《 孝 佳 紀 行 》 
〜 九品について 〜

 “九品”という言葉を聞いたことがあると思います。「くほん」とお読みしますが、九品往生、九品浄土、九品印、またお寺の名前でも九品寺、九品院と様々な所でお聞きする事でしょう。
 この“九品”という言葉は、浄土宗が依り所とする3つのお経〜浄土三部経の中の『観無量寿経』にある言葉で、極楽に往生を願う人の性質や行いによって、往生の有様や往生後の様子にそれぞれ9つの相違が生じることを示した言葉であります。ここでは、“九品”について、下の一覧表にまとめてみました。
 さて、この“九品”については、古来より様々な解釈がなされて参りましたが、浄土宗では、唐の善導大師に依りまして、九品は皆、凡夫であると受け取らせていただいております。すなわち9つの違いがあるのは、人の性質や能力による差別ではなく、各々が生きていた時のご縁による違いによるというものです。すなわち、たまたま大乗仏教のみ教えに遇った人は上品となり、また小乗仏教のみ教えに遇った人が中品、悪にしか遇わなかった人が下品となっているにすぎず、その本質においては、皆、凡夫であるとするのです。さらに、法然様は、“九品”の違いは、阿弥陀様の本願には無いから、真実としてあるのではなく、お釈迦様が、悪人を戒め、善人を励ますために、説かれた“善巧方便”としてご説明されておられます。ですから、「極楽に行くにも、9つの差別があるのだなぁ」、「人の優劣によって、往生できるお浄土が違うのだなぁ」などと誤解をされないようご注意ください。
 お念仏を称えれば、誰もが、阿弥陀様の本願のお力によって、等しく極楽浄土へ往生させていただけますのが、浄土宗の御教えであります。

九品どんな人が?どなたがお迎えに?どの様な往生を?
上品上生至誠心、深心、廻向発願心の三心を持って、慈悲の心を起して、殺生を行う事なく、菩薩の大戒をたもち、また大乗経典を読誦し、或いは六念法を修行し、これらの功徳を廻向して浄土往生を願い、一日乃至七日する。阿弥陀如来は、観世音勢至両菩薩や無数の化仏や百千の比丘や聲聞、諸天や七寶宮殿とともに来迎される。金剛臺に乗って、弾指の間に浄土往生し、即座に無生法忍を悟る。
上品中生よく大乗の諸法皆空の義趣を解し、生死も涅槃もまた空であるという義理を聞いても少しの疑惑の念を起さず、また大乗の教えを誹謗することもなく、苦楽因果の道理を深く信じて、これらの功徳を廻向して浄土往生を願う。阿弥陀仏は、観世音勢至両菩薩及び無数の浄土の眷属とともに来迎される。紫金臺に坐って、一念の間に、浄土の七寶池の蓮華の中に生じる、一夜を経て、蓮華が開き、七日を経て不退転の位、一小劫を経て無生法忍を悟る。
上品下生因果の法を深く信じ、大乗の教えを謗ることなく、ただ無上道心を発し、これらの功徳を廻向して浄土往生を願う。阿弥陀如来は、観世音勢至両菩薩及び諸の浄土の眷属、さらに五百の化仏と共に来迎される。金蓮華に坐って、仏の後に随って、浄土の七寶池の中に往生する、一日一夜にして、蓮華が開き、七日を経て仏身を見て、三七日の後、明瞭に拝すことができ、三小劫を経て歓喜地(菩薩の初地)に入る。
中品上生小乗の五戒や八戒斉やその他の戒法をたもち、五逆罪やその他の罪悪を犯すことなく、この持戒の功徳を廻向して浄土往生を願う。阿弥陀仏は、諸の比丘と共に(比丘の形をした観世音勢至両菩薩及び浄土の多くの)眷属に囲まれて、金色の光を放って、その人の前に現われたまう。【般舟讃によると化仏とのこと】蓮華臺に坐り、長跪合掌して仏に礼をなして、未だ頭を挙げざる頃に、極楽世界に往生する。蓮華の華はただちに開き、阿羅漢道(小乗の極果)を得て、三明や六神通や八解脱を證得する。
中品中生一日一夜の八戒斉や沙弥戒や具足戒をたもち、三業の威儀をよく守り、この功徳をもって浄土往生を願う。阿弥陀仏は、諸の眷属と共に(阿弥陀仏の化身が浄土の比丘眷属と共に)、金色の光を放ち、七寶の蓮華を持して、行者の前に至りたまう。蓮華上に坐すと、蓮華が閉じて、西方極楽世界の七寶の池に往生する。七日を経て蓮華が開き、仏の教えを聞き、歓喜の心を起して、須陀?果(小乗の初果)を得、更に半劫を経て、阿羅漢を悟る。
中品下生父母に孝養し、世俗の仁義等の人倫五常の道をよく行う。命終わらん時、たまたま善知識により阿弥陀仏国の安楽のことや阿弥陀仏の四十八願等の教えを聞くことを得る。例えば壮士の臂を屈伸するようなごく短時間に、西方極楽世界に往生する。七日を経て観世音勢至両菩薩の説法を聞いて歓喜心を起し、一小劫を経て、阿羅漢を成ず。
下品上生大乗方等経典を誹謗しないけれども、多くの悪業を犯し、少しも慚愧の念を起こさない。命終わらん時、たまたま善知識が大乗十二部経の首題の名字を讃ずるのを聞く機会に遇うことが出来、また更に、智者が教えて合掌叉手して南無阿弥陀仏と称えた。その時、かの浄土の阿弥陀仏は化仏、化観世音、化勢至両菩薩を遣わされた。寶蓮華に乗り、化仏の後に随って、浄土の七寶の池に往生する。七七日を経て蓮華が開き、観世音勢至両菩薩が現われて、大乗十二部の経典を説き、これを聞いて無上道心を発し、十小劫を経て、歓喜地(菩薩の初地)に入る。
下品中生五戒や八戒や具足戒を破り、仏教教団の共有物や供物、施物を盗み、不浄説法をして少しも慚愧なく、地獄に堕ちる様な悪業を重ねる。命終わらん時、地獄の猛火が目前に現われる。この時、善知識があり、大慈悲の心をもって、阿弥陀仏の十力の威徳や光明の不可思議な功徳を説き、さらに戒と定と解脱と解脱知見の偉大なる事を讃ずるのを聞く。その時、地獄の猛火は清涼な風と変わり、天の妙華を吹き散らす。この華の上にそれぞれに化仏化菩薩があって、この人を迎接する。一念の間に、浄土往生を得て、七寶池の蓮華の内にして六劫を経て、蓮華が開く。観世音勢至両菩薩が現われ、梵音声をもって大乗の深甚微妙の法を説かれ、これを聞いて即座に無上道心を発す。
下品下生五逆罪や十悪業を作り、その他もろもろの不善を犯す。命終わらん時、善知識に遇って、大乗の微妙な法を説き教えられ、また念仏を勧められるが、そのいとまがないため、阿弥陀仏の御名を称えるように勧められ、その通りに、真実の心をもって南無阿弥陀仏と十聲称え続ける。日輪の様に輝く蓮華臺を見て、ただちにそれに乗って、一念の間に、極楽世界に往生することを得る。十二大劫を経て、蓮華が開き、観世音勢至両菩薩が大悲の心あふれる音声をもって広く諸法の真実の相や罪障を滅除する法を説かれ、これを聞いて歓喜し、即座に大菩提心を発す。


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