北原尚彦的いろいろ雑記

「シャーロック・ホームズよりも面白い!」 

「拾い物」 「プールに戯れるインドの少女たち」 「ジャミラはねずみ年」 
「TRICK+TRAP」 「ヨン様と古本」 「女刑事デカブライト」 
「古書即売会にて(その2)」 「古書即売会にて(その1)」 「さよなら、メイちゃん」 

「神田古本まつり」 「……本をなくした」 「家庭内方言」 
「トカゲロン2号 または小指の想い出」 「トカゲロン」 「闘え! ルブラン」 

「シャーロック・ホームズの孫娘はチャーリーズ・エンジェルだった!」 「猫の次は犬」 
「ファミレスの女子高生」 「遅まきながら2000年の反省」 「北原家コレクター気質――その後」 
『攻殻機動隊』と『耳をすませば』にはさまれた『吾輩は淋菌である』 「一期一会」 

「ストーリー紹介の疑問」 「購入本:読了本比率」 「古本買い初め」 「古本屋で名前を覚えられるということ」 
「“北原姓=コレクター遺伝子”説」
 「パソコンのACアダプタが壊れた」 「扇子を持って古本市へ」 
 
「オトコ裸エプロン」「分解した男 Part2」 「分解した男 Part1」 「ミサンガ?」 「身内いじり」 
「飲酒状況報告(特に実家向け)」 「タイムトラベルとしてのクラス会」 「レンコン挟み揚げ数え唄」
「恐怖怪獣ティングラー」 「宇宙怪獣ゾーミッグ」 「ただいまストレッチ中」 「ゼンラーは夏期限定」
「ケェシェマレの呪い」 「謹賀新年」 「壊れたパソコンを瞬間接着剤で修理した男」 「反省の弁」


「シャーロック・ホームズよりも面白い!」2005年7月6日

西荻窪にすっごく旨いカレー屋があって、時々食べに行く。
で、そこに入って、わたしがカウンター席に座った瞬間。
御主人の奥さんが、先にいたお客さんに向かって――
「シャーロック・ホームズよりも面白かったのよね」
――と言ったのである。

うわあ、一体なんの話なんだあっ。
どうして、そこにシャーロック・ホームズが出て来るんだあっ。
そして何が、シャーロック・ホームズより面白いっていうんだあっっっ。
クリスティなのかクィーンなのか、はたまたカーなのか。

思わずわたしは「何がホームズよりも面白いんですか?」と訊ねてしまった。
すると、奥さん曰く。
ホーンブロワー」とのこと。

むう、ホーンブロワーと言えば、C・S・フォレスターの帆船小説ではないか。
あれは確かに面白いが、何故ホームズと比べるのか。

だがわたしは、ここで何の話かピンときた。
そして、奥さんの次の言葉でそれが確認された。
「あんまり面白くて、夕べ、何話も見ちゃいましたよ」

そう、映像化されたテレビシリーズの、ビデオ(正確にはDVD)の話だったのだ。
つまり、「シャーロック・ホームズ」も、小説ではなくジェレミー・ブレット主演の
ドラマを指していたのだ。

それにしても、なんというタイミングだろうか。
おかげで、自分がシャーロッキアンだということを明かして、
「何度か映像化されてるけどあのホームズが一番原作に近いんですよ」
とかウンチクを垂れてしまいましたよ。

あ、ビーフカレー、すっごいスパイシーで、すっごい旨かったです。

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「拾い物」2005年5月19日

先日、拾い物をした。
郵便局へ行った時のことである。

キャッシュディスペンサーでお金を下ろしていて、
ガシュガシュと処理されている間に、ふと目を下ろすと。
機械の上に、鍵が落ちている。
しかも、本体にディンプル(丸い穴)がうがたれている、偽造し難いタイプのやつだ。

まさかな、と思いつつ、ついでに記帳をしながら、鍵のメーカー名を見る。
そして目を上げて、キャッシュディスペンサーの鍵穴にあるメーカー名を見る。

同じだった。
これ一本あれば、機械から百万円でも五百万円でも取り出し放題の、魔法の鍵だ。
その筋の方々には、ヨダレが出るほど貴重な代物だ。
そんなもんを、郵便局員がおそらく作業をしてそのまんま置き忘れたのだ。

記帳が終わっても、誰も鍵を探しに来る様子がない。
鍵を拾い上げ、疑われても困るのでそのまま窓口に直行。

「あのう」
「はい」
「あそこに、ものすごーく大事そうな鍵が落ちてたんですが」
と、鍵を差し出す。
係員の顔色が、さっと変わる。
「あっ。……ありがとうございます」
「どういたしまして」
わたしはそのまま立ち去ったけど、何かお礼をくれても良かったんじゃないか。
金一封とは言わず、郵便グッズ程度でいいからさ。

郵政民営化とかよりも、こんなぶったるんでる状態を改める方が先決だと思うぞ。
でも、鍵を返す前にロウで型を取ったことは、誰にも秘密だ(←嘘)。

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「プールに戯れるインドの少女たち」2005年4月27日

最近、肩凝り解消のためプール通いをしている。
で先日、プールに入っていった時のこと。

英語で、水泳を教えているグループがいた。
先生(大人)は、白人(もしくは日本人とのハーフ)女性だったのだが。
生徒(たぶん十代前半か半ば)の少女たちは、ちょっと色黒。
まず間違いなく、インド系だった。

いつもプールを利用しているのはジジババばかりだったので、
すくみず(スクール水着)姿の女の子たちがいるのは、ちょっと心がなごんだ。
但し、グループなものだから割合と横に幅を取ってしまい、
こっちが避けて泳いであげなければならなかったが。

さて、そのインドの少女たちなのだが――これが実に、体毛が濃いのだ!
日本人なら同い年の男の子でも、まだそんなにすね毛は生えてないぞ、というくらい。
白人女性で体毛が濃い人もいるが、その場合は毛の色が薄いのでさほど目立たない。
しかしインド少女たちの体毛は黒なので、くっきりはっきりしている。

