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未完のモニュメント

まちのアートは誰のもの?

今井祝雄 四六判 224ページ 箱入り 2000円

ブックデザイン/熊澤正人


下にある「タイムストーンズ400」に積み上げられている「石」
の写真を使用しています。


今井祝雄の作品。新大阪駅前にある『タイムストーンズ400』
このモニュメントをめぐる「出来事」が本書のきっかけとなる。

あとがき より

いま、文化のリストラというべき動きが起こっている。
美術館などの文化施設だけの話ではない。ひところ盛んに叫ばれた企業の文化支援=メセナや、社会貢献=フィランソロフィー、そして本書の主題であるパブリックアートといったことばが聞こえなくなった。先行きの見えない経済の低迷が続く今日の状況においては無理からぬ事情として理解できなくもないが、気になるのは、それらが流行おくれのようなトレンド感覚で捉えてしまいがちな風潮である。
たとえば「パブリックアートの時代は終わった」とか、「アートが美術館からまちに出ただけ」あるいは「都市の装飾でしかなかった」、あげくは「次は地域コミュニティのアートだ」みたいなフレーズが、なんと文化的なジャーナリズムのなかで見かけるのは悲しい。それが、かつて「都市とアート」などいうことばが踊っていた同じメディアにおいてだったりすると何をかいわんや、である。
もっともメセナでいえば、本来、芸術文化とは、種を蒔き水を絶やさず、時間をかけて育てるものであるのだが、促成栽培のように短期間に成果を求めようとしたり、いきおい形の見えやすい対象に偏るきらいはなかっただろうか? パブリックアートにしても、バブル期には、ときに場違いな置物的作品や、どこへ行っても同じ作家の同じような作品を目にしたりして、まちの独自性を創るはずのアートが逆に地域の均質化を助長するようなケースも少なくなかった。
そうした反省や検討さえ十分になされないまま、一過性のTブームUさながら、また次なる動きやものごとに目移りしていく気ぜわしい情報化社会と、本来スローな芸術文化の活動はなじみにくいのかもしれない。
メセナ、パブリックアートなど、ことばは新しくても、そうした事柄はいまに始まったものではなく、社会におけるアートの存在の仕方にほかならない。もとより表現の潮流やモードのように流行とかトレンドで語られるものではないのである。そこで耳新しいことばだけが消費されていくだけならまだしも、ことばとともに、その実体(といっても上っ面だけだが)も浪費されかねない。使い捨て文化(?)は、ここにきて文化の使い捨てにまで及ぼうとしている。
さて、もともと本書を出そうとしたきっかけは、冒頭の「タイムストーン・プロジェクト」が実現しなかったことによる。その経緯を書かないことには私自身おさまらない気持ちであったのだが、なかなか筆が進まず、時間が経つほどに、その気持ちが薄らいでいく危惧があった。
ちょうどそのころに届いたO氏のメール。今になって思えば、私は見ず知らずのO氏に励まされて書き終えたように思う。それが本書のメインである冒頭の「パブリックアートの行方」である。同章のなかで、O氏にならってイニシャルで記したH氏とは兵庫県立美術館学芸員の平井章一氏であることを明かしておこう。氏は今年、結成五〇周年記念の「具体回顧展」を企画担当した「具体」の研究者でもある。
次の章「風景と美術」は、パブリックアートについて、これまでの私の論考に新たな視点を加えた概説である。拙著では、一九八一年から始めた都市空間における造形美術の数々をウォッチングした『アートする街かど』(一九八七年)、さらに景観への認識を踏まえた『都市のアートスケープ』(一九九〇年)、そして、それらの社会的な意味を加えて分類・整理した『アーバンアート―芸術からの街づくり』(一九九四年)がある。
二冊目の表題にある「アートスケープ」とはアートとランドスケープを合成した私の造語だったが、幸い広く使われるようになって、その後、アート情報のウェブサイトやらNPOの名前にもなっている。アートスケープにおいては単体の彫刻的造形に加えてT都市のインスタレーションUというべきテンポラリーな作品が加わってくることとなり、本書後半の「都市のアート見聞録」には、こうした作品が多くを占めた。
三冊目の『アーバンアート』を出したころは、バブル経済の波でパブリックアートが、まだ定義もあいまいなまま盛んにつくられた時期であり、私はそこで十分な議論が重ねられることを期待して、あえてというか、とりあえずアーバンデザインに対してアーバンアートとしたのだった。あれから一〇年がたったいま、改めてパブリックアートは何なのか、そして、そのいくつかの実作の行方を探ることで始まる本書から敷衍して、現代社会における今日の文化状況を問い返すことができれば幸いである。
ところで、「パブリックアートの行方」で書いた吉原治良による「知られざる壁画」が、本書出版を機に都市基盤整備公団(七月より独立行政法人都市再生機構に改称)の協力をえて公開できることになった。数日間の期間限定ではあるが、まずはその存在を知らしめることが最年少の弟子であった私のできることである。吉原の生誕一〇〇年を迎える二〇〇五年には、壁画と本来の姿で広く出合える方向に進展できればと願うものである。
最後に、本書をまとめるにあたり、多くの方々のお世話になった。メールや手紙の掲載を快諾いただいたO氏とH氏をはじめ、取材の協力ならびに写真を提供くださったギャラリーならびに作家諸氏、学生諸君に感謝したい。そして阪神・淡路大震災の翌年に「ガレキ=都市の記憶」(共著)を出していただいた樹花舎の花村健一氏に再び編集のお世話になった。同書につづいて風格ある本にデザインしてくださった装丁の熊澤正人氏ともども謝意を表したい。なお出版に際し一部、成安造形大学の特別研究助成を得たことを記し、関係各位にお礼を申しあげる。

