「マイクル・G・コーニイ――甘酸っぱく、そしてほろ苦く」

 マイクル・G・コーニイ。
 ――サンリオSF文庫に親しんだ読者には、マイクル・「コニイ」という表記の方がしっくり来るはずだ。かくいうわたしも、その一人である。それも仕方ないだろう。単行本として訳されたのは、サンリオSF文庫の四冊だけなのだから。
 わたしはコーニイを二十代前半の時に一気に読み、そして夢中になった。それ以来、好きなSF作家には必ずコーニイを入れている。
 おそらく、読んだ時期も良かったのでは、と思う。十代だったらあのほろ苦い厭世観が肌に合わなかったかもしれないし、一方で醸し出される甘酸っぱさを最大に味わうには、余り歳を喰ってからじゃない方がいいだろう。
 「甘酸っぱさ」の源泉となるのは、魅力的な女性たち、及び彼女らとのロマンスだ。『ハローサマー、グッドバイ』のブラウンアイズ。『ブロントメク!』及び『カリスマ』のスザンナ。『冬の子供たち』のミニヨン。
 まとめて再読したところ面白いと思う作品の順番が入れ代わっていたので、こちらの受け取り方が変わっているな、と実感した。当時一番入れ込んでいたのは『ハローサマー、グッドバイ』だったが、若きキタハラ青年(笑)はブラウンアイズの魅力に参っていたのだろう。読み返してみるとSFしてるのは設定及びラストのみで、中核となるのはロマンスと冒険なのだ(それが悪いという意味ではない、念のため)。
 今回、一番面白く感じたのは『カリスマ』だった。SF設定がストーリーをぐいぐいと引っ張っていくし、ミステリ的要素が読み手を惹きつける(実は、話を全く忘れていたのです)。ミステリファンでも面白く読めるのでは、と思う。
 また、最初に読んだ当時は、これが「英国SF」であるということを余り意識しなかった。今となっては、全体にちりばめられたほろ苦さやアイロニーは、やはりアメリカではなく英国のSFなのだな、と納得する。
 ストーリー展開は一筋縄では行かず、常に決してハッピーエンドとは言い難い結末を迎えるし、ヒロインとの成り行きも悲劇的なラストとなる。『冬の子供たち』だけはちょっと違うかもしれないが、皮肉な結末であることには違いはない。読み終えて、一大カタルシスを感じるという類の小説ではないのだ。
 余談になるが、『ハローサマー、グッドバイ』の登場人物はすべてヒューマノイドの異星人なのだが、最初に読んだ時、わたしは途中まで彼らをロボットだと思いこんでいた。途中でヘンだな、と思って間違いに気が付いたのだが。その間違いの理由は、裏表紙のストーリー紹介だ。そこには「ヒューマノイド」でなく「アンドロイド」と書いてあったのだ。この誤りの罪はかなり大きい。
 閑話休題。
 サンリオSF文庫がなくなって、一番憂えたのは、これで新しいコーニイの作品が読めなくなるかもしれない、ということだった。予想は半ば当たり、その後単行本が他社から訳されることはなかった。唯一の救いは、コーニイの短篇を(たまにだけど)訳してくれる「SFマガジン」だった。
 先日、サンリオSF文庫から出ていたキース・ロバーツ『パヴァーヌ』が、ついに復刊された。コーニイも、なんとかして復刊・再評価されないものかなあと思うのだが。
 いきなり日本の古典SFの話で恐縮だが、押川春浪は矢野龍渓の『浮城物語』の影響を受けて『海底軍艦』を書いた。わたしもかつてコーニイを読んだ時は一SFファンだったが、今では駆け出しとはいえ作家だ。いつの日か、自分でもコーニイのような小説を書くことはできないか――あの甘酸っぱさとほろ苦さを、自ら紡ぎ出すことはできないものか、という想いが沸き上がってきた。
 いつの日か「マイクル・コーニイに」という献辞を付けることのできる、小説を書いてみたいものだ。


     (「SFマガジン」2000年10月号「幻想の1970年代SF」特集に発表)

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