| コラム |
管理人のコラムです。
ヒマな人は読んでやってください。
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| 07年3月23日(金) 菅野氏死去 〜どこまでも渋く輝いた背番号1よ永遠なれ〜 |
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菅野さんの現役のプレーはさすがに生では見たことがない。
それでも、私が小学生の低学年頃だったか、
81年の優勝当時のメンバーで準レギュラーだったことを知った。
失礼な話だが、その当時の印象は打たない「背番号1」の選手というもの。
他球団で背番号「1」と言えば看板選手なのに、日本ハムは地味な選手が
付けているんだよなぁと幼心にそう感じていたのを今でも覚えている。
今考えると失礼極まりない話である。
85年で引退、翌年から広瀬がその1番を引き継いだ。
菅野さんはそのままファームのコーチに就任。そして2年前に勇翔寮寮長に。
生え抜きの選手全員といっていいほど関わってきた菅野さん。
その人柄はファンには優しく、気さくに話をしてくれる印象が強い。
選手からの人望も厚いことでしょう。54歳は若すぎますが、
ファイターズ一筋に尽力された菅野さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
【top表紙更新】





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| 06年3月22日(水) WBCがもたらしてくれたもの 〜 3.25パリーグ開幕 〜 |
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見事WBCを制した日本。第1ラウンドを含め、当初の盛り上がりはイマイチだった。それでもドラマのような結末が日本中を熱くした。道内でのテレビの瞬間最高視聴率は60%を越えたと言われる。今から考えると、ボブの誤審が昼間のワイドショーで繰り返し取り上げられ、野球に興味が薄い主婦層にまでWBCに目を向けさせたという副産物もあって、高視聴率に繋がったのかもしれない。
今から遡ること半世紀以上昔の1950(昭和25)年、日本プロ野球はセリーグとパリーグの2リーグ制でスタートした。ただでさえ、読売、中日といった新聞社を母体とする球団があるセリーグと、西鉄、近鉄、南海、阪急といった鉄道会社を中心としたパリーグとでは、マスコミの報道量の差により人気の差が開いていくのは明らかだった。シーズン初年度こそ、パ唯一の新聞社母体であった毎日(現千葉ロッテ)オリオンズが日本一になったものの、高校野球への力の入れ具合などから、毎日がオリオンズを所有していた期間はそう長いものではなかった。
昭和30(1955)年代にはテレビ全盛の時代となり、日本テレビを中心にジャイアンツの主催試合を全国のお茶の間に届けた。それ以後のジャイアンツを中心とした日本プロ野球界については記述の必要はないだろう。
日本中が注目したWBCの決勝戦、スタメンの9人のうちパリーグ(出身)の野手は7人、登板した投手が全員の4人。巨人、阪神の選手はゼロ。パファンとしては普段応援している選手が大舞台で活躍してくれたのは頼もしい限りであった。
これからもマスコミは巨人や阪神といったチームに傾倒した報道になるだろうし、それらのチームが日本プロ野球界を人気の意味でも牽引してもらわなければならない役割があるのも事実だろう。それでも、これだけ注目された試合でパの選手が躍動的にテレビに映し出されたのは、パ関係者が何十年と試行錯誤を繰り返してきた全てのファン獲得策の何百倍もの効果をパリーグにもたらしてくれるに違いない。
1988年10月19日、パリーグ史上最も長い日であった世に言う「10.19」の試合を、ニュースステーション(現報道ステーション<テレ朝系>)はその年の年末特集で取り上げていた。その中で当時のキャスターである久米宏氏はこのように伝えている「テレビとは何か?テレ、つまり離れたところを見られるという意味なのですが、テレビがもっと素晴らしいのは人間を映した時です。感動的な極限の状態におかれた人間を生々しく映し出した時、テレビの可能性は無限大であると思っています。10.19の素晴らしい役者がそろい、テレビに命を吹き込んでくれました。」
ガッツが、松坂が、俊介が、里崎が、松中が、川崎が、パリーグの素晴らしい役者が揃い、
これからの公式戦に命を吹き込んでくれることでしょう。
3月25日、パリーグ開幕。
