どんよりと曇り空のなかで戒は家路を急いでいた。
埃っぽく、汚れているガルド。戒は今日、勇基に言われて独りで依頼を受け持つことになった。
つまりはそういうことなのだ。戒が独りで依頼をこなせるほど、簡単な依頼。たいした依頼では
とうていないのだ。依頼人以外にとって。
ガルドの中に舞い込む依頼の中では本当に簡単な部類に入る。いや、正確にはもっとも危険
の少ない部類に。道端を歩いていていきなり軽機関銃をぶっ放されるようなガルドである。その
程度の危険しかこの依頼にはない。
その依頼とは、つまり、家出人の捜索というやつだった。いや、そもそも"人"ではなかった。
家出したのは、いや、依頼人の言葉を借りれば"迷子"になったのは猫だった。
まぁつまりそういうこと。戒が独りで依頼をこなせる理由がわかっただろう。そして、この仕事
に最も適しているのが戒だということが。
行方不明の動物の捜索はガルドでもそう珍しいものではない。ただ、勇基のような一般的な
何でも屋はこの手の仕事はたいてい、敬遠する。それもそのはず、ガルドの中に舞い込んでく
る仕事の中では、この行方知らずの動物の捜索に対する報酬は、他の仕事に比べて極端に
安い。他に依頼がなければ受ける人も多いだろうが、ガルドはあいにくと好景気である。半人前
の何でも屋でさえ、よほど困っていない限り受けることは少ない。
非情のようにも思えるが、そうではない。広くごちゃごちゃしたガルドである。この中から人を
探すのでさえ、かなりの困難がともなうのである。たかが猫を探すだけでかかる労力は甚大な
ものだ。さらに何も知らない動物だから、ガルドの中でも恐ろしく危険な区域に進入していない
とも言えないのである。コストパフォーマンスを考えれば、これほど損な仕事はない。
しかし、勇基はこの手の仕事を積極的に受けることにした。実は、あることに気づいたのであ
る。うちには動物なりなんなりの捜索のスペシャリストがいる。そう。戒のことだ。彼が自慢の(あ
くまでも勇基曰く)チョーノーリョクを駆使すれば、透視なりなんなりですぐに家出人を捜索する
ことができる。もしたった一日もしないうちに発見できれば、他のどの仕事よりコストパフォーマ
ンスが高いことになる。
そういったわけで戒は仕事を独りで受け持つことになったのだ。
「勇基は勘違いしているんだ」
戒は独り言をつぶやく。
「能力を使えばさもインスタント写真が出来上がるように楽に見つけられると思っているなんて。
多くの人がいる中で透視をするってすっごく疲れるんだよ。変な雑音ばっかりだし。まぁ、人を
探すよりは楽だけどね」
ややご機嫌ななめな戒だったが、猫を無事保母して依頼人のもとに届けると、すっごく心が
休まる感じがする。あのもうもう見つけたのかという驚きと、感謝の気持ち。どれだけあの動物
たちが依頼人たちにとって大事なものかどうか実感させられると。
「雨が降りそうだ・・・・」
戒は空を見上げる。そうしている間にも雨が降ってきそうである。
"ポツ ポツポツ・・・"
雨が降ってきた。あいにく、傘は持っていなかった。本降りにならないことを心で祈りながら、
戒は家路に向かう足を速めた。
"ザーーーーーーーーーーーーー"
ノイズのように聞こえる雨音を喫茶店の軒下で聞き流しながら、戒は雨が小降りになるのを
待っていた。
