近畿地方の岸田姓

その2

大阪・奈良・和歌山


大阪府

 
大阪府の岸田姓の密度分布:色が濃いほど高密度を示す

大阪府の岸田姓の件数は1700で全国で一番多い、密度は1.98件/万人

岸和田市を中心に府南部での密度が高い.岸和田の名はこの地方の豪族和田氏にちなむ
葛城山を越えて隣接する和歌山県かつらぎ町も岸田姓が多い
大和川流域にも多く、分布は奈良県方面につながっている
摂津北部も微妙に密度が高い。
淀川左岸の京阪、片町線沿線には少ない
戦国時代前期の文明16年(1484)に興福寺領摂津難波浜郷の代官に岸田氏が任命されている

東大阪市の近鉄布施駅の真南1Kmに岸田堂の地名がある。これは推古天皇の時代のお堂(長楽寺)にちなむ.
この寺は、推古天皇3年の聖徳太子と物部氏の抗争で、物部氏が敗れた折に、太子側についた岸田氏が、布施あたりの物部氏の領土を下げ渡された見返りとして推古天皇に献上したものと考えられる.日本書紀には、推古天皇が、聖徳太子が四天王寺を建てたことに関連して「まえつきみ」(大臣)に寺を建てるようおおせだされため、皆が争って寺を建てたという記事がある。--(高松市村尾さんより)

大和川流域の岸田姓

 大和川と石川の合流点の南東に安宿郡があった。読みは「あすか」で羽曳野市飛鳥を中心とする一帯である。 ここは大和の飛鳥と同様に百済人をはじめ多くの渡来人が住み着いていた場所である。石川の左岸には貴志(富田林市)の地名もあり、埼玉県高麗郡同様に朝鮮から渡来した人の称号であるキシとの関連がありそうである。
 蘇我氏が大和の飛鳥を掌握していたこと、蘇我氏の祖と思われる満致が百済人であったという説、蘇我氏全盛期の天皇(敏達、用明、推古、孝徳)と聖徳太子の陵墓がこの地域に集中することや、蘇我石川麻呂の名前の由来、等岸田姓との関連から興味深い。

またこの地域は、現在でも関西本線、近鉄線、名阪道が集中している様に、大和の政権が瀬戸内海さらには大陸と交易するための交通の要衝であったことにも注目したい。
安宿郡内には尾張郷(現、柏原市国分)があり、海との関係の深い尾張連が大和川の水運にも関与していた形跡がある。(岸田と尾張連の関係はこちら

朝鮮からの帰化人、蘇我氏、それに尾張連と岸田姓を関連づける鍵がこの地域に潜んでいそうである。

余談であるが、この地域は清和源氏との関連も深く源頼信、頼義、義家三代の墓がある。

Link:大阪府立近つ飛鳥博物館

<丸に四つ目紋:松原市の岸田姓の多くが用いている。>

摂津の岸田姓

吹田市には岸部町(摂津国島下郡吉志部村)があり、ここは古代朝鮮から渡来したの吉志氏の本拠地であったとされている。また、平安初期に書かれた「文徳実録」の天安元(857)年に摂津国人として岸田朝臣全継なる人物の名が挙げられている。
大田亮の姓氏家系辞典にも、岸田姓の項に摂津島上郡の豪族が挙げられ、古代岸田臣との関係がほのめかされている。(これを桓武平氏としているが詳細は不明)

市町村区別密度ランキング

 1位2位3位4位5位6位7位8位9位10位
市町村名岸和田市貝塚市松原市和泉市柏原市熊取町大阪狭山市河内長野市高槻市八尾市
岸田密度
(件/万人)
19.45.35.24.93.53.13.02.82.72.4
件数162446975271217339764


奈良県

 
奈良県の岸田姓の密度分布:色が濃いほど高密度を示す

奈良県の岸田姓は294件、岸田密度は2.06件/万人
奈良盆地西部の大阪側に多く、北部の奈良や郡山では少ない。吉野地方にはほとんど見られない。

三重県境にある宇陀郡でやや目立つのは、尾張の伊福部と関係があるかもしれない。

山辺郡岸田村

天理市の岸田町は古くからある地名で、平安時代には蘇我の稲目の子孫がここに居住して岸田の朝臣を名乗っており、日本書紀によれば684年に岸田臣が岸田朝臣に昇格したとの記述がある。この一族には播磨国司岸田臣麻呂、藤原仲麻呂追討(764年)に功のあった岸田朝臣継手の名が残っている。
蘇我満致が百済官人の木満致と同一人物であったという説をはじめ、仏教の導入など蘇我氏が百済との関係が深いことから、岸田姓の起源として朝鮮からの帰化人の称号キシとの関連が考えらる。
天理市北部には5世紀の製鉄の遺跡(布留遺跡)があることや、岸田に大和鍛冶の尻懸則長一派が住んでいたことから、鉄の製造との関わりが興味深い。また天理市の中心にある丹波市の地名は、古代製鉄の観点からも丹後の岸田姓との関連をにおわせる。蘇我氏は渡来人による鉄の生産を握ることで権力をのばしたのかも知れない。

蘇我氏の宗家は大化の改新(645)で滅ぼされたが、傍系の一族はその後も存続しており、岸田村の岸田朝臣もそれにあたる。 この中には朝廷で食膳関係の役を有したものが多く、海人との関連も深いと考えられる。土佐香我美郡は岸田姓が多い場所であるが、ここには蘇我氏が支配する宗我郷があり、後に朝廷へ海産物を貢上するための大炊寮領となった。

蘇我氏の末裔

南北朝時代山辺郡岸田は興福寺領となったが岸田氏はその衆徒として勢力を持っていた。
応仁の乱が起こっていた文明3年には、十市氏に所領を攻め落とされ河内方面へ逃げたらしい。(発祥地と思われる天理周辺で少ないのはこのためか?)
文明9年には河内の畠山氏のバックアップで、北部の十市氏や筒井氏の勢力に対し盛り返した様だ。
このころは、現御所市あたりに勢力を持っていた越智氏と軍事活動をともにしていたらしい。(北部で少なく御所周辺で多いのはこのためか?)
戦国末期には、岸田氏は筒井家に従うようになり、豊臣時代には筒井定次の伊賀転封により岸田伯耆が伊賀阿保(現三重県青山町)に移動し3000石の領地を得ている。
しかし、徳川政権になって1608年に筒井定次が改易断絶となり(キリシタンであったためとも言われている)、その後この岸田一族の消息は不明である。
また、筒井氏配下の武将に岸田忠氏がいる。筒井氏改易の折りには豊臣秀長へ仕官し、後に秀吉から山辺郡岸田で一万石を与えられている。しかし、関ヶ原の戦いで西軍についたため所領を没収され、盛岡の南部家へ預けられた。こちらの子孫は代々南部家に仕えたようである。

市町村区別密度ランキング

1位2位3位4位5位6位7位8位9位10位
市町村名御所市莵田野町安堵町上牧町御杖町川西町明日香村吉野町大宇陀町広陵
岸田密度
(件/万人)
13.98.97.06.94.94.14.03.6 2.92.8
件数515615343537


和歌山県

 
和歌山県北部の岸田姓の密度分布:色が濃いほど高密度を示す

和歌山県の岸田姓は121件、岸田密度は1.10件/万人
ほとんどが紀ノ川中流のかつらぎ町周辺に分布している
御坊市にも密集している
御坊以南では田辺市に5件ある以外ほとんどない

市町村区別密度ランキング

1位2位3位4位5位6位7位
市町村名かつらぎ町九度山町御坊市高野口町岩出町橋本市和歌山市
岸田密度
(件/万人)
10.25.54.71.91.521.501.02
件数2341235841


そのほかの地方での分布はこちら


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Yutaka Kishida
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