       二〇〇四年五月
                                                               今井祝雄

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今井祝雄(いまい・のりお)のプロフィル
1946年大阪市生まれ。造形作家。成安造形大学教授。大阪市立工芸高校在学中から吉原治良に師事、もと具体美術協会会員。第10回シェル美術賞一等賞受賞以来、内外の美術展に出品。新大阪駅前、関西学研都市の屋外彫刻や住吉大社の万葉歌碑などを制作。大阪市都市環境アメニティ表彰。主な著書に『都市のアートスケープ』(ブレーンセンター)、『アーバンアート――芸術からの街づくり』(学芸出版社)、『ガレキ=都市の記憶 ポスト震災のアートスケープ』(共著、樹花舎)などがある。

もくじ より

パブリックアートの行方
 

 未完のモニュメント
 O氏からのメール
 共有されるものへ
 残念石―歴史の忘れ形見
 除幕まで
 二〇年への想い
 もうひとつの吉原治良
 知られざる壁画
 幻のコンクリート造形
 花壇になったオブジェ
 ホームレスが住みついた彫刻

風景と美術
 

 アートスケープの創出
  形をつくる
  場所をつくる
  風景をつくる
  物語をつくる
 都市の記憶

都市のアート見聞録

パブリックアートと記念写真
ペーブメントが語るもの
モチノキ通りの出来事
ここが地球の真ん中
「森」のなかの「庭」
解体前のリニューアル
荒野のモンドリアン
屋根の上のパスワード
どこでもドア
軌道に立つ造形
ステップアート
歩道橋のかざぐるま
出血セール
インテリジェントビルの小錦
三井寺の遠眼鏡
ショーウインドーのささやき
鴨川に一直線
人工島の富士
世紀末の砦
屹立する〈書物〉
水田に舞う形
梱包された議事堂
違法看板をアートする
「窓拭き」のち「雨」
あの時と今
呼吸盤
夜だけの壁画
風景のなかの「風景」
セザールの居場所
宝塚の宝物
物見遊山する彫像
絵画の祠
夢のゴミ工場
サイロの六甲山
いったい「全体駅」ってどこ?
仮囲いのつぶやき
階段がオドリ場
ココロのゴミ箱
寝屋川の〈キリン〉ビル

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