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| 05年6月18日(土) 合併賛成 〜愛したチームよいつまでも〜 |
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交流戦も今日で終了。見事にパがセに勝ち越すという結果になったことは、公式戦順位という大切なもの以上にパ党としては嬉しかったという人も多いのではないだろうか。このセパ交流戦も、思い起こせば1年前、近鉄とオリックスの合併に端を発した一連の合併騒動によって生み出されたものである。
「近鉄バファローズ」が消滅し、多くの人が嘆き悲しんだ。しかし、東北に楽天ゴールデンイーグルスが誕生したことによりパリーグの球団数削減は食い止った。
去年の年末だっただろうか、会社の企画部A部長を含め何人かで飲んだ時のことだった。「SHIDA君、ファイターズファンらしいね・・・」から始まった部長との会話が、まさか二人で話し込むことになるとは思っていなかった。

大抵こういう場合、「SHINJOすごいね。私もファンなんだよ。」なんて通り一遍の話で終ることが多いのだが、A部長は違った。去年の球界再編を実は一筋の希望を持ちながら見守っていたという。
「近鉄とオリックスの合併を見ていて、ダイエーと西武も合併してくれないかななんて思っていたんだよ。」
このおっさん、何を言い出すんだと思って聞いていたら、「いや、私はね。ずっとライオンズファンだったんだ。子供はみんなホークスファンだし、ホークスも好きだけど、やっぱり本音を言えば『九州のライオンズ』をもう一度応援したくてね。『福岡ダイエーライオンズ』にでもなってくれればなぁってずっと期待していたんだよ」
そう話すA部長の瞳が潤んでいるように映ったのは、私の気のせいではないだろう。部長は博多生まれの博多育ちなのだそうだ。
「1リーグ制反対」「合併反対」・・・野球ファンの総意のようなシュプレヒコールの片隅で、こんな想いで球界再編を見ていたオールドファンがいることをその時初めて知った。A部長にとっては、『西鉄ライオンズ』が青春であり夢でもあった。「西武(太平洋クラブ)への身売り&九州の地元球団消滅」という悲しみを体験してきた人の想いの奥深さを、身近に体験できた貴重な時間だった。
部長とは1時間以上話し込んだだろうか。それでもその間、「西鉄ライオンズ」に付きまとう「黒い霧事件」の話は部長の口から出てこなかった。A部長はこの春、関連会社に出向していった。先日の池永正明氏の復権報道・・・部長の目にはどのように映ったのだろうか。
参考サイト 『失われたライオンズの世界へようこそ』
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/lions/
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| 05年4月29日(金) 大社義規前オーナー死去 〜 日本一愛されたオーナーを偲んで 〜 |
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2005年4月27日、大社義規(おおこそ よしのり)前オーナーが亡くなられた。一介のファンの私のようなものが、大社前オーナーについてどうのこうの書くなんておこがましいのだが、触れられずにはいられなくなった。
プロ野球チームのオーナーが好きでそのチームを応援しているという人は稀であろうが、ファイターズの場合は大社前オーナーの人柄に惚れてファンになった人も少なくないだろう。
日本ハム球団創設当時、低迷を続けていたファイターズは球団経営も火の車であったという。大社前オーナーの半ば趣味で買収したと言われるファイターズ。日本ハムグループに迷惑をかけるわけにはいかないと私財をも投入し経営の立て直しを図ったという話が残っているほど、ファイターズを愛してやまなかったのが大社前オーナーだった。時間があれば後楽園・東京ドームに駆けつけ選手を子や孫のように暖かく接し、車椅子生活になっても春には名護キャンプに駆けつけるほどの熱意は、球団オーナーの鏡のような存在であったと言えよう。
最近でこそSHINJO入団や札幌移転で多少はメジャーになったファイターズではあるが、「なぜ日ハムファンなの?」- 本州のファン(東京も含む)なら例外無しに学校や職場で必ず聞かれるのがこの質問である。
確かにファイターズは人気がなかった。それでもファンになればなるほどはまっていく不思議な魅力がファイターズにはあったりする。2003年阪神からトレードでハムに来た坪井が「ファイターズはアットホームだ」という発言をしていたのを覚えている。戦う集団という意味では失格かもしれないが、ファイターズのそんなアットホームな風土の礎は大社前オーナーのチームへの愛情によるものなのかもしれない。