今日は運が悪い。と思いながらも、戒の気分はけっして悪くなかった。
戒は雨が好きだった。このやすらかなリズムが。全てを洗い流す雨が。雨が降っている時だ
け、戒の耳に聞こえてくる雑音が小さくなる。雨音にかき消されるように。人がいっぱいいる所
は苦手だった。意識しなくても、有形無形の多くの人の意識が耳に入ってくる。でも、雨が降
ればその"声"は小さくなった。雨にかき消されるのもあるし、それ以上に、みんなの意識が雨に
向かうからだろう。
店頭のテントから滴り落ちる水を眺める。
ポツ、ポツと流れている。定期的に。
向こうの植木には紫陽花が植えられていた。鮮やかな青と赤紫色の花が。雨に濡れられて
よりいっそう、紫陽花は輝いていた。
その葉っぱの一つに、カタツムリが一匹いるのが見えた。
天からの恵みに感謝するように、楽しそうに葉っぱの上を泳いでいる。
まるで、ゆっくりとしたダンスをしているかのようだ。
「君は雨に濡れて嫌なのかい?」
コタツムリと目が合ったような気がする。そう言われた気がする。
雨が好きだからといって、濡れるのが好きというわけではなかった。やっぱり戒も他の人と
同じように、雨を嫌った。
「おまたせ〜、待った?さ。傘に入って。家に帰りましょうか」
声に振り向くと、隣にいた5歳くらいの女の子と、両手に山のような買い物袋を持った母親
だった。自分が買ったものとはいえ、窮屈そうに買い物袋を持ちながら傘をさしている。そして
母親が娘を傘に導きいれて、仲良く通りの向こうへ消えていった。どうやら、母親は傘を調達
しにいったらしい。
少し、羨ましく思う。僕には帰る場所があるだろうか。あんな笑顔で迎えてくれる家族はいる
だろうか。傘を持ってきてくれる人が。
「君も、一人なのかな?」
カタツムリに問い掛けてみる。コタツムリもひとりぼっちといえばひとりぼっちだった。ただ、
僕よりもよっぽど嬉しそうにしている。
そういえば、家出の猫もひとりぼっちだったんだよな。
どれだけ寂しかったのだろう。
僕と同じ気持ちだったのかな。
発見した時の怯えた声。そして家族のもとに迎え入れられたときの安堵した声。心の声を
思い出した。
ぎゅっと冷えた身体を一人抱きしめた。
早く、雨がやめばいいのに・・・。
「ただいまー」
小降りになるのを待って、やっと戒は家に帰ってきた。髪も服もしっとりと濡れている。早め
にお風呂でも入りたかった。篤川家はいつもと違って、すごく静かな感じがする。
「おかえりなさい♪戒君」
と、突然、バタバタと向こうから明日香が走ってきた。初夏の太陽みたいな抜けた笑顔で。
少しほっとした気がする。
「ただいま、明日香。あれ?勇基は?」
玄関の靴を見る。何か違和感があると思ったら、そこには明日香の靴しかなかったのだ。
「えっ!?勇基ちゃんね、なんだか急にお仕事が入っちゃったんだって」
ちょっと何かを隠すかのように照れて明日香は言う。
「急に仕事・・・?」
そんな予定あっただろうか。そもそも、勇基って急に仕事を入れるやつだっけ・・?
と、急にとんでもないことに気づかされる。家の奥からうっすらと甘い香りが漂ってくる。
鼻腔をくすぐるこの甘い香りは・・・。
次に明日香の服に気づく。そうなのだ。明日香は普段着の上からエプロンをしていた。
そして、可愛いのだけど頬にちょっぴり小麦粉らしきものがくっついている。
クッキー!?
