『浄土の回復──愛媛玉串料訴訟と真宗教団』

はじめに―本書のめざすものについて―

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 一九九七年四月二日、最高裁判所大法廷は、愛媛県の複数の住民が提訴した、いわゆる「愛媛玉串料訴訟」について、同県の知事による、靖国神社と県護国神社への公金支出を〈違憲〉とする判決をくだしました。県知事の行為は、憲法二〇条第三項と八九条に違反するという、明確な判断でした。
 私は、親鸞聖人を宗祖とする真宗大谷派の僧侶です。安西賢誠の賢誠は法名で、俗名は賢二です。十五年にわたったこの裁判の、原告団長をつとめましたが、私は、あくまで、一人の真宗者として裁判にかかわったのであり、かかわりの起点には、親鸞聖人の出会った教えがありました。十五年間、法廷では法衣を身にまといました。それは、本願寺という教団に身を置く者の、罪責あるゆえに立つという名のりのためでした。
 私のような、一介の寺の住職が、「国及びその機関」を相手とする裁判の原告団長をつとめるという行為は、私たちの宗門の近代史にはなかったことです。それにもまして重要と思われることは、この裁判闘争の支援に、真宗教団連合に加盟している全十派だけではなく、温度差はあるにしても、私のような、名もない多くの仏教者がかかわったことです。最高裁に対しては、財団法人・全日本仏教会(略称、全日仏)も、「信教の自由」と「政教分離の原則」を守る「厳格な判決を求める要請書」を提出しました。全日仏は、全国七万五千の仏教寺院を包括する六十の宗派を中心に結成された、伝統仏教の連合体です。
 同種の裁判闘争に対しては、従来から、キリスト者、市民運動、諸政党系大衆団体など、さまざまな立場の人びとの支援がありました。しかし、仏教者がこのような問題に主体的にかかわったということ、とりわけ、かかわりが教団レベルの動きにまでなったのは、仏教史上珍しいと思います。
 しかし、この点は、これまでのマスメディアの報道においては、ほとんど伝えられていません。本書では、私が、一真宗者として、どのような思いで原告団長をつとめたのか触れるつもりですが、それは、とりもなおさず、親鸞の教えの私の受けとめを語ることでもあります。また、私を媒介として、宗旨をおなじくする人びとが、どのような働きをなして、長期の裁判闘争を支援したのか、それが、宗門の過去のありよう、とくに、教団として侵略戦争と植民地支配に荷担した責任についての、どのような反省にもとづいているのかなども報告しようと思います。
 また本書によって、いまなお靖国思想への回帰の根をのこす、この国の思想風土、なかでも宗教的精神風土について、問題を提起したいと思います。つまり、親鸞の教えに生きる者としての靖国思想批判です。
 さらに、今回の最高裁判所の違憲判決は、いろんな意味で画期的といえますが、必ずしも手ばなしでよろこべるものではなく、こんご克服されるべき重要な問題をはらんでいますので、それについても語りたいのです。十五年にわたる裁判の経過について、そのすべてを語りつくすことが本書の目的ではありませんが、裁判で問われた問題の要点についても、私なりに整理します。
 私は、自らの信仰に立って、「信じる自由」「信じない自由」の大切さを語ろうと思います。「信教の自由」や「政教分離の原則」についての議論は、マスメディア的な憲法解釈の次元からだけでなく、もっと深められねばならないのではないでしょうか。本書が、議論の活性化、あるいは一人ひとりの思索の深まりに、いくらかでも役立つことを、切に願っています。

                安西賢誠


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