2004年、球界が大きく揺れた。己の打算の為に行動するオーナー連中、新人獲得の金銭授受に絡み次々に辞任したオーナー達、球団を手放した後に、近鉄本社社長が週刊誌で明かした「不採算部門を処分できてスッキリした」といった類の発言・・・。そんな現実を目の当たりにするにつれ、大社前オーナーの愛情を注がれたファイターズの選手やファイターズのファンはなんて幸せなのだろうと感じたものだ。
2002年、日本ハムは忌まわしい事件を起こしてしまった。「牛肉偽装事件」---その責任をとってオーナー職を辞した大社前オーナー。球団経営の最前線からは退いたものの、2004年の札幌の盛り上がり&プレーオフ進出は大社前オーナーの目にはどのように映ったのだろうか。
今を遡ること7年前、1998年の上田監督政権下に快進撃を続けたファイターズ。優勝の二文字が目前に迫ってきた頃、大社前オーナーはこっそりと胴上げの為に減量を始めたと言われる。(結局胴上げの夢は叶わなかったが)
「また今年も減量しなくちゃならないじゃないか・・・。」
そんなボヤキが天国から聞こえるようになってはじめて、前オーナーへの恩返しとなるのかもしれない。
大社前オーナーのご冥福を心よりお祈り致します。
「僕達にファイターズをありがとう。。。」
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| 04年11月24日(水) 交流戦展望 投手の打撃力 〜珍現象 札幌ドームで応援できないの?〜 |
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近鉄・オリックス合併に端を発した球界再編は、楽天の50年ぶりの新規参入、
及びこれから発表される、ソフトバンクへのダイエー身売りという形で「年内」は落ち着きそうだ。
今朝の新聞紙面(サンケイスポーツ)にこんな記事が載っていた。
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★交流戦主催試合はすべて札幌ドームで
小島オーナー代行が、来季から導入される交流試合の主催ゲームについて、すべて札幌ドームで行う意向を示した。「交流戦はすべて札幌でやりたい。
ホームでまずは(新カードを)お披露目するでしょう」。
また、地方開催試合について「帯広と釧路でやる予定」と明かし、
今季2試合行った函館シリーズは行わないことを明言した。
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当然と言えば当然なのだろうが、交流戦の地方開催はなく、東京ドームでも行わないということがはっきりした。
東京ドームで開催したところで、在京セが3球団もある以上、交流戦の目玉である「目新しさ」と言う部分においては欠けるのは否めないところであろうし。
さて、この交流戦だが、おそらくセリーグ本拠地で行われる場合は「指名打者(DH)制」の導入は見送られる=パの投手が打席に立つことになるだろう。パリーグにとって75(昭和50)年のDH制度導入以来、30年ぶりの公式戦での9人野球体制である。
セの本拠地の試合数が18試合(6球団×3試合)あることから、投手の打率というものもペナント争いに少なからず影響してくるものと考えられる。金村やミラバルと言ったエース級の打撃力は測れないものの、04年のイースタンリーグの投手の打撃成績を見てみることにする。
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05年の甲子園の仮想スコアボード
明朝体って風情があっていいですね〜 |
須永 6打数3安打3打点 .500 (2三塁打 3犠打)
岩本 8打数2安打0打点 .250
入来 1打数1安打0打点 1000
櫻井 1打数1安打1打点 1000 (1犠打)
また、3打数以上での無安打は、
7打数−糸井・ループ・吉崎 4打数−押本
このデータが来季の交流戦にあたって、どれだけ参考に値するものなのかはなんとも言えないが、「須永」だけは期待してもいいのかもしれない。
また、9人野球になると、ある珍現象がおこる。札幌ドームへどんなに熱心通っても歌うことのできない応援歌ができてしまう。
そう、それは「ピッチャーの応援歌」である。
(※ハムにピッチャーの応援歌が出来て、セリーグ主催はDH制を導入しないというのが前提です)