しかも、プールを上がった後にロビーで再遭遇した際に気付いたのだが。
すっごく濃い、「ヒゲ」が生えているのだ。
中学生(たぶん)なのにヒゲ。
君たちは、おんな日下三蔵か。
(注・日下三蔵氏は少年時代からヒゲを生やしていたことで有名。)

でも、もしかすると。
インドの男性は、彼女らの体毛やヒゲに「萌え」るのかもしれない。
ヒゲ少女萌え。
……うーむ、少なくともわたしは違いました。

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「ジャミラはねずみ年」2005年1月27日

正月、MXテレビで映画「ウルトラマン」をやっていた。
初代ウルトラマンを、映画用に再編集した作品だ。
録画したままだったのを最近になって観て、気付いたことがあった。

幾つかのエピソードが繋がれているが、そのうちのひとつが「ジャミラ」の回だった。
ジャミラは、有人宇宙船事故で行方不明となり、怪獣と化して地球に戻ってきた
宇宙飛行士のなれの果てだ。
頭と肩がつながっているデザインゆえ、当時の子供たちはセーターを頭にかぶって
「ジャミラ〜」と遊んだものだ。

そのジャミラは、ウルトラマンに倒された後、墓碑が立てられた。
そこにジャミラの生没年が刻まれていた。
「1960−1993」と。

つまり、ウルトラマンの世界は1990年代、「未来」に設定されていたのだ。
(もちろん、その90年代すら通り越してしまったが。)
わたしはてっきり、リアルタイム(60年代)の物語だと思い込んでいた。
今観ると、土管が積み上げられている風景があったり(ガバドン)、
日本で唯一の高層ビル(つまり霞ヶ関ビル)に怪獣がよじ登ったり(シーボーズ)と、
ミニチュアすら含めて、過去の風景が見事に刻み込まれているのだが。

わたしが1962年生まれだから、ジャミラは二歳年上。
ジャミラは、ねずみ年生まれだったのである。

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「TRICK+TRAP」2004年12月23日

自転車で吉祥寺に出た際に、ふと思い出した。
「TRICK+TRAP」というミステリ専門書店があるのだが、土・日には
元・東京創元社相談役の戸川安宣氏が店番をしている、と聞いていたのだ。
久々に足を運んでみると……本当にいらっしゃった。

うわ。
戸川さん、なんてもの着てるんですか!
それは確か、数年前のホームズ大会で作った、ホームズ法被じゃないですか。
そ、それはちょっと……。

何はともあれご挨拶し、本を物色する。
おっ、わずかながらも古本も置くようになっているぞ。
しかも出たばかりの拙編書『北極星号の船長』(共編訳)を凄くいい場所に
飾って下さってるではないか。
戸川さん、ありがとうございます。

丁度買おうと思っていた新刊ミステリ何冊かを探して戴いたが、
生憎とどれも置いていなかった。
それほど難しいモノをリクエストした訳ではなかったのだが。残念っ。

戸川さん、「あそこのK書店にありましたよ」などとおっしゃる。
だから、よその店の広告してどうするんですか。

次こそ、絶対に何か買えるよう、買いたい本を貯めてから行きますから。
またお邪魔しますので、宜しくお願いします。

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「ヨン様と古本」2004年12月20日

H駅の商店街に、気に入りの古本屋があった。
「あった」と過去形なのは、最近、閉店してしまったからだ。
割合と児童書などが充実しており、棚の並びが気持ち良かったので、残念だった。
閉店セールの際は、最終日に行って、記念に何冊か古本を買った。

ところが。
この古本屋の後に、また古本屋が出来るというではないか!
ううむ、これはどういうことだ。
何はともあれ、開店セールに行かねばなるまい。

開店当日、さっそく新しい古本屋へ行ってみた。
だが、わたしの期待はあっという間に、へにゃへにゃとしぼんだ。
店の奥半分は、ゲームやCDなどのソフトを売る類の店だったのだ。
(しかもそっちはまだ棚にモノが並んでいなかった。)

本も、全体の6分の5がコミック。
残りの6分の1は、文庫本だった。
一応、なめるように全部見たが、食指の動く本は一冊もなかった。

気に入りの古本屋が閉店して、かわりに出来たのが、これか。
わたしはがっくりと肩を落とし、店を出た。

店頭で、「いらっしゃいませぇ〜」と声高らかに叫んで、何かを売っていた。
そこにあったショウケースを見ると。
ヨン様グッズだった。
なんだか色々なモノがあり、中には「ヨン様靴下」なんてのもあった。
古本屋で靴下、売るなぁっっっっっっ!

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「女刑事デカブライト」2004年12月19日

忙しくてTVを録画したまま観ていないものが溜まっている。
せめて食事の時ぐらい、少しでもこなそうか、と『特捜戦隊デカレンジャー』の
ひと月遅れの回を観た。

レギュラーではなさそうだが、新しいキャラクターが登場していた。
デカブレイクの上司、女刑事リサ・ティーゲルの変身する「デカブライト」である。
「光の刑事デカブライト!」とか言う(ちょっと間違ってるかも)だけあって、
スーツはエナメル系にピカピカと光っている。

変身前のリサ・ティーゲル役の女優、どうも見覚えがあるなあ、と調べたら。
『仮面ライダークウガ』に出てきた、敵役(それも大物)の
「バラのタトゥーの女」だそうだ。
おお、クウガの敵が、今ではデカレンジャーの味方という訳だな。
これが一目で判れば、わたしも立派な特撮ヲタクだったのだが。

しかし、わたしにも判ったことがある。
この女刑事、デカブライトに変身すると――。
途端に、股間モッコリになってしまうのである!
いや、余りのことに目を疑って、アホだなと思いつつビデオ巻き戻してしまいましたよ。
テカテカ、ピカピカのスーツだけに、凹凸がはっきりと判って、どう見てもモッコリ。
ちゃんと、割と巨乳のオッパイはあるのに、である。

