悠久の時を流れるに等しい時間がある。
静謐と、静寂、全ての時が歩むことをやめた空間。
時が止まることは、全ての終わりを示すことに他ならない。
それでも、どこか温かみを感じられるのは、
それは、その空間の時が、限りなく遅く進んでいるからなのだろう。
春のポカポカ陽気。
柔らかな日差しがカシオペア家を包んでいる。
春、ですねぇ。
アトランダムは空を見上げて独りごちる。
「暇というものも、いいものだ」
暇、何もすることがないこと。
何もすることがなくても、今はさして苦にならない。
こんな自分がいることを、昔の自分は何て思うだろう。
カシオペア家では、しかし、本当に暇だった。
すること言えば、家の掃除をしたり、ユーロパと一緒に買い物に行ったり、他には警備
と名の付いた庭の散歩くらいだ。後はただ、無為な時が流れる。
その繰り返しである。
自分でも不思議なものだ。
ユーロパと一緒なら、他の何もなくても、別段と気にならない。
昔の自分は、暇に耐えられなかった。
ありふれるエネルギーを発散することばかり考えていた。
封印という名の暇を与えられた時、私には私を封印した科学者たちに復讐することした
考えられなかった。
私はアトランダムの最初の、そして最高の作品として、それ相応の仕事をするべきだと
考えていた。
暇を楽しめるということは、成長した証だろうか。
昔の自分は、今の自分のことを不甲斐ないと思うかもしれないが、私にはそれを受け入
れる度量ができたのだと考える。
さぁ、今日の夕食は何だろう。
カシオペア邸。
某県、某市の有名高級住宅街にあっても、その広さと造りは感嘆に値する。敷地面積数
百坪。贅沢な平屋建てで、部屋数も十を超える。庭でさえも莫大と言っていいほど広く、
門から玄関まで徒歩で5分もかかる。
ご近所で有名な家の一つではあったが、有名なのは家屋敷だけに止まらない。それどこ
ろか、この豪邸に住んでいるその人の方が、目もくらむような豪邸よりも遙に有名なので
ある。
マーガレット・クエーサー・カシオペア。
ロボット工学を志す者ならすぐに「ロボットプログラミングの母」という二つ名を思い
浮かべただろう。ロボットだの、機械だの。その製品ならともかく、作っている人や高名
な学者の名前などに詳しくない門外漢でさえ、顔と名前、そして彼女の生み出した最高傑
作を即座に思い浮かべるのである。
マーガレット・Q・カシオペア。
今年、81。これまで彼女が築き上げてきた功績は常人には到底真似できないものだ。
しかし、彼女が築き上げてきた功績に相応しい幸せを手に入れたかというと、これは疑問
符を打たざるをえない。天才と不幸は親戚関係にあるのかどうか。彼女は、彼女がその身
を捧げてきたロボット工学によって巨万の富と名声を得ることになる反面、不幸な事故に
よって最愛の夫と一人息子を永遠に失ってしまったのである。
彼女は最近まで、王侯貴族でさえ住まえそうな豪邸にたった一人で暮らしてきた。
同じ学問を志す学者や雑誌の記者、大手会社の社長など屋敷を訪れる客には事欠かなか
ったが、それだから彼女が楽しい隠居生活を送ってきたとはお世辞にも言えない。それど
ころか広すぎる屋敷に夜はたった一人。人の温もりを欲した夜が1日や2日ではないこと
が容易に想像つくだろう。
そんな彼女の生活が温かみを取り戻したのはつい最近のことだ。