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| 10月11日(月) 近鉄&ブルーウェーブ消滅の余波 〜関西のパリーグ文化とファンの気持ち〜 |
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近鉄&オリックス合併承認から早1ヶ月が経った。
この合併についての論議は各処で尽くされたので、合併問題そのものについてはここでは触れるつもりはないのだが、
今朝のスポニチを見ていると次のような記事が目に入った。
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近鉄・大村「新球団」に行きた〜い!合併球団はNO
◆ プロテクトされたらFA宣言へ ◆
大村がバファローズとの決別を決断した。10日、藤井寺での秋季練習後、大村は「合併球団に行くつもりはない」と言明した。FA権を持っている大村としては移籍先を自由に選択できる立場にあるが、近鉄とオリックスの統合球団でプレーすることだけはまったく頭にないようだ。「ボクがプロテクトされるようだったらFAを宣言しないといけないだろうけど、もしプロテクトから外してもらえるならFAを行使せずに新球団に行くことも可能ではないかと考えている」
大村だけでなく近鉄の主力選手の多くは「選手の希望を聞く」という小林球団社長や足高球団代表の言葉に希望をもっているようだ。「新規参入してくれる球団の方に魅力を感じる。新しいチームの歴史をつくるという経験はこんな機会しかないからね。みんな仙台へ行こう、と話し合っている」
大村の動向は日本シリーズ後に決まる。しかし近鉄ナインのプロテクト問題は激しい交渉になりそうだ。
http://www.sponichi.co.jp/osaka/base/200410/11/base171103.html
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9月27日にヤフーで、最後の「オリックス-近鉄」戦が行われた。その試合終了後セレモニーでも、オリックス側の演出と言えば、場内一周とサインボール投げ込みのみ。その後に写真撮影会はあったものの、場内アナウンスも「ブルーウェーブへの今年1年のご声援ありがとうございました・・・」
そう、オリックスにとってはブルーウェーブとしての終焉の試合とは捉えてはおらず、「来年もオリックスはあるから応援よろしく」的なものとしかファンには受け止められなかっただろう。他球団ファンの私でさえそう感じたのだから。
関西名門球団ブレーブスの歴史を無かったもののように、オリックスが球団運営をしてきたことも旧来のパリーグファンには納得いかなかった。しかしながら神戸に本拠を移し、震災復興の旗印として神戸っ子のハートを掴み、今や世界的ヒーロー「イチロー」を生み出したブルーウェーブがパリーグの人気チームとなった95-96年には、ブルーウェーブの存在を誇らしげに感じたものである。イチローのサヨナラ打の時はハム戦だったのでかなり複雑ではあったが・・・。
ところが、今回の合併問題をはじめ、ブルーウェーブ最終戦のバカげたセレモニーを目の当たりにすると、オリックスへの不信感を改めて感じることとなってしまった。それは近鉄、オリックスの両チームのファンのみならず選手にも強く感じられたことだろう。
うちのサイト「応援系にちはむ式」は他球団ファンサイト様とも多くのリンクをさせてもらっている。
現在オリックス系では「だいすき!青波」様、「BWタイムス」様とリンクをさせて頂いている。両サイトともブルーウェーブ系サイトとして有名なページなのだが、両サイトの管理人さんは、ホームページの無期限更新停止や閉鎖を宣言されている。同様に近鉄系の山本省吾投手応援サイト「Page for Shogo」様にいたっては、すでに閉鎖済み。次々と閉鎖されるファンサイトを目の当たりにするだけでも、他球団ファンながら非常に辛い気持ちになる。
パリーグの文化を語るときに、関西を外して話をすすめることはできない。パリーグ史の大半は「関西3球団」「関東2球団」「九州1球団」のエリア分布が続いた。関西=阪神と思われる方が多いだろうが、パの球団が3つもあったことから、関西は最もパリーグ文化に根ざした地域であることは間違いない。88年を最後にホークスは九州に旅立った。残されたチームが「近鉄」と「新生オリックス」。この2球団が関西でのパリーグを15年間盛り上げてきた。