我々の世界に戻れば、きちんとアクションが出来てスーツと体型の合う
女性スーツアクターがいなかったということなんだろうけど。
「デカレンジャー」の世界観の中では。
「デカブライト、オカマちゃんですから。残念!」ということになってしまったのである。
やれやれ。

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「古書即売会にて(その2)」2004年12月6日

神田の古書即売会で、井上孝『壇之浦0番地』(大澤書房/昭和34年)を買った。
壇之浦合戦の後日譚を、現代風の文体で描いた、ヘンテコな本だった。
こいつはヘンテコな古本を紹介するエッセイに使えるな、と喜んで帰った。

読み進めば進むほど、ヘンテコだった。
竜神が出てきたり、死んだ男がその呪いでヘイケガニにされたり、女性は人魚にされたり。
出てくる単語も、発行当時の風俗がばんばん出てくるし。

途中まで読んだところで、これはもう紹介するしかない、と下調べを始めた。
ネットで検索を掛けて、気が付いた。
この本は、既に末永昭二氏が、紹介しているのだ。

わたしは慌てて、書棚から末永昭二氏の『貸本小説』(アスペクト/2001年)を取り出した。
……しっかり、紹介されていた。
『貸本小説』は読んでいるので、その紹介文も読んでいるはずなのに。
全く、覚えていない。
結局、わたしが紹介するのは諦めた。

紹介されたのを覚えていて「おっ、あの本だ」と見付けた訳ではなく、
自分の嗅覚で「なんか怪しそうだ」と見付けた自分を誉めるべきか。
読んでいたのに忘れていた、と自分に呆れるべきか。
どっちだろうか。

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「古書即売会にて(その1)」2004年12月5日

神田の古書即売会で、安倍季雄『幼年冒険小説集』(国民図書/昭和4年)を買った。
実はわたし、この本は既に持っている。
この本、かなりレア物で、結構な古書価が付いている。

それなのに何故また買ったかというと、所持していたのが函欠本だったのだ。
そして今回見付けた本は、函付きだが「落丁本」。
それゆえ、かなりの格安だった。
これを買って、持っていた本体に函を付け替えれば、完本が出来上がるではないか!

わたしはほくほくしながら、本を抱えてまだ見ていない棚を物色していた。
そうすると「もしもしお客さん」と、声を掛けてくる人がいる。
「はい?」
「その『幼年冒険小説集』、注意書きしてありますが、落丁本ですので」
この本を出展した、古本屋の御主人だったのだ。
「あ、判ってます」とわたし。「実は函欠本を持ってますもので。これで揃うんです」
御主人は、ちょっとびっくりしたような顔をした。
「おや、それはおめでとうございます。早起きは三文の得ですな」
そう、わたしは開場と同時に入場していたのだ。

注意書きをしてあるのに、更にわざわざ声を掛けてくれる親切さに、
わたしはちょっと嬉しくなった。
御主人とは、この本の古書価が高くなっていることなどで、少し立ち話をした。

帰宅して、函を付け替えて完本が出来ると、また嬉しくなった。
余った落丁本は、該当部分のコピーを付けて、友人に譲ることにしよう。

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「さよなら、メイちゃん」2004年11月3日

うちの近所の、一番の有名人というと、メイちゃんだった。
辺りの人なら、誰だって知っていた。
はっきり言って、アイドルみたいなものだった。
すっごく可愛くて、愛嬌があって。
通りすがりに、みんなが「あっ、メイちゃん」と声をかけた。
メイちゃんは、そんな猫。

人なつこくて、「メイちゃん」と呼ぶと、にゃーと鳴いて近寄ってくる。
ビニールや紙の袋が好きで、がさがさと袋を鳴らすと、袋めがけて飛び込んで来る。
わたしはいつも背中をなでてあげていた。
だから、いつの間にか、ぺたんと伏せて「撫でて」のポーズをとるほどになった。
三越のライオン像みたいに、前肢を前に伸ばして坐るのがお得意だった。

わたしはメイちゃんをよく撫でていたから、メイちゃんの秘密を知っていた。
メイちゃんは、猫又だった。
短い尻尾の先が、良く見ると二つに分かれていたのだ。

メイちゃんは、自動車修理工場のおじさんとおばさんに飼われていた。
工場の向かいの小さな公園は、メイちゃんのテリトリー。
公園で、ちょこんと坐ってたり、風にゆれる枝を見つめたりしてた。
その公園の前で初めて見かけた時はまだ子猫で、大量発生した蛾にじゃれて、
ぴょんこぴょんこ跳ねていた。
とってもきままで、ひとりでもよくころころと転がっていた。
メイちゃんを、見かけるだけで何か幸せな気分になった。

そんなメイちゃんを、夏頃から見かけなくなった。
今年の夏は余りにも暑かったから、病気になったのかと心配していた。
それとも、あんまり可愛いから、誰かが袋に入れて持ち帰ってしまったのか、とも思った。

少し前に、自動車修理工場のおばさんに会ったので、メイちゃんのことをきいた。
そうしたら……。

メイちゃんは、亡くなっていた。
8月の、半ばのことだそうだ。
だが、病死でも事故死でもなかった。
とてもここには書けないような酷い虐め方をされ、殺されたのだ。
最初は、行方不明になったのだけれど。
それから五日目、酷い状態の死体が、工場に投げ込まれていたのだ。
おばさんは警察に届けたけれども、犯人は見付かっていないらしい。

誰か、人の心を持たない人が近所にいるのだろうか。
その人は今、平気な顔をして普通に生活しているのだろうか。
とても悲しくて、とても悔しくて、とてもやりきれない。

メイちゃん、今まで遊んでくれてありがとう。
メイちゃん、幸せな気持ちをくれてありがとう。

さよなら、メイちゃん。

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「神田古本まつり」2004年11月1日

日本全国の古本者が集結する、年に一度のお祭り「神田古本まつり」である。
古書会館でほぼ毎週開催されている即売会も、今回はひと味違う。
開場と同時に、お目当ての古本屋の棚へと駆ける人々。
人気の店の棚は、人が押し合いへし合いしている。
押されて、棚が崩れる。
「お怪我はありませんかぁ?」と店員。
「大丈夫だ」と言いつつ、誰も棚の前から動かない。
何が起ころうと、自分が掘り出し物を見付けることが全てに優先するからだ。