全てのパズルが解けた。キッチンから漂う甘い香り、明日香の格好、そして勇基の突然の
失踪・・・。今、この家がどれほど危険な状況なのかということも。
「えっ、あ・・・・・。僕も急に仕事が」
回れ右をして玄関を後にしようとすると、明日香は大声を張り上げて制止してきた。
「だめーーーーーーっ!戒君まで逃げないでよ。せっかく今回は上手に出来たと思ったのに。
ひどいんだよ、聞いてよ。勇基ちゃんなんて私がクッキー作るまで居間でテレビ見ながらゴロ
ゴロしていたのに、急に逃げ出すように出て言っちゃったんだから。せっかく、みんなに食べて
ほしくて作ったのに・・・」
晴れた太陽が一気に雲に隠れる。その表情ままに明日香の声がしぼんでいく。
「えっと、あの、僕・・・甘いのだめだし」
こうやって言い逃れるのはあまりにも卑怯だろうか?勇基なら絶対に「そんなことはない。明
日香の手料理を食べなきゃいけない方がよっぽど可愛そうだ」って言うだろうな。
「私、マリアさんから料理を一生懸命お料理を習ったのに・・・」
明日香の目に涙が浮かぶ。戒はこういった状況にとことん弱い。
「・・うっ・・・。わかったよ。僕、紅茶淹れて待っているね」
ついに観念して一緒にキッチンに向かおうとすると、明日香は戒の背中を押して居間の方へ
押しやった。
「だめ。戒君はお客さまなんだから、私が全部やるの。座って待っててね♪」
泣いた小鳥がではないが、もうすっかりご機嫌になった明日香の後姿を見て、戒はやっぱり
後悔しはじめる。
「胃腸薬あったよな・・・」
そんな気休め程度の薬では明日香の殺人料理は解毒できないのを知りながら。
ホー、ホー・・・ホー
フクロウが夜の宴を開き始めた。篤川家の部屋部屋にも明かりが灯され、ゆっくりと夜が更け
ていく。
「まったく、馬鹿な奴だな、お前は」
ソファーに身を沈めながら、勇基はお説教をする。
「明日香の料理を食おうなんて、死刑執行書にサインするようなものだってわかっているだろう
に・・」
向かいのソファーで苦しんでいる戒と、申し訳なさそうにまた別のソファーで小さくなっている
明日香に言う。
「明日香も明日香だ。あれほど料理はするなって言っただろう」
「だって・・。戒君と勇基ちゃんに喜んでもらいたくて・・・」
精一杯の抵抗を明日香はする。
「だってじゃねぇ、俺等を喜ばせたきゃキッチンには立つな」
勇基は不満たらたらに明日香を一喝する。
「・・勇基・・・・・クッキーは美味しかった・・・よ・・・・」
息も絶え絶えで戒がフォローを入れる。
「どんなに美味くたって死んじゃ意味がないだろうよ」
「勇基ちゃん、違うの。クッキーはちゃんとできたの。でも、紅茶の方が・・・」
三人とも気まずくなって、一瞬、沈黙が訪れる。
夜、11時を回って、戒はベッドに横になりながら、オルゴールを聞いていた。
涼しげな旋律。どこかノスタルジーを感じながら、戒は今日あった出来事に思いを寄せた。
気分はだいぶ良くなっていた。このままゆっくりと休めば明日には回復しているだろう。
ねこ、あめ、かたつむり、おんなのこ、くっきー、こうちゃ、あすか・・に、ゆうき。
色々なことがあった。猫はガードしたで怯えているところを保護したし、依頼人は本当に心の
底から喜んでくれた。僕の能力のおかげでこんなにも早く見つけられたのだと思ったらどう思った
だろうか。雨が降ってきた。冷たかった。カタツムリがいた。そう。僕の心とは対照的だった。そして
少し感傷的になっているところで家に帰ったら、明日香とクッキーがあって。そして紅茶で勇基。
波乱だらけのガルドの日々だった。逆に、アシュラムが平和すぎたのだろう。神龍とはケンカ
ばかりしていたけど。
机の上に飾ってある写真に目が行く。
光流の写真だった。僕と一緒に写っている。光流はウサギの大きなぬいぐるみを抱いていた。
僕のたった一つの家族。でも今は会いに行けない・・。
僕の本当の帰る場所。いつか帰る日がくるのだろうか。できれば、光流が病気が治ったら、
どこか田舎に家を借りて二人だけでひっそりと住みたかった。
「光流、おやすみ・・・」
いつもおやすみを言ってから寝ることにしている。
“カチャ”
明かりを消して寝ようかと思ったら、急にドアノブが回ってドアが開いた。誰か来たんだ。
「あの、戒君。ちょっといい?」
訪問者は明日香だった。ピンク色のパジャマに着替えて、さらに枕なんか持ってたりする。
「あっ、明日香!?」
眠気を、いや、疲労が一発で吹き飛んで明日香の正気を疑う?まさか、「今夜のお詫びに
私をあげる」なんて言わないだろうか?