ところが、来年からは「オリックスバファローズ」の1球団になる。しかし、そのオリックスバファローズ(以下オリバファ)で働きたいと思う選手が少なく、両チームのファンも大半が継続して応援するかどうかを決めかねていることを考えると、来年の大阪ドーム(及びヤフーBB)に客が入るのか?という不安が大きく残る。もし、オリバファ主催ゲームに閑古鳥が鳴くような状況になれば、それこそ「関西のパリーグ文化の終焉」となるのではないか。
来季ももちろん、ファイターズをはじめパリーグ各球団は大阪ドームを中心に「オリバファ」と戦うことになるのだが、多くの試合で3塁側・レフトスタンドの方が盛り上がっているというような状況がいいとは思えないし、それ以上に来季はセリーグとの交流戦で「オリバファー阪神」戦で、大阪ドームが黄色いメガホンで埋め尽くされるのをのを見るのは、関西パリーグ党にとってはこの上ない辛い光景となってしまう。
私の意見としては、監督が名将仰木さんであり、なんだかんだいっても、近鉄&BWの主力選手が「オリバファ」に残るであろうことを考えると、近鉄ファンもブルーウェーブファンも「オリックスバファローズ」を継続応援してほしいものではあるのだが・・・。自分が該当球団のファンだったとしたら、簡単に答えはでないであろう。
良い形での球界再編によって、ファンや選手が流した沢山の涙が少しでも無駄にならないことを祈るのみである。
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4月17日(土) ニュースステーションとパリーグ 〜18年間の歴史の中に10.19[ロッテ-近鉄戦]〜
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世間が阪神の優勝で盛り上がった1985年10月。テレビ朝日系で「ニュースステーション」が始まった。
その番組の中のスポーツコーナーは、プロ野球の公式戦を消化試合でも映像つきで紹介するという当時としては画期的なものであり、それだけ当時は今以上にパシフィックの試合のマスコミの露出度が低いものだったと言えよう。
その中でニュースステーションは、久米氏がカープファンという反体制的な立場も手伝ってか?、パリーグの試合もしっかりと取り上げてくれていた。スタッフの中には熱心なファイターズファンもいたと言う。
放送開始以来、順調な視聴率を誇ってきたこの番組。18年間の幕をこの3月に閉じたわけだが、18年間で最も高い視聴率の放送内容は何だったのか?驚く無かれパリーグファンには忘れることのない出来事である1988年10月19日、川崎球場で行われたロッテ-近鉄戦なのである。この中継がニュースステーション内で放送され、そのときの視聴率が関西地区で平均46.4%だったそうだ。
引用〜04年3月27日 日刊スポーツより〜
関西地区での最高視聴率は1988年10月19日の平均46.4%。この驚異的な数字は、プロ野球の近鉄が「この試合に勝てば優勝」として迎えた対ロッテ戦が延長戦に入ったため、午後10時を過ぎてもNステの枠内で中継したため。同日の放送分では、東京地検特捜部によるリクルート社などの強制捜査などの詳報も伝えた。
ニュースステーションの枠で、この試合は約40分間放送されのたが、実はこの間一度もCMが入らなかった。裏話ではスタッフが試合に熱中しすぎてCMを入れ忘れたのだといわれる。この視聴率46%はあくまで平均であり、瞬間では確実に50%を超えていたと思われる。
この1988年の年末には、同番組年末スペシャルとして「ロッテ−近鉄」戦が組まれ、その特番の中で私の記憶の限りではあるが、久米氏はこのように伝えている「これは一体何だったのか?と改めて考えてみると、テレビというのはあくまでも箱であり、テレビの中に映し出される人間が躍動して初めて、見ている人も感動が伝わる。テレ。つまり遠くに離れていてもビジョンに映るからテレビジョンという名前が付けられているのだが、最近私はテレビジョンではなく人間ビジョンになって初めてテレビの存在価値が見出されるのではないかと思うんです」
このようなことを久米氏は言っていました。10.19は久米氏本人のそれ以後のテレビ観をも変えるものだったのかもしれません。
今日、東京ドームでは2年越しの勝利を目指すF岩本と、ケガからの復活を目指すMジョニー黒木の両先発であった。ドームの観衆は42000人。躍動する選手がいて、感動する場面があれば大観衆を引きつける野球がパリーグにも必ずあるはずである。これからもより一層熱いペナントレースを見せてもらいたいものである。
(写真はニュースステーションの最終放送日より。ビールを飲む久米キャスター「テレビ朝日」より)
1988年10月19日 ロッテ-近鉄最終戦