わたしが最初に見付けたのはブルワー=リットン『聖人か盗賊か』(今古堂書店/明治36年)。
ドイル以前の古い探偵小説だ。よしよし、と買ったが、後で失敗に気が付いた。
これ、上巻だけだったのである! うわあ、しまった。

続いて、『少女の敵』というタイトルが見えた。俺のことかい(苦笑)と手に取る。
右から表記されていたための読み違いだった。
『敵の少女』(文化書房・学級文庫/昭和7年)だった。
だが、そのおかげで大発見。
表題作はドイルの歴史冒険小説たる勇将ジェラール物の一篇だったのだ!
ドイル翻訳研究において、こんな本はこれまで全く知られていなかったのである。

『動物の社会』(文化書房・学級文庫/昭和7年)は、同じシリーズの一冊。
こちらも、収録作のひとつ「弟よいづこ」がハガードの『ソロモンの洞窟』だと判明。

伊藤銀月『裏面観的異説日本史』(藍外堂書店/明治42年)は、正史ではない日本史の本。
古典SF『不死人』『小説 明治百年』の作者が書いているので、中身にはそれほど興味はないが購入。

即売会では以上。
神田古本まつりのメインは、「青空古本市」だ。
ところが、こちらの会場では買うものがなかった。
しかし、今年は舗道のあちこちに露台が出ている。去年まではなかった。
その露台で、まず、シェリー夫人『巨人の復讐』(新人社/昭和23年)を買った。
これは、作者から推測できる通り、『フランケンシュタイン』である。

その後、わたしは目を疑うような本を見付けた。
それは、長年ずっと探求し続けた本だったのである。
ロフティング『たべものどろぼうと名探偵』(光文社/昭和32年)である。
近年、『ガブガブの本』というドリトル先生の番外篇が翻訳された。
しかし、その中のホームズパロディの部分だけ、50年近くも前に翻訳されていたのだ。
それが、この『たべもの…』なのである。
もう日本語で読めるとはいえ、この版をずーっっっっと探し続けていただけに、
見付けられてすっごく嬉しかった。
しかも、めちゃ格安。

おかげで、今回の神田古本まつりは大収穫となった。
二時間以上も歩き回ったにもかかわらず、足取りも軽く帰り道を辿った次第である。

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「……本をなくした」2004年10月10日

久々に、本当に久っびさに本をなくした。
なくしたのは筑波昭『津山三十人殺し』(新潮OH!文庫)。
『八つ墓村』のモデルになった、大量殺人事件の実録だ。

忘れたのは、地下鉄大江戸線で西新宿から乗って、牛込神楽坂で下りる際。
車中で読んでいたのだけれども、持っていた袋に入れようと思って躊躇った。
その袋には、人に渡す本が入っていたのだ。
(うっかり、一緒に渡してしまうと面倒だなあ)
とかなんとか思って、下車寸前に、袋とは別にして脇に置いてしまったのである。
それなのに、他の荷物に気を取られて、袋は持ったものの、
本を置いたままだということに気付かなかったらしい。

その日は、月に一度集まる本好きの会合があった。
そこで読みかけの本を見せようと思って、ようやく忘れたことに気が付いた。

帰路、地下鉄の事務所で訊ねたところ、本は見付かったとして光が丘駅にあるだろう、
とのことだった。
そこまで取りに言ったら、往復の運賃で文庫本が買えてしまうだろう。
それに、本だから拾われてまっているかもしれない。
そう思って、確認せぬまま、諦めた。

本をなくしたのは、たぶん二十年振りぐらいだ。
覚えているのは、大学在学中に、青学推理小説研究会の読書会のために読んでいた
志水辰夫『飢えて狼』。これを、酔っ払って中央線の中で忘れた。

その数年後、在学中か卒業してすぐの年、推理研の合宿で長野へ向かっている車中。
スティーヴン・キング&ピーター・ストラウブ『タリスマン(上巻)』を忘れた。
そのため、確かこの小説は途中までしか読んでない。

それ以来、本をなくしたことはなかったはずだ。
家の中で、本がどこかに行ってしまったことはよくあるのだけれど。

今回、続きを急いで読みたかったので、図書館から借りてきて読了した。
しかしわたしは、本をなくしたという事実に、がっくりきていた。
そこで、ふと思い付いて、購書記録を調べてみた。
すると、なんということか。

わたしは『津山三十人殺し』を、もう一冊の本と一緒に古本屋で買ったのだけれども。
その際、25円しか払っていないのだ。
何か期間限定の割引券をもらって、その最終日に駆け込みで買ったのだ。
25円は、割引券の額面を超えた金額、という訳。

つまり、なくした『津山三十人殺し』は12.5円。
よし、これで全然痛くないぞ。

……という具合に、無理矢理自分を納得させたのでありました。


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「家庭内方言」2004年9月30日

家庭の中だけで通じる言葉、というものがある。
いわば、家庭内方言である。

とある作家氏の場合。
奥さんが脱ぎ捨てたまま片付けてない靴下を「カタツムリ」と言うそうである。
これはその形状から来ているのだろう。
なるほど、である。

とある翻訳家氏の場合。
さんざん着古してくたくたになった服を「ネコシニ」というそうである。
これは「猫死に」らしい。
猫の死体のような、ということのようだが。
これはなるほどと言うか、なんと言うか……。

わたしはツナ缶のことを「イヌ缶」と言う。
これはイヌ肉が入ってるとかそういうことではなく。
ドッグフードの缶詰のような、というようなことだったと思う。

わたしの実家の場合。
既にお茶を入れたお茶っ葉に、そのまま茶葉を足すことを「口茶」と言った。
これも家庭内方言だと思っていたのだが、ふと広辞苑を引いたら、
ちゃんと載っているではないか。
歴とした日本語(共通語)だったのである。

