作文22

いろんな思いと思い出と。

 ずいぶん、予想とは違っていた。
 だいぶ前からわかっていたことだった。だから、大丈夫だと思っていた。こらえきれると。でも、次から次へとあふれてくる涙を止めることはできなかった。

 蒸し暑い夏の休日の朝、めずらしく携帯電話が鳴った。鳴った瞬間に用件がわかった。携帯電話のディスプレイは父を表示していた。
「さっき、おばあちゃんが、終わりました。」
父らしい伝え方だと思った。
どんな様子だったかとか、それからの動きについて話したはずだが、あまり覚えていない。
 暑い暑い8月の朝、祖母が亡くなった。老衰、数え93歳。

 最後に会ったのは昨年(2006年)5月、GWに帰省したときだった。かろうじてわかっただろうか。
 元気な祖母と話をしたのは、もう1年半以上前、2005年6月、私の結納の時が最後だった。挙式の日だと思いこんでいたようで、「私まで呼んでくれてありがとう」という意味のことを何度も言っていた。「ばあちゃん、まだ先よ」と笑いながら言ったものだった。その後、実家近くの病院に入院し(それまでにも何度か入退院を繰り返していたが)、そのまま家に戻ることはなかった。

 もう何年も何年も私が帰省するたびに、同じことを繰り返して言っていた。
「あんたの結婚祝いば5万円、もうお母さんに預けてあっけんね」
本当に何年も何年も、利子がつくほどに待たせたようだった(まぁ、弟にも同じことを言ってはいたが)。そういえば、まだ知らせてもいない(どころか本人たちも決めていない)時に「お式はいつね?」と言っていた。2人で初めてうちの実家に挨拶に行った時、――その時祖母は入院しており、どうやって説明しようか、わかるだろうかと思っていたのに、顔を見るなり手をとって「ほんに、よかったよかった」と涙ながらに言ってくれた。そして顔を見ただけで「ほんによか人と巡りおうて……」と言っていた。おばあちゃんにかかれば、全世界の人が「ほんによか人」になると思うが。

 そのおばあちゃんが、誰よりも「ほんによか人」だった。10人に聞いて13人ぐらいが「やさしい、いい人だった」と答えるくらいに、誰に対してもやさしい、おだやかな人だった。無条件に人を誉める人だった。
 私の気性からしたら意外に思われるかもしれないが、それもそのはず祖母は父の養母であり、私(たち家族)との血のつながりはない。おばあちゃんのやさしい心持ちが血としては受け継がれてないのは少し悲しい気もする。

 「おばあちゃんがお父さんのお母さんでない」ことを知ったのは確か、中学生の頃だったと思う。別に隠されていたわけではなく、たぶんそれまで理解していなかっただけだと思う。少し複雑な思いはあったが、それはそれなりに受け入れられた。「おばあちゃんは本当のおばあちゃんでない」と思ったこともあったし、「私にとってのおばあちゃんはただ1人」と思っていたこともあったが、今では「おばあちゃんが3人いた」と普通に考えられる。父を生んだ人も、父を育てた人も、母を生み育てた人も、私と一緒に過ごしたことがあろうがなかろうが、みーんな「おばあちゃん」であり、大事な存在である。

 思えば大変な人生だったと思う。大正の初めに生まれ、その割にハイカラな名前のおばあちゃん。父の母は父が中学生ぐらいの頃に亡くなったと聞く。その後祖父の後妻として嫁いできているのだが、いきなり6人の子どもの母親になるのだ。しかも1ばん上の子と自分は10歳ほどしか年が変わらない。上2人はすでに嫁いでいたという。この辺の事情はおばあちゃんが亡くなったときにぽつぽつと聞いたことであった。私にはおばあちゃんだったけど、父や伯母・叔母からしたら母なんだと改めて思った。当たり前のことなんだけど。

 そう、当たり前のことなんだけど、なかなか思い至らなかったことだった。6人の子の母で、15人(たぶん)の祖母で、22人ぐらいの曾祖母で、おそらく2人にとっての高祖母だった。私だけのおばあちゃんではなかった。父や伯母・叔母たちからしたら、母を2度亡くしたのだ。あの悲しみを2度味わうのは悲しいことだろう。それでも、私の家族はきっと2人の母と出会えたことを喜んでいる人たちだと思う。何よりウチのおばあちゃんが口癖のように「この家に来てよかった。ご縁があってよかった」と言っていた人だった。
 おばあちゃんの遺体に対面したとき、大丈夫だと思っていたのにぼろぼろと涙が出てきた。その時近くにいた一番上の伯母が「そぎゃんね、そぎゃんね。わかっとったって悲しかね」と言っていた。
 葬儀の後だったか、一番下の叔母は、「新しいお母さん」が来る時にかなりの抵抗があったと漏らしていた。多感な中学生ぐらいのことだったと聞いた。
 おばさんたちは、私と同じあの家に生まれ育ち、そして出ていった、私と同じ立場にいた人だったんだな、とふと思った。いわば私の先輩。そう思ったとき、おばたちが、急に近く感じたような気がした。

 私の中に、おばあちゃんの思い出はたくさんたくさん残っている。おばあちゃんに私は残っていただろうか。
 2005年11月、地元で結婚の披露をした。その日の朝、仕度をして黒の引き振り袖を着て角隠しをかぶり、歩いておばあちゃんの病院に会いに行った。おばあちゃんは手を合わせ、声にならないような声で「ありがとう」と何度も言った。私の方こそ、今までありがとう、おばあちゃん。そう言いたかったけど、言葉にはなってなかった。涙があふれていた。両親にも、おばあちゃんに会う機会をくれてありがとう、と言わなければならなかったが、ちゃんと言ったかどうか、どさくさに紛れて実は覚えていない。
 この数年の間の私は、いつ会う時も「これが最後かもしれない」という思いでいた。この後、会ったのは1度だけだった。

「人間は2度死ぬ」
この言葉は高校か大学の先生から聞いたんだと思う。1度目は、肉体としての死。しかし、人々の記憶の中で生き続けている。そして、亡くなった人のことを覚えている人がいなくなった時、2度目の死を迎えるのだと。
――おばあちゃんは、私の中にまだ生きている。

 おばあちゃんの孫に生まれて来られてよかった。そう思う。そして、いつか、私もおばあちゃんみたいなおばあちゃんになりたい。そう思う今日この頃である。

(2007/1/5)



前の作文へ

感想等はこちら

次の作文へ

作文室へ戻る
作文室へ
トップページへ
トップへ


Copyright(c) 2007 きよこ All Rights Reserved.