言うわけがなかった。当然だが。明日香は、今晩のことを謝りに来たのだ。
「戒君、あの、大丈夫・・?」
こっちが痛くなるくらい心配そうな顔で言う。
「えっと、ああ。もうだいぶ良くなったよ」
にこっと微笑む。
「よかった。紅茶は、その、ごめんなさい」
「謝ることないよ。それに、クッキーはすごく美味しかったし」
本当に美味しかったのだ。勇基に食べさせてあげたいくらい。ちょっと甘くて気持ち悪くなり
そうだったけどね。
「ありがとう♪また作ってあげるね」
明日香の表情がぱーっと明るくなる。
「いや、それはちょっと・・・」
遠慮願いたいけど。
小声で呟く。
「ん?
あ。そうそ、戒君ね、このところすっごく寂しそうだったから。だから、お菓子で元気付けてあげ
ようかと思って」
そうだったのか。だから・・・。でも、相変わらず鋭いんだよな。
脱帽する。
「有り難う」
ポンと明日香の髪を撫でる。精一杯の感謝の意味をこめて。
「うん♪」
元気よくうなずいた。
「ところで、誤りに来たのなら枕は必要なかったんじゃ・・・」
疑問点を切り出すと、しかし明日香は明日香だった。
「違うよ。誤りに来たのもあるけど、ほら、戒君を気持ち悪くさせちゃったじゃない。だから、
今晩はずーっと介護してあげようと思って。ほら、私、途中で寝ちゃいそうだから枕だって
用意してきたんだよ」
「えっ・・あの・・・そっそれは・・・・・・・・・・・・」
すっごく困る。また勇基に誤解されたらどうするんだ?
「勇基ちゃんには内緒よ。バレたら、私の手料理でお詫びしてあげるから大丈夫」
にっこりと微笑む。
まったく恐ろしい強迫だ。もし手料理と取引されたら、僕だったら喜んで明日香を許すだろう。
「・・・トランプでもしようか」
このまま“寝る”わけにもいかないし、無難な提案をしてみる。明日香のは快く了解する。
「さぁっ、最後の一枚よ。右と左、どっちがババかしら」
ずいっと戒の前に二枚のカードを突き出す。
「・・・・・・・・。
こっちだ」
右に左に迷いながら、意を決して戒は左側のカードを取る。
ずーん。
ババだった。勝ち誇ったような笑みを浮かべる勇基がなぜか描かれている。
気を取り直して、必死に二枚のカードを混ぜ合わせ、そして明日香に審判を突きつける。
緊張の一瞬だ。
・・右を選ばれた。戒の肩から力が抜ける。
恐る恐るめくった明日香は会心の笑みを浮かべてペアになったカードを場に捨てた。
「あがりっ♪さぁ、これで2勝3敗だから。次で追いつくわよっ」
こうして少しずつ二人をまどろみに誘いながら、夜はゆっくりと更けていく。
トランプにチェスに、たあいもない世間話。気が付いたら、明日香はベッドを枕にして静かに
寝息を立てていた。
「おやすみ、明日香・・・」
起こさないように静かに抱き上げて、そして明日香の寝室に運ぶ。
明日香のベッドに横たえて、毛布をかけてあげる。
明日香の寝顔を見える。本当にやすらかに寝ていた。
「僕の家族、か・・・」
今日、一日あったことを思い出す。
明日香と勇基、彼らと一緒にいると、とっても心がやすまる。
まるで家族と一緒にいるような。
外の世界でこんな風に思えるのは初めてだった。
どうやらここは、僕の本当に帰っていい場所らしい。
音を立てないようにドアを閉めると、戒は晴れ晴れとした気分で自分の寝室に帰っていった。
『END』