また、何かの残りが少ない状態を「けすい」とも言った。
それこそお茶の缶を覗いて「そろそろお茶っ葉がけすい」といった具合に。
これは母方の祖母が使っていたのを聞いた覚えがあるので、
祖母→母、と伝わったもののようだ。
どこかの方言だろうか、とも思って調べたが、
広辞苑にも方言辞典の類にも載っていなかった。
これも、家庭内方言だったのだろうか。
祖母が故人のため、もう確認することができない。

もしも万が一、この「けすい」という言葉に心当たりのある方がいらしたら、
是非とも御教示を願いたい次第である。

もう一つ思い出した。
「ポテトチップス」は、普通ならば「ポテチ」と略されるが。
わたしの実家では、もっと短く「ポチ」と称されていた。
庭に建てられた小さなプレハブがわたしと兄の部屋だったのだが、
母屋の窓を開けてそこに向かって
「おーい、ポチ喰うか」などと叫んだりしていた。
はたから聞いたら、それこそイヌの肉でも喰うのかと思ったかも知れない。

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「トカゲロン2号 または小指の想い出」2004年9月21日

前回、右足の親指の爪をべろりと剥がした話を書いた。
その傷も完全に癒えぬ間に、また怪我をした。
また、右足の指である。
今度は――小指だ。

歩いていて、置いてあった鉄アレイに、思いっきり小指をぶつけてしまった。
大激痛。
冷蔵庫から保冷剤を出し、冷やし続けた。

どうやら大丈夫かな、と安心して油断した。
同じ小指を、今度はイスの脚にぶつけてしまったのだ。
またまた大激痛。
やっぱり冷蔵庫から保冷剤を出し、冷やし続けた。

まあ、これで大丈夫だろう、と歩き回っていたら。
だんだん、小指が赤黒く腫れ上がってくるではないか。
痛みも引かずに、強くなってくる。

これはもしや、骨にヒビでも入ったか……と、蒼くなった。
救急病院に時間外で飛び込み、さんざん待たされた挙げ句に
(時間外だからしょうがない)レントゲンを撮ってもらった。

その結果は。
幸いにして、骨折は確認されなかった。
しかしそれでも、筋肉組織が断裂している、と言われた。

また、ヒビが小さくてレントゲンに写らないこともあるので、
一週間痛みが引かなかったらもう一度来なさい、とも言われた。

鎮痛消炎剤をもらい、湿布薬を貼った。
翌日には、ビッコを引きつつも神田と五反田の古書即売会をハシゴ、
更に飯田橋の新刊書店に行ってから、有楽町で乱歩賞のパーティに参加。
やっぱりトカゲ並み?

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「トカゲロン」2004年9月15日

えー、「痛い話」の苦手な方は、読み飛ばして下さい。

古本的日常にも書いたが、右足の親指の爪をべろりと剥がした。
回転式の椅子を踏み台にして、天袋に荷物を入れようとした際に、
椅子が回転して落ちそうになり、下手にこらえたばかりに椅子に爪が引っかかったのだ。

ほぼ直角に剥がれて、根元の半分か三分の一だけくっついている状態だった。
大流血、大激痛のところを、何はともあれ元の形に戻し(これがまた激痛)、
バンソウコウでぐるぐる巻きにしておいた。

それからは、うつ伏せには寝ると爪が圧迫されるので、常に仰向けに寝ていた。
幸いにして、サンダル履きで問題ない職業だし、満員電車に乗る必要もない。
消毒と薬の塗布をしつつ、数日後。

バンソウコウの交換時に、傷を確認してみると。
なんと、爪がまたくっついている様子なのだ。
あんまり強く力を入れると痛いので、おそるおそるはがす方向に動かしてみる。
やはり、くっついているらしい。
てっきり、次の爪が生えるか、爪の下の皮膚が少し固くなったところで、
ぽろりと取れてしまうものと思っていたのだが。
ううむ、こういうこともあるのか。
それとも、わたしの再生力が強いのか。

――今から十年ほど前、横断歩道を歩いていて、車にはねられたことがある。
十数メートルとばされて、額から地面に激突。
額はカルデラ状に擦れて頭蓋骨が見え、左脚の腓骨が折れ、右脚の靭帯が切れ掛けた。
救急車で運ばれて入院した。
そういえば、その時も驚異の回復を見せて、担当医師に
「トカゲ並みの再生力ですね」と言われた覚えがある。
それを、思い出してしまった。

今回の爪も、普通の人だったら取れてしまったり、
ひょう疽になって指が腐ったりしてしまったりしたところだったのだろうか。
やっぱりわたしは、トカゲ並みなのか。

……でも、痛かったことは痛かったのであります。

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「闘え! ルブラン」2004年8月20日

オリンピック放送で、女子柔道の中継を見た。
阿武教子(アンノ・ノリコ)が、見事に金メダルを取った。
なにはともあれ、めでたい。

さて、その準決勝の相手が、フランスのセリーヌ・ルブランだった。
制限時間内は互角で、延長に入った。
これは最近導入されたシステムらしく、先にポイントを取った者が勝ち。
要はサドンデスである。

反則のポイントでも勝敗が決するため、ルブランが掛け逃げ
(攻撃できる態勢にないのに、攻撃しているようなアピールをすること)をしても、
なかなか審判が指導を取らない。

そうこうするうちに、延長も残るところ一分を切った。
そしてついに、阿武の技が炸裂!
見事、阿武の勝利!
決勝進出決定!
銀以上のメダル決定!

