お正月その3
 100と8つの鐘が鳴る‥‥。
 3百15万3千6百秒の過去を洗い流すように。
 そして新たな一秒を迎えるために。
 時間が過ぎていく‥‥。
 目の前を、ものすごい速さで。
 一年で最も遅く、そして最も早い瞬間‥‥。
 わずか数時間前まで新年の準備にせわしなかった人たちも、今は悠久の流れの中を行く
ように静かに新年の訪れを待っている。
 それは一年で最も静かな瞬間だった。
 それは干支の端緒に全てのエネルギーを爆発させるための休憩期間であるかのように。
待ちわびるように。
 誰の頭の上にも平等に、その瞬間は訪れ、そして過去は過ぎ去っていった。


 カイにとってその日は他の全ての日と同等に訪れた。彼の心構え一つをとっても。今日
がその日であることを不覚にも忘れていた。王宮にいた頃は行事やらなにやらで忘れたく
とも忘れられなかったし、酒を飲んでみんなと騒いで歌って楽しむというのは嫌いではな
かった、いや、好きだった。ただ、旅人というものにはとかくそれが無縁だということだ
った。
 カイはおもむろにベッドから起き上がると、大きくあくびをしてウサギのパジャマを脱
ぎ捨て、普段着に着替えた。
 村に滞在しているときは、ラフで暖かい格好をしている。タートルネックの手編みのセ
ーターに洗い晒しのジーンズ。
 耳元に冷たい空気を感じながら、カイは洗面台に向かうために廊下に出た。
 ふわぁとあくびをしながら、手で抑えながら、寝ぼけ眼をこすりながら、寝癖のついた
髪のまま。
 カイは旅をしている。世界を知るために。わからないことを解明するために。その途中
でいつものように村に入り、そして旅館に泊まっていた。もちろん連れがいる。世界を混
沌の淵に落とした魔王、ディアボロスを、同族を皆殺しにされた恨みをはらすためにディ
アボロスを倒すと言っているジェンドと、逆にディアボロスと仲良くなろうとしている十
六夜。勇者の妹、イリアと妖精のレム。よくわからない元忍者のナドゥ。今は5人で旅を
している。いつの間にか増えてしまったものだと思う。初めは一人だったのに。
 旅館が大きいから、部屋は一人一人が持つことができた。カイとジェンドは一人部屋で
小さい十六夜は今夜はイリアの部屋でレムと一緒に寝ている。ナドゥは‥‥、たった今視
界に入って思い出したのだが、昨晩のディナーで酒に酔ってジェンドに抱きつき、胸を触
ったとかでジェンドにスマキにされて一晩中、縁側に吊るされていた。それでもぐっすり
寝ているところはすごいとは思うが。
 洗面台までたどり着くと、まずはポンプを数回、押す。そうすると水がくみ上げられ、
蛇口から勢いよく新鮮な水が溢れてくる。それを手でおわんをつくってすくい、一気に顔
を洗う。
「うっ、ツメタイ‥‥。この季節は辛いよなぁ」
 愚痴を言っても始まらないのだが、冬に顔を洗うのはいつまでたっても慣れない。おか
げで一発で目が覚めるのだが、お湯が出るようにならないのかといつも思う。
 ジャバジャバと顔を洗って、歯を磨いて、口を漱いで、髪をとかして、身だしなみに香
水なんかをちょちょっとふりつける。それはカイの支度だった。それらをおえてやっと起
きたという実感が沸く、背筋もぴしっと伸びてくる。
 気がついたら、太陽は白んでいた。そして、廊下の先から優しく暖かな料理の香りが漂
ってくる。「ぐぅ〜」と空腹感を覚えて、カイは嬉しそうに食堂に向かった。