近所の噂では、長年親不孝をしていた愛娘が長身の、これまた不良の男を連れ帰って来
たのだと。娘はとびっきりの美女だとか、笑顔が可愛いお嬢さんだとか男共の噂話の端に
登れば、旦那の方も2メートルを超える熊のような男だと怖がったり、切れ長の目にプラ
チナブロンド、そして背が高いとびっきりの美人とご婦人たちの噂にならない日もない。
とにかく誰もが認めることは、カシオペア博士が近年稀に見る笑顔を見せていたというこ
と。何よりも母娘が仲直りをしてよかったということだ。
夜、あたたかい笑い声が屋外まで漏れてくる。
噂というものが事実とは少し異なるにせよ、カシオペア家がささやかな幸せに包まれて
いることは間違いないようだ。
コトッ。
夜下がり、楽しい晩餐が終わり、静けさに包まれたダイニングルームのソファーにアト
ランダムは腰をおろし、紅茶を一杯すすった。
ダージリン独特の甘い香りが口の中いっぱいに広がる。
心地よい満腹感、一日の終わりと両肩にかかる疲労、そしてキッチンから聞こえてくる
食器を洗う音とユーロパの鼻唄。全てがアトランダムの心を和ませる。
宵闇、暗黒の帳が部屋の中まで進入してきている。
今日、一日が終わったことを実感する時である。
平和。虚無。閑古。
何もすることがない、平穏な日々というものも、それはそれでいいが、こんなにも平坦
な毎日が続くと、たまには波瀾含みの一日があってもいいと思う。
シグナル。音井家はさぞ賑やかなのだろう。
毎日が刺激の連続で、一日たりとて同じ日はない。
たまに、そんな生活が羨ましく思える時もある。
そう、それはこんな時だ。
昨日と変わらない今日が訪れ、そして何事もなく一日が終わる。そして明日も何も変わ
らない一日が約束されている。夜、食後に一人になると、つい、昔の自分を思い出して、
少しは刺激に溢れた生活をしてみたいと思う。
まあ、だからと言って今の生活が嫌というわけではない。私にはユーロパと、そして博
士がいれば十分だ。実際、ユーロパと一緒にいると、他に何もなくても私は耐えられる。
ふと、思ってみるだけのことなのだ。もし、神がいて、私のどうでもいい願いを聞き入れ
てくれても、だからとしてどうということもない。こんな風に。
『本当か?お前の願い。叶えてやらないでもない』
「あん?」
『お前が今、望んだのだろう。平和な一日は飽きた。波瀾に溢れた毎日が欲しい。と』
低く、厳かな声が響きわたる。
「おい、何を勝手なことを言ってやがる。お前誰かは知らないが、人の話はちゃんと最後
まで聴け!私は別に起伏に富んだ毎日を欲しているわけではない」
『本当かな?まあいい。お前の願いを叶えてやろう。そうすれば自分が本当は何を望んで
いるか自ずとわかるであろう』
どこから聞こえてくるのか、誰の声なのかはさっぱりわからなかったが、空耳というこ
とだけはないようだ。一人で勝手に納得され、そして何を狂ったか望み(波瀾に溢れた毎
日とやら)を叶えると言って、後はまったく音沙汰がなくなってしまった。
唖然としながら闇をにらみ据える。が、もちろん何事もなく闇は沈黙を守っている。
全ての波瀾が始まるのは、早くとも明日の朝からのようだった。
“ピンポーン”
「は〜い。
ねぇ、アトランダム。ちょっと手が離せないから出てくれないかしら」
来客?