ここでアナウンサーが興奮して、叫んだ。
「アンノがモーリス・ルブランを下しました!」

全国のミステリファンがテレビに突っ込んだことだろう。
「モーリス・ルブランは『怪盗ルパン』の作者でんがな!」と。

あまりのことに聞き間違いかと思ったが、そこはそれ、オリンピック放送。
VTR放送を繰り返してくれた。
技を見るためもあったが、耳をそばだてて聞いた。
――しっかり、「モーリス・ルブラン」と言っておりました。

たっぷり、笑かしていただきました。

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「シャーロック・ホームズの孫娘はチャーリーズ・エンジェルだった!」2004年6月8日

こんなタイトルで書くと、フィリップ・ホセ・ファーマーみたいな
トンデモ・シャーロッキアンなネタだろう、と思われるかもしれませんが。
これが、本当の事実なんです。
……いや、まあ、ちょっと調べ物をしていて気付いた小ネタです。

映画版『チャーリーズ・エンジェル』の一人を演じた、ドリュー・バリモア。
彼女が映画俳優の一族に生まれた、サラブレッドだとは知っていました。
で、調べ物をしていて気付いたのが――
ドリューの祖父こそ、往年の名優ジョン・バリモアだったということ。
そうだよ、「バリモア」じゃん! なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。
(きっとドリューのキャラクターゆえ、結び付けて考えていなかったんですね。)
で、このジョンバリモアは、1922年に『シャーロック・ホームズ』で主演した、
ホームズ役者のひとりなわけです。

実際にホームズの孫娘があんなキャラクターだったら……。
爺ちゃん、泣くだろうなあ。

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「猫の次は犬」2004年5月31日 

西荻窪に、欧風料理の「華」というレストランがある。
料理がとても美味しいので、贔屓にしている店である。
そのマスター一家が、わたしの住まいのすぐ近所に住んでいる。
そのおかげもあって、マスター夫妻及び五歳の子供と仲良く御近所付き合いしている。

先日、その五歳の子供(男の子)が、うちまで聞こえるほど大騒ぎしていた。
後でマスター夫人(つまり母親)に訊いたところ、『特捜戦隊デカレンジャー』を
ビデオで見ていた時のことらしい。

息子は「ほら、おかあさん、見て、○○だよ」とか言う。
しかし母親は、家事をしているので適当に受け流していた。
そしていい加減面倒臭くなってきたので、「敵の親玉」を「ポチ」と呼んだら、
息子が怒って騒いだらしい。

しかし、話を聞いていると、どうも何かおかしい。
よくよく確認していると、母親は「敵の親玉」が「青いイヌ」だと言うではないか。
だから、ポチと呼んだのだと。

お母さん。
あなたは間違っている。
『特捜戦隊デカレンジャー』に青いイヌが出てきたとしたら、それは敵どころか――
デカレンジャーの上司、「ボス」なのだ。 
『太陽にほえろ!』だったら石原裕次郎なのだ。
しかも最近は、ボス自ら変身して「デカマスター」として活躍しているのだ。
それを「ポチ」呼ばわりされては、息子が怒るのも仕方なかろう。

最近は、母親がイケメン特撮ヒーローにハマって、子供と一緒に夢中になっている、
というパターンが多いらしい。
しかし、「華」さんの奥さんはそうではなかった。
何のことやら、さっぱり分からないとのこと。

設定などの基本さえ押さえておけば、子供の話に全部付き合わなくてもいいのだが、
興味がないとその基本すらさっぱり覚えられないのだ。
よく考えてみれば、わたしですら『仮面ライダークウガ』と『仮面ライダーアギト』が
バラで出てきたら区別に迷うところだし。
『ウルトラマンティガ』と『ウルトラマンダイナ』も同様だし。
ましてや「なんとかモード」に至っては全然ダメだし。
特撮に興味のない母親に、デカレンジャーの設定を覚えろというのは無理な話か。

というわけで、快くん(というのが男の子の名前である)。
デカレンジャーの話をするのは、保育園以外では、
北原おじちゃんとだけにしときなさい。

ああ、でもこの北原おじちゃんも、『仮面ライダー剣(ブレイド)』を
「あれは『仮面ライダーとんがりピーポン』というのだ」と嘘を教えようとしてたしなあ。
(ちなみにギャレンは「仮面ライダーはさみチョッキン」だ、とも教えた。)
……快少年の前途は、多難である。

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「ファミレスの女子高生」2004年5月25日

最近、読書をしたり校正をしたりしなければいけない時は、
ファミレスにこもって仕事することにしている。
その方が気が散らずに、集中できるからだ。

隣の席の会話などは、あまり気に留めないのだが、先日は違った。
女子高生が二人で、勉強をしていた。
いやいや、女子高生だから気になったわけではございませんぞ。
問題を解きながらも、何やかやとお喋りしているところは、女の子だ。
片方が、最近「数学の先生から聞いた話なんだけどさ」と話を始めた。
そして「シャーロック・ホームズが……」と言い出したので、
思わず耳をそばだててしまったのだ。

数学の先生は「このような考え方がある」とホームズのセリフを引用したらしい。
どのセリフだろうか。
「不可能なものを消去していけば、残ったものがどんなにありえなさそうでも真実である」
というやつだろうか。
などと推測をたくましくしていると。
女子高生が言った。
「その晩に、猫が鳴かなかったのが問題だ、っていうのよね」

「!!!」
わたしは腹をヒクヒクさせながら笑いをこらえるのに必死だった。
そりゃ猫じゃなくって、犬だぁっっっっ!

よくよく聞いていると、先生は――
「数学の問題でも、変化のある部分よりも、変化のない部分に注目しなさい」
――ということを言いたかったらしい。
その先生、なかなか良いことを言っている。
女子高生も、「凄いよね。あたし今もまた鳥肌立っちゃったよ」とか感動している。
でも。
猫じゃなくて、犬なんだよ。
猫は、鳴かなくてもあまり不思議じゃないし。
たぶん先生は正しく教えたのを、女の子が犬と猫を間違えたんだろう。

ううむ。
あの女の子たちに、「もしもし、間違ってますよ」と教えてあげるべきだったのだろうか。
しかし、まだ仕事をするつもりだったので、
「何、このオジサン」と白い眼で見られても困るからと、やめておいた。