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3月16日(火) 観衆「2万人」の意味 〜札幌ドームの公式入場者数のお話〜
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今日のコラムは一部の方には非常に有名な話なので、もう知ってるよ。という人は読み飛ばして頂きたい。
今年1月末に「大阪近鉄」のネーミングライツ売却の話で球界は騒然となった。
「近鉄」という名前を売る代わりに、名前の売り先からは年間35億円の名前使用料が近鉄球団に入るという話である。結局、近鉄側の提案取り下げで表面上は丸く収まったのであるが、今日は直接的にはその話ではない。
そこまで近鉄の球団経営を圧迫させる理由に選手の年俸の高騰が挙げられるが、その次に近鉄の負担になっていたのが第3セクターが運営する「大阪ドーム」の年間10億円とも言える球場使用料の支払いであった。
これは近鉄だけの話ではなく、長年東京ドームを間借り(あえてこう言います)していたファイターズも近鉄以上の額を東京ドームに支払っていたと言われる。
この東京ドームの多額な使用料がファイターズの札幌移転の最も大きな原因と言われている。ここからは想像の域を超えない話になるのだが、近鉄が70試合使用で10億円ということは1試合につき約1400万円。大阪と東京の地価の差を考えると、当然日本ハムの東京ドーム使用料がそれ以上であると仮定して1試合1500万-2000万円・年間12-14億円程度と予想される。
では、札幌ドームの1試合使用料はどうかと言うと、興味深いことに札幌市が定めた「札幌ドーム条例」なるものがある。平成11年10月5日条例第36号によると、札幌ドームのファイターズの1試合の使用料は「1日800万円(入場者が2万人を超える場合は800万円に当該超える入場者1人につき400円を加算した額)」と記されている。
http://www.city.sapporo.jp/reiki/honbun/a0020819001.html
つまり、入場者が2万人以下であれば球場使用料が800万円。
仮に、入場者が3万人であれば1200万円。4万人なら1600万円。となるわけである。今シーズンを通して毎試合入場者数が2万人であると仮定(便宜上全試合を札幌Dで開催とする)すれば800万円×65試合=5億2000万円。
なんと、東京ドームを本拠にしていた去年までの半額以下で済むのである。分かりやすく言えば、04年の年俸でガッツ(4億)と坪井(1.1億)分が丸々浮く計算となる。
ま、公式戦全試合が観客2万人なんて寂しい結果にはならないであろうが、うがった見方をすれば、公式発表2万人までは札幌D使用料が固定であることを考えると、実数の入場者数が2万人以下でであれば全て「公式発表 観衆2万」なんていう水増し発表がなされることも懸念される。
私の記憶が正しければ、福岡ドームの最低公式入場者数の発表が96年に何度か「2万人」というのがあったと記憶している。(間違ってる可能性大。詳しい人は是非突っ込んでください)日本ハム球団としても移転1年目に恥ずかしい入場者数を記録したくない気持ちも分からないではないが、「本日の公式入場者 2万人」という発表・・・ばかりでないことを期待したい。
3月5-6日に札幌ドームで行われた、ヤクルトとのオープン戦はハムが2連勝し、SHINJOのHRも飛び出す等、スタンドは大いに盛り上がり、移転初の対外試合としては成功だったといえよう。
ちなみに、公式入場者数は2試合共「2万人」・・・・・・だったりするのだが。
http://sports.yahoo.co.jp/baseball/pre/scores/20040306/sco05150.html
http://sports.yahoo.co.jp/baseball/pre/scores/20040307/sco05150.html
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3月11日(木) 「サッポロ」が鎌ヶ谷をJACK?! 〜どうなる鎌ヶ谷の自販機〜
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先日、初めて鎌ヶ谷に行ったときに気づいたのが、右中間と左中間の奥に「PEPSI」「BOSS」という看板がある。ニッポンハム・シャウエッセン以外の看板はこれだけしか見なかったので、何か関連でもあるのかと思ったら、ファイターズスタジアムに設置してある自販機は全てブルーの「サントリー」のものだった。その時ふと、以下の記事を思い出した。
http://www.kita-nikkan.co.jp/fighters/nh04030603.htm