 食堂では既に準備が整っていた。8人掛けのテーブルに既に先客が一組と、イリアとレ
ムがいた。十六夜は?と思ったら、ぴこぴこと視界の外から入ってきた。
「あけましておめでとう、カイお兄ちゃん」
 くったくのない笑顔でイリアが挨拶する。
「‥‥。おめでとう、イリアちゃん」
 そうか、そういえば、今日が元旦だったのか。
「カイ〜、おめでとう」
「そうそう、あたしからも言っておくわ。おめでとう。ぼーっと突っ立ってないで席に着
いたら?」
 続けざまに十六夜とレムも挨拶してくる。
「お正月って、こんな風にイロイロな人と過ごすのって久しぶりかも。お兄ちゃんと一緒
に過ごしていた時以来だから‥‥」
「ねーねー、イリアお姉ちゃん、お正月って何をするの〜?」
「そうねぇ、カイお兄ちゃんの故郷だと普通に美味しいものを食べて、お酒を飲んで、新
年を祝って楽しむくらいだけど、この辺だとおせち料理っていう特別な料理を食べるみた
いだよ。栗金団とか、カズノコとか、お雑煮とか、どれもすっごく美味しいんだ」
 聞いたこともないような美味しそうなメニューを聞いて十六夜の瞳がぽわぽわ夢見心地
になる。もちろんイリアも一緒だった。このテーブルの上に乗っている重箱の中身がそれ
なのだろうが。
「そうでござる。お正月には他におとそとかもあるでござるな。あとはお年玉に‥‥」
「お年玉って?」
 いつの間にかどこからかスマキを解いたナドゥが出現して解説している。
「お年玉はオコヅカイみたいなものでござるよ。大人が子供にあげる‥‥ボーナスでござ
るな。カイ殿、拙者も欲しいでござるよ」
『お年玉〜♪』
 なぜだかわからないのだが、十六夜はともかく、イリアやレム、ナドゥまでカイにお年
玉をねだって手を差し出していた。ちょっと困っていると、宿のおばさんが小さな小袋を
持ってやってきた。
「おやおや、この辺の風習をよく知っているのねぇ。おばさんがお年玉をあげるよ。もう
すぐご飯の用意ができるから、それまで良い子にしているのよ」
 それは見るからにお金ではなく、飴玉だったのだが、十六夜もナドゥもみんな喜んでい
た。
「おせち料理、お年玉と来れば、次は羽子板でござるな」
 食後、お祭騒ぎの村の中を探索しようとみんなで外に集合したとき、突然ナドゥがやは
り言ったのが過酷なスポーツの始まりだった。
「羽子板?」
「そうでござる。羽子板という板を持って顔に墨を塗りたくるスポーツでござるよ」
 自信満々に答えるのだが‥‥。
「それってちょと違うんじゃ‥‥」
「ん?そうでござったかな。羽子板に羽をついて遊ぶはずでござるが、失敗するたびに墨
を顔に塗られるはずでござるが、拙者は一度も失敗してないのに、カオル殿が方向音痴っ
て言って怒って拙者の顔中を真っ黒に塗ったものでござる」
 手裏剣もそうだったが、羽子板でも無茶苦茶な方向に行くのか。ある意味で納得してカ
イは独り心の中でだけ呟く。
「ふん、子供の遊びなんかくだらん。正月?ディアボロスを倒す方が先だ」
 楽しくなさそうに剣の手入れをしているのがジェンドだった。いつもそうなのだが、楽
しむのが嫌いなのか、みんなが楽しんでいる中に加わるのが難しいからかは知らないが。
「けっこう面白いと思うけどな。反射神経と正確なショットを要求される。いい訓練にな
ると思うぞ」
 宿のおばさんから借りた羽子板を手にとんとんと持ってジェンドを誘う。その横では十
六夜、ナドゥ、イリアが3人の変則羽子板を既に始めていた。ナドゥのコントロールは相
変わらずだったが、イリアが素早く動いて全てを捕球し、十六夜の撃ちやすい場所い返し
ている。それでも3人ともたまにはミスをし、顔に○とか×とかが書かれていた。
「ふ〜ん、わかったぞ。負けるのが嫌なんだな」
 まだ渋るジェンドにとっておきの言葉をぶつける。これが最も効果的なのはしばらくの
付き合いで知ったことだった。
「なにを!?私がそんな単純な子供の遊びで負けるわけがないだろう。ほら、さっさと始
めるぞ」
 扱いやすい。ちょっぴり可愛く思いながら、カイは羽子板を構えた。
 さすがに、運動神経がいいだけあって、二人ともミスをしない。力任せに羽を撃つジェ
ンドと、それを優しく受け止めて板に羽を乗せるカイ。なかなか勝負が付かないのに業を
煮やしてジェンドが条件を厳しくした。
「さっさと片づけるために羽を増やすぞ」
 そう言って一気に二つの羽を増やした。
「って、おい!ちょっと待て。さすがに無理‥‥」
 3つの羽でのラリーはさすがにカイに分が悪かった。特に、カイは受け身であったのだ
から。次第に処理しきれなくなって‥‥ミスを覚悟した時‥‥しかし、ジェンドが一瞬早
く羽を落としてしまった。
「ふぅ〜。とにかく俺の勝ちだな。ほら、罰の墨‥‥」
「くっ‥‥」
 屈辱に塗れて、ジェンドがおとなしく震えている。カイは新品の筆にたっぷり墨汁を吸
わせて、ジェンドのほっぺにキスマークを塗り付けた。
「まだだ!次こそは貴様の顔に墨を塗りたくってやる」
 落ちた羽を拾ってジェンドはすぐにゲームに戻る。その後、カイもジェンドも何回かず
つミスって、顔に墨を塗られた。十六夜たちも加わって、お互いがお互いを笑いあう。
 遠くでは、子供が遊んでいるのだろう。凧があがっていた。
 彼らにとっての、新しい一年が今始まった。





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