話を聞いていた方の女の子は、最初から猫で覚えてしまっただろうか。
いつか、真相に気付いたら、「違うじゃ〜ん!」と思うことであろう。

 註…『シャーロック・ホームズの回想』所収「シルヴァーブレイズ事件」参照

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「遅まきながら2000年の反省」2004年4月29日

当サイトの「古本的日常」は、新しい部分だけが更新されているわけではない。
過去に、津原泰水氏のサイト「aquapolis」に載せていた部分も、少しずつ遡って、
順に再録しているのだ。

再録するに当たっては、一旦、内容を見直しすることにしている。
津原氏サイトに載せる以前は、青学推理小説研究会OBだけの身内パティオ
(後にメーリングリストに移行)に書いていたために、
そのノリを引きずってしまっているような部分が散見されるのだ。
読み返しつつ、そんな部分を訂正している。

今、ちょうど2000年の前半辺りである。
だが、わたしはかつての自分の行動に呆れてしまった。
あの頃のわたしは、あまりにも大量に古本を買っているのだ。
新刊も買っているし、謹呈された本もあるが、例えば2000年3月、4月、5月と、
毎月およそ120冊ずつも本が増えているのである!
三か月合計で、360冊以上!

ううむ、いくらフリーになって好きなように本を買っていたとはいえ、これはあんまりだ。
古本マニアで、もっと買っている人はいくらでもいるが、他人と比較するのは無意味なこと。

わたしは現在でもたくさん本を買ってはいるが、今年は1月が40冊弱、
2月が60冊、3月も60冊だ。
つまり、今年の倍以上のペースで、2000年には本を買っていたことになる。

とはいえ、見返してみると、不用な本は買っていない。
昨年完成した『新刊! 古本文庫』の資料として集めた本。
現在執筆中の本のために、買い集めた本。
今後、何かの折に紹介しようと思って買った本。

それでも、中には「何も今買わなくても」という本や「何もその値段で買わなくても」
という本が、幾らかは見られた。
おそらく、「その本が欲しいから買う」というよりも、本を「購入する」という行為自体に
快感を感じていたのだろう。

今更ながら反省しているわけだが、これから本を買うに当たっては、それが本当に
今買わなければいけない本かどうかをもう一度考え直してから買うことにしよう。

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「北原家コレクター気質――その後」2004年4月17日

今更だが、正月の話。
毎年、行われる北原家新年会のため、国分寺の実家へ帰った。

その際、兄と弟の両方から、この「雑記」について抗議を受けた。
昨年12月に書いた「“北原姓=コレクター”説」で―― 

>>兄は某百貨店に勤務しているのだが、やたらと靴を集めている。
>>弟は服飾関係の仕事をしていて、自分でも古ジーンズやらを収集している。

――と書いたが、これは事実と異なる、というのだ。

まずは、弟。彼が古ジーンズを集めていたのはもう随分と前のことで、
今はもう集めていないのだそうだ。
現在、集めていると言えるのはアナログ盤だということだった。
実際、彼がまとめ買いした中から見付かったというシャーロック・ホームズの
ミュージカル劇のLPを、わたしにくれたりもしている。。
かなりの量に目を通していなければ、まずこんなものまで見付からないだろう。
というわけで。
「弟は服飾関係の仕事をしているが、以前どこぞでDJをしていたこともあって、
アナログ盤を収集している」と訂正させて頂く。

続いては、兄。兄は「靴はあくまで履くために買っているのであって、
コレクターとして買っているのではない」と主張。
しかし、これにはちょっと異論がある。
飾っておくだけでも、実際に使用するのであっても、あるジャンルのモノを
ある一定以上集めたら、それは「収集癖がある」と言えるのではないか。
例えばオモチャのコレクターならば、パッケージから絶対に出さないという人も、
遊んでこそオモチャという人も、コレクターはコレクターだろう。
わたしだって古本コレクターだが、どの本だって、あくまで読むつもりで買っている。
単に、読むスピードが買うスピードに全然追い付かないだけだ。
というわけで、兄についてはペンディング。
兄が靴を何足持っているかを確認してから、訂正を検討することにする。
本人だと過少申告しそうだから、兄嫁に訊ねてみることにしよう。

おっと忘れてた。

>>わたしの父は、いい歳をしてプラモ製作が趣味で、
>>作れる以上のプラモデルを買い込んでいる。
というくだりに関しては、兄も弟も全く異論がなかった。
それは、訂正のしようのない事実だということで、三兄弟で意見が一致したのだ。

よって、「“北原姓=コレクター”説」自体は、揺るがなかったのである。

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『攻殻機動隊』と『耳をすませば』にはさまれた『吾輩は淋菌である』2004年3月13日

深夜アニメは、時間がよくずれる。だから、時間に幅を持って予約している。 
先日(3/9)の『攻殻機動隊』も、そのようにしていた。
だから、前後の番組も、録画してしまっている。

DVDプレーヤーのハードディスクに録画したので、観る前に余計なところをカットしてしまおう、
と操作していた。
『攻殻機動隊』の後には、今週の金曜ロードショーでやる『耳をすませば』の案内番組をやっていた。
この紹介番組では、なぜか古本が紹介されるので、ふと、観てしまった。
そして、驚いてしまった。

松沢呉一が紹介していたのは、『吾輩は淋菌である』と、
その元版の『ゴノコッケン物語』だったのである!

普通の人には、わたしがなぜ驚いたかも分からないだろう。
この本は明治時代に出た本で、淋病について医学的に紹介するのに、淋菌自らが
「吾輩は……」と語ってしまう、という奇書なのである。
この本の存在は昔、横田順彌氏の『日本SFこてん古典』で知った。
欲しいとは思っているけれども、未だに入手できていない。

こんな本に興味を持つのは、わたしのような古典SFファンぐらい(のはず)なのだ。
それがテレビで紹介されたのだ!
驚くのも無理はないではないか。

しかも、そのタイミングたるや。
SFアニメ『攻殻機動隊』と、ジブリアニメ『耳をすませば』(の案内)に挟まれていたのである。
続けて書いてみよう。

『攻殻機動隊』『吾輩は淋菌である』『耳をすませば』

ほら、なんか凄いでしょう?