(北海道日刊スポーツより)
球団のオフィシャルスポンサーが5日、決定した。北海道新聞社、道新スポーツ、ローソン北海道ローソン支社、サッポロビール、サッポロ飲料、アインファーマシーズ、全日本空輸、JR北海道、スガイ・エンターテインメント、三浦印刷の10社。また、公式戦のヘルメットスポンサーには北海道新聞社が決まった。

そう。オフィシャルスポンサーに「サッポロ」が決定したのである。となると・・・「BOSS」は「JACK」に。「PEPSI」は「がぶ飲みミルクコーヒー」に変更されるのだろうか?!ちなみに鎌ヶ谷のビールはアサヒである。
サッポロ飲料HP
http://www.sapporo-inryo.jp/ |
3月10日(水) 日本ハムが巨人に勝った?! 〜札幌地区視聴率のお話〜
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私は朝、駅で大抵「日刊スポーツ」を買うのだが、5面の下の小さな記事で「日本ハムが巨人に勝った」という見出しが目に入った。
よく読むと、札幌ドームの初の対外試合である6日のヤクルト戦(HTB<テレ朝系>)の札幌地区での視聴率が15分だけ重なって放送された、福岡ドームの巨人-ダイエー戦(STV<日テレ系>)の視聴率を大きく上回ったそうだ。
http://www.kita-nikkan.co.jp/fighters/nh04030901.htm
(北海道日刊スポーツより)
〜抜粋〜
日本ハムが新庄効果で巨人に勝った! 今季道内初戦となった6日札幌ドームの「日本ハム−ヤクルト戦」(北海道テレビ=HTB)の札幌地区視聴率が8日、ビデオリサーチ社から発表され、平均11・9%、瞬間最高で16・0%をマーク。15分だけ重なった札幌テレビ(STV)の「巨人−ダイエー戦」の平均6・8%(瞬間最高9・0%)を大きく上回った。昨年は公式戦でも日本ハム戦は5%未満だっただけに、人気上昇を示す結果となった。
全国でも屈指の巨人ファン率を誇る北海道で、ここまで日本ハムで視聴率をとれるとはと・・・HBCの編成部も驚いていたようだが、私も驚いた。これだけ注目されているのは私としてもうれしいことではあるが、この日のゲームの観衆は2万人。同日に甲子園で行われた阪神-オリックスでも観衆が1万5千人であることを考えれば、十分すぎる集客ではあるものの、これだけの高視聴率を誇るゲームに2万人とは少し物足りない気がする。
北海道のファンに、これまでのジャイアンツ戦のようなプロ野球は「テレビで見るもの」ではなく「球場で見るもの」という認識が浸透し、身近なファイターズという風になって初めて、「日本ハムファイターズ」が本当の意味での道民球団となる時だと私は思う。。
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3月6日(土) 日本ハム人気急上昇 〜新庄様々〜
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うちは読売新聞をとっているのだが、
今朝の朝刊を見ると、年1回の好きな球団の世論調査なるものが掲載されていた。
どれどれ・・・
ダイエー 4.2% 西武 1.4%
日本ハム 0.7% ロッテ 0.5%
近鉄 0.4% オリックス 0.3% パシフィック計 7.5%
巨人 32.4% 阪神 15.2%
中日 4.5% ヤクルト 2.5%
広島 2.5% 横浜 1.5% セントラル計58.6%
ん?日本ハムが0.7%・・・!? もうこれは盆と正月が一緒に来たような驚きが(表現間違ってるよな(汗)。。。とにかく間違うくらいびっくりした。
自分の記憶ではここ数年、日本ハムファンは人口の0.0%と0.1%を行ったり来たりしていた。
「0.0%」。つまり毎年ハムファン率が0.03%-0.06%あたりを彷徨っており、0.05%を超えて初めて日本に日本ハムファンがいる!と認知してもらえるのだ・・・(苦笑)確か去年はファン率が0.0%だったから、正確には0.03-0.04%程度だったと考えると、北海道移転&新庄入団でファンの数は約20倍前後に跳ね上がった計算となる。
球団は「うちは人気チームになったんだ!」などと勘違いをせずに、ファン開拓に努力を惜しまないでもらいたいものだ。言ってもまだ横浜の半分以下なんだしさ。さて、この0.7%という数字がが一年後どういう数字になっているか。すべては移転元年の今年にかかっている。
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