でも、ない、日♪誰の日?」
「キミのさ♪」
『♪なんでもない日、おめでと〜♪』
 どこからか変な歌が聞こえてくる。変な歌だけどなんだかとっても楽しそうな気分。向
こうの家から聞こえてくるみたいだ。
「ごめんくださ〜い」
 少し古ぼけたドアを叩いて言う。
「ごめんください、こめんくださ〜い」
 聞こえているのかな。ドン、ドンドンドンって叩いても何の反応もない。
「ごめ‥‥」
 もう一度ドアを叩こうとすると突然、ガチャリとドアが開いた。
「一度言えばわかるよ。せっかくパーティの日なのに‥‥」
 ドアは開いた。けど、ドアを開けた人はどこにも見当たらない。あれれ?って思ってい
るとまた声だけが響く。
「キミは誰?見かけない子だね‥‥」
 この声、どこかで聞いたような‥‥。
 そうだ、ハーモニーだ。
 彼彼女?、ハーモニーがいるであろう場所に視線を移動させると。やっぱり『いつもの
ままの』ハーモニーが気儘に空を飛んでいた。
「ハーモニー。君はいつもと変わらないんだね」
「なんだシグナル君か。どうしたのそんな格好して。あれ?もしかして女の子になっちゃ
ったの?可哀相にねぇ、エララちゃんその姿見たらきっと泣くよ」
 ハーモニーは人の痛いところをさも平気に言う。いつものハーモニーだ。
「ハーモニー、ぼくはアリスに、ちびはネコに、パルスはウサギになっているのになんで
君だけ変わらないの?」
「えへん。ボクはファンタジー使用だからどこでも一緒なんだよ〜♪」
 なるほど、なんか妙に説得力ある言葉に感心する。と、それどころじゃないんだ。
「ねぇ、パルスの顔したウサギ、いや、ウサギの格好をしたパルスかな、知らない?」
 そういえばどっちが本当なのだろう。ウサギ顔のパルスなんてないよな。いたら捕まえ
てパルスをからかってあげなくちゃ。
「パルス〜?
 そうそう、さっき来たんだけどなんだか忙しいらしくてすぐに通りすぎていっちゃった
よ。折角このボクがパーティに誘ってあげたのに‥‥。あ、そうだ、シグナル君がパーテ
ィに出てよ。今日はボクの何でもない日なんだからさ」
 パーティ?何でもない日?
 何だか意味のわからないパーティだけどとってもいい匂いがする。そう言えばお腹すい
たなぁ。
「決まりだね。へっちゃんもいるから部屋の中に入りなよ」
 ああ、いかん。首を振って誘惑を払いのける。
「ごめん、パルスを追いかけなきゃならないんだ」
「そう、残念だね。でもいいや、用事が済んだらまたおいでよ。今度はシグナル君の何で
もない日おめでとうパーティをしてあげるからさ」
 お祭り好きのハーモニーらしい?ここに来てはじめていい人に会った気がする。また来
たいな。
「じゃ、これでごめんね。また来るよ」

 また歩く、歩く。ウサギパルスを追っているんだけどなかなか追いつかない。歩いてい
るうちに森を抜けてしまった。
 森を抜けるとそこは田園風景。初めの所からだいぶ来たみたいだ。ここは開けた場所で
田んぼも、畑もある。小川も流れている。トンボが目の前を横切った。
 すぐそばに一軒の家がある。誰かいるみたいで煙突からはゆらりと煙がたちのぼってい
る。誰が住んでいるんだろう。とちょっぴり気になった。
 チク、タク、チクタク、チクタク、チクタク‥‥
 まただ。また時計の鼓動が聞こえる。きっとパルスが近くにいるんだ。
 どこにいるんだろ?と辺りを見回す。
「あぁ、大変だ。遅刻したら‥‥。あぁ、あぁ‥‥」
 相変わらずの大忙し。時計とにらめっこをしてすぐそこの家から飛び出てきたのがパル
スだった。
「あぁ、君、君‥‥」
 ぼく?
「そう君以外誰がいる。とにかく手袋を忘れた。取ってきてくれ」
 ぷにぷにして可愛らしい・・本当はこれが一番似合ってなくて可笑しいのだけれど・・
両手をぼくの前に突き出して事の切迫さをあらわす。
 なんでぼくが‥‥。
 不満そうな顔をしていると背中を押して急かされた。
「速く、速く。遅刻したら大変なんだ」
 ぼくはしかたなく家に入った。でも手袋なんてどこにあるのだろう。手袋を取ってきき
てって言われたってどこにあるのかも知らないんだもの。大体、そんなに急いでいるんな
ら自分でやればいいんだよな。パルスのやつぅ。
 どこを探せばいいのかわからず、ふてくされながら鏡台の上にあった宝石箱を開けてみ
る。
「私を、食べて‥‥?」
 中にはパステルカラーのクッキーが詰まっていて、その上に筆記体で書かれた紙が添え
られてある。
 おいしいのかな。
 甘いバニラエッセンスの薫りがする。
 なんだかお腹がすいちゃった。
 人のモノだということを棚に上げて一口口に入れた。
 と。
 わっ。わっわっ。
 嘘でしょ?視線がどんどん高くなっている。いや、ぼくの身長が伸びているんだ。嘘み
たいなスピードで手や足が長くなっている。みるみると大きくなってぼくは家にすっぽり
とはまってしまった。
 う〜ん、う〜ん。
 どうしよう。身動きもろくにとれやしない。
 このまま『怪奇、家人間』になったら万国博覧会に出展させられる。
 そうだ。また何かを食べれば小さくなれるかも。
 辺りを見回すが、でも周りには何もなかった。
「怪物だ。私の家に怪物が現れた!」
 うん?なにやら外が騒がしい。ウサギパルスが騒いでいるみたいだ。でも怪物は酷いよ
な。まぁ、否定はしないけど。
「誰かなんとかしてくれ。誰か、誰か」
「どうしましたウサギさん。おやおや、化け物ですか。お任せください。私がなんとかい
たしましょう」
 声からするとクオータかな。何か嫌な予感がする。
「う〜ん、手っとり早く火をつけて焼き払うのはどうでしょう」
 げげげ、あいつなら笑って火をかけるぞ。お願い、誰か助けて。
「何?焼き払うだと。それはいかん。火は使わないでくれ。大切な家が燃えてしまう
 いいぞパルス。その調子でなんとかしてくれ。
「ですが他に方法がないでしょう」
「うむ、確かに‥‥。ドードー鳥さん、宜しくお願いします」
 え?おいおいおいおい、説得されるなよ。いやパルス絶対に面白がって言っているな。
畜生、今度会ったら仕返ししてやる。
 そうこう毒づいているうちになんだか焦げ臭い匂いが漂ってきた。わわ、クオータのや
つ本気で火をかけやがったな。
 どうしようどうしよう。このまま焼け死んだりしたら一生の恥だ。バーベキューシグナ
ルなんて美味しくないぞ。
 とにかく小さくならなきゃ。えと、えと‥‥。
 庭に人参が植えてある。これを食べて‥‥、もっと大きくなったらどうしよう。
 あち、あち。
 迷っている暇はないみたいだ。とにかく食べてみよう。大きくなったら家を突き破れる
かもしれない。
 目をつぶってごくん、と飲んだら効果はすぐに現れた。
 やった、小さくなっている。って、ああ、急がないと死ぬ。ぼくは全速力でこの家から
抜け出した。

 はぁ、ひどい目にあった。
 実はあれからいろいろなことがおこった。一々と書きたいんだけどページの都合という
ものが‥‥。とにかくぼくはまた森の中にいた。
「また来ましたね。おおきいシグナル君」
「ちび!」
 声のする方を見たら、初登場そのままのちびが木に寝そべっていた。さっきまで泣いて
いたのにね。
「ちびじゃありません。まだわからないのですか。魔法が使える猫です」
 毒舌だって前のまま。さすがにちびを手懐けるチョコはもうない。でも調子いいなぁ。
「シグナル君?わかっているのですか?ぼくは魔法が使える猫です」
 ちびだってぼくのことをシグナルって呼ぶじゃないか‥‥。
「なんですって?」
 心の中で反論した言葉もなぜか聞こえているみたいだ。でも何故?
「な、なんでもないわ。それより猫さん。私、帰り道が知りたいの」
「帰り道ですか。この国の女王様に会えばわかります」
 女王様!?きっとエララさんだ。綺麗なんだろうなぁ。でもまさかラヴェンダーとかい
うオチはないよなぁ。ううん、日頃の行いのいいぼくだもの、きっとエララさんに決まっ
ている。
「どこに行けばお会いできるの?」
 ちびの教えてくれた道を心踊らせて進んでいった。

 女王様、女王様♪
 るん♪と鼻唄を歌いながら道を進んでいく。
 ねぇどうします?エララさんが女王様なんですよ。深窓の佳人というか、純白のドレス
に控えめの金の王冠、それにうっすらとしたお化粧。微笑みなんて天使みたいなんだろう
なぁ。なんてハマリ役なんでしょう。パルスなんかとは大違い。嗚呼、ぼくが王子様でな
いのが残念でなりません。
 と、そこで深刻な問題に気づく。
 ぼ、ぼくはアリス、女の子なんだよなぁ。
 改めて自分の胸を見る。
 どうしてこんなに恨めしいのでしょう。こんなぼくを見たらエララさんはどう思うんだ
ろう。軽蔑されないかな。
 っで、でも、もしかしたら女の子同士だから一緒にお風呂に入れちゃったりして‥‥。
 と、そんなくだらない?ことを考えているとすぐにお城が見えてきた。
 壮麗な白壁に空に映える鮮やかな青を使った風光明媚なお城。エララさんと言わず、お
姫様がひっそりと住んでいるのに十分すぎる素敵なお城だった。
 城門の所まで来た。お城にはお掘りがあって、開閉式の橋がかかっている。橋も降りて
いて、門も開いている。衛兵がいるかもとも思ったけど誰もいない。さも「どうぞ入って
きてください」と言わんばかりの状況。は〜い。と元気良くお城の中に入っていった。
 城門を抜けて、庭園を通りすぎても誰にも会わない。不用心なお城だよなぁと思ってい
ると青天の霹靂、ラッパが高らかと鳴り響き、どこからともなくトランプ兵が一斉に現れ
て道の左右に広がって列をなした。
 唖然とも呆然ともしてトランプ兵が並ぶ様子を眺める。肝心の顔は‥‥。
 よかった。トランプ兵は普通だ。安堵から次は期待に移った。
 エララさん、エララさん‥‥。
 考えてもみなさいよ。トランプ兵がラッパの吹奏とともに現れたってことはですよ、次
は女王様の登場じゃありませんか。
 1テンポ置いて再びラッパが演奏され・・今度は壮麗な感じの曲だ・・、女王様がお城
の中から悠然と外に出てきのだ。
 想像通り純白の、ひらひらと微風に揺れるドレスを身にまとった女性が現れる。初めは
遠くて顔がよく見えなかったけれど、次第にその輪郭がはっきりとしてきた。
 あれ?
 どうみてもエララさんじゃなかった。角張った顔つき、彫りの深い顎、目つきも悪いし
口許も何か変だ。って!?
「Dr.クエーサーだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 そう、あの妖怪じじいが女装して年甲斐もなく恥ずかしい服を着て出てきたのだ。
 え?え?え?え?
 ぼくが混乱をしていると次はウサギ、もとい、パルスが出てきた。
「女王様、こやつが化け物でございます」
 おいパルス、何を言っているんだ。
「そうか。この妖怪め、研究のために解剖してくれる。トランプ兵、引っ捕らえよ」
 ええー?妖怪はお前だろう?口に出して言うゆとりなんてもちろんない。
 号令一下全てのトランプ兵がこちらを向く。
 あ、あ、あ‥‥。
 何で?何で?今まで普通だったトランプ兵の顔が改造魔人になっていった。それはもう
のっぺらぼうの「こんな顔かい?」状態。怖いなんてとっくに通り越している。
 悲鳴にならない声を出してぼくは全速力で逃げ出したさ。きっと自分の顔を見ることが
できたら有名な芸術祭で大賞を取れるほどなんだろう。表情が崩れようと何が起ころうと
もとにかく生き残るのが先だった。
「かいぞう〜、かいぞう〜‥‥」
 誰かなんとかして。目がイっちゃってます。
 ぼくは一心不乱に走った。
 城門を抜け、村を越し、森を通りすぎる。と、やっと初めについた場所まで戻ってくる
ことができた。
 やった。出口だ。
 小さくドアが見える。オラトリオの所まで来たみたいだ。
「オラトリオ、開けて、開けてよ」
 ドンドンと堅く閉ざされているドアを叩く。
「開けてってなぁ、鍵は机の上じゃないか」
 そうだった。今は20センチくらい。鍵穴は通れない。
 って、原作だって鍵は使わなかったじゃないか。
 必死になって鍵穴を覗き込むとぼくが向こう側にいた。
 そうか。ここで起きるんだった。
 ふと後ろを振り返るともうそこまで妖怪じじいwith改造魔人'sは迫っている。メス
なんか手に持って手ぐすねを引いて迫っている。お願い、早く起きて!起きて!
 喰われるのも、改造されるのも嫌だぁぁぁぁぁぁぁ。
 もうだめだ。目前まで迫って来て、捕まったと思って目をつぶった時、はっとぼくは跳
ね起きた。

  助かった‥‥。
 安堵のため息と胸をなで下ろす。
「シグナルぅ」
 信彦の声だ。「信彦〜」と応えようとしたらぼくは言葉を飲んだ。
 なんで?信彦はライオンの恰好をしていた。そしてぼくは・・まだ女の子だった。
 次はオズの魔法使い?もういい加減にして。と気を失うことに決めた。
「シグナル、シグナル?
 もうエララさん家の仮装パーティに遅れちゃうよ」
 勿論、ぼくはハロウィンの日のパーティにいくことができなかった。ああ、折角のエラ
ラさんの手料理とお喋り、コスプレ姿‥‥。夢でもいいからエララさんと逢いたかった。
 お願い、今度はちゃんとしたの、ね。

戻る