それにしても、欲しいなあ、『吾輩は淋菌である』。

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「一期一会」2004年1月31日

既に書いたように、今年に入ってから、買った本と読み終わった本の比率を気にしていた。
当たり前の話だが、読了本が購入本を上回るなどというのはごく一時期だけで、
元の木阿弥になるのは時間の問題だった。
それで、もう購入本の冊数をなるべく増やさないようにする必要もなくなった。

それゆえ「もう解禁だ」とばかりに、古本を買いに行くことにした。
実を言うと、古本屋でちょっと欲しい古本を見付けても「これは絶版じゃないから」
「いますぐ必要ではないから」などと自分に言い聞かせて、我慢をしていたのだ。

ところが、いざ買いに行ってみると――無いのである。
誰かに、買われてしまったのだ。

その古本屋――わたしの名前を覚えていてくれた例の古本屋である――は、割と良心的
で、ちょっと前のハードカバーだと、定価の三分の一前後の値付けをしているのだ。
一般的には、二分の一から二分の一強という店が多い。
つまり、普通よりも安かったのに、我慢したばっかりに買い損なったのだ。

悔しい。

古本というのは、一期一会である。
その本、その値段で出会えることは、もうないつもりでいなければならないのだ。
ああ、それなのに。

これからは、改めて「一期一会」を肝に銘じておくことにしよう。。
とはいえ、それを言い訳にして無闇やたらと古本を買い漁るのは自戒せねばなるまい。

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「ストーリー紹介の疑問」2004年1月25日

NHK地上波で、『ザ・ホワイトハウス2』という海外ドラマをやっている。
アメリカの大統領と彼を取り巻くスタッフたちのドラマだが、割とキャラが立っていて
そのやりとりが面白く、ついつい毎週見てしまっている。
楽しんでいるにもかかわらず、最近、ちょっと首を傾げることがある。
本編が始まる前に、その回のストーリーを大雑把に紹介しているのだが、
これの作り方に疑問があるのだ。
昔の子供向け本みたいに、ほとんどのストーリーを割ってしまっているのだ。
しかも、かなり重要なポイントを先に明かしてしまっているので、本編を観ていて
興ざめしてしまうことすらある。
「だって、このあと、ああなっちゃうんだろ」ってな感じで。
これを観ないと視聴者がストーリーを把握できないと考えているなら、それは視聴者を
馬鹿にしている。
そんなわけで、最近では録画をしておいてそこをすっ飛ばして観るようにしている。

ところが、どうもそれだけでは済まなくなってきた。
本編の最後にやる、次回の予告。
これまでもが、かなり重要な部分をやってしまっているのだ。
ミステリで言えば、ネタを割ってしまうようなもの。
要するに「反則」である。
それをやっちゃってはダメでしょう。
その危険性があるにもかかわらず、次回はどうなるのか知りたいから、これは観てしまう。
あんまりバラさないでくれよ、とハラハラしながら。

「ストーリー紹介」および「次回予告」は、本国で作っているものか、
NHKが作っているものかは知らない。
いずれにせよ、エンターティメントのなんたるかを理解していれば、あんな形では
作らないはずなんだが。
本編が面白いだけに、残念に思っている次第だ。

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「購入本:読了本比率」2004年1月16日

購入本と読了本については、割ときっちりと記録を取っている。
「古本的日常」をお読み頂ければ、すぐにお分かりの通りである。
で、これまたすぐにお分かりの通りなのだが。
毎年、買った冊数の、数分の一の冊数しか、読了していない。
つまり年ごとに、未読本が膨大に増え続けているのだ。

だが、「古本買い初め」にも書いたが、今年は七日までに買った古本は一冊。
新刊はまだ買っていないし、謹呈本も届いていない。
9日現在で、そのままの状態だ。

一方で、読了本は4冊(9日現在)。
そこで、わたしははたと気が付いた。
今だけ――今だけは、「今年になって買った本の、四倍の冊数を読んでいる」のだ!
つまり、未読本が「減少」しているのだ!

わたしとしては、滅多にあり得ない状態なので、つい、嬉しくなって書いてしまった
次第である。
まあ、これがひっくり返るのも時間の問題だし。
年末には、いつも通りの状態になっていると思うのですがね。
(2004年1月9日識す)

〔追記1〕1月10日
高円寺と神田の古書即売会をハシゴして4冊買ってしまった。
これでひっくり返ってしまった訳である。
だが帰宅してすぐに和久峻三『恐竜王子』を読了。
これで、5対5のトントンである。

〔追記2〕1月11日
富田良雄『謎のテンプラ中佐』読了。これでまた読了本の方が多くなった。

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「古本買い初め」2004年1月11日

2004年は、1月7日にしてようやく古本を買った。
そういえば七日の節句まで古本を買わないなどということは久しくなかったな、
――と思って、過去の手帳を引っ張り出してみた。

調べてみた結果、なんと1992年以来だった。
ちょうど一回り前の、申年である。
それ以降は大体、正月のデパート古本市へ行って何かしら買っていたようだった。

実は、今年はまだ買ってないな、と気付いて、どこまで引っ張れるか頑張ってみようか
とも思っていた。
元旦から6日の間にも古本屋はのぞいてはいたのだが、買いたいものがなかったのだ。
しかし7日に、これから「SFマガジン」の連載コラム「SF奇書天外」で使うことに
なりそうな資料を見付けたので、遂に(笑)購入。
買い初めが資料。今年もそういう古本ライフになるのだろうか。

買ったのは、天沼春樹『夢童子曼陀羅』。幻想短篇集である。
持っていない自信はあったので購入したのだが、一応、帰宅して調べてみた。
この作家の『夢童子 転生奇譚集』というのは持っていたので、目次を見ると
――中身が全く同じではないか!

あとがきを読んで分かった。後者は改題・再刊版だったのだ。
今回買った方が、元版。
表紙もタイトルも違うので、気が付かなかったのも仕方ないが。
こういうのが今年の古本ライフの流れか……嫌だなあ。



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