はて、誰だろうか。今日、誰か来ると言っていただろうか。
少し疑問に思いながら玄関に向かう。
「どちらさまですか?」
おもむろに覗き穴を覗き込む。
返事はない。それに姿も見えない。死角に入っているのだろうか。
しかたなく“ガチャ”っとドアを開けて迎え入れてみる。「いらっしゃい」と言おうと
顔を上げた瞬間、体が硬直するのがわかった。
「あ‥‥、あ‥‥」
白髪、痩身、厭味な顔。妖怪とも異名される男は、見知りすぎるほどに見知りすぎてい
た。
「アトランダムかね。こんにちは」
「なぜあんたが家に来るんだ〜!?」
訪問者は思いっきり招かれざる客、諸悪の根源、生きとし生ける者全ての敵、ドクター
クエーサーだ。
怒鳴り散らしてやりたい気持ちを押さえつけてぐっと言葉を飲み込む。
「‥‥いらっしゃい。今日はどんなご用件ですか?」
できるかぎり丁寧に、愛想よく言ったつもりだが、たとえ悪意が伝わっても知ったこと
ではない。青筋くらいは額の端に浮かべてそうだ。
「おじさま♪
よくいらっしゃいましたわ。カシオペア博士もお喜びですわよ。クエーサーおじさまが
一緒に住んでくれるなんて」
突然の闖入者、ユーロパの言葉に私は耳を疑った。いや、目も疑っている。ユーロパは
憎きクエーサーにとびっきりの笑顔で迎えているのだ。嘘偽りでも、お世辞でもない。本
当にユーロパは喜んでいるのだ。
「やあユーロパ。相変わらず可愛いね。マーガレット姉さんはお元気かな」
信じられないのはユーロパだけじゃない。あのクエーサーがニコニコ顔でユーロパと話
をしているのだ。あのクエーサーだぞ。笑ったって不気味なのに、こんな清々しい笑顔は
どうしたことだろう。何か悪いものでも食べたんじゃないのか?それとも頭を豆腐の角に
ぶつけたか?
「なっ、なぜクエーサーが家に来るのだ?」
客間で一家4人?が集まった所で隣に座るユーロパに耳打ちする。
「何を言っているの?アトランダム。クエーサーおじさまももうお歳だから一緒に住むこ
とにしましょってこの前話し合ったじゃない」
そんな馬鹿な!私はそんな重要な話聞いたことないぞ。
「あいつがどんな奴かお前も知っているだろう?一緒に住むだなんてとんでもない。私は
大反対だ」
「どうしてそんな酷いことを言うの、アトランダム。おじさまはおばあさまのたった一人
の弟なのよ。あなたもおじさまにはお世話になったじゃない」
確かにお世話になったが、意味が完全に違うと思うぞ。しかし、やっぱりどうなってし
まったんだ?ユーロパもクエーサーも全然おかしい。それとも私がおかしいのか?
そうか、夢なのか。そうだ、夢だ。ぜったい夢だ。こんな無茶苦茶なことが現実であっ
てたまるか。ロボットが夢を見るわけがないが、私の体にはあのお馬鹿なシグナルのミラ
が使われているからな。そんな珍妙なことがあってもおかしくない。
“ゴツン!”
頭に鈍い痛みが走る。すると、耳の端にユーロパの悲鳴が聞こえた。
「きゃぁっ!アトランダム、どうしたの?おばあさま!アトランダムが突然。倒れてテー
ブルの角に頭を‥‥」
頭がずきずきしてもいっこうに目が覚める気配はない。本当にこれは夢じゃないのか?
しかし夢でないことは間違いないようだ。
はてさて、なんでこんな目にあわなければならないのか。
とにかく、何かがおかしいクエーサーが家に住むことになってしまった。夜、寝首をか
きに行かないと私は約束できないぞ。理性が吹き飛びそうだ。
『お前が今、望んだのだろう。平和な一日は飽きた。波瀾に溢れた毎日が欲しい。と』
頭の端に昨日の夜に聞こえた声が蘇る。
まさか、あいつの言葉はこのことを意味していたのか?
おもいっきり願い下げしたいところだが。
つーか、私はこんな毎日を望んじゃいないぞ。誰があの妖怪じじいと一緒に暮らしたい
なんて思うんだ。しかもとってもマトモなクエーサーなんて怖くてしょうがない。
「平和な私の生活を、返せ〜〜〜!」
叫んでみても無駄なことは、たった今わかったとこだ。
続く。
なぁ、頼む。こんな悪夢、続かないでくれ‥‥。
あとがき
続いてしまうのです。(笑)これもまた掘り起こし。懐かしいですね。いや、私的に。ユーロパちゃんとクエーサーはどうしてしまったのか?アトランダムの平和な一日は?謎は次で・・解決されません。(笑)しばらくお待ちください。(あとがきになってないし。(苦笑))
続く