
祖父の話では、祖父の祖父岸田彦左衛門が,参勤交代のお供の帰りに京都に寄って持ち帰ったものだそうです。
(彦左衛門の主人である徳山藩主毛利元蕃は、文久2年(1862)の江戸参勤からの帰途、萩藩主毛利慶親とともに7月から約半年も京に滞在し、朝廷に攘夷を説く活動を行っている。)
岩倉前宰相具集卿雲毎に、見_ ぬもの色ふかく祖父はこれを五百円札の岩倉具視のものと言っていたが、付箋には具集と書いてある。__にそめ__なり
具見
文久2年当時、岩倉具視は公武合体派であったため、尊皇攘夷を主張する長州の圧力で謹慎させられていた。
従って、長州の者と接触するとは考えにくい。具集はすでにこの世にない。この短冊は、どの様な経緯で彦左衛門にわたったのだろうか?
重胤の署名のある短冊松霜御園生にさか行松の深みとり
しもの花さへ枝にかかりて
重胤
付箋がないため作者が特定できないが、次の二人が考えられる。
五辻殿紅葉たつた山朝きり深くつゝめとも
色にいでたる峯の■々
安仲
この歌は、付箋と署名から五辻安仲のものであろう。
文久2年安仲は元服直後の17歳であった。彦左衛門の参勤交代への随伴が5から6年に1度で文久2年が最後であったこと、さらに歌題が紅葉であることから、言い伝え通り、この短冊は長州藩の京周旋時のものと考えられる。
解読はshizuokanetの田中之博さんからいただきました。
>「紅葉 多川多山朝幾利深久川々女登毛 色耳以天多類峯能■々」
>漢字書きにして文字を充ててみましたのが、上記の「」内の釈文です。
> 下の句の最初は「色」で「色にいでたる」だと思います。「峯の■々」は、最後は文字の繰り返しで終わっていますので、判読できない部分は、読みで三文字分ですよね。
>参考までに、この一首の本歌があるかどうか調べました処、「たつた山」の紅葉を詠んだ和歌は二十一代集(古今集から新続古今和歌集)中38首ありましたが、本歌に該 当するものはありませんでしたので、全く五辻安仲の自詠だと知れます。
岸田彦左衛門?長閉くもふしの麓にこしかけて和歌ではないようだが、東海道で川止めになったときに詠んだものか?八十字の春も詠めけるかな
徳山住八十歳中__岸田彦左衛門
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Yutaka Kishida