現代人の法話 
〜 良心について 〜

 私たちが社会生活をするにあたって、どこの国や地域でもそこでの秩序を保つために、お互いが守るべき法律、規則への遵守が義務づけされています。それがかつてのように、他の国や地域と隔絶された狭い社会では杏応なしにそこでの成員は守ることを義務づけされ、万一それを犯したときにはその社会から制裁を受け、ときには追放されてしまいます。最近では通信、運輸機関の発達により、そうした国家や地域間の壁が次第に取り外される傾向にあり、多くの異なった人々が同一地域に居住し、行き来するようになって、そこで施行されている法律や規則が守られなくなりつつあります。
 だからといって、そこでの法律や規則に違反してよいわけがなく、ましてやどこの社会にあろうとも、人間として守るべき常識や良心を逸脱してよいわけはありません。法律や規則があろうとなかろうと、まともな人間として社会生活を送るには、周囲から信用され、尊敬されることが不可欠で、それに欠けた場合には何らかのツケが回ることは当然のことでしょう。ところが悲しいことに、最近ではそうした人間として振舞うべき常識や心構えとしての良心すら守られず、周囲に迷惑をかけ、困らせても平気な人を見かけます。
 たとえば人が困って助けを求めているのを見て見ぬふりをし、自分のことではないと割り切って手助けもせず、平気でいたり、遊んでいるようなことです。こうしたことは、権力者や過保護者に多いようです。これとは逆に、先頃の新潟中越地震の直後、七五三のお祝いがあり、祝い袋を貰った子供までが困窮した被災者の悲惨な生活を知って同情し、現金の入った祝い袋をそのまま献金箱に入れていたことを知り、なんと立派な心がけの持ち主であるかと感動しました。常識や良心は自分自身の問題で、周曲がとやかく言うべき筋合いのものではありませんが、良識ある人ならばそれを見過ごすことをいさぎよしとせず、それから逸脱した場合には後悔し、気まずい思いをするのが普通